【第三十八話 於鶴涼子:合気道 其の三】

 三度<地下闘艶場>へと引きずり込まれた犠牲者がいた。名は「於鶴涼子」。21歳。身長163cm、B85(Dカップ)・W60・H83。「御前」の所有する企業の一つ「奏星社」で受付をしている。長く綺麗な黒髪と涼しげな目、すっと通った鼻梁、引き結ばれた口元。独特の風貌を持つ和風美人である。
 最初の<地下闘艶場>参戦では三連戦を強いられたが全てを退け、三百万円のファイトマネーを手に入れた。
 二度目の<地下闘艶場>では、最強と目された元橋堅城を半裸に剥かれながらも破った。
 もう<地下闘艶場>に参戦する気はなく、涼子は日常に戻り、稽古も普通に行う程度だった。そんな涼子の許に、三度招待状が届いた。一応封を開けた涼子の目に、対戦相手が元橋堅城の弟子であることが書かれた文章が飛び込む。
(元橋様の弟子・・・)
 今思い出しても、自分の勝利が信じられない程の相手だった元橋。その男の弟子で、<地下闘艶場>に上がるとなれば実力は容易に推測できる。涼子は、自分の武道家としての血がざわめき立つのを感じていた。


 リングに立った涼子の姿は、長い黒髪をポニーテールに纏め、白い道衣と黒い袴、胸にはサラシという前回と同じものだった。対する瓜生霧人は前回と違い、黒い道衣を身に纏っている。
「赤コーナー、『鉄腕』、瓜生(うりゅう)霧人(きりと)!」
「青コーナー、『クールビューティ』、於鶴涼子!」
 両者とも、自分の名前がコールされたというのに何の反応も示さない。それほど目の前の相手に集中していた。
(この方、強い・・・!)
 元橋には底の見えない恐怖があったが、目の前の霧人からは、向かい合うだけで全身を圧懐されそうな闘気を感じる。
(師匠の言葉、嘘じゃなさそうだ)
 元橋が敗北を喫した相手。こうして向き合ってみると、立ち姿が美しい。重心が崩れておらず、体幹に強力な芯が通っている証拠だ。
 両者の間に渦を巻く圧縮された闘志に気圧され、レフェリーはボディチェックを忘れてゴングを要請した。

<カーン!>

 ゴングが鳴っても、二人とも微動だにしない。しかしそのことに不満を洩らす観客はいない。涼子と霧人の間に見えない闘いが始まっていることがわかっているからだ。
 目の肥えた観客すら感歎させる静かな闘いは、互いに足の指をにじらせることで少しずつ距離が詰まっていく。
 お互いの間合いの半歩先。そこで両者の動きが止まる。肩を、手を、微かに動かすことで相手の隙を探り、相手の反応で次なる一手を探す。
 先に仕掛けたのは霧人だった。
 涼子の左手が僅かに伸びた機を捉え、袖の端を持つ。袖の端を持たれただけなのに、涼子はそれだけで体勢を崩されかける。瞬時に体勢を戻すが、霧人は袖を掴みなおして引きずり込もうとしてくる。それをさせまいと袖を引くと、丈夫な筈の道衣が肩口から音高く破れてしまう。
(なんて力! 掴まれただけでこうなるなんて)
 驚愕する涼子。道衣の左袖は霧人の手に残り、リング下へと投げ捨てられる。
「だいぶ使い込んでいたようだな」
 例え使い込んで古くなったとしても、簡単に破れるようなものではない。先程力だけで崩されたことと併せて考えると、霧人の筋力、握力は常人の比ではないと考えた方がいいだろう。筋骨隆々とは見えない体格でこの力。どれだけの鍛錬を積めばここまでの肉体を造り上げることができるのだろうか。
(元橋様の弟子・・・伊達ではない、ということですね)
 静かに気を引き締めなおした涼子に、霧人が再び手を伸ばしてくる。
(くっ!)
 組み手争いとはいえ、僅かでも気を抜けば敗北が待っている。掴まれまいと手首を弾く涼子だったが、霧人の力が強過ぎ、完全に弾くまでにはいかない。何度かは弾いたものの、今度は右袖を掴まれてしまう。
「ふっ!」
 右袖が掴まれた瞬間金的に蹴りを放ったが、霧人は左足を引いて体を開くことでこれをかわす。そのまま右袖を引き込んでくるが、涼子は袖を絡ませるようしてに投げを狙う。
「ぬぅっ!」
 霧人は即座にその意図に気づき、両手で袖を掴んで更に引っ張り込む。すると涼子の肩口から音高く、布の引き裂かれる音が鳴る。
「くっ!」
 捕まる危険を事前に避けるために涼子が右腕を引き、左袖に続いて右袖も引き千切られる。
「上手く逃れたが、次はないぞ」
 霧人がリング下に右袖を投げ捨てる。
(好機!)
 右袖が投げ捨てられた瞬間、涼子が疾風と化して霧人に肉薄し、霧人の左腕ごと巻き込みながら前転し、肩を極める。
「はっ!」
 ごぐり、という鈍い音と合わせ、涼子の手に脱臼の感触が伝わる。
(勝った・・・)
 油断だった。相手の肩を外した位で勝利を確信してしまった。力を抜き、立ち上がろうとしたとき。
「ぐぉぉぉおっ!」
 野獣染みた咆哮と共に、霧人が涼子の足を払う。
「しまっ・・・」
 宙に浮いた刹那、右背部、肝臓の裏側に膝を入れられた。日々の受身で鍛えているといっても、急所を正確に打たれては堪らない。込み上げる胃液を必死で飲み下し、立ち上がって構えを取る。
 霧人は痛みに顔を歪ませながら、だらりと下がった肩を押さえて立ち上がる。右手で左の上腕を掴むと外側に伸ばし、勢いよく戻す。
「ぬぐわぁぁぁっ!」
 絶叫と共に、霧人の肩がはまる。
「・・・なんの躊躇もなく肩を外すかよ。恐いな」
「貴方こそ、なんの躊躇もなく脱臼した状態で反撃に来ました。恐い方ですわね」
 苦痛を堪えて微笑する涼子に、霧人が感嘆のため息を洩らす。
「その美貌通りの冷たい技の冴え、容赦なく肩を外す非情さ・・・お前のような女は初めてだ。辱めたいと思うほどの女はな!」
 霧人の目に獣欲の光が満ち、涼子の身体を凝視してくる。
「後悔しますよ」
 自分の身体が目的となれば、霧人の隙も増える筈。そこを見逃さずに仕留める。涼子の目には冷たい光が宿った。

 じわり、と霧人が間合いを詰める。涼子もそれに応じ、二人の距離が近づく。細かい組手争いから、霧人に道衣の襟元を掴まれる。
(さすが元橋様の弟子、組手争いでも敵いませんか。でも!)
「ふっ!」
 涼子は掌底で霧人の顔面を打つ。逃れようのない一撃が霧人の鼻を潰すが、霧人は気にした様子もなく道衣の前を無理やり開く。そのまま一気に左右に引っ張ることで、道衣の背中側の縫い目から引き千切る。
「あっ」
 霧人の腹部を蹴って距離を取った涼子だったが、上半身はサラシのみとなってしまう。
「白い肌だな・・・見入ってしまいそうだ」
 道衣を投げ捨て、霧人が呟く。
「見入っても構いませんよ」
 すり足で素早く距離を詰め、両手で左手首を握った瞬間逆技で押さえ込む。
「ぐぅっ!」
 苦痛を堪えた霧人の右腕が、風を巻いて頭上から落ちてくる。
「くっ!」
 これはなんとかかわしたものの、左手を放してしまった。その隙に霧人の左手がサラシに伸びる。
「あっ・・・」
 霧人の指がサラシを摘んだと見えた次の瞬間、摘まれた部分だけ引き千切られていた。何本か纏めて千切られたため、たちまちサラシが緩み、涼子の美乳を露わにしていく。
「くっ」
 距離を取り、残ったサラシを手早く締め直す。しかし半分ほどが役に立たず、バストの上半分と谷間がはっきりと見えてしまう。
「その胸、全て見せて貰う」
 自分に伸ばされた霧人の左手を手繰って涼子は小手投げに行くが、霧人は自ら飛ぶことで未然に防ぐ。しかも飛びながら右手でサラシを掴み、引き裂く。
「あっ」
 狼狽の声を洩らし、涼子が胸元を隠す。そのため投げは決まらず、霧人は身を捻って着地する。涼子の胸元からはサラシの残骸がはらりはらりと落ちていく。
「・・・綺麗だ」
 サラシから解放された涼子の乳房に魅入られたように、霧人は視線を逸らさない。
「隠していても綺麗だな。だが、その状態で組手争いができるのか?」
 霧人の言うとおり、両手が塞がった状態で組手争いなどできるわけがない。羞恥を堪え、構えを取る。当然乳房は観客の視線にも晒され、会場から歓声が飛んで来る。
「・・・行くぞ」
 霧人が再び組手争いを挑んでくる。その手を弾く涼子だったが、涼子が動くたび、美乳が揺れる。集中しようとしても乳房の揺れが気になり、普段の動きができない。
「甘いぞ!」
 乳房に気が行った瞬間、右手首を引き込まれた。
(しまっ・・・)
 巻き込み投げに、リングに背中から叩きつけられる。霧人の体重まで乗せられては堪ったものではなかった。
「がはぁっ!」
 三階から落とされたような衝撃。肺の空気をすべて搾り出され、涼子の動きが完全に止まる。暗闇に落ちようとする意識をなんとか繋ぎとめ、反撃を試みるが手が動かない。
(・・・駄目、早く動かなくては)
 頭で命じても、体が動いてくれない。焦る涼子の袴に、霧人の両手が掛かる。
「お前の下着、見せて貰おう」
 音高く袴の前面部が裂け、純白の下着が覗く。
「於鶴選手、今日はトランクスを穿いてないんだな。へへ、それじゃあ俺も一つ・・・」
「俺の獲物に手を出すな」
 涼子の美乳に手を伸ばしかけたレフェリーだったが、霧人の眼光に動きを止められる。
「そ、そう言うなよ、少しくらい・・・」
「駄目だ」
 冷ややかな拒絶。霧人の目には、レフェリーが手を出せば何をするか分からない光があった。
「わ、わかった」
 唾を飲み下し、黙って頷く。レフェリーが引き下がったと見た霧人が、涼子の乳房に手を伸ばす。
「・・・柔らかいな。それにこの感触」
 霧人が優しげとも言える手付きで乳房を愛撫する。ゆったりとしたリズムで揉みながら、乳首をあやすようにくすぐる。
「さ、触らないで・・・」
 漸く声が出るようになったが、体はまだ動かない。
「吸いつくような乳房の感触は堪らないが、ここはどうだ?」
 霧人は下着越しに秘部を弄り、秘裂を撫で回す。
「くぅっ」
 羞恥と屈辱が頬を火照らす。それでも涼子の手は動かなかった。
「ここも柔らかいな」
 霧人は魅入られたように涼子の乳房、秘部を触り続ける。レフェリーは、その様を恨むような目つきで見ているしかなかった。

「いつまでも触っていたいが、どうせなら・・・」
 霧人は一度秘部から手を放す。
「その全て、見せて貰うぞ!」
 野獣の欲望を滾らせ、霧人が下着に手を掛ける。
 その瞬間、涼子の破かれた袴が霧人の顔に巻きついた。
「!・・・!」
 呼吸がうまくできず、苦しさに霧人がもがく。涼子はその手を緩めることなく霧人の背後に回り、更に締め上げる。
 漸く取っ掛かりを見つけた霧人の手が必死に袴の布地を掴み、縦に引き裂く。大きく息を吸い込んだ瞬間、裂かれた袴が喉に喰い込む。
「あがっ・・・がぐぅ」
 細くなり紐状になった袴の成れの果てを掴むことができず、霧人が喉を掻き毟る。大きく口が開き、舌が空気を求めるように突き出される。
「が・・・ぐぅ・・・」
 喉を掻き毟っていた手が落ち、霧人は白目を剥いて頭を垂れた。これに気づいたレフェリーが、急いでゴングと医療班を要請する。

<カンカンカン!>

 ゴングに自らの勝利を認識し、胸元を隠した涼子がゆっくりと立ち上がる。ぼろ布のようになった道衣と袴を身に巻きつけ、美乳と下着を観客の目から隠す。
「自らの欲望に負けたこと。それが貴方の敗因です」
 未だ意識が戻らない霧人に向けて呟き、涼子はリングを後にした。

 花道を通り過ぎ、廊下へと差し掛かった涼子に声を掛ける者がいた。
「やれやれ、師弟揃って負けてしまいましたな」
「元橋様・・・」
 なぜか頬を赤らめ、涼子は歩を止めた。
「さすが元橋様のお弟子さんでした、強かったです、とても・・・」
「お世辞にしか聞こえませんな」
 元橋の苦笑に、涼子の顔が益々火照る。
「そ、そういうわけでは」
「ま、あれもいい経験になったでしょう。ありがとうございました、於鶴さん」
 頭を下げてくる元橋に、涼子も一礼を返す。
「元橋様、あの・・・」
「それより、早く着替えたらどうですかな? 年寄りには目の毒でしてな」
「え、それはどういう・・・」
 元橋の言葉に、涼子は漸く自分の格好を思い出した。しかも礼をしたことで道衣の残骸がずれ、乳房がほぼ丸出しとなっている。
「あ、し、失礼致します! 御機嫌よう!」
 うなじまで真っ赤に染め、涼子は控え室に飛び込んだ。

(元橋様に見られた、元橋様に見られた、元橋様に・・・)
 心臓は早鐘を打ち、足が震える。もう元橋が立ち去ったことが、なぜか確信できた。
(まだまだ話したいことはあったのに・・・)
 涼子は切なげな吐息を洩らした。
 また、眠れない日々が訪れそうだった。


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