【第五十九話 棟臥祢衣:システマ】

 犠牲者の名は「棟臥(とうが)祢衣(ねい)」。24歳。身長157cm、B85(Eカップ)・W55・H85。マジックを生業としている女性マジシャン。肩まで届く髪を左半分だけ黄色く染め、丸顔の童顔を飾っている。
 愛らしい童顔にダイナマイトボディというアンバランスな魅力に、そのマジックを見た<地下闘艶場>の顧客からぜひ<地下闘艶場>で闘わせたいという要望があり、調査の結果祢衣は恥辱のリングに招かれた。


 祢衣に用意された衣装は、白い水着だった。なんの変哲もないワンピースタイプで、<地下闘艶場>では珍しく普通の衣装だった。舞台でマジックを行うときにはもっと際どい衣装を着ることもある志乃にとって、別にどうという水着ではなかった。
 祢衣にとって、初めての格闘の場ということのほうに緊張があった。それでも呼吸を整え、少しでも余分な力を抜こうと務めた。

 花道に姿を現した祢衣に、観客席から粘っこい視線が飛んでくる。それでも祢衣は笑顔を見せ、観客に手を振って見せた。

 リングにいたのは、蝶ネクタイを締めたレフェリーらしき男、それにグレーのカッターシャツを腕まくりし、スーツズボンをサスペンダーで吊った若い優男だった。ある程度は予想していた祢衣は、表情を変えずにリングに上がった。

「赤コーナー、渦鹿(かろく)辰己!」
<地下闘艶場>初登場となる渦鹿辰己。黒い髪を左目が隠れそうなほどのアシンメトリーにしており、カラーコンタクトを入れているのか両目が青く、線の細いすらりとした美形だった。男性の平均的な身長しかないが、それでも祢衣とは10cm以上の身長差がある。
「青コーナー、『イリュージョニスト』、棟臥祢衣!」
 コールと同時に祢衣がガウンを脱ぎ捨てると、水着に覆われた肢体が観客の目に晒される。白いワンピースは祢衣の身体にぴっちりと張りつき、メリハリのついたプロポーションがはっきりとわかる。
 マジックショーとは違い、自分のバストやヒップ、太ももや股間に観客からの視線が突き刺さってくる。
(嫌な雰囲気)
 このときは、まだこれくらいのことしか感じていなかった。

 辰己のボディチェックをさっさと終えたレフェリーが、にやけた笑みを浮かべて祢衣の前に立つ。
「さ、ボディチェックを受けて貰おうか」
「ちょっと待って、こんなぴったりとした水着着てるのに・・・」
「おいおい、棟臥選手はマジシャンなんだろう? どこに凶器を隠しているのかわからないじゃないか」
 レフェリーはもっともらしいことを言いながら、祢衣の肢体を舐め回すような視線を送ってくる。
「それとも、ボディチェックを受けないつもりか? それならファイトマネーは払えないなぁ」
「えっ・・・」
 はっきり言って、二流マジシャンにしか過ぎない祢衣の給料は雀の涙だった。現実は師匠筋のマジシャンのアシスタントをしたり、デパートでマジックグッズの実演販売をすることで糊口を凌いでいた。
 そんな祢衣にとって、今回の<地下闘艶場>の誘いは実にありがたいものだった。このときまでは、だが。
「・・・わかったわ。ボディチェックを受けます」
「わかってくれたか。それなら今からボディチェックをするからな」
 そう言ったレフェリーは、いきなり祢衣のバストを掴む。
「いきなりどこを触って・・・!」
「これだけ膨らんでいるんだ、チェックするのは当然だろうが。ん? なんだその手は」
 思わずレフェリーを張り飛ばそうとしていた祢衣は、レフェリーに指摘されると悔しげに右手を下ろす。
「まさかレフェリーを叩こうとしたんじゃないよな? そんなことしたら失格だもんなぁ」
 レフェリーはわざとらしく訊きながら、祢衣のバストを揉み続ける。
(ボディチェックって言いながら、完全なセクハラじゃない! こんなことなら・・・?)
 バストを揉んでいたレフェリーの手が、祢衣の股間に下りていた。
「! そこは!」
「女はここにも穴があるだろ? 確かめるのは当然だ。中に指突っ込まないだけでもありがたく思うんだな」
 レフェリーは祢衣の秘部を撫でながら、バストを揉む手も休めない。
 屈辱の中、時間だけが過ぎていった。

「よーし、何も隠してないみたいだな。それじゃ、始めるか」
 満足気な表情のレフェリーが合図を出し、祢衣の初めての闘いが始まった。

<カーン!>

(何がボディチェックよ、こんな酷いことってあり?)
 高いファイトマネーに惹かれて参戦してみれば、こんなセクハラが待っていたとは。
(でも、勝てばファイトマネーは増額される。絶対に勝つわ! あれだけシステマを練習したんだもの!)
 祢衣がシステマという格闘技に惹かれたのは、脱力を謳っていたからだ。マジックを成功させるには途轍もない集中力が要求される。また強い集中はストレスを呼び、ストレスは体を強張らせ、強張った体はマジックを失敗へと導いてしまう。システマを学ぶようになって、祢衣のマジックの技量は大幅に伸びた。
 ただし、祢衣の学んだシステマは護身術レベルの段階でしかない。男性相手の闘いでどこまでやれるか、不安が大きくなっていく。
 その対戦相手の辰己が、揺らぐような動きで距離を詰めてくる。その独特な動きと自信に満ちた表情に、知らず気圧されていた。
「お前に恨みはないけどな、金がいるんだよ、俺」
 男性にしては少し高めの声が聞こえたと思った瞬間だった。
「!」
 初撃をかわせたのは奇跡的だった。いつ動いたのかわからないほど滑らかな蹴りを、祢衣はぎりぎりでかわしていた。
(なんなのこの鋭さ! 避けるだけで精一杯!)
 辰己の鋭い攻撃に、カウンターを合わせるどころか逃げることしかできない。緊張からか普段よりも多目の汗が流れ落ちていく。
「あれ・・・?」
 何故か観客席がざわめき始める。
「おい、あれ見てみろ」
「? なんだ?」
「おおっ、透けてるじゃないか!」
 汗に濡れた部分が透け、祢衣の素肌が覗く。観客席から飛んだ卑猥な指摘に、祢衣も初めてこの事実に気づく。
(嘘、これって昔のタイプ!?)
 現在では白い水着でも透けないのが当たり前だが、昔の白い水着は濡れると透けるものしかなかった。
「へえ、こういうのも中々色っぽいな」
 レフェリーの揶揄に何も返せず、恥ずかしさを堪えて辰己の攻撃をかわし続ける。そのたびに汗も流れ続け、濃い目のアンダーヘアまで透けてしまう。
 祢衣の裸体にも辰己は動揺を見せなかった。鋭い攻撃を出し続け、祢衣を追い込んでいく。
(駄目、余分な力が抜けない! このままじゃ・・・)
 羞恥に力が篭り、脱力できない。辰己の揺らぐような独特の動きに即座には反応できず、腹部に強烈な前蹴りを突き刺される。
「おぐふっ」
 あまりの威力に胃液が逆流してくる。なんとか唾を飲み込むことで耐え、構える。
「・・・ダウンしてれば、それで終わったのにな」
 辰己のしなやかな体が突っ込んでくる。
(今!)
 その瞬間、祢衣のカウンターが辰己を捉えた。
「ちぃっ!」
 否、祢衣の逆転を狙った掌底だったが、辰己のシャツのボタンを弾き飛ばしただけで終わる。
「あっ!」
 しかし、たったそれだけで辰己が動揺する。破れたシャツの胸元からは、きつく巻かれたサラシと胸の谷間が覗いていた。
「えっ・・・あなた、女性だったの?」
「違う、俺は男だ!」
 祢衣の問い掛けに、辰己は胸元を隠しながら反論する。しかしその頬はほのかに染まり、まるで説得力がない。
(どういうこと? あ・・・でも、今ならいける気がする!)
 オーラを纏っていたような迫力が、辰己から抜け落ちていた。
「えぇいっ!」
「ちぃっ」
 祢衣が前に出ると、辰己は反射的に突きを放っていた。しかし動揺した辰己からは、先程までの鋭い動きは失われていた。
(今っ!)
 右手の突きを上方に逸らしながら、逆に突きを鳩尾に入れる。
「うぐぁ」
 カウンターを急所に貰った辰己がよろめき、レフェリーにもたれる。
「おいおい大丈夫か?」
 レフェリーが背後から支えたとき、その手は辰己の胸元に置かれていた。
「俺に触るなっ!」
 辰己は反射的にレフェリーを弾き飛ばしていた。否、弾き飛ばしたというよりも背中越しの打撃<靠>を放っていた。レフェリーの身体がリングの上で二転三転し、そのまま動かなくなる。

<カンカンカンカン!>

 レフェリーの意識が失われたと見て、ゴングが鳴らされる。意外な幕切れに、観客席からはブーイングが鳴り止まなかった。
「貴女、どうして男の格好なんか・・・」
 祢衣が訊ねても、辰己は首を振って素早くリングを降りた。
「どうして・・・」
 呟く祢衣だったが、自分に飛ばされる野次に我に帰る。
「・・・きゃぁぁぁっ!」
 祢衣は透けた胸元と股間を隠しながらリングを飛び降り、花道を駆け抜けた。その背には卑猥な冗談が投げつけられた。


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