【第六十一話 渦鹿辰己:中国拳法】

 犠牲者の名は「渦鹿(かろく)辰己」。21歳。身長170cm、B86(Dカップ)・W57・H86。黒い髪を左目が隠れそうなほどのアシンメトリーにしており、両目は青く、線の細い男性的な美形。
 父は日本人で、母がイギリス人(現在は日本に帰化している)。モデルのような体型だが、様々な流派を学んで身につけた独自の中国拳法の実力は本物。前回、女性であることを隠して<地下闘艶場>に上がり、棟臥祢衣と対戦。そこで女性だということがばれてしまい、今回は犠牲者としてリングに上がることとなった。


「ファイトマネーが高額なのはいいけど、これはないよな」
 辰己はガウンの胸元を少しだけ捲り、自分の格好を再確認する。
(女だってばれた途端にこんな格好させるなんて、酷い団体だ)
 前回、辰己は性別を偽って<地下闘艶場>に上がった。辰己に<地下闘艶場>の存在を教えてくれた人間が、そうするように勧めたのだ。
 その理由はすぐにわかった。対戦相手の棟臥(とうが)祢衣(ねい)が、汗で透ける水着を着用させられていたからだ。高いファイトマネーは、女性を辱めるための餌だったのだ。
(それでも、金がいるんだ。多少のことはやむを得ない)
 辰己は目を瞑り、集中力を高めた。

 辰己が花道を入場していく。そこに観客から様々な卑猥な言葉が飛ぶ。それでも集中した辰己は表情を変えず、男のレフェリーと男性選手が待つリングへと歩を進めた。

「赤コーナー、『破戒僧』、護覚!」
 辰己の対戦相手は、頭を剃り上げ、あちこち破れた袈裟を纏った僧形の男だった。頭は綺麗に剃っているものの、顔には無精髭が伸びている。
「青コーナー、『男装の麗拳士』、渦鹿辰己!」
 コールされた辰己がガウンを脱ぐと、その下には拘束具があった。否、拘束具を思わせる板状の素材を巻きつけた水着だった。
 幅5cmほどのゴムに似た素材がバストの上、中央、下を水平に巻き、股間部もこの素材で隠されている。体の中央部には縦に一本素材が入れられ、補強されている。これが辰己の体を隠す全てだった。そのため形のよいDカップバストとヒップがくびり出されたようになっており、普段よりもはっきりと誇示されている。
 多少不快気な辰己に対し、観客席からは卑猥な野次が投げつけられた。

「さぁ、ボディチェックの時間だ」
 護覚のボディチェックを簡単に終えたレフェリーが、にやつきながら辰己の前に立つ。
「しかし、こうやって見るといい女じゃないか。この前は損したぜ」
 自分の体をじろじろと見つめてくるレフェリーに、辰己の鋭い視線が突き刺さる。
「これだけ隠すものが少ない衣装を着せといて、まだ触るつもりか?」
「当たり前だろ、ボディチェックは大切だ。それに、この前俺をぶっ飛ばしたことは忘れてないからな」
 そう言った途端、レフェリーは辰己のバストを鷲掴みにした。
「・・・いきなり胸か」
 辰己は不快感を隠そうともせず吐き捨てるが、レフェリーはバストを揉む手を緩めようともしない。
「前回のこともあるからな、偽乳で中に凶器を隠してるって可能性もあるだろう?」
 にやにやと下品に笑いながら、レフェリーは信じてもいないことをずうずうしく言ってのける。
「前回は優男とばっかり思ってたから、きちんとしたボディチェックをしなかったからな。今回はたっぷりと時間を取って隅々まで調べてやる」
 喋っている間にも、レフェリーの手は休むことなく辰己のバストを弄り続ける。衣装の上からでもバストを触られる嫌悪感が減るわけではない。
「女だとわかった途端に胸を触ってくるなんてな・・・やめろと言っても無駄だろう?」
「よくわかっているじゃないか。そこまでわかってたらおとなしく揉まれてろ」
 辰己の嫌味に動じた様子もなく、レフェリーはバストを揉む手を止めない。
(この男、いつまで胸を触るつもり・・・っ!)
 突然、秘部に刺激があった。視線を下ろした先で、レフェリーの右手が秘部の上を這い回っている。
「そこもか!」
「ああ、ここもだ」
 そういえば、前回の対戦相手である祢衣も秘部を触られていた。目の前の男を殴り飛ばしたい思いを拳を握り込むことで堪え、奥歯を噛む。
「くっ・・・」
「声を出してもいいんだぞ。そのほうが客も喜ぶからな」
 レフェリーは左手でバストを揉んだまま、右手で秘部を弄る。辰己の羞恥を煽りながら、自らの欲望を満たす。
「反応が鈍いな。男みたいな喋り方だし、不感症か?」
 レフェリーがにやつきながら辰己の顔を覗き込む。辰己は沈黙で答えとした。
「なんだ冷たいな。少しくらい何か言おうぜ」
 それでも口を開かない辰己に対し、レフェリーは自分の望むままセクハラをし続けた。

「ま、この程度にしておくか。ゴング!」

<カーン!>

 漸くボディチェックという名のセクハラが終わり、辰己と護覚の試合が始まった。冷たい怒気を纏う辰己に対し、護覚は無精髭の生えた顎を撫でている。
「お前に恨みはないが、金のために殴る」
「うむ、その直言や善し。存分に殴るが良いぞ」
 辰己の低い声にも動じた様子もなく、護覚は自分の胸を叩いた。
「自分で言ったんだ、後悔するなっ!」
 リングを蹴り、辰己が突進する。
「しぃぃっ!」
 呼気を鋭く吐きながら、右拳を突き出す。その拳が護覚の胸を捉えた。否、確かに当たったと見えたのに、辰己の拳には手応えがなかった。まるで真綿を突いたかのような感触に、違和感だけが残る。
「強い打ちを出すのう。楽をさせてくれん」
 すっと距離を離し、護覚が顎を擦る。
「逃さん!」
 再度辰己が距離を詰め、頭上から拳を落とす。
「やれやれ・・・」
 護覚が短い呼気で大量の空気を吸った。
「『喝ッ!』」
 護覚が気合を発した瞬間、辰己に異変が起こった。
(な、なんだ、体が・・・!)
 辰己の意志を無視し、辰己の身体は右腕を振り上げた体勢のまま固まっていた。
「うむ、危ない危ない。拳法の実力は本物だな」
 護覚は顎を擦り、独り頷いた。
「どれ、では菩薩の施しを受けるかの」
 護覚は手を合わせて一礼すると、辰己のバストに手を伸ばした。
「うむ、中々の大きさ」
 一度バストを弾ませると動けない辰己の背後に回り、両手でバストを揉み始める。
「拙僧は女が好きでな、生臭が過ぎて仏門を破門されてしもうた」
 辰己のバストを揉みながら、護覚が辰己の耳元で独り言のように呟く。
「・・・お、お前、何をした・・・」
「ほう、もう声を出せるか。中々心が剛い」
 辰己の絞り出したような声に驚いたのか、護覚は揉んでいたバストから手を放した。一度辰己の正面に回り、顔をじろじろと眺める。
「だが、まだ動けるまでにはならんか。では」
 護覚の手によって胸元の衣装がずらされ、乳房が剥き出しにされる。上下を挟まれ、根元から絞り出された乳房は普段よりも大きく見える。
「ほほう、これはいい。どれ、感触は?」
 護覚が乳房を揉み始めると、レフェリーも近寄り、辰己のヒップを撫で回し始める。
「ちょっと筋肉質だが引き締まってて、こういうのもいいな」
「やめ、ろ・・・」
 声は出るが体が動かない。自分の身体を弄る男達を振り払いたいが、幾ら力を振り絞ろうとしても僅かも動かない。気持ちだけが焦る中、屈辱の時間だけが過ぎていった。
「おうおう、乳房の中心が硬くなってきたぞ」
 護覚がひたすら揉んだせいか、辰己の乳首が立ち上がっていた。
「どうやら感じてくれたようだな。うむうむ」
 乳首を捏ねながら、護覚が独り悦に入る。
「お、俺は、感じてなどいない・・・んぁぁっ!」
「ほほう、ここまで感じておいてまだ否定するか。これは憑き物が憑いているに違いなかろうな」
 乳首を指で潰しながら、護覚は一人頷く。
「憑き物落としは本来神主か陰陽師の仕事だが、今日は特別に拙僧が落としてやろうぞ」
「よし、俺も手伝おう」
 太ももを撫でていたレフェリーが辰己の股間に手を移し、衣装の上から弄る。
(こいつ、またこんなところを!)
 女性の秘部を触られたことで、羞恥と怒りが沸き上がる。
「くっ・・・おおおっ!」
 咆哮と共に呪縛を振り払う。と同時に背中での靠で護覚を弾き飛ばす。しかし護覚の体は一瞬早く後方に飛んでいた。
「ほほう、拙僧の呪縛を解くか。中々の精神力だのう」

 本来、「呪」で他者を「縛」るような仏僧はいない。しかし仏教の一宗である密教、その中の更に傍流の分派には土俗宗教と結びつき、魔術と呼ぶほうが相応しく変質したものも存在する。護覚が元の宗派を破門されてから学んだのが、このいかがわしい流派だった。

「『喝ッ!』」
 再び護覚の気合が飛ぶ。衣装を直し、護覚の正面から逃れようとしていた辰己だったが、またも呪縛を掛けられた瞬間の格好で固まってしまう。
(くそっ、また体が動かない! こいつの技の正体はなんだ?)
 気持ちだけが焦るが、体は全く動かない。
「さて、観客にも功徳を分けねばの」
 そう言った護覚が辰己に近づき、右手を掴む。
(!?)
 自分では動かせないのに、護覚の手が触れると嘘のように動いていく。両手を頭の後ろで組まされ、胸を前に、ヒップを後方に突き出すようなポーズを取らされる。
「ほぉ・・・中々いい趣味してるな護覚さんよ」
 繁々と眺めていたレフェリーだったが、我慢できなくなったのか辰己に近づき、背後からバストを揉み始める。
「これはいいな。スナップ写真の中のグラビアアイドルを好き勝手してるみたいだぜ」
 興奮に息を荒げながら、バストを揉み続ける。
「それじゃ、このまま生乳を、っと」
 レフェリーはまたも衣装をずらし、乳房を露出させる。辰己が背中を反らすような格好を取らされているため、先程よりも大きくなったように錯覚してしまう。男っぽい容貌の美女が自由を奪われ、望まぬポーズを取らされていることに興奮した観客から指笛が鳴らされる。
「い、いつまでも、触るな・・・!」
「これだけいい感触だと、中々止め時がわからなくてな。それに、おっぱいマッサージで体が動くかもしれないぞ?」
 レフェリーは乳房を揉みながらにやつき、乳首を転がす。
「さてさて、では次の格好に移ろうか」
 そのレフェリーを押しのけ、護覚が辰己にまた別のポーズを取らせる。
「こういう格好はどうだ? 『えむじ開脚』とやら言うのであろう?」
 辰己はコーナーポストを背に、腰を落として大きく膝を開かされる。両手はお尻側に回され、突き出すような秘部を隠せない。
「や、めろ、こんな、格好・・・!」
 なんとか体を動かそうとしても、声を出すことしかできない。
「うむ、絶景かな。写真の一枚でも撮りたくなるな」
 護覚は両手の親指と人差し指で長方形を作り、片目で覗く。
「それよりも、ヌードの鑑賞会ってのはどうだ?」
 厭らしい笑みを浮かべたレフェリーが、乳房を剥き出しにされた辰己に近づいていく。
(ヌ、ヌードだと!? ふざけるな!)
 怒りが呪縛を弾き飛ばした。M字開脚の格好から立ち上がり、胸元を直してレフェリーを睨む。
「じょ、冗談だよ。そんなに睨むな」
 わざとらしく両手を上げ、レフェリーは慌てて下がった。
(まったく、なんで男ってのはこんなに助平な奴が多いんだ!)
 その途端、イギリスで出会った酔いどれ拳法家を思い出す。

 中国人がイギリスにいること自体は不思議ではなかったが(チャイナタウンは世界中に存在する)、八極拳だけでなく、八卦掌、酔八仙拳も修めたあれほどの達人がイギリスにいるのは不思議だった。ふとした縁で知り合ったその拳法家に、辰己は中国拳法を師事していた。
『もしも気迫で負けるようならよ、心を鏡にせいよ。そうすりゃあ、相手ははね返された自分の気迫にびびっちまうもんよ』
 あの拳法家は辰己に拳法だけでなく、時に人生訓や処世法も教えてくれた。しかし良いことを言っても、必ず辰己の尻を撫でる癖のため台無しだった。
 助平な拳法家だったが、実力は本物だった。しかし、故郷の中国にはまだまだ自分が及ばないような達人が数多く居る、というのが口癖だった。
(いつか中国本土や台湾を巡り、拳法の達人たちに直に教えを請いたい)
 辰己の胸に芽生えた憧れは、いつしか生涯の夢へと変わっていた。しかし旅費や滞在費を考えると大金がいる。その大金を稼ぐため、裏の伝手で知った<地下闘艶場>に女性であることを隠して上がったのだ。

(そのためにも、こんな奴に負けられない!)
 辰己の眼が鋭さを湛え、一瞬後に半眼となる。
「さて、そろそろ終わりと致そうか。次はその衣装を脱がし、観音様を拝むとしよう」
 辰己の秘部を直接見ると宣言した護覚に、観客からも大きな声援が送られる。
「『喝ッ!』」
 三度護覚の気合が飛んだ。最早諦めたのか、辰己は動こうともしない。護覚の「呪」が、辰己の心に侵入する。しかし護覚の「呪」は辰己の心には留まらず、そっくり護覚に返っていく。
「ぬっ!?」
 自らの心に跳ね返った呪縛に護覚の動きが止まる。しかしそれも一瞬だった。すかさず自分で技を解き、自由を回復する。
「!」
 だが、辰己にはその一瞬で充分だった。リングのキャンパスを蹴り、護覚の胴に右拳を叩き込む。しかし最初に放った一撃と同じように、また拳に真綿を突いたような感触が残る。
「おぉぉぉっ!」
 そこから更に追い足を使い、拳を突き出す。
(これだ!)
 拳の感触に着弾を確信し、縦拳に捻りを加えて捻じ込む。
「ぬぐあっ!」
 辰己の突きは護覚の手ごと胴を抉っていた。
 辰己が突いたときに真綿のような感触があったのは、護覚の分厚い掌が衣の下で受け止めていたからだった。そのカラクリを見破った辰己は、掌の防御ごと護覚を突いた。
 護覚の体がロープに吹っ飛び、弾かれて戻ってくる。
「つおぁっ!」
 リングが軋むほどの震脚を踏み、生まれた勁を両手の掌底に乗せて突き出す。八極拳の大技・<白虎双掌打>だった。辰己の白虎双掌打は護覚のアバラ骨をへし折り、意識も吹き飛ばした。

<カンカンカン!>

 リングに倒れ込み、口から鮮血を吐いた護覚を見たレフェリーは即座に試合を止めた。
(勝った、か・・・これで、夢に一歩近づける)
 ゴングを聞いた辰己が大きく息を吐く。
「さて、と」
 不機嫌な表情で護覚を見下ろしていたレフェリーに滑るように近づき、背中にビンタのような掌底を叩きつける。
「ごっふぉっ! おま、なに、ゴホゴホッ!」
 倒れ込んだレフェリーは何か言おうとしたが、自分の咳でそれすらままならない。
「どうも呪縛とやらがまだ残っているみたいでね、今度は勝手に体が動くんだ」
 そう嘯く辰己だったが、咳き込むレフェリーには届かなかった。
「こいつは、オマケだ!」
 辰己の震脚がレフェリーの腹部を踏み潰し、悶絶させた。
「・・・ふう」
 辰己は大きく息を吐き、二人の重傷者を残してリングを降りた。


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