【第六十三話 四岐部亜衣紗:裏柔道】

 犠牲者の名は「四岐部(しきべ)亜衣紗(あいさ)」。20歳。身長166cm、B88(Eカップ)・W60・H85。セミロングの髪を白く色抜きし、眉毛までも白く脱色している。その視線は鋭く、抜き身の刃を想わせる危険な美貌の持ち主。
 小さい頃から近くの道場で柔道を学び、スパルタ式で鍛えられてきた。その結果道場でも指折りの実力者となったが、長じるにつれ亜衣紗は勝利することだけを至上目標とし、反則すれすれの手段も厭わないようになっていった。
 現在は裏社会でも屈指のバウンサーとなり、その実力と美貌で名を馳せている。
 この危険な女傑に、<地下闘艶場>からの誘いの手が伸びた。
「相手が死んでも構わない、ってことならいいよ?」
 亜衣紗の科白と微笑は、スカウトの背筋を冷たく撫でた。


 亜衣紗に用意されたのは、紐だけで構成されたような水着だった。首の後ろから紐が伸びた先に、乳首と乳輪が辛うじて隠れるような小さく丸い胸当てがあり、横側から背中を通って一周する補強用の紐がある。胸当てからは更に下に向かって紐が伸び、股間を覆うTバック部分と合流している。
「・・・ほとんど裸と変わらないね」
 紐水着を何度か裏返しながら、目の前の女性黒服に視線を合わせる。
「契約ではこちらが用意した衣装を着て闘う、という項目もあります。きちんと確認された筈ですが?」
 亜衣紗の強い視線にも怯むことなく、女性黒服も亜衣紗を見返す。
「ここであんたを殺して逃げる、っていう選択肢もあるけど?」
「やってみますか?」
 亜衣紗と女性黒服の視線が絡まり、熱を放つ。控え室の中を炙った炎は、亜衣紗が力を抜いたことで消えた。
「さすが『御前』の脇を固める鬼島洋子さんだね。無傷で勝つのは難しそう」
「それでは、着替えてください。あまり観客を待たせるわけにもいきませんので」
 洋子は亜衣紗の目を見たまま一礼し、後ろ向きに下がって控え室を後にした。
「・・・やれば勝てたけどね」
 その呟きは、控え室の空気に溶けた。

 ガウンを纏った亜衣紗が姿を現すと、会場のあちこちから驚きの声が上がる。裏の世界では有名な存在である亜衣紗を知る者は多く、中には直接間接に「仕事」を依頼した者もいる。
(「御前」の催し物ってのは噂に聞いてたけど、ここまで地位の高い人間ばかりだとは思わなかったな)
 ちらりと観客席に目を遣りながら進む亜衣紗に、緊張は感じられなかった。
 リングに近づくにつれ、そこで待つ二人の男が目に入る。蝶ネクタイを身に着けた一人はおそらくレフェリーだろう。だとすれば、残った一人が対戦相手、ということになる。
「男相手だろうが、勝つのは私だよ」
 自信満々で呟き、亜衣紗はリングに上がった。

「赤コーナー、蒲生漣次!」
 コールに応え、蒲生がオープンフィンガーグロープを嵌めた両手を差し上げる。体中の筋肉が盛り上がっているが、首の筋肉が特に太い。久しぶりの登場だったが、観客席からは盛大な拍手が送られた。
「青コーナー、『白い死神』、四岐部亜衣紗!」
 コールと同時に、亜衣紗はガウンを脱ぎ去った。ガウンの下から現れた全裸に近い水着と見事なプロポーションに、観客席からどよめきが起こる。
 自分に向けられる欲望の視線にも、亜衣紗は興味がなさそうだった。ただ蒲生を見据え、手首を解していた。

「ボディチェックだ、四岐部選手」
 にやつきながらのレフェリーの科白に、亜衣紗の右側の眉だけが上がる。
「これだけ恥ずかしい格好させておいて、尚且つ触ろうっての?」
 亜衣紗の口元にも、小さく笑みが浮かんでいた。見る者を怯えさせる危険な獣の笑みだった。
「け、契約書にもそう書いて・・・」
「ふぅん。あんた、私の身体に触って無事にここから帰れる、とでも思ってる?」
 亜衣紗がレフェリーの顔の前で右手の指を広げ、半分だけ曲げる。そのときに鳴った関節音に、レフェリーは気圧されていた。
「・・・わ、わかった。だが、今回だけだぞ」
 冷たい汗を流しながらも強がったレフェリーが、白くなった顔を場外に向け、試合開始の合図を出す。

<カーン!>

「何が『死神』だ、女のくせしやがって!」
 ゴングが鳴った途端、蒲生が手加減抜きのジャブを放つ。しかし、亜衣紗にはまるで届かない。
「そんなへなちょこジャブじゃ、私には当たらないよ」
 柔道の組手争いは凄まじいスピードで行われる。それに比べれば、蒲生のジャブなどたいしたことがなかった。
「勝つのは、私だ!」

 亜衣紗が高校生のときだった。
 ある柔道大会の試合で、亜衣紗は手強い相手と闘った。その試合中、亜衣紗は小内刈りを掛けながら、右肘を相手の鎖骨に当てて倒れ込んだ。これで受身を取り損ねた対戦相手に鎖骨を折る大怪我を負わせ、亜衣紗は反則負けとされた。
「勝ったのは私よ! なぜ私が反則負けなの!?」
 その叫びを最後に、亜衣紗は柔道界から姿を消した。

 それからの亜衣紗はどういう経緯を辿ったのか、裏の世界に身を沈めていた。柔道をベースにしながらもえげつなさを加えた技、即座に相手を再起不能にすることを躊躇しない冷酷さで、ヤクザも恐れるバウンサーとなった。

「勝つのは私なんだよぉっ!」
 亜衣紗が咆哮と共に攻撃を開始する。投げを警戒して腕を縮めた蒲生に対し、先程のジャブを上回るスピードで突きを繰り出す。柔道の組手争いを応用した突き技だった。
「ちぃっ!」
 堪らず下がった蒲生を逃さず、距離を詰めて足払いを出す。否、足払いというよりは蹴りに近かった。
「ぐおっ!」
 足首を外側から蹴られ、蒲生が苦悶の声を上げる。
(こいつ、本当に柔道家か! 打撃も鋭いなんてもんじゃ・・・?)
 亜衣紗が激しく動くたびに小さな胸当て部分がずれ、乳首がちらりと見えそうになる。蒲生が目を奪われたのは一瞬だったが、亜衣紗には充分以上だった。蒲生の右腕を引き込みながら、右足を振り上げる。
「せぃっ!」
 形は内股だったが、両脚の間に入り込んだ亜衣紗の右足は蒲生の股間を蹴り上げていた。
「おがっ!」
 手加減抜きで股間を蹴られ、宙を待った蒲生が肺を絞られたような声を出す。しかし流れの中での攻撃のため、レフェリーも反則を指摘できない。亜衣紗は投げ飛ばした蒲生の右手首を掴み、両脚で挟みながら一気に引き伸ばす。
 腕ひしぎ十字固めに入った瞬間だった。蒲生の右肘から異音が発し、その口から絶叫が迸る。

<カンカンカン!>

 レフェリーは咄嗟に試合を止めた。ゴングが鳴っても亜衣紗は蒲生の腕を放さず、更に引き絞る。
「やめろ、そこまでだ!」
 レフェリーが必死に亜衣紗の腕をもぎ放し、腕ひしぎ十字固めを解かせる。蒲生の右肘から先が外側に曲がり、折れていることが一目でわかる。慌てて医療班が飛び込み、応急処置を行う。
 亜衣紗はその光景を眺めながら、マイクロビキニの胸当て部分を直してゆっくりと立ち上がった。人一人の腕をへし折っておいて全く表情を変えない亜衣紗に、会場は静まり返った。
 痛みに呻く蒲生は、担架に乗せられて花道を下がっていった。
「・・・手応えも何もなかったね」
 白く脱色した髪をかき上げながら、亜衣紗が呟く。その背にレフェリーが声を掛けた。
「四岐部選手、もう一試合してくれ」
 いきなりの提案に亜衣紗は冷たく振り返る。
「こんな格好でもう一試合? お断りだね」
「『御前』本人がそれをお望みだ。お前、あの方に逆らってまで我を通すつもりか?」
 レフェリーの言葉に、亜衣紗の右眉が上がる。
 いつの間にか、リングを黒服姿の男達が包囲していた。その数六人。亜衣紗の逃亡、もしくは暴挙を防ぐためだろう。
(噂に聞く「御前」の裏部隊か? いや、二ランク下の人間だ)
「御前」の組織のことは亜衣紗も聞き及んでいた。実際に「御前」本人に会ったことはないが、裏の社会で知らない者はいないだろう。またその組織を構成する人材の優秀さも。
(逃亡は可能だろうけど・・・その後のほうが大変、か)
「御前」ほどの情報網を持ってすれば、亜衣紗一人を探し出すのは簡単なことだろう。
「どうする?」
「・・・受けるよ。もう一試合だけ、ということならね」
 亜衣紗の承諾に、レフェリーはただ頷いただけだった。

 それから五分と経たず、新たな男性選手が花道に姿を現した。その肉体が発散する野獣染みた闘気に、観客席が静まり返る。
(・・・こいつはヤバイね)
 裏社会で数多く仕事をこなしてきた亜衣紗は、相手の力量を瞬時に見抜いた。花道を進む男の頬には数条の傷が走り、それが引き攣れて異相となっている。顔以外にもあちこちに傷が走り、激闘を潜り抜けてきたことがそれだけでわかる。
 リングで向かい合うと、男の肉体は筋繊維を束ねて造り上げたようだった。身長も並の男性より遥かに高い。
 亜衣紗の身体が、微かに震えていた。

「赤コーナー、『スカーフェイス・タイガー』、古池虎丸!」
 新たな対戦相手は、古池虎丸だった。全身のいたるところに傷がある底知れぬ実力を秘めた巨漢であり、若くして歴戦を重ねた猛者の空気を纏っている。
「青コーナー、『白い死神』、四岐部亜衣紗!」
 先程鮮やかな勝利を挙げた亜衣紗だったが、その表情は一変していた。裏世界を生き抜いてきたことで身についた危険への嗅覚が、今すぐ逃げろと訴えてくる。
(そうしたいのはやまやまだけどね)
 ここで逃げ出せば、待っているのは確実な死だ。ならば、目の前の難敵を倒して生を得る。
「勝てばいいのさ」
 自分自身に呟き、亜衣紗は構えを取った。

<カーン!>

 ボディチェックも行われないままゴングが鳴った。虎丸はのそりと構えを取り、右手を伸ばしてくる。
「なっ!?」
 余裕を持ってよけた筈の虎丸の手が、亜衣紗の左手首を掴んでいた。
「ちっ!」
 左手首を掴まれた瞬間、亜衣紗は飛びつき腕十字固めに入っていた。左脹脛を虎丸の喉に、曲げた右脚を虎丸の脇腹に当て、リングに引き倒す。
 否、引き倒そうと試みたのに、虎丸の体躯は転倒を拒んだ。右腕一本で亜衣紗の体重を支え、支えるどころか振り回す。
「ぐあっ!」
 コーナーポストに叩きつけられ、無理やり飛びつき腕十字固めを解かされる。リングに倒れたところに、虎丸の拳が降ってくる。
「ちぃっ!」
 胸元を掠られながらも、転がりながら重い一撃をかわす。
「!」
 立ち上がった亜衣紗は息を飲んだ。虎丸の手が掠っただけだというのに、胸部分の補強をしていた紐が弾け飛んでいた。
(細い紐だったとはいえ、簡単に切れるような素材じゃないぞ!)
 驚く亜衣紗の手首を、再び虎丸の手が掴んでいた。それに気づくと同時に、虎丸の懐に飛び込み一本背負いに入る。完璧なタイミングに、虎丸の巨体が宙を舞い、リングに叩きつけられた。
「なっ!?」
 しかし、亜衣紗の口からは狼狽の声が洩れた。偶然か故意か、投げられる瞬間、虎丸は亜衣紗の背中側の紐を掴んでいた。しかし投げの勢いには逆らえず、掴んだ箇所とその周辺の紐を纏めて引き千切っていた。
 要が切れたことで水着が亜衣紗の肌から滑り落ち、何も隠すものがない生まれたままの姿となってしまう。さすがの亜衣紗といえども、咄嗟に乳房と股間を隠していた。
「いい格好だな、四岐部選手。もう負けを認めちゃどうだ?」
 レフェリーの軽口も奥歯を噛み締めて耐える。勝利は亜衣紗の存在意義だった。試合とはいえ、負けを認めるなどできはしない!
(服がなくなっただけだ。負けることに比べれば、なんてことはない!)
 本能的な羞恥を抑え込んだ亜衣紗の前で、虎丸がのそりと身を起こす。
「・・・」
 亜衣紗は無言で構えを取った。裸体が露わとなったその途端、観客席が沸き、レフェリーの視線も釘付けになる。しかし、虎丸だけは表情を変えなかった。リングの外から飛んでくる欲望の視線とは違い、亜衣紗を見る眼は闘士のそれだ。
(ちっ、隙を見せないか。本物だね、こいつ)
 裸を見ればどこかに崩れが出ると考えていたが、虎丸は先程までと同様にのそりと距離を詰めてくる。
 虎丸の右手が動いたと見えた瞬間、またも手首を掴まれていた。
「ふっ!」
 虎丸の右手を抱え込むようにして後方へと倒れ込み、巴投げに入ると見せかけて金的を蹴り上げる。否、蹴ろうとした足は虎丸の太ももに挟まれ、止められていた。
(ちぃっ!)
 素早く足を抜こうとした瞬間、腹部を潰された。
「うげぇぇぇっ!」
 腹部にめり込んだ虎丸の拳に、亜衣紗は絶叫を放っていた。リングを転がり、地獄の苦しみにのたうつ。
「あっ、がはっ、がふぅっ」
 腹部を押さえていた両手を掴まれ、無理やり立ち上がらせられる。否、吊り上げられていた。
「『死神』も、こうなったらただの女だな」
 レフェリーが舌舐めずりしながら近寄ると、そのまま呻く亜衣紗の乳房を鷲掴みにする。
「中々いい感触じゃないか。彼氏はいるのか?」
「てめぇ・・・ざけんなっ!」
 腹部の痛みを堪えて膝蹴りを出そうとしたが、速さが死んでいた膝蹴りは素人のレフェリーに抱えられてしまった。
「おいおい、レフェリーに手出しをするなよ」
 レフェリーはそのまま近づき、腰を密着させてくる。こうなっては足技を出すのも厳しい。
「身体だけ見てるとグラビアアイドルみたいなのにな。おっぱいは大きいし、ウエストは締まってるし」
 レフェリーはにやつきながら亜衣紗の身体を撫で回す。その手が下腹部を通り、更に下まで蠢く。
「下の毛まで脱色してるのか。念が入ってるな」
 亜衣紗のアンダーヘアを撫でながら、レフェリーが嘲りの声を掛ける。
「畜生・・・テメェら、絶対に殺してやるからな!」
「恐いなぁ。それじゃ殺される前に、未練が残らないようじっくりと嬲ってやるよ」
 レフェリーは自らの欲望のまま、亜衣紗の秘部に指を立てる。
「て、テメェ・・! どこに突っ込んで・・・いぐぅっ!」
「なんだ、どこに入れたのかもわからないのか? 随分な不感症だな」
 レフェリーは下品な笑みを浮かべ、亜衣紗を嘲りながら指を出し入れする。亜衣紗にとっては屈辱以外の何ものでもなかった。
(くそっ、こんな犬風情に好き勝手されるなんて! 絶対殺す、こいつらは絶対殺す!)
 覚悟を決めた瞬間、体が反応していた。秘部への刺激を堪え、両足をレフェリーの胴に巻きつけて手加減抜きに締め上げる。
「あがはぁっ!」
 突然の攻撃に、レフェリーは肺から空気を搾り出されていた。それでも亜衣紗は締め付けをやめず、苦しさからレフェリーが必死にもがく。レフェリーへの攻撃を止めるためか、虎丸が亜衣紗の首元に腕を回そうとしてくる。
 亜衣紗はそこに思い切り歯を立てた。肉を噛み切ってやろうとの狙いだったが、虎丸の肉の鎧はそれすら拒んだ。幾ら顎に力を込めようと、皮膚も破れない。
 虎丸は亜衣紗に噛み付かせたまま、右腕一本で亜衣紗の両脚をレフェリーから外す。貪るように空気を吸い込んだレフェリーは、鋭い視線で亜衣紗を睨んだ。
「くそっ・・・俺への攻撃も噛みつきも明らかな反則だ! おい虎丸、もういいから終わらせてしまえ!」
 怒りと苦しさに顔を高潮させたレフェリーが叫ぶ。虎丸は一度レフェリーに視線を飛ばし、亜衣紗の腹部に掌底を叩き込んだ。
「ぶげぇっ!」
 もう噛み付きどころではなかった。痛みを吐き出すように口を開け、苦鳴を搾り出す。
 虎丸は亜衣紗の喉元を掴み、一気に持ち上げた。亜衣紗の感覚が上昇から急下降に移る。
「・・・畜生ぉぉぉっ!」
 衝撃を感じる間もなく、意識が暗黒に染まった。

<カンカンカン!>

 亜衣紗が失神したと見て、レフェリーはゴングを要請した。失神した亜衣紗は、隠すものもない肢体を観客に視姦された。
「さて、それじゃこれから本番・・・」
 舌舐めずりしたレフェリーだったが、突然、虎丸が亜衣紗に歩み寄った。亜衣紗の背中と膝の後ろに手を入れて抱え上げる。そのままリングを後にする虎丸を制止する者もなく、レフェリーも観客も唖然とした表情で見送るしかできなかった。


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