【第六十九話 洞耶馬狭霧:邦流空手】

 犠牲者の名は「洞耶馬(ほらやま)狭霧(さぎり)」。17歳。身長157cm、B84(Dカップ)・W57・H82。艶やかな黒髪を長く伸ばし、後ろ髪だけ襟足で縛っている。その目は眠たげにも見えるが、相手に感情を読ませないように訓練した結果だった。そのためか、どこか年経た仏像にも似た神秘的な雰囲気を生じている。
 狭霧は「邦流空手」を修めている。空手と名がついてはいるものの、現代空手とは一線を画す。
 空手の元は「唐手」と呼ばれ、中国から沖縄に伝わった拳法が源流だと言われている。しかし、実は日本独自に発達した空手もあった。連綿と続いてきたこの流派を、「唐手」を源流とする空手と区別して「邦流空手」と呼ぶ。
 この邦流空手を祖母から受け継いだ狭霧に、<地下闘艶場>の魔手が伸びた。


 リング上には既に狭霧と対戦相手の姿があった。
「赤コーナー、『斬拳』、津堂斬一!」
 狭霧の相手は、沢宮冬香と対戦したことのある津堂だった。今日もけばだった空手衣に黒帯を締め、狭霧を冷たく見据える。
「青コーナー、『備前派邦流空手』、洞耶馬狭霧!」
 自分の名前がコールされると、狭霧はガウンを外した。
 ガウンの下にあったのは、レオタードのような材質の黒色のビキニタイツだった。上は首元から鳩尾まで覆い、肩から先は剥き出しになっている。引き締まった腹部回りは隠すものがなく、下はスパッツのような形状になっている。ビキニタイツは狭霧の肢体にぴたりと張り付き、その引き締まったプロポーションを際立たせる。際立っているのはプロポーションだけでなく、狭霧の下着の線まで浮き上がっていた。これには観客席から早速冷やかしの野次が飛ぶが、狭霧は眉を上げただけでそれ以上は反応しなかった。

 今回はボディチェックも行われず、いきなりゴングが鳴らされた。

<カーン!>

 ゴングを聞いた狭霧は足をがに股に開き、浅く腰を落とす。
「ふん、時代遅れのマイナー流派が」
 冷笑を浮かべ、狭霧の前に突き出た足をローキックで刈ろうとした津堂だったが、ローキックに入る寸前に狭霧の前足が跳ね上がった。
「はぐぅっ!」
 狭霧の蹴りは見事に津堂の金的を捕らえていた。
「お前、何して・・・!」
「今回は反則なしでのルール。そう聞いているけど?」
 狭霧の指摘どおり、この試合はルール無用の喧嘩マッチだった。つい反射的に反則を取ろうとしたレフェリーは、苦い顔で黙り込んでしまう。
 この間に、脂汗を流しながらではあったが津堂が立ち上がる。
「・・・容赦なく攻撃してくれるな。だが、こちらももう手加減はせんぞ」
「御託はいいから、来なよ」
 狭霧の手招きに、津堂の顔が怒りに歪む。
「ちぇいあぁっ!」
 鋭い体移動から左拳での追い突き。素人ならば顔面が陥没するであろう一撃が狭霧に迫る。
「ふっ!」
 自分の顔面を狙って伸びてくる右腕の肘部分、狭霧はここを横から左手首部分で叩き、がら空きになった胸部に横回転で右肘を叩き込む。
「がぶふっ!」
 あばら骨の折れた痛みに津堂が苦鳴を放つ。

 邦流空手では、拳での突きは槍の突きを応用し、手刀技は刀の振りを応用している。蹴り技は鎌と槍を見立てに使っている。
「手技は刀槍の如く
 足技は鎌槍の如く」
 これが邦流空手の基本術理だった。

「ま・・・まだだぁ!」
 あばら骨が折れても、津堂の闘志は衰えなかった。上から狭霧の脳天目掛けて肘を落とそうとする。
 しかし、狭霧の反応は津堂を凌駕していた。下がり際にローキック、否、ローキックというよりは鉈のような一撃で津堂の右膝を抉る。足首を伸ばさず、爪先で横から抉った一撃で、津堂の膝は完全に破壊されていた。
「ぐ・・・ごぉぉぁっ!」
 それでも痛みを堪え、津堂は右拳での正拳突きを放っていた。
「ふっ!」
 狭霧は素早く手首を返して右拳の甲の部分で津堂の突きを撃墜し、同時に腰と右手首の回転だけで突きを放つ。津堂の鳩尾を抉った一撃は、拳の半ばまでめり込んでいた。狭霧が拳を引くと、津堂の体が後方に崩れ落ちる。

<カンカンカン!>

「・・・ぬるい」
 リングに大の字になった津堂を冷たく見下ろし、狭霧が呟く。
「悪かったな、たいした相手じゃなくて。どうだ? もっと強い相手ともう一試合してみるか?」
 レフェリーの提案に、狭霧は考え込んだ。
「・・・いいよ。折角の異種格闘技戦、やらなくちゃ損だから」
 狭霧の言葉に、レフェリーは口元に笑みを浮かべた。

 新たな選手が花道に姿を現した。最初に目についたのは真っ白な顔だった。
「・・・なんだ、あれ」
 選手が近づくにつれ、その格好がはっきりとわかる。顔全体を白く、目と口は黒く塗り、鼻には付け鼻、頭にはシルクハットを被っている。着ている服はだぼっとしたナイロン製のものだった。
 その選手を確認した観客が声援を送る。その声援はどんどんと大きくなり、選手がリングに上がっても止まなかった。

「赤コーナー、『マジシャンピエロ』、ジョーカー!」
 狭霧の追加試合の相手に選ばれたのはジョーカーだった。硬軟織り交ぜた攻撃で、これまで数々の女性選手を嬲ってきた。その実力に、狭霧への責めを期待した観客から大声援が送られる。
「青コーナー、『備前派邦流空手』、洞耶馬狭霧!」
 実力派の津堂を正面から撃破して見せた狭霧に、観客席から声援が飛ぶ。
 またもボディチェックが行われないまま、二戦目のゴングが鳴らされた。

<カーン!>

(こいつ・・・)
 ジョーカーを見る狭霧の視線は鋭かった。ふざけた格好とは裏腹に、かなりの実力を秘めていることを見抜いたからだ。
(油断はできないが・・・)
 それでも、自らの技量への揺るぎない自信が狭霧を動揺させない。先程同様がに股で腰を落とし、じりじりと摺り足で距離を詰める。
 突然、ジョーカーの右手がぶれた。ジョーカーの右手刀が閃いた瞬間、狭霧の胸元がすぱりと切れた。
「っ!?」
 衣装のビキニタイツが裂け、そこから水色のブラが覗く。
(手刀のスピードで切れた? その割には綺麗に切れ過ぎてる)
 指で切り口に触れた狭霧は素早く状況を見抜く。
(凶器、か)
 しかし、凶器の使用に文句をつけようとは思わない。今回は反則なしのルールであり、例え反則が禁止されていても、狭霧は凶器の使用を拒まなかっただろう。
 再びジョーカーの手刀が振られた。
「!」
 振られたことはわかっても、捕らえることはできなかった。またもビキニタイツが切られ、狭霧の素肌が覗く。
「しっ!」
 距離を詰めながら突く追い突きでも、ジョーカーを捉えることはできなかった。逆に脇腹の布地が切られてしまう。
 ジョーカーの手刀が閃くたび、狭霧の身に着けたビキニタイツが切り落とされていく。狭霧も反撃しようとするものの、ジョーカーの無軌道な動きを捉えきれない。
 ジョーカーの手刀が閃き続け、遂に狭霧は水色の下着姿にされてしまった。
「中々可愛い下着じゃないか」
 レフェリーの揶揄にも眉一つ動かさず、狭霧はジョーカーをじっと見据える。下着姿にされた羞恥は感じられず、その目には諦めない光が宿っている。
「ちっ、可愛げがねぇ。ジョーカー、さっさとすっぽんぽんにしてやれ!」
 レフェリーの指示に応じ、ジョーカーが動こうとした瞬間だった。
「せっ!」
 狭霧が前蹴りを放ったと見えた瞬間、何故かジョーカーの動きが鈍った。
「ちぇいやぁぁぁっ!」
 一瞬で距離を詰めた狭霧が、逆袈裟斬りのような手刀打ちでジョーカーの顎を打ち抜いていた。居合いの一閃を思わせるその一撃に、ジョーカーの体が糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、レフェリーは即座に試合を止めた。

<カンカンカン!>

 ゴングを聞き、ジョーカーが戦闘不能だと見た狭霧は腹式呼吸で気息を整えた。
 狭霧はビキニタイツの切れ端を足指で掴み、放ることでジョーカーの視界を一瞬塞いでいた。その一瞬で間合いを詰め、逃れようのない一撃でジョーカーを戦闘不能にしてみせた。
<地下闘艶場>でも上位クラスであるジョーカーに完勝し、花道を傲然と引き上げていく下着姿の狭霧には観客席から大きな拍手が送られていた。


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