【第七十三話 能見祁維:修斗】

 犠牲者の名は「能見(のうみ)祁維(けい)」。16歳。身長156cm、B82(Cカップ)・W57・H80。硬い髪質のため、肩までの髪はあちこちに跳ね回っている。可愛い顔と大きめな瞳、八重歯、それに怠惰な性格が猫を思わせ、友人たちからは「ミケ」と呼ばれている。
 極端な面倒くさがり屋で、普段は実力の半分も出さない。それを心配した年の離れた兄から、兄の通う修斗道場に無理やり連れて行かれ、嫌々ながらも修斗を始めた。その修斗で、祁維の秘められた才能が煌きを放った。僅か半年で兄を追い越し、道場でも屈指の実力者へと成長したのだ。
 祁維の実力に参戦への触手を伸ばした<地下闘艶場>だったが、祁維は「めんどくさーい」の一言で断った。何度か交渉を重ね、祁維が大好きなクレープ店の二箇月食べ放題の権利を付けることで、ようやく出場が決まった。


「こんなの着ないぃ」
「いえ、ですから・・・」
「着ないってばぁ」
 控え室の中、ひたすら押し問答が続いていた。黒髪の女性黒服が際どい水着を着せようとするものの、祁維は手に取ろうともしない。
「これを着て闘うのも、契約の内で・・・」
「じゃぁもう出ない」
「そうなると、契約違反ということで違約金が・・・」
「そんなの知らなぁい」
 何を言っても聞き入れない祁維に、とうとう女性黒服が折れた。
「・・・なら、自分で用意した衣装ならば闘いますね?」
「は〜い」
 左手をへにゃりと挙げた祁維に、女性黒服は頭を振りながら控え室を後にした。

 祁維が花道に姿を現した途端、ジャージの上下という色気も何もないその格好に、観客席からブーイングが起こる。しかし祁維は気にした様子もなく歩を進め、軽い足取りでリングへと上がった。

「赤コーナー、『執行人』、草橋恭三!」
 祁維の対戦相手は草橋だった。<地下闘艶場>では数多くの試合をこなし、いぶし銀の働きを見せている。
「青コーナー、『チェシャ猫』、能見祁維!」
 自分の名前がコールされても、祁維はなんの反応も見せなかった。手を見ながら指を折っているのは、クレープをどの順番で食べようかとでも考えているのだろう。

 草橋のボディチェックを軽く終えたレフェリーが祁維に近づく。
「さて、それじゃボディチェックを受けてもらおうか」
「え〜、やだぁ」
 レフェリーが近寄った分、祁維は距離を取っていた。
「やだじゃない! 試合前のボディチェックは必須事項だ!」
「やなものは、や」
 レフェリーが伸ばす手を軽くかわし、祁維が更に距離を取る。見かねた草橋も加勢するが、まるで掠りもしない。
「ボディチェックを受けるんだ!」
「やぁだ」
「それなら違約金が発生してだな・・・」
「そんなの知らなぁい。それじゃぁね」
 手を振ってリングを降りようとした祁維を、レフェリーが慌てて引き留める。かなりの時間を割いてリングに上げた選手だ、試合もしないで返しては、「御前」にどんな罰を受けるかわからない。
「わかった、ボディチェックはなしでいいから! 試合をしてくれ!」
「クレープ食べ放題は?」
「付くから! 頼むぞ!」
 これ以上祁維の気分が変わらぬ内にと、レフェリーはゴングを要請した。

<カーン!>

 先に動いたのは祁維だった。
「にぅっ!」
 妙な掛け声と共に、左ジャブを放つ。否、放ったと見えた瞬間、草橋が崩れ落ちた。
「・・・はぇ?」
 電光石火の一撃に、レフェリーの顎が落ちた。
 祁維は左ジャブのフェイントで一気に距離を詰め、視界の外から襲い掛かるような大振りの右フックで顎を打ち抜いていた。初めてのリングにも関わらず一撃で男性選手を沈めて見せた祁維の実力に、観客席が一気に沸く。
「ほら、ふぉーる」
「嘘だろ、おい・・・」
「れーふぇりー、ふぉーるだってばぁ」
 草橋を押さえ込んだ祁維の再三の呼びかけに、呆然となっていたレフェリーは無意識の内にカウントを取っていた。
「ワン・・・ツー・・・スリー」

<カンカンカン!>

 レフェリーの手が力なく三度叩かれ、試合終了のゴングが鳴らされる。
「終わった〜。それじゃ、これで・・・」
 リングを降りようとした祁維だったが、肉の壁に弾き返され、リングにころんと転がる。
「・・・なに?」
「ぐうぇへへ、まだ帰っちゃだめだぞぉ」
 祁維の前に立ち塞がっていたのは、まるで脂肪の小山のような太り過ぎの男だった。
「そういうことか。なあ能見選手、ちょっと話があるんだが」
 レフェリーの呼びかけに、祁維は何も言わずにレフェリーを見た。
「もう一戦してみないか? その分のファイトマネーもちゃんと払うから」
「えぇ〜、めんどくさーい」
 あっさりと返した祁維に挫けそうなったレフェリーだったが、それでも舌を回転させ、なんとか試合を承諾させようと言葉を継ぐ。
「そうだ、何か欲しいものはないか? あんまり突拍子もないものじゃなかったらなんとかなるぞ」
 このレフェリーの提案に、祁維は腕組みした。
「・・・アイス食べ放題も付けてくれたら、やる」
「付ける! 付けるからやってくれ!」
 祁維の出した条件を即座に受け入れ、レフェリーはすぐさまリング下に合図を送った。

「赤コーナー、『ミスターメタボ』、グレッグ"ジャンク"カッパー!」
 祁維の対戦相手としてリングに上がった脂肪の固まりのような男は、グレッグだった。<地下闘艶場>で何戦もこなし、その体格と特殊能力で数々の女性選手を苦しめてきた。
「青コーナー、『チェシャ猫』、能見祁維!」
 草橋をたった一撃で倒した祁維に、観客席から大きな拍手が送られる。
 祁維の機嫌を損ねないうちにと、レフェリーはボディチェックも行わすに試合開始の合図を出した。

<カーン!>

(こんだけおデブさんでも、鳩尾は効くでしょ〜)
 一気に距離を詰めた祁維の右ストレートが、グレッグの腹部に手首まで埋まる。
「ぐうぇへへ、捕まえたぁ」
 しかし、グレッグは平気な顔で祁維を抱え込んだ。
「あ、こら〜、離してよ〜」
 右手をグレッグの腹部から抜き、改めて両手で押そうとしても今度は汗で滑る。
「なら!」
 滑ることを利用し、体を捻る。しかし、グレッグに背中を向けた状態で再び抱え込まれてしまう。
「うぇへへ」
 グレッグの手が祁維のバストに伸び、揉み始める。
「ぐうぇへへ、おっぱいはもっと大きいほうがいいけど、弾力が最高だぁ」
 祁維のバストを揉むと、グレッグの顔が更に緩む。
「勝手に人の胸触らないでよぉ!」
 グレッグの手を引き剥がそうとする祁維だったが、汗で滑って掴めない。その間にもバストを揉まれ、不快指数が高まっていく。
「うぇへへぇ、気持ちいいぞぉ」
 グレッグの顔が更に緩み、祁維のバストを更に揉む。
「いいかげんに・・・しろぉっ!」
 祁維の右足が垂直に跳ね上がり、その爪先がグレッグの鼻を抉る。
「あぶへっ!」
 グレッグの緩んだ顔が、一瞬中央に寄った、ように見えた。祁維の爪先が抜かれると、鼻血が舞った。
「あいででぇ! 血が出たぞぉ!」
 さすがに顔を押さえたグレッグから、祁維はするりと抜け出していた。大きめな瞳には怒りの炎が燃え、猫ではなく虎を思わせる。
「そういうことするなら・・・本気、出すよっ!」
 その突進は見えなかった。しかも気づいたときには、祁維の凄まじい連打がグレッグの腹部に叩き込まれている。
「ぐうぇへへ、何度やっても無駄だぞぉ」
 鼻血を垂らしながら、それでも余裕の表情のグレッグが祁維を抱え込もうとした瞬間だった。
「にぃうっ!」
 祁維の右ストレートが、肘までグレッグの腹にめり込んでいた。祁維が離れると、棒立ちになっていたグレッグの巨体が勢いよく倒れ込む。グレッグは祁維に突かれた場所を押さえ、のた打ち回る。
「お、おい、嘘だろ?」
 レフェリーが声を掛けても、グレッグは悶絶するだけだった。

<カンカンカン!>

 これ以上は危険だと判断し、レフェリーは試合を止めた。

 祁維は最初の連打でグレッグの脂肪を散らし、狙い済ました一撃を突き込んだのだ。幾ら耐久力に優れたグレッグだとは言え、脂肪の鎧を外され、内臓を潰されては立っていられなかった。

 ゴングを聞く前に、祁維はさっさとリングを後にしていた。
「うぁ〜、疲れたぁ。汚れちゃったし、シャワー浴びてから、さっさと帰ろーっと」
 これが、天賦の才を与えられた者にのみ許された傲慢だった。
「そうだ、折角だから、クレープ食べて帰ろっかな〜。んー、でもぉ、アイスが先がいいかなぁ?」
 スウィーツに想いを馳せながら退場していく祁維に、観客席からは半ば無意識の拍手が送られていた。


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