【第七十五話 鬼庭魅羅乃:不明】

 犠牲者の名は「鬼庭(きば)魅羅乃(みらの)」。24歳。身長159cm、B85(Dカップ)・W61・H87。長い黒髪で、優しい目元にはどこか翳がある。硬質的な美貌の持ち主だが、笑顔を絶やすことがない。
 ある事故で入院し、入院先の病院で知り合った男性と意気投合して結婚。現在は夫と共に自宅兼店舗の小さなパン屋で働いている。しかし、人の善い夫が騙されて自宅の権利書を奪われてしまった。
 夫のために奔走する魅羅乃に、ある人物から<地下闘艶場>の存在が知らされた。
 夫のためならば。
 魅羅乃は<地下闘艶場>への参戦を決めた。裏があるとわかった上で。


 花道を進むガウン姿の魅羅乃に、観客席からは卑猥な野次や指笛が飛ばされる。魅羅乃は唇を噛み、リングへと上がった。

「赤コーナー、蒲生漣次!」
 魅羅乃の対戦相手は蒲生だった。久々の登場となるが、太い首は健在だった。以前四岐部亜衣紗に右肘を折られたが、今は完治したようで腕の太さも元に戻っている。
「青コーナー、『ミセス・ミラニスタ』、鬼庭魅羅乃!」
 魅羅乃がガウンを脱ぐと、その下からサッカーチームのユニフォームが現れた。魅羅乃がファンのイタリア・ミラノに本拠地を置くチームであり、短パンから伸びる太ももは大人の色香を発散している。会場からは指笛も起こるが、黙殺した魅羅乃は反応しなかった。

「それじゃ奥さん、ボディチェックだ」
 蒲生のボディチェックをあっさりと終えたレフェリーが、魅羅乃の前に立つ。
「・・・」
 魅羅乃が頷いたのを見て、レフェリーはユニフォームの上から魅羅乃の身体を触っていく。じっと立っていた魅羅乃だったが、レフェリーの手がバストにまで触れるとさすがに振り払った。
「どこを触って・・・!」
「奥さん、ボディチェックを拒むっていうのかい? それなら試合が始められないし、試合が始まらなきゃあ旦那も困るんじゃないのか?」
 言い募ろうとした魅羅乃だったが、レフェリーの脅迫に続けようとした言葉を飲み込んだ。レフェリーが浮かべる不快な笑みから目を逸らし、魅羅乃は小さく頷いた。
「奥さん、言葉にしてくれなきゃわからないんだがな」
「・・・ボディチェックを、して」
「『して』、なんて奥さんに言われると堪んねぇな。それじゃお望みどおり、ボディチェックを再開するか」
 魅羅乃の背後に回ったレフェリーは、魅羅乃のバストを鷲掴みにしてきた。
「そんな、いきなり・・・」
「こんだけ出っ張ってるんだ、ちゃんと調べなきゃな」
 硬い声での呟きに、レフェリーはバストを揉みながら答えた。
「この胸を毎晩旦那が揉んでるんだろうなぁ。ええ?」
 魅羅乃のバストを揉みながらレフェリーが聞いてくるが、魅羅乃は目を瞑ったまま答えようとしない。
「答えないってことは正解か。毎晩ってのはお盛んだなぁ」
 言葉責めに何も返さない魅羅乃だったが、その手は握り締められ、屈辱に耐えているようだった。
「しかし、胸だけ触るのも勿体ないな」
 バストから離れたレフェリーの左手が太ももを這いずり回る。
「人妻の色気ってのは太ももに出るよなぁ」
 勝手なことを言いながら太ももの感触を楽しんでいたレフェリーの左手が、太ももから上へと移動し、短パンの上から股間を弄る。右手はひたすらバストを揉み続けている。
「っ!」
 反射的にレフェリーの手を押さえた魅羅乃の耳に、冷たい声が響く。
「なんだこの手は。ボディチェックを拒むんなら、その時点で失格になるぞ?」
 その間にもバストを揉む手は止まっていない。
「どうする奥さん、ここでボディチェックをやめて、お家に帰るかい?」
「・・・」
 魅羅乃は無言でレフェリーの手を放し、視線を落とす。
「そうだよな、失格になるわけにはいかないよなぁ」
 魅羅乃のバストと秘部を弄りながら、レフェリーがわざとらしく頷く。
「・・・ぁ・・・ゃ・・・
 ぼそりと呟かれた魅羅乃の小声は、レフェリーの耳には届かなかった。

「さぁて、それじゃ試合を始めるかな」
 名残惜しげに魅羅乃から離れ、レフェリーはゴングを要請した。

<カーン!>

 先程のセクハラへの怒りからか、魅羅乃は険を含んだ視線でレフェリーを睨みつけていた。そのあまりの鋭さに、レフェリーがたじろぐ。
「どこ見てるんだい?」
 蒲生のタックルが魅羅乃を捕らえる寸前、魅羅乃は身を捩っていた。しかし完全にはかわしきれず、蒲生の手が魅羅乃のユニフォームに掛かる。次の瞬間、ユニフォームの胸元が破れていた。
「へぇ、豹柄のブラか。人妻ってのは色っぽいの着けてるんだな」
 破かれたユニフォームの前面から、魅羅乃のブラが覗いていた。
「あっ!」
 魅羅乃が慌てて前を隠す。
「隠すなよ奥さん、もっとよく見せてくれ」
 舌舐めずりした蒲生が、じりっと距離を詰める。胸元を隠した魅羅乃は中途半端に左手を振るが、軽くかわした蒲生に背後を取られる。
「ほれ、捕まえたぜ」
 蒲生は魅羅乃をフルネルソンに捕らえ、レフェリーに合図する。
「よしよし、それじゃもうちょっと調べさせて貰おうかな」
 にやついたレフェリーが魅羅乃に歩み寄る。
「おっと、俺に攻撃したら失格にするからな」
「っ・・・」
 膝を上げかけた魅羅乃は、レフェリーの言葉に仕方なく足を下ろした。
「レフェリーに攻撃しちゃ駄目だ、ってのはプロレスの基本ルールだからな。奥さんもよーく覚えておいてくれ」
 ブラごとバストを揉みながら、レフェリーがにやつく。怒りからなのか、魅羅乃の眦が吊り上がっていた。
「そんな恐い顔しないでくれよ、ボディチェックの続きなんだからな」
 それでもレフェリーはにやけ面を崩さず、魅羅乃のバストから手を離そうとしない。やがて右手だけがバストから離れた。
「フロントホックねぇ。旦那の趣味かい?」
 レフェリーが手早くフロントホックを外すと、肩紐のないブラは乳房から滑り落ちた。
「おお〜、大人のおっぱいはやっぱりエロいな」
 訳のわからない感想を洩らしながら、レフェリーは魅羅乃の乳房を鷲掴みにした。
「くっ・・・」
 不快感からか屈辱からか、魅羅乃が唇を噛み締める。それでも意志の力でレフェリーには攻撃せず、じっと耐える。
「毎晩旦那から揉まれているおっぱいを、こんな下衆レフェリーから揉まれるのはどんな気持ちだ?」
 魅羅乃をフルネルソンに捕らえている蒲生が、魅羅乃の耳元に囁く。
「誰が下衆レフェリーだ!」
 抗議の声を上げるレフェリーだったが、それでも魅羅乃の乳房から手を離そうとはしない。
「わかったわかった、俺が悪かったよ。それじゃ、俺にも触らせろ」
「ちっ」
 盛大に舌打ちすると、レフェリーは魅羅乃の両手首を掴んだ。
「おっと、まだ動かないでくれよ。蒲生の奴が触りた・・・ボディチェックを手伝ってくれるそうなんでね」
「そんな戯言が・・・!」
 魅羅乃の眦だけでなく、眉までが跳ね上がる。
「おいおい奥さん、俺は誰だ? レフェリーだぞ? 失格になりたいか?」
 失格、の二文字に魅羅乃の動きが止まる。その間にフルネルソンを解いた蒲生が、背後から魅羅乃の乳房を鷲掴みにする。
「柔らかいなぁ、奥さん。だが、ここは硬くなってきだしたぞ?」
 蒲生が乳房の中心に指を這わせ、嘲る。
「・・・っ」
 魅羅乃は唇を痛いほどに噛み締め、屈辱と不快感に耐える。
「奥さん、俺に手を出すのは駄目だが、声を出すのは構わないからな」
 レフェリーのふざけた科白だったが、魅羅乃は目を閉じ、何かを耐えているかのようだった。
「だからそんなに我慢しなくてもいいって」
「っ!」
 レフェリーに突然秘部を弄られ、反射的に突き飛ばそうとしていた。
「おいおい、なんだこの手は? 失格になりたいか?」
 しかし、レフェリーの言葉に力なく手を下ろす。
「おっ、とうとう乳首がおっ立ったぞ」
 蒲生が乳首を扱きながら、嘲るように耳に息を吹きかける。
「い、いいかげんに・・・!」
「奥さん、失格にするぞ」
 暴れようとする魅羅乃の機先を制し、レフェリーが冷たく告げる。
(・・・あの人のため、あの人のため・・・!)
 魅羅乃は呪文のように心の中で唱えながら、男達の手の感触と観客席から飛ぶ粘つく視線から意識を逸らす。
「折角だ、もっとおっぱい見せな!」
 乳房を揉んでいた蒲生がユニフォームの破れた部分を掴み、無理やり引っ張る。
「あぁっ!」
 ユニフォームが引き裂かれ、胸の前が完全に開く。魅羅乃が慌てて前を押さえ、乳房を隠す。
「へへっ、こいつは色っぽいな」
 蒲生は逃げようとした魅羅乃の袖を捕まえ、引き千切る。
「あっ!」
「おっと奥さん、まだ逃げちゃ駄目だ」
 レフェリーがユニフォームを掴む。
「駄目、離して!」
 その手を振り払い、魅羅乃はユニフォームごと体を庇う。
「へへへ・・・奥さん、男っては、嫌がるのを無理やり脱がすのが好きなんだよ」
 唇を舐めた蒲生が一歩前に出る。そのまま距離を詰め、魅羅乃のユニフォームを掴む。
「ユ、ユニフォームだけは!」
 魅羅乃は必死にユニフォームを掴み、脱がされまいとする。
「そんなに庇うってことは、何か隠してるんだろ?」
「・・・別に、隠しては・・・」
 歯切れの悪い魅羅乃に、レフェリーが調子づく。
「なにも隠してないなら見せてみなよ、奥さん」
「だ、駄目よ、見せるのだけは・・・」
 しかし魅羅乃は首を振りながら座り込み、ユニフォームごと体を庇う。
「いいねぇ、奥さん。ますます興奮してくるぜ」
 魅羅乃を見下ろした蒲生は、ユニフォームの襟首を掴んだ。
「こ、これだけは!」
「駄目だな、観念しな!」
 必死に赤いユニフォームを掴む魅羅乃だったが、蒲生は背中側を掴んで引き裂いた。思い切りやったため、背中側がぱっくりと開き、魅羅乃の背中がスポットライトに照らされる。
「あ・・・う・・・」
 固まったのは何故か、剥き出しとなった魅羅乃の背中を見た蒲生とレフェリーだった。
「・・・見られちまったかい」
 低く呟いた魅羅乃の背一杯に、墨で刻まれた鬼子母神が踊っていた。
「見られた以上、隠してもしょうがないねぇ」
 表情まで固まった男達を尻目に、鬼子母神を見せつけるように魅羅乃がゆらりと立ち上がった。
「お察しの通り、アタシは元ヤクザもんさ」

 魅羅乃は、博徒系暴力団の元構成員だった。父親が構成員だった影響で、魅羅乃も小さい頃から組の人間と深く付き合い、高校には行かずに組に入る選択をした。
 組に入ってからは数々の修羅場に直面した。敵対する組員を襲ったことも、襲われたこともある。悪徳警官にセクハラ紛いのことをされたこともある。命を狙われたことも一度や二度ではない。
 ある事件に巻き込まれた魅羅乃は入院し、そこで夫となる男性と出会った。
 魅羅乃が背に負った二度と消えない鬼子母神を晒しても、夫は優しく抱き締めてくれた。魅羅乃の過去ごと抱き締めてくれた夫のために、魅羅乃は二度とヤクザの証を晒すまいと決めた。

 しかし今。夫を救うために上がったリングで、再び背に負った鬼子母神が人の目に晒された。
「もう隠す必要もなくなったわけだ。・・・覚悟はいいね?」
 肩越しに蒲生に向けられた視線は、凍りつくような冷たさだった。
「らぁっ!」
 構えようとした蒲生の頬を、魅羅乃のビンタが張った。
「あがぁっ!」
 それだけで蒲生がリングに倒れ込んだ。
「お、おい、どうした」
 幾ら強烈だったとは言え、ビンタには違いなかった筈だ。それなのに蒲生は打たれた頬を押さえ、リングを転げまわる。その手の間から見えた傷口に、レフェリーのうなじの毛が逆立つ。
 魅羅乃は爪を立てて頬を張り、打撃と裂傷を与えていた。普通の人間ならばしようとも考えない喧嘩技に、蒲生の頬は皮がめくれ、肉が覗いていた。見る見るうちに血が流れ出す。
「どしたい、ビンタ一発でお寝んねってこたぁないだろうが!」
 蹲った蒲生に対し、魅羅乃の爪先が何度も食い込む。
「倒れた選手への打撃は禁止・・・」
 魅羅乃を止めようとしたレフェリーを、魅羅乃が視線だけで止める。
「聞こえないねぇ。何か言ったかい?」
「い、いえ、何も・・・」
 魅羅乃に睨まれただけで、レフェリーの顔面は蒼白となっていた。
「くっ・・・クソがっ!」
 怒りで痛みを紛らわし、膝立ちとなった蒲生は魅羅乃の脚を抱え込もうとした。
「小賢しいんだよっ!」
 しかしその脚はするりと上に逃げ、蒲生の後頭部を踏みつけた。鈍い音に遅れ、動きを止めた蒲生の顔の下から血が広がっていく。

<カンカンカン!>

 レフェリーは即座に試合を止めた。医療班を呼び込み、蒲生の治療に当たらせる。
 その様子を、魅羅乃が冷たく見下ろしていた。半裸でリングに仁王立ちする姿は、まさしく鬼子母神を思わせた。


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