【第七十六話 於鶴涼子:合気道 其の五】

 犠牲者の名は「於鶴(おづる)涼子(りょうこ)」。21歳。身長163cm、B85(Dカップ)・W60・H83。「御前」の所有する企業の一つ「奏星社」で受付をしている。長く綺麗な黒髪と涼しげな目、すっと通った鼻梁、引き結ばれた口元。独特の風貌を持つ和風美人である。
<地下闘艶場>初期から出場し、男性選手相手に尽く勝利を重ねてきた。その涼子に、再度<地下闘艶場>への参戦要請が届いた。相手は、元橋堅城が太鼓判を押す選手だと言う。
(元橋様の・・・)
 敬愛する元橋本人との闘いではないことに軽い失望はあったが、元橋が認めた選手ならば実力は疑い得ない。涼子は二つ返事で承諾し、まだ見ぬ対戦相手に勝利するため、更なる稽古を始めた。


 花道に姿を現した涼子に対し、凄まじい歓声が飛ぶ。<地下闘艶場>では無敗を誇り、人気と実力を兼ね備えた女性選手なのだからそれも当然だろう。涼子はその歓声にも表情を変えることなく花道を進み、闘いの場へと歩を進めた。

 リングに待っていたのは、フード付きのガウンを頭から被った選手だった。顔は見えないが、そのシルエットから男性だろうと目星をつける。
「それでは、選手紹介!」
 リング下の黒服がマイクで叫ぶ。
「赤コーナー、『貴公子』!」
『貴公子』と呼ばれた選手は、続いて呼ばれた名前に合わせてフードを外し、ガウンを脱いだ。遅れてコールされた選手名とその容貌に、観客席が驚きに沸く。
 涼子の対戦相手は、なんと甲羅木(こうらぎ)駁(ばく)だった。テレビや雑誌にもよく登場する人気美形タレントで、整った顔と肉体美に女性人気は恐ろしいものがある。
 今日の駁は道衣を着込み、黒帯を締めている。使い込まれたことが見て取れ、道衣姿に違和感がない。長年修練を積んできていることが一目でわかる立ち姿だった。
「青コーナー、『クールビューティー』、於鶴涼子!」
 涼子はいつもどおり長い黒髪をポニーテールに纏め、白い道衣と黒い袴、胸にはサラシを巻いたスタイルだった。清楚な色気だけでなく、ある種の風格すら湛えてリングに佇んでいる。
 その涼子に駁が軽く手を上げる。
「や」
「・・・こういうこと、ですか」
 涼子と駁は直接面識がある。(【外伝 於鶴涼子 其の四】参照)
 涼子が同僚から夜のバイトを無理やり押しつけられ、そこに駁が客として居たのだ。淫らなゲームの相手をさせられたものの、駁の実力は油断できないものだった。
 別れ際、源氏名しか名乗らなかった涼子を、駁は源氏名ではなく「涼子ちゃん」と本名で呼んだ。そのとき駁が涼子の本名を知っていたのは、<地下闘艶場>の関係者だったからなのだろう。
 推理する涼子に駁が話しかける。
「騙まし討ちみたいで気が引けるけど、涼子ちゃんとは本気で闘ってみたいんだ」
「そうですか」
 涼子の返答は冷ややかだった。しかしその冷たさにも動じず、駁が言葉を紡ぐ。
「涼子ちゃん、今日僕が勝ったら正式にお付き合いして欲しい」
 この物言いに、涼子の瞳が冷たさを増した。
「ならば、私が勝ったら芸能界を引退でもしますか?」
「わかった、いいよ」
「お、おい! そんなこと言っていいのかよ!?」
 駁があっさりと同意したことで、レフェリーが慌てて割り込む。人気絶頂のタレントである駁が突然引退しようものなら、試合を裁いた者として責任を取らされかねない。
 驚いたのは涼子も同じだった。精神的な揺さぶりをかけるのが目的だったのに、まさかあっさり受け入れられるとは思いもしなかったからだ。
「そこまでされなくても・・・」
「僕は本気だったのに、涼子ちゃんは軽い気持ちで約束したのかい?」
 駁の目は本気だった。
「・・・いいでしょう。芸能活動に終止符を打って差し上げます」
 ならば自分も応じるまで。二人の間で見えない刃が交わされる。
「冗談じゃねぇぞ・・・ええい、ゴング!」
 レフェリーがやけくそに叫び、ゴングが鳴らされた。

<カーン!>

 ゴングを聞いた駁がじわりと間合いを詰める。
「今日は、最初から本気で行かせて貰うよ」
 その顔に笑みはない。涼子の一挙手一投足を見逃すまいと、鋭い視線が全身を貫いてくる。
「視る」。
 それだけでこれほどのプレッシャーを掛けてくる相手は初めてだった。合気道で闘う涼子のファイトスタイルは、どちらかというと受けが多い。受けの姿勢で居るだけで精神力が削られていく。
(このままでは不利、自分から行かなくては)
 前に出ようと決意した瞬間だった。
「っ!?」
 顔面に伸びた掌底をぎりぎりでかわし、一旦距離を取る。
「どうしたの? まさか、顔面攻撃はないとでも思ってた?」
 駁の声音は冷たかった。
(速い!)
 攻撃しようとした機を捉えられたとは言え、駁の掌底は危険な速度を持っていた。
(油断できない相手とはわかっていましたが、まさかここまでとは・・・)
 涼子の頬を、冷たい汗が伝う。
(しかし・・・)
 涼子の唇は笑みの形を作っていた。強者との闘い。これこそが涼子の望むものだったからだ。
 上半身でフェイントを入れながらじりじりと距離を詰め、最後の一歩を踏み込む。その瞬間だった。
「あっ!」
 出足を払われる燕返しで足を刈られていた。体勢を戻すことも間に合わず、肘の関節を極められながら投げを打たれる。
「くっ」
 下手に踏ん張れば腕が折れる。自分の左袖を掴んで肘への負担を減らし、投げに合わせて飛ぶ。しかし駁は瞬時に持ち手の位置を変え、巻き込むような投げから自らの体重を浴びせていた。
「はぐっ!」
 駁の体に潰され、涼子の口から苦鳴が洩れる。
「おっと!」
 焦りの叫びを上げたのは駁だった。一回転しながら涼子の上から逃れたのは、下から絞め技を狙われたからだ。
「あそこから返し技を狙うんだ。恐いね」
 油断なく立ち上がり、また涼子を「視て」くる。
(下手に攻撃すれば反撃される。攻撃しなければ精神的に追い込まれる。どういう組み立てをするべきでしょうか)
 表情は変えず、幾通りもの攻めを選んでは捨てていく。
(よし!)
 余分な力を全て抜き、静かに前に出る。
「そう来たか・・・」
 駁の声が緊張する。涼子が選んだのは、反射神経の勝負だった。駁が涼子に触れようとした瞬間、それを上回る速度で反撃する。涼子ならば可能な筈だった。
「ふっ!」
 駁の左掌底が顔面へと伸びてくる。
(囮!)
 これをフェイントだと見破り、本命の足払いに備える。しかし。
「うぐっ!?」
 鳩尾に右掌底がめり込んでいた。急所への一撃が涼子の動きを止める。
「この間、君のリズムを覚えることができたからね」
 たった十分の肌合わせだったが、駁にはそれで充分だった。更に容赦なく膝蹴りを叩き込み、崩折れた涼子の背後を取る。
「今日は、恥ずかしい目に遭わせるよ」
 駁は涼子の袴を脱がせただけではなく、上衣を諸肌脱ぎにさせ、手早く上衣の裾を絞って動きを封じる。剥き出しとなった白い肌が、スポットライトに浮かび上がる。
(な、なにを堂々と!)
 駁の宣言に慌てる涼子の内心になど気がつかないのか、駁はサラシを外し、涼子の乳房を露わにする。
「・・・やっぱり、綺麗だね」
 駁の感嘆交じりの吐息が涼子の耳をくすぐる。そこに、下卑た笑みを浮かべたレフェリーが近づいた。
「へへ、それじゃボディチェックを・・・」
 涼子に手を伸ばしかけたレフェリーは、駁の視線に縫い止められた。
「触るな」
 声は氷点下の冷たさだった。
「もし触りたければ、死ぬ覚悟で触れ」
 年下である駁の殺気に、レフェリーは思わずへたり込んでいた。
「そ、そう怒るなよ。冗談じゃないか」
 固唾を呑み込んだレフェリーは、なんとか愛想笑いを浮かべ、膝を震わせながらも立ち上がった。
「じゃあ、始めるよ」
 謝罪の響きを感じたのは涼子の思い過ごしだろうか。駁の左手が乳房を撫でる。まるで美術品を扱うかのように、優しく、繊細な手つきで表面を動いていく。初めてとも言える責めに、涼子の背筋が震える。
「も、元橋様・・・」
 思わず元橋の名を呼んでいた。涼子には見えない駁の表情が、誰かを想う痛切なものへと変わる。
「涼子ちゃん、君は元橋さんの気持ちがわかっていない。ただ自分の思いをぶつけているだけだ」
「な、何を言って・・・あくっ!」
 口調は厳しさを増したが、乳房への責めは繊細だった。表面を撫でて反応を探り、涼子の弱点と見極めた部分を重点的に責めてくる。
「ほら、乳首が硬くなってきた」
 駁の指が乳首をあやす。
「そ、そんな筈は・・・くぅっ」
「嘘は駄目だよ」
 立ち上がりかけた乳首を弾いた駁が、涼子に囁く。
「もっと・・・もっと、高めてあげるよ」
 その宣言どおり、駁の手が踊るたび、涼子の身体は快感に翻弄される。
(こ、このままでは・・・っ!)
 涼子を更に追い詰めようとでも言うのか、駁の指が下着の中に侵入する。
「そっ、そこは!」
 暴れようとした涼子だったが、身じろぎした途端、駁の指から与えられる刺激に声が洩れる。
「素直に感じて欲しいな」
 駁の指が優しく秘部を撫でる。淫核を親指で押さえながら人差し指を秘裂に埋め、入り口付近を愛撫してくる。
(だ、駄目、元橋様がしてくれたことを・・・そんな・・・!)
 元橋から受けた責めをそのまま繰り返され、元橋の感触が駁のそれに上書きされていく。
「元橋さんの呪縛を、僕が解く」
 その真剣な響きを持った言葉に、頭の中に広がりかけていた桃色の靄が割れる。
(凄い技量の持ち主ですね、ここまで追い込まれるなんて)
 奥歯を噛み締め、靄を払う。
(だけど・・・元橋様ほどの技量では、ないっ!)
 溜めていた力を一気に解放する。次の瞬間、道衣によって戒められていた筈の両手が自由を得ていた。
「あの状態からっ!?」
 涼子の肘打ちをガードした駁が驚きの声を上げる。涼子は色責めに晒されながらも、縛られた道衣を緩めていたのだ。不意を衝かれた駁は、一旦距離を取る選択をしていた。しかし、その右腕を涼子が捕らえる。
「逃しませんっ!」
 得意の小手返しに入った瞬間、膝を蹴られていた。
「っ!」
 駁の体重のコントロールがぶれ、二人は縺れ合うように倒れ込んだ。
「あうっ!」
「ぐぅっ!」
 意図せぬ行為が、否、意図せぬ行為だからこそ、二人とも受身を取り損ねた。頭部をリングにぶつけ、瞬間的に揺さぶられた脳が身体への命令を上手く伝えられない。
 涼子、駁共に動けないとみるや、レフェリーが即座にカウントを開始する。
「ワン、ツー、スリー」
 レフェリーのカウントはまるで普通の試合のように、否、それよりも速いテンポで進む。
「ファイブ、シックス、セブン・・・」
 進むカウントに、涼子も駁も身じろぎする。しかし。
「ナイン、テン!」

<カンカンカン!>

 涼子も駁も立ち上がれず、勝者が決まらないままゴングが鳴らされた。
「ふぅーっ」
 大きなため息を吐いたのはレフェリーだった。引き分けという結果ならば駁が芸能界を引退することもなくなり、レフェリーの首も繋がる筈。咄嗟の判断だった。
 額の汗を拭ったレフェリーは、半裸の涼子の肢体にちらりと目をやるが、それだけで急いでリングを降りた。
「んっ・・・あ・・・」
 ようやく脳の揺れが治まり、涼子が上半身を起こす。駁と視線が合った。
「引き分け、だね」
 頭を一つ振った駁は立ち上がり、帯を外す。
「っ!」
 その行為に後ずさろうとした涼子の前に、道衣の上が差し出される。胸を隠した涼子は、思わず動きを止めていた。
「そんなに警戒しないでよ。試合は終わったんだから、もう酷いことはしないから」
 駁の苦笑に誘われたように、涼子は駁の上衣を受け取っていた。
「引き分けのときの条件、決めてなかったね」
 膝立ちとなった上半身裸の駁が、涼子の眼をまっすぐ見つめてくる。
「お互いの頼みを一つずつ聞く。これで宜しいのでは?」
 駁の上衣に袖を通した涼子が静かに提案する。
「・・・ありがとう、と言うべきなのかな、これは」
「ただし、厭らしい要求は受け入れかねます」
「信用ないんだね」
 再び駁が苦笑する。その透明感のある笑みは、涼子の心に染み込んだ。
「それじゃ早速だけど、今度デートしてくれないかな」
「・・・約束しましたから、断れませんね」
「それじゃ、携帯番号教えてね。連絡取るのに必要でしょ?」
「ずるい人ですね」
 そう言いながらも、涼子の顔には嫌悪ではなく、苦笑だけが浮いていた。自らの上衣を拾えばよかったのに、駁の上衣を受け取った。そこに思い至らないのも、普段の涼子らしくなかった。


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