【第八十九話 八岳深津魅:総合格闘技】

 犠牲者の名は「八岳(やたけ)深津魅(みつみ)」。18歳。身長165cm、B86(Dカップ)・W60・H85。黒髪にブリーチを入れ、腰よりもまだ長く伸ばしている。切れ長の目、伸びた鼻梁、しなやかな唇。かなりの美貌の筈なのに、他人に与える印象は「冷酷」だった。祖父は八岳将玄。即ち八岳の一族であり、八岳琉璃とは従姉妹の間柄になる。
 深津魅にとって、琉璃は越えようとしても越えられない存在だった。深津魅も勉学、運動など何をやっても一流の才能を見せた。しかし、琉璃は尽く深津魅の上を行った。
 もし深津魅が琉璃よりも年下だったら、琉璃を尊敬すべき、もしくは越えるべき目標にできたかもしれない。しかし、周囲の大人は一つ年下の従姉妹と深津魅を常に比べた。否、深津魅を琉璃の引き立て役だと捉えていた。そんな事実を、人一倍プライド高い深津魅が受け入れられる筈もなかった。
 日々煩悶する深津魅に、<地下闘艶場>から招待状が届いた。
「八岳琉璃が活躍する場」。
 そこに添えられた一文に、深津魅は即座に出場を決めた。


「こんな衣装がありますか!」
 深津魅の怒号が控え室に響く。深津魅は今日のため用意された衣装を指差し、怒りに身を震わせる。
「こちらが用意した衣装を着て闘って頂く、これも契約の内ですが」
「お断りしますわ! 誰がこのような破廉恥な・・・」
「琉璃様はどのような衣装であろうと、文句も付けずに着てくれたのですが」
 琉璃の名を出された途端、深津魅の口撃が止む。
「・・・琉璃にできたこと、私にできない筈がありませんわ!」
 琉璃への対抗心が、羞恥心を上回った。衣装を睨みつけると、乱暴に手に取る。
「着替えるのですから、出て行きなさい!」
 女性黒服にまで八つ当たりし、深津魅はもう一度衣装を睨みつけた。

 ガウンを羽織った深津魅が花道に姿を現すと、会場をため息が包んだ。<地下闘艶場>に現れた二人目の八岳一族に、初登場ながら観客席の期待は既に高まっていたのだ。期待は裏切られず、八岳の一族らしく、かなりの美貌を誇っている。
 深津魅は怒りの表情を崩すことなく、琉璃も上がった舞台へと自らも上がった。どれほどの屈辱が待っているのかも知らずに。

「赤コーナー、マンハッタンブラザーズ1号2号!」
 リングに待っていた対戦相手は、揃いの覆面とレスリングタイツを身に着けた二人の男だった。どちらが対戦相手なのかはまだわからない。
「青コーナー、『ハニークイーン』、八岳深津魅!」
 控え室で教えられたとおり、コールされたタイミングでガウンを脱ぐ。その下には軍服があった。しかし当然の如く普通の軍服ではない。海外映画かアニメの中でしか見られないようなもので、薄い灰色と黒で統一され、胸元は大きく開き、腹部は剥き出し、下はミニスカートだった。
 観客席から、深津魅の肢体の露出した部分に粘つくような視線が飛んでくる。それすら不快なのか、深津魅の眉間には皺ができたままだった。

「深津魅お嬢さん、ボディチェックをお願いしますよ」
 卑屈な笑みを浮かべて近づいてきたレフェリーに、深津魅の視線が突き刺さる。
「ボディチェックだなどと言って、私の身体に触ろうだなんて! 許されることではありませんわ!」
「そうは言っても、ルールですからねぇ。それに、琉璃お嬢さんは文句一つ言わずに受けてくれたんですが」
 レフェリーの口から出任せだったが、琉璃の名前が出た途端、深津魅の舌が止まる。
「・・・琉璃が? このようなことを?」
「琉璃お嬢さんはルールをきちんと守る人でしたからね。深津魅お嬢さんは守ろうとしない、と。いや、私はそれでもいいんですけどね」
 わざとらしく頷くレフェリーは、深津魅の両手が握り締められ、震えていることに気づいた。
「・・・琉璃が受け入れた? ならば、私も受け入れますわ!」
「さすが深津魅お嬢さん! では、失礼致します」
 わざとらしく一礼したレフェリーは、軍服を肩から押さえていく。その手は二の腕を押さえた後、胸元へと移動する。
「すいませんね、深津魅お嬢さん。これもレフェリーとしての責務なもんで」
 衣装の上からバストを撫で回しながら、レフェリーはわざとらしく嘯く。
「な、なんでもいいから早く終わらせなさい!」
「いやいや、ボディチェックはそう簡単に終わらせられませんよ」
 バストを撫でた手は腹部、腰、ヒップまで這いずり回る。それにはなんとか耐えた深津魅も、更に下ろうとした手を押し留める。
「ど、どこまで触ろうとして・・・!」
「これもレフェリーとしての仕事なんですよ。ボディチェックは隅々まで調べないと」
 そこで横を向いたレフェリーは、ぼそりと呟いた。
「琉璃お嬢さんは平気な顔だったけどなぁ」
「・・・わかりましたわ! さっさとやって、さっさと終わらせなさい!」
「くくっ、了解です」
 レフェリーは右手をミニスカートの中に差し込み、蠢かせる。
(こんな、こんな屈辱を、八岳家の嫡流である私が我慢しなければならないなんて! でも・・・琉璃が耐えられたこと、私にできない筈がありませんわ!)
 秘部を這いずる感触に歯噛みしながらも、深津魅は逃げようとはしなかった。全ては琉璃に負けないため。その事実が空虚なものだと知らないまま、深津魅はセクハラボディチェックを耐え続けた。

「どうやら凶器は隠していないようですね」
「当たり前ですわ! 私を誰だと思っているの!」
 ようやくボディチェックが終わり、深津魅はレフェリーを睨みつける。
「それは失礼しました。私も仕事でして」
 レフェリーは頭を掻いて見せるが、反省しているようには見えない。
「では、これからマンハッタンブラザーズの二人と闘って頂きますので」
「待ちなさい、相手が男性二人とはどういうこと?」
 聞き逃せない言葉に深津魅が噛みつく。
「どういうことも何も、琉璃お嬢さんは二人同時に相手をして、楽勝だったんですよ」
「男性二人に、楽勝・・・?」
「そうなんですよ。ですから深津魅お嬢さんも、ウォーミングアップ代わりに丁度いいかな、と」
「と、当然です」
 本心から納得したわけではなかったが、深津魅は頷き、一対二のハンディマッチを受け入れた。
「それでは、ゴング!」

<カーン!>

 ゴングが鳴らされると、マンハッタンブラザーズの二人は深津魅を挟み込むように動く。
(予想通りの動きですわね。ならば、蹴りで・・・っ!)
 蹴りを出しかけたのに、深津魅は慌てて足を引き戻した。
「深津魅お嬢さん、蹴りを出してもいいんですよ?」
(こんな短いスカートで蹴りを出せば、下着が見えてしまうじゃないですの! 本当に、わかっておりませんわね!)
 まさかそれが目的だなどとは想像だにせず、深津魅はレフェリーを睨みつける。
 その隙を見逃さず、マンハッタンブラザーズが左右から抱きつく。
「しまっ・・・!?」
 深津魅に抱きついたマンハッタンブラザーズの二人は、同時に左右のバストを掴み、揉む。
「どこを・・・触っているのですか!」
 深津魅がマンハッタンブラザーズの脳天に両肘を落とす。そのまま深津魅の両手が、動きを止めたマンハッタンブラザーズ1号2号の頭部を鷲掴みにする。
「気安く触れられるような存在だとでも、思っているのですか!」
 大の男二人を片手ずつで持ち上げた深津魅は、そのまま勢い良くリングに叩きつけた。それだけでは終わらず、顔面に容赦なく拳を落とす。マンハッタンブラザーズの二人の手足が力を失ったのを見て、レフェリーは慌てて試合を止めた。

<カンカンカン!>

 リングを聞き、深津魅は眉間に皺を寄せてレフェリーを見据える。
「まったく、ボディチェックだから我慢したというのに、試合中にまで私の胸に触れてくるなんて。選手の教育がなっておりませんわよ」
 深津魅の鋭い視線を受け、レフェリーが頭を下げる。
「申し訳ありません、深津魅お嬢さんが魅力的過ぎて」
「それは否定できませんわね」
 レフェリーのおためごかしに、深津魅は機嫌良く頷く。
「それじゃ、すぐ次の試合の準備を始めますので、少々お待ちください」
 そのため、レフェリーの科白を聞き流しそうになった。
「えっ、もう一試合?」
「さっき言ったでしょう? ウォーミングアップ代わりに丁度いいかな、って」
「た、確かに貴方がそう言ったのは覚えているけれど、もう一試合あるとは・・・」
「琉璃お嬢さんは、すぐにOKしてくれたんですがね」
「・・・琉璃が?」
 琉璃を意識する余り、深津魅は琉璃の名前が出た途端に思考停止してしまう。
「いやいや、いいんですよ、深津魅お嬢さんが嫌だって言うなら。琉璃お嬢さんがしたことだからと、こっちが気を使っただけなんですから」
 しかも言葉での追い討ちがきた。
「馬鹿にするんじゃありませんわ! 誰が受けないと言いましたか! いいですわ、次の相手を連れてきなさい!」
 怒りの炎を纏った深津魅は、豊かな胸の下で腕組みしてレフェリーを睨みつける。思惑通りの展開に、レフェリーは含み笑いを隠した。

 次にリングに上がったのは、丁髷を乗せた巨漢だった。スパッツの上からまわしを締めており、どっしりと安定感のある体型をしている。
「赤コーナー、『喧嘩相撲』、虎路ノ山!」
 巨漢は元相撲取りの虎路ノ山だった。深津魅の全身をじろじろと眺めながら顎を撫でる。
「青コーナー、『ハニークイーン』、八岳深津魅!」
 虎路ノ山の巨体を間近に見て、深津魅も緊張を隠せなかった。

 虎路ノ山のボディチェックを終えたレフェリーが深津魅に向き直る。
「それじゃ深津魅お嬢さん・・・」
「いいですわ、始めなさい」
「え? いや、そうじゃなくて、ボディチェック・・・」
「いいから早く始めなさい!」
 深津魅の剣幕に、レフェリーは思わずゴングを要請していた。

<カーン!>

(・・・この体格差)
 こうして間近で対峙してみれば、更に体格の違いを教えられる。
「ぬっふっふ、琉璃お嬢さんからやられた分、今日は深津魅お嬢さんに払ってもらおうかのぉ!」
 虎路ノ山が大きく迫り出した腹を勢い良く叩く。
(琉璃に負けた相手? ならば、絶対に勝利しなければ!)
 琉璃の名前は深津魅を高ぶらせる。深津魅はジャブのフェイントを出しながら間合いを測り、フェイントと見せて一気に前に出る。
「シィッ!」
 アッパー気味の左ボディブローが、虎路ノ山の腹部に突き刺さる。
「ぬっ、それくらいは・・・」
 一瞬眉を顰めた虎路ノ山だったが、深津魅の腰に手を伸ばす。
「シィィッ!」
 その顔面を、深津魅のロシアンフックが正確に捉える。
「ぬぐっ!」
 虎路ノ山の巨体が揺らぐ。しかしリングを踏みしめ、自分をふらつかせた深津魅の拳を捕らえる。
「その手を離しなさい! 無礼者!」
「いいや、離せんのぉ。かなり効いたぞ、今の一撃は!」
 深津魅の右手首を掴んだ虎路ノ山はそのまま引き込み、深津魅を抱き締める。虎路ノ山は深津魅をベアハッグ、否、鯖折りに捕らえていた。
「あぐぅぅぅ!」
(苦しい! 内臓が、潰される!)
 虎路ノ山の太い腕が深津魅の胴に巻きつき、容赦なく締め上げていく。虎路ノ山は深津魅の胴を締めながら上半身を前方に倒し、胸板で深津魅のバストの感触を味わう。
「うむうむ、深津魅お嬢さんも、結構なおっぱいをしとるのぉ!」
「・・・『も』?」
 何気なく洩らした虎路ノ山の言葉を、深津魅が聞きとがめる。
「おう、琉璃お嬢さんも極上のおっぱいだったが、深津魅お嬢さんも中々だぞ!」
「琉璃が極上で、私が中々・・・?」
 苦しい筈の深津魅の声は、低く、強い。
「気にすることはないぞ! 琉璃お嬢さんが特別なだけでばっ!?」
 それに気づかず喋り続けていた虎路ノ山の右首筋に、斜め方向から深津魅の手刀が叩き込まれた。苦しみと痛みに虎路ノ山の鯖折りが解け、深津魅がリングに降り立つ。
「誰が! 誰が私より上ですって!?」
 深津魅のローキックは、虎路ノ山の膝の前面に叩き込まれた。
「あぐぁがぁ!」
 巨体を支える膝は、虎路ノ山の弱点とも言って良い。そこに力の逃げようがない前面からローキックを叩き込まれては堪らなかった。崩れるように四つん這いになった虎路ノ山の顔面に、再びローキックが叩き込まれる。その衝撃に膝立ちとなった虎路ノ山に、深津魅のキックの嵐が襲い掛かる。脂肪の薄い鳩尾、脇、咽喉、顔面などへ凄まじいスピードで蹴りが叩き込まれる。だらりと両腕を垂らした虎路ノ山は、後方へと倒れていった。

<カンカンカン!>

「何においても私が上に決まっているでしょう! それがわからないのなら、死になさい! 死んで私に詫びなさい!」
 レフェリーが試合を止めても、深津魅は虎路ノ山への攻撃を止めようとはしなかった。
 深津魅は臨機応変が利かず、自らの想定の範囲内でしか動けない。それが琉璃との差だった。しかし、本人は否定するだろうが、深津魅と琉璃にはある共通点があった。
「爆発力」。
 攻撃の機を捉えれば、一気呵成に畳み掛け、敵を叩き潰す。爆発時の攻撃力だけを見れば、深津魅は琉璃以上かも知れない。
「ふん!」
 最後に虎路ノ山の頭部に蹴りを入れ、深津魅は怒りに満ちた足取りで花道を後にした。あのタフな虎路ノ山をKOしてみせた実力に、観客たちも賞賛の視線を送っていた。
 さすがは八岳の一族だ、と。


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