【純粋少女の決意 其の二】

 栗原美緒は後悔していた。
 何故あのとき、きっぱりと断らなかったのか。何故あのとき、意味もない見栄を張ってしまったのか。あのとき本心を偽らなければ、こんなことにはならなかったというのに。

          ***

 それは、来狐遥からの電話からだった。
『美緒さん・・・』
 遥には珍しく、美緒の名を読んだだけで口ごもる。
「どうしたの遥ちゃん」
 問いかけても中々答えが返ってこない。
『・・・その・・・あの、やっぱり、直接相談したいんで、今度時間を作って貰えませんか?』
 しかもようやく言葉を発したかと思えば、電話では言えないような相談のようだ。
「ええ、いいわよ。それじゃ、今度の土曜でどう?」
『はい、大丈夫です。宜しくお願いします・・・』
 時間も決め、電話を切る。一体どんな相談だというのか。微かな不安が胸に生じた。

          ***

「あ、美緒さん」
 遥の姿が、まだ15分前だというのにもう約束場所にあった。
「どうする? とりあえずお茶でも飲む?」
「・・・はい」
 こくりと頷く姿が、やはりいつもの遥ではない。美緒の不安もどんどんと大きさを増していった。

「ねぇ、相談ってなにかな?」
 わざと明るく聞いてみる。それなのに、遥の目線が一気に下へと向いた。
「遥ちゃん?」
 その呼びかけに、遥が僅かに口を開く。
「美緒さん、その・・・」
「うん」
 相槌だけ打ち、急かすようなことはしない。
 二組の客が入れ替わったとき、ようやく覚悟が決まったのか、遥が顔を上げた。
「ダークフォックスのときの下着」
「え?」
 単語だけを言われ、思わず聞き返す。
「ダークフォックスのときの下着、ですけど・・・やっぱり、大人っぽいほうがいいのかな、って」
 一度口にした所為か、遥ももう詰まらずに言葉を続ける。
「でも私、大人っぽいやつとかわかんないし、こんなこと相談できるのも美緒さんしか思いつかなくって。これから、一緒に下着を選んで貰えませんか!?」
「え、えっと・・・」
 遥の相談の内容に、美緒は内心面くらっていた。美緒だって、そんな大人っぽい下着など持っていない。アマレスに青春を捧げた美緒は、その方面には疎い。同い年の従姉妹ならばその方面に詳し過ぎるくらいだが、遥に遭わせるには危険過ぎるキャラクターだ。
「美緒さん、お願いします!」
 しかし、可愛い年下の友人である遥がこうして頭を下げてくる。相談にのってやりたいという気持ちと、頼られる優越感が心をくすぐる。
「・・・うん、わかった。一緒にショップ、行ってみようか」
「はい!」
 間髪入れず返事がきた。ほんの少し、早まったかもしれない、と思った。

 繁華街の一角。外見からしてお洒落な下着ショップの前に二人は居た。なんとなく気圧され、足が動かない。
「・・・美緒さん」
「え、ええ、行きましょうか」
 遥に心細そうに呼び掛けられ、美緒は覚悟を決めて店内へと続くドアを押した。

(なんだ、意外と普通じゃない)
 店内にあるのはデザインが可愛い下着群だった。白やピンク、パステルカラーの明るい色に安心する。こんなことなら、さっさと入ってしまえば良かった。
「さて、大人っぽいやつだよね?」
「はい、この辺のはちょっと違いますよね」
 遥に確認しながら店の奥に進む。遥の表情も少しほぐれたようだ。突き当りを左に折れ、更に進む。
「・・・っ!」
 その途端、絶句した。先程までの物とはまるで違い、「男に見られる」ことを一番の用途に置いた下着の群れが二人を待っていた。色も黒や紫、赤といったアダルティな物が中心だ。
「す、凄いですね」
「え、ええ。凄い・・・わね」
 いつもよりも細い遥の声に、鸚鵡返しで答える。性的なアピールというものに疎い二人には、刺激が強過ぎる光景だった。暫く呆然とした時間が過ぎたが、いつまでもそうしているわけにもいかない。
「・・・えっと・・・ちょ、ちょっとわかれて見てみましょうか。で、目星だけでもつけて合流・・・で、どう?」
「そ、そうです、ね。それでいきましょう」
 回れ右した遥が、ぎこちない足取りで歩いていく。ため息を吐いた美緒は改めて下着に目をやる。
(ホントに凄いし・・・)
 自分が普段身に着けている下着とはまるで違う。何気なく触れた頬が熱い。
(こ、こんなパンツも売ってるの!?)
 紫色のそれは股間部がえげつないほどに浅く、アンダーヘアどころか大事なところまで見えてしまいそうだ。少し視線を動かせば、レースから絶対に秘部が透けるであろう下着まである。今まで接しようとしてこなかった世界の中で、美緒は窒息しそうだった。
「・・・あ」
 美緒が見つけたのは、サイド部分を紐で結ぶ、俗に言う紐パンというやつだ。
(こ、これくらいなら、まだ・・・)
 背伸びしてます感はあるが、美緒は自分を納得させようとする。そのときだった。
「あれ? 美緒?」
(・・・まさか、この声)
 いや、そんな偶然あるわけない。空耳だと思いたかったが、肩を叩かれた。
「あ、やっぱ美緒じゃない。美緒もやっと色気づいた?」
「美影!」
 美緒の名を呼んだのは、その方面に詳し過ぎる従姉妹・桃郷(ももさと)美影(みかげ)だった。このような場面では一番会いたくない人間だ。
「ふーん、紐パン」
「あ、いや、これは・・・!」
 慌てて紐パンティを元に戻す。
「なによ、誤魔化さなくてもいいじゃない」
 にやつく従姉妹の顔が腹立たしい。
「そっかー、とうとう美緒も色気づいたか。で、相手は誰? イケメン? 金持ち? それとも・・・」
「相変わらずレベルの低い想像しかできないのね。そんなんじゃないわよ」
「え、ってことは・・・百合の相手?」
「誰がっ! そんなこと・・・」
 言い返してやろうと思ったそのとき、近づいてくる遥の姿が目に入る。
「美緒さん、やっぱり私・・・あれ?」
 美影に気づいた遥が小首を傾げる。何故か美影が勝ち誇った笑みを浮かべているのが腹立たしい。否定しようと口を開きかけたとき、遥が美影に頭を下げる。
「初めまして、美緒さんの知り合いの来狐遥といいます。宜しくお願いします」
「へえ、貴女が遥ちゃん。美緒から良く聞いてるわよ」
「そうなんですか!」
「うん、色々と、ね」
 意味有り気な流し目を美緒に送ってくる。美緒はぷいと視線を逸らす。
「私は桃郷美影。美緒の従姉妹よ。宜しくね、遥ちゃん」
「はい!」
 美緒の気も知らず、遥は美影と握手を交わす。
「で? 今日は何をお探し?」
「えっ・・・と・・・」
 言いよどむ遥に、小声で告げる。
「こいつもね、<地下闘艶場>出場者。だから、伝えて大丈夫よ」
「そうなんですね、なら・・・」
 遥は自分が覆面を被って<地下闘艶場>に参戦していること、ヒールでも参戦していること、ヒールのときに着る下着を探していることなどを抑えた声で説明する。
「なるほど、美緒だけじゃなく遥ちゃんも出場者か・・・」
 うんうんと頷きながら、美影が遥の肩に手を置く。
「そういうことなら、美影お姉さんが相談にのってあげる。アマレス娘には荷が重いでしょ」
「んなっ!」
 事実とは言え腹が立つ。しかし、当の本人である遥がはっきりと首を振った。
「私、美緒さんにお願いして、美緒さんも付き合ってくれました。だから、最後まで美緒さんと選びます。ごめんなさい!」
 呆気にとられたのか、美影が口をぽかんと開ける。しかしすぐにくすくす笑いを始め、美緒に耳打ちする。
「いい子じゃない、遥ちゃん。私気に入っちゃった。大事にしなさいよ」
「・・・なんか誤解している言い方ね」
「可愛い後輩なんでしょ? 信頼にきちんと応えてあげなさいよ。お邪魔虫は消えてあげるから」
「だから、誤解されるような言い方を・・・っ!」
 美緒の言葉も途中なのに、美影は美緒の肩を叩き、すっと離れていった。おそらく自分用の下着を物色するのだろう。
「美緒さん、良かったんですか? 美影さん行っちゃいましたけど」
「ああ、いいのいいの。人をからかいたかっただけなんだから」
 会えば口喧嘩の応酬はするが、仲が悪いわけではない。幼い頃からの習慣みたいなものだ。従姉妹と言うより姉妹の関係に近いのかもしれない。
(また後で何か言ってくるでしょ)
 おそらく遥のことを根掘り葉掘り聞いてくるだろう。気に入ったと言った言葉に嘘は感じられなかった。
(百合だなんだとからかってくるのがもうわかるけどね)
 そのときはとっておきの反撃をかましてやるだけだ。
「美緒さん、その、下着は・・・」
「あ、うん、それなんだけどね・・・」
 結局、紐パンくらいしか思いつかない。やはり美影にアドバイスを貰えば良かったかと後悔する。
(ううん、あいつに任せるとエロ過ぎるやつ選ぶから却下!)
 美影のコレクションを知っている身からすると、彼女のアドバイスは危険過ぎる。
(覚悟を決めて、遥ちゃんに似合いそうな大人っぽいやつを選びましょうか)
 落ちかかるため息をぐっと堪え、美緒は再び視線を巡らせた。今まで縁遠かった、アダルト下着の群れへと。


【外伝 来狐遥】へ   番外編 目次へ

TOPへ
inserted by FC2 system