【外伝 ルシーラ・フォン・ディルクラント】


「ルシーラ・フォン・ディルクラント」。この名を知る者は、あまり多くはないかもしれない。しかし、「亡命してきた某国のお姫様」ならば多くの者が知っているだろう。

 現在は報道管制が敷かれているが、日本到着直後の画像や動画で、その浮世離れした美貌は広く知られている。

 そして、故郷を追われた悲劇の姫としても。


 ルシーラは、故郷を失った。

 公王制を敷いていた中東の小国。そこで公女として生を受けたルシーラは、優しい公王夫妻の下で健やかに育った。利発さと愛らしさに溢れたルシーラは、周囲の人間から好かれた。ルシーラも周囲の人々に他意なく接し、誰も差別することがなかった。

 勉学、運動、傘を使った護身術などを習う充実した日々の中、ルシーラは美しく成長していった。

 そんな幸せな日々も、長くは続かなかった。自由主義を標榜する一派が革命を起こし、武器を手に王宮へと雪崩れ込んだのだ。公王である父は国民の血が流れることを憂い、家族と僅かな護衛と共に脱出した。危うい場面も多々あり、ルシーラ自らが傘を使って追っ手を叩き伏せることもあった。

 辛くも革命派から逃れたルシーラたちは、付き合いのあった日本の商社の伝手を頼り、日本へと亡命した。

 公王一家が亡命した後、革命派の内部では血で血を洗う主導権争いが起こった。更に公王支持派も各地で立ち上がり、公国は泥沼の内戦へと沈み込んでいった。


 現在、公王であった夫婦は欧米各国を巡り、内戦停止のために協力を仰いでいる。革命が起こったときに逃亡ではなく、抵抗をしていたら内戦もなかったのではないか。後悔に背を押されるように、精力的に各国の有力者と会合を重ねている。

 その外交行脚に、ルシーラは同行しなかった。否、させてもらえなかった。両親が日本での学びを優先させたからだ。その裏に、ルシーラの青春をこれ以上奪わせたくはないという思いがあることを知っているルシーラは、我儘も言えなかった。

 姉妹のようだった専属のメイドは革命当夜に命を落とし、日本政府からの世話人も断ったルシーラは、日本での一人暮らしにもようやく慣れてきたところだ。

 そんなルシーラを気遣ってくれたのか、(秘密裏にとは言え)日本のやんごとなき方々に招かれ、温かいお言葉や食事まで頂いたことは一生の思い出だ。

 周囲の人々の支えもあり、祖国のような生活を異国で送ることができている。例え、それが同情や政治だとしても。


 週に一度、ルシーラは外務省の担当者との面談が課されている。担当者はルシーラに要望を尋ね、なければそのまま帰っていく。電話やオンラインで良いのではと思うのだが、「直接」というのが大事なのだそうだ。

 日本独特の四角四面な官僚主義な対応に首を傾げることもあるルシーラだったが、ルシーラのために動いてくれる人間には感謝しかない。

 今日の面談で、いつものように要望を尋ねられたルシーラは、一つの提案をした。


「皆さん、ルシーラ・フォン・ディルクラントと申します。本日は宜しくお願い致します」

 日本式の礼をしたルシーラは、今日は動きやすいスエット姿だった。それでも光り輝く美貌やプロポーションは隠せていない。

「えっと、る、るしー・・・?」

「ながいよー」

「それじゃ、るーしーせんせー、だね!」

「わー! るーしーせんせー!」

「るーしーせんせー!」

 まだ小学校にも通う歳ではない幼児たちが、口々に言い合う。


 ルシーラの要望は、日本の幼子(おさなご)との触れ合いだった。

 故郷では、幼い頃から愛されて育った。日本の幼児たちにも、他人から愛されるという経験を少しでもしてもらえたら。

 そして、日本の未来そのものである幼子と時間を共有したい。

 その思いがルシーラを動かした。


 早速一人の幼児が、絵本を手に駆けてくる。

「るーしーせんせー、ごほんよんで、ごほん!」

「えっ、ゴホン?」

 自分の知らない日本語か、と小首を傾げるルシーラに、保育士のフォローが入る。

「ルシーラ先生、本を読んでと言ってますよ?」

「なるほど、『ご』本を読んで、と言っていたんですね。ごめんなさい、すぐにわからなくて」

 幼児に頭を下げながら、絵本を受け取る。

(あら、この本)

 絵本の表紙には、服を着た兎が居る。ルシーラも故郷で読んだことがあった絵本だ。

「るーしーせんせー、はやくー!」

「ええ、わかりました」

 幼児たちからせっつかれ、ルシーラは笑顔で読み聞かせを始める。かつて、自分自身に聞かせるために読んでいた絵本を。


「ふう・・・」

 読み聞かせの後は一緒に鬼ごっこをし、一緒に昼食をとり、お昼寝の時間となってようやく一息つく。小さな子供たちのエネルギーは尽きることがなく、鍛えていた筈のルシーラも疲労を覚えていた。しかしその疲労も、どこか爽やかさを伴っている。

 幼児たちの寝顔に、ルシーラは自然と笑みを浮かべていた。


 お昼寝が終わり、目覚めた幼児たちと一緒にボール遊びをし、おやつを食べたところで別れの時間が来た。

「るーしーせんせー、もうかえっちゃうの?」

「やだー、もっといてよー!」

 幼児はなかなかルシーラを放してくれず、保育士の説得によってようやく渋々ながらお別れとなった。

「るーしーせんせー、ばいばーい!」

「ばーいばーい!」

「ええ、さようなら」

 千切れんばかりに手を振ってくれる幼児たちに、ルシーラも手を振り返す。その胸に、激しい熱が生まれている。

(そうだわ、私は・・・)

 幼子たちとの交流が、ルシーラが進みたい方向を気づかせてくれた。


「これを、公女様・・・いえ、ルシーラさんが?」

 外務省を通じて連絡を取った出版社、その女性担当者に、ルシーラは自分の作品を見てもらっていた。

「はい。出版に足る出来かどうかは、少し自信がありませんが・・・」

「いえ! これは、すぐにでも出版すべきです!」

 少し俯き加減のルシーラを、担当者が力強く鼓舞する。

「お世辞ならば、私は・・・」

「お世辞なんか言いませんよ!」

 思わずと言った様子で大きな声を出した担当者が、一度作品に目を落としてから、改めてルシーラを見つめる。

「いいですかルシーラさん、こちらもプロです。良い作品、悪い作品はわかります」

 真剣な担当者の表情が、少し緩む。

「それにルシーラさんのネームバリューがあれば、大ヒットは間違いな」

「私の名で売りたくはないのです」

 女性担当者の勢いを遮り、ルシーラは静かに告げた。

「作品として、本当に買いたい、手に取りたいと思ってもらった方にだけ、読んで頂きたいのです」

「で、でも、売り上げが全然違、って・・・」

 担当者の声が、ルシーラの視線を受け、徐々に小さくなっていく。

「ただ興味本位で買われた方は、興味本位で発信します。その内容が作品とずれたものであっても、情報に接した方は信じてしまう。それが嫌なのです」

 ルシーラは自分の想いを視線に込め、担当者を見つめる。その途端、担当者の顔を幾筋もの汗が伝う。

「・・・うぐぐぅうぅ・・・」

 動物のように呻いた担当者が、止めてしまっていた空気を口から一気に吐く。そして、震える拳を握り込み、ルシーラを睨みつける。

「上司の説得、手伝ってください!」

「ええ、勿論です」

 頬を引き攣らせたままの担当者に、ルシーラは柔らかな微笑を向けた。


 柔らかな日差しのある日、ルシーラの下に一冊の本が届いた。発売日の五日前に届いたのは、ルシーラの作品。

「ああ・・・」

 吐息を洩らしたルシーラは、そっと大きめのハードカバーの表紙を捲る。すぐさま、大きな絵とひらがなが目に飛び込んでくる。


 それは、ルシーラが失った故郷に伝わる物語。

 荒ぶる力を持ち、暴れることしかできない精霊が、病気の女の子と出会い、健気な笑みを浮かべる女の子のために薬の材料を探す旅に出る。

 苦労して集めた材料で薬は完成したが、女の子の病気は進行し、薬の効きも弱かった。

 精霊は、女の子を助けることもできない荒ぶる力を嘆き、神に助けを求める。

 神は荒ぶる力と引き換えに、精霊に癒しの力を与える。

 精霊は女の子を癒すと、女の子が寝ている間に姿を消す。荒ぶる力を失ったその精霊は、もうこの世に留まっていられないから。

 次の日から、女の子は床を離れることができた。両親も近所の人間も女の子の回復ぶりに驚いたが、とても喜んだ。

 周囲の喜びを余所に、女の子は姿の見えなくなった精霊を探した。しかし、どこを探しても精霊はおらず、女の子は寂しさから泣いた。

 数年後、少女へと成長した彼女の前に、見知らぬ少年が現れる。その少年は、精霊と同じ目をしていた。

 名を訪ねた少女に、少年は快活な笑顔で自らの名を告げた。


 最後までゆっくりと読み終えたルシーラは、また表紙へと戻った。

 絵本の表紙には、女の子と精霊が向かい合った姿が。

 そして、「え・ぶん る〜しぃ」と、ルシーラのペンネームも一緒に載せられている。

 大事な大事な一冊を、ルシーラは抱きしめた。

(一冊でも多く、お子様のところへと届きますように)

 そう静かに願いながら。



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