【外伝 栗栖美葉音】

「養父さん。教えてください」
 栗栖美葉音の言葉に、養父であるヨハネ栗栖神父は目をぱちくりとさせた。

 美葉音は修道女だった。
 教会の前に捨てられていたところを日米のハーフである栗栖神父に拾われ、養女として教会で育った。
 それは美葉音にとって揺るぎない事実だった。昨日までは。

 美葉音の住む教会は孤児院も兼ねており、教会の財政はいつも火の車だった。教会の運営を少しでも助けたいと思った美葉音は、<地下闘艶場>という裏のリングの誘いに乗った。ファイトマネーに加え、本当の両親を教えてくれるという条件に心動いたからだ。
 しかし、待っていたのは辱めと敗北だった。<地下闘艶場>は美しさと強さを持つ女性を嬲る催しだったのだ。
『神父さんに一度、ご両親のことをお尋ねしてみてはどうですか?』
 敗北した美葉音にそう言ったのは、レフェリーを務めた三ツ原凱だった。その真意を確かめる間もなく凱は去り、美葉音には疑念だけが残された。

「養父さん、私の本当の両親のことを知っていますか?」
 強張った栗栖神父の表情が答えだった。
「・・・知って、いるんですね」
 栗栖神父は目を閉じた。口は元より閉じたままだ。
「教えてください。両親のこと、教えてください」
 美葉音の言葉にも、栗栖神父は沈黙を続けた。全て白くなった髪が、微かに震えている。
「お願いします、私、本当のことを知りたいんです」
 必死に訴える美葉音に、栗栖神父が重い口を開いた。
「明日の夜11時、告解室に入って懺悔を聞きなさい。真実を知る人がそこを訪れる」
 それだけを言い、栗栖神父は急に老け込んだ顔を伏せ、自室へと戻っていった。暫くその後ろ姿を見送っていた美葉音も神に祈りを捧げ、自室に戻り就寝した。
 ベッドに入っても中々寝付けず、気づけば朝になっていた。

 その日に限って、時間は中々過ぎなかった。家事を全て終え、教会で暮らす孤児たちを就寝させ、約束の時刻にはまだ早いが居住スペース側から狭い告解室に入る。
 漸く真実がわかる。そう思うと不安と希望で胸が千々に乱れる。胸に掛けた十字架を握り締め、胸の中で神に祈りを捧げる。

 微かな物音に、美葉音は思わず声を出すところだった。カーテンが引かれた小窓の向こうに、人の気配があった。
「懺悔します」
 美葉音の鼓動が跳ね上がる。この声は・・・
「私は、結ばれてはいけない女(ひと)と結ばれてしまいました」

 その告白は長時間に渡った。
 その人と美葉音の祖母は恋仲だった。しかし、アメリカ人とのハーフであるその人を嫌った祖母方の家族が二人の間を引き裂き、その人と祖母は泣く泣く別れることとなった。そのとき、祖母のお腹にはその人との子が宿っていた。
 生まれた子は女の子だった。美葉音の母である赤毛の子は美しく育ったものの、くだらない男に玩ばれ、その下劣な男の子供を宿したまま捨てられた。体面を保ちたい母の家族は、母の懇願など歯牙にもかけず、生まれたばかりの赤子を祖父の教会に預けることにした。恥を知らない厚かましい要請だったが、祖父は文句一つ言わず、その子を美葉音と名付け、自らの養子として育てることを決意した・・・

「私は、孫に嘘を吐き続けていたのです。神よ、懺悔致します」
 暫く静かな時間が過ぎた。何か声を掛けなければならないのに、言葉が見つからない。美葉音は修道服の胸元を掴み、必死に涙を堪えていた。
 神への祈りの言葉の後、人の気配が離れていく。
 我に帰った美葉音は告解室を飛び出し、走る。大きく回り込み、教会の礼拝堂に飛び込む。
 そこには、世界で一番尊敬する人物がいた。
「養父さん!」
 そう呼びかけ、一度息を吸う。胸に溜めた息を言葉と共に吐き出す。
「ううん、おじいちゃん」
 養父、否、実の祖父を呼ぶ。かつては美葉音と同じく赤い色だった白髪は、美葉音との血族の証だったのだ。
「美葉音・・・ずっと騙していて済まない。私は・・・」
 栗栖神父は苦悩の表情で美葉音に頭を下げた。美葉音は栗栖神父の手を包み込み、そっと首を振った。
「こんな近くに血の繋がった祖父がいた。私を優しく厳しく見守ってくれていた。それが嬉しいんです」
 天涯孤独だと諦めていた自分に祖父がいた。自分はただ捨てられたわけではなかった。
「・・・お母さんは、今、どうしていますか?」
 急に身近な存在になった母のことを知りたい。その欲求が、美葉音の口から零れた。
「今は新しい家庭を持ち、幸せに暮らしていると聞いているよ」
 美葉音の母、栗栖神父にとっては実の娘に、神父は母方の家族の妨害によってもう何年も会わせて貰えていなかった。それでも、娘は密かに電話で近況を知らせてくれた。
「母親に、会いたいかね?」
 栗栖神父の問いに、美葉音は暫く考えてからゆっくりと首を振った。
「会いたくないと言えば嘘になります。でも」
 答えは決まっていた。
「私の家族は、ここにいますから」
 美葉音は天使のような笑みを浮かべ、祖父の胸に飛び込んだ。
(おじいちゃんと孤児の皆が、私の家族ですから)
 そう胸に呟き、美葉音は喜びの涙を流した。


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