【外伝 八岳琉璃 其の二】 〜琉璃の特訓〜
「あぐぅっ!」
背中から落とされ、苦鳴を洩らす。もう何度目になるかわからない。リングの上で大の字になり、荒い息を吐く。そのたびに、白いスクール水着に包まれた豊かな胸が大きく震える。
「この程度、ですの?」
頭上から投げられたのは、落胆の声だ。その声を放たせたのは、自分だ。
「・・・まだ、やれます・・・!」
ぐっ、と奥歯を噛み締め、震える足で無理やり立ち上がる。相手と視線が合う。
長く伸ばされた、色素の薄く艶やかな髪
名工の手になる陶磁器を思わせる、白く滑らかな肌。
完璧な配置を誇る、女神が嫉妬しそうなほどの美貌。
ポロシャツとホットパンツの上からでもわかる見事な膨らみとくびれを併せ持つ、メリハリのあるプロポーション。
目の前に立つ絶世の美少女の名は「八岳(やたけ)琉璃(るり)」。八岳グループ創業者の孫という、生まれついてのお嬢様だ。
疲労を無視し、構えを取って琉璃に相対するのは「中野(なかの)はづき」だ。明るさと可愛さ、それに加えてレスリング技術と女子高生離れしたパワーを持ち合せるこちらも美少女だ。
しかし、はづきは琉璃の実力に何度も捻じ伏せられ、自慢のパワーも技術で封じられてしまっている。
(こんなに美人で、こんなに強い、なんて・・・)
はづきも今までかなりの美人を見てきた。見てきただけでなく、闘ってきた。琉璃はその中でもトップクラスの存在だ。
何故はづきが、琉璃専用のトレーニングルームに設置されたリングで琉璃と闘っているのか。それにはある理由があった。
<地下闘艶場>。
裏の世界での催し物の一つで、強さと美しさを兼ね備えた女性をリングで辱めること、そんな厭らしさを目的としている。
参加する(させられる)選手層も厚くなり、多くの選手を集めてシングルトーナメントが開催された。琉璃も参戦し、現在ベスト4まで勝ち残っている。
次戦の相手は、ダークフォックス。琉璃と同年代の女子高校生であり、プロレスの技で闘う覆面選手だ。32名もの選手が参戦したトーナメントでベスト4まで残った相手だ、弱いわけがない。
琉璃が求めるのは勝利のみ。しかも一族の財力を使った搦め手などは考えもしない。自分の実力で勝利の果実を掴むのが琉璃のプライドと自信だ。それ故、ダークフォックスに似たタイプの選手とのスパーリングを設定したのだ。
はづきはそのような事情を知らない。ただ、近々行われる試合の仮想相手として選ばれた、とだけ聞いている。
(そうだよ・・・スパーリングパートナーに選んでもらったんだもん、簡単に潰れちゃ意味がない!)
はづきは頬を叩き、痛みと疲労を意識から追い出す。
「琉璃さん、まだできますから!」
「ええ、期待していますわ」
はづきの目の色が変わったのがわかったのだろう。琉璃が微笑む。
(何か考えないと、また投げられちゃう)
琉璃の体格を見て、パワーで押し切ればなんとかなると考えたのが間違いだった。琉璃が細身と見えたのは、無駄な筋肉が絞り込まれるほどに鍛え上げられているためだ。
琉璃の周囲を回りながら呼吸を整え、隙を窺う。先程までのように真っ直ぐ突っ込んだりはしない。
琉璃はオーソドックススタイルに構え、軽くステップを踏む。そのたびに豊かな胸が弾むのが目に毒だ。
「痛っ!」
一点の動きを追っていた視界の外から、認識できないジャブが二、否、三発。追撃の右ストレートは危うく躱し、一旦距離を取る。
「あれを躱しますか。そうでなくては、お呼びした甲斐がありませんわ」
琉璃の息は僅かも乱れていない。
(やっぱり、まともに行っちゃ駄目だ)
技術も、体力もレベルが違う。はづきが狙うのはただ一つ、琉璃の戦闘力を奪えるほどの強烈な一撃のみ。
(そのために!)
一度静かに息を吸い、タックルを敢行する。しかし琉璃も即座にタックルを潰すべく体勢を変える。
(だよね!)
その反応もはづきの想定内だ。
(今!)
タックルに行くと見せかけた両手を、琉璃の眼前で叩き合わせる。奇襲技である<猫だまし>だ。
凄まじい反射神経を備える琉璃は、その鋭さ故過剰に反応してしまう。予想外の刺激に思考が止まってしまう。
(ここしかない!)
猫だましでできた一瞬の空隙。琉璃の背後を取り、琉璃の細い腰へと両腕を回す。
(やっと、捕まえた!)
琉璃の胴をクラッチしたまま後方へと投げを打つ。<ジャーマンスープレックス>に行こうとしたはづきの右膝が、いきなり曲がった。
「えっ・・・あぐっ!」
踏ん張りが効かず、琉璃の体重が頭部に浴びせられる。琉璃が長い脚を伸ばし、はづきの膝裏を蹴ったのだ。痛みに両手のフックを外してしまった瞬間、琉璃の身体が反転する。
「えっ、あうっ、がっ、ぐぅっ・・・!」
逆に背後を取られ、左腕を極められ、右腕が自分の喉を押さえるように伸ばされ、胴を絞めつけられる。
はづきは琉璃の<自業自縛>に捕らえられていた。琉璃の左腕に左腕を極められ、琉璃の左手に右腕を持たれ、更に両脚で胴を挟まれている。自由な筈の両足も、腕の痛みと喉を絞められる苦しさに思うように動かせない。
「・・・ぎ、ぎぶ、です・・・」
屈辱の言葉をようやく吐き出し、<自業自縛>が解かれる。
「ここまでにしておきましょうか」
はづきの状態を見て、琉璃が汗を拭う。
「・・・はい」
はづきはようやくそれだけを言い、何度か咳き込んでから立ち上がる。
「最後はひやりとさせられましたわ」
琉璃がオープンフィンガーグローブを外した右手を差し出してくる。
「・・・ありがとうございました」
「お礼を言うのはこちらですわ」
琉璃の右手を握り、はづきは頭を下げる。
敵わなかった。実力差は歴然だった。しかし、肉薄する場面を作れた。収穫を得ることができた、それが少しだけ嬉しい。
「こんなことしか言えませんけど、今度の試合、頑張ってください!」
「ありがとうございます。必ず決勝に進みますわ」
琉璃の微笑みに、何故か頬が赤くなる。
「・・・お、応援してます」
辛うじて声を搾り出し、意味もなく頭を下げる。
「ふふっ、大袈裟ですわね」
琉璃に優しく肩を叩かれ、はづきの背がぴくりと跳ねた。
このとき、はづきはまだ知らない。自らにも<地下闘艶場>から誘いの手が伸びることを。そして、待ち受ける淫虐の罠を。