【外伝 於鶴涼子 其の一】

(やっぱり、断るべきだったかしら)
 衣装を手にした更衣室の中、於鶴涼子は早くも後悔していた。

 話は数時間前、同僚の映子の懇願から始まった。
 実は映子は会社に内緒で夜のバイトを行っており、今日も21時から出勤予定だった。しかし地元の祖父が急死し、今から実家に戻らなくてはならない。バイトに穴を空ければクビになるし、下手をすれば会社に連絡が来て「奏星社」もクビになるかも知れない。
「お願い涼子、今回だけ、2時間だけ替わって! 勿論バイト代も全額渡すし、今度美味しいものご馳走するから!」
 映子の必死な形相としつこいお願いに、とうとう涼子が折れた。映子は感謝の言葉を並べ立てると出勤先の地図を渡す。
「でも涼子、頼んどいてなんだけど、トラブルだけは絶対に起こさないでね。一日乗り切った結果がクビでした!じゃ、涼子に頼んだ意味がないから」
 最後に釘を刺し、映子は早々に退社していった。

「ああ、君が涼子ちゃん? いやー、映子ちゃんと、いや、映子ちゃん以上の美人だね! 話は聞いてる? 詳しい話はまだ? じゃあ取り合えず着替えちゃって、衣装は映子ちゃんのでいいから。そうだ、源氏名決めなきゃね、それじゃあ、『夏子』ちゃんでいこうか、『夏子』ちゃん、今日だけ宜しくね!」
 店長だという軽薄そうな男はマシンガンのような早口でまくし立てると紙袋に入った衣装を渡し、涼子を更衣室に追いやった。

 更衣室にいた女性たちは、皆厚化粧と香水を塗した如何にも水商売、といった面々だった。涼子が挨拶すると、適当な返事が返ってくる。近くにいた女性に映子のロッカーを聞くと、その女性のすぐ隣であった。
「こ、これは・・・」
 ロッカーの中に私服を入れ、衣装を広げてみた涼子は絶句した。紫色にラメが入ったスーツと胸元までしかないインナー、それにミニスカートだった。ため息をついた後着替えてみるが、どうもサイズが合わない。インナーはキツキツでバストが零れそうで、ミニスカートはすぐにずりあがりそうになる。スレンダーな映子と出ているところは出ている涼子では、バストとヒップに掛かる負担が違う。胸元とミニスカートの裾を押さえ、涼子は更衣室を後にした。

「店長、この衣装なんですが・・・」
「サイズが合わない? もう時間がないからそれで我慢して! そうそう、お客様には絶対に逆らわないようにね! ちょっとくらい触られても笑顔! いい?」
 店長は高級ライターを涼子の胸の谷間に押し込み、接客の仕方と幾つかの注意を伝え、早速店内へ連れて行った。

 店内は照明が絞られており薄暗い。30坪程のスペースには紫煙と香水とアルコールの香りが充満しており、気分が悪くなりそうだった。
 涼子が連れて来られたテーブルには三十歳前後に見える優男が一人で座っており、涼子を見て目の色を変える。
「お待たせしました、新人ですが宜しくお願いしますね!」
 店長は涼子を男の隣に座らせ、男に何度も頭を下げる。
「この方お得意さんだから、絶対に粗相しないでね!」
 耳元で囁いた後、忙しく次のテーブルへと早足で去る。
「へぇぇ・・・凄い美人だねぇ。名前は?」
「りょ・・・いえ、『夏子』です」
「夏子ちゃんか、今日は頼むよ」
 高級スーツと高価なアクセサリーで飾り立てた男は、涼子の剥き出しの太ももを軽く叩く。眉を顰める涼子の態度など気にも留めない。
「おい、注文取ってくれ」
 男はウェイターを呼び止め、高い酒を躊躇せずボトルで頼む。ウェイターが去ると煙草を銜え、涼子を見やる。
「おいおい夏子ちゃん、煙草銜えたらどうするんだ?」
「申し訳ありません、気づくのが遅れました」
 涼子は胸元からライターを抜き取り、煙草に火を点ける。
「新人じゃあしょうがないけど、次からは気をつけてよ?」
 肩を抱いて密着してくる男に、虫唾が走る。しかし映子のためにも店のためにも耐えなければならない。今から気が重かった。

 ウェイターがボトルとグラス、氷とチェイサーを置いて一礼し、テーブルから離れる。涼子は先程店長から習った通りにグラスに氷を入れ、酒を注ぎ、チェイサーで掻き混ぜる。
「俺だけじゃなくてさ、夏子ちゃんも飲んでよ」
「・・・はい」
 もう一つロックを作り、男が持ち上げたグラスに軽く当てる。
「二人の出会いを祝って、乾杯」
 男はグラスに口をつけるとわざとらしくグラスを傾け、少量の中身をズボンのファスナー部分へと零してしまう。
「あーあ、大事なところが濡れちまったよ。拭いてくれるよね?」
 自分で酒を零しておいて、男がにやつく。涼子に拒めるはずもなく、おしぼりで男の股間を拭く。
「お、おぉ、夏子ちゃん、上手いね」
 呻いた男が、中身の残ったグラスを派手にテーブルに置く。結果飛沫が涼子にかかり、衣装を濡らす。
「おっと、ごめんよ、濡れちゃったね」
 男は自分の前にあったおしぼりを持ち、涼子へと伸ばす。
「大丈夫です、自分で拭けますから」
「遠慮するなよ、今度は俺が拭いてやる番だから」
 男はおしぼりを右手に持ち、涼子の右のバストを撫で回す。左手は背中側を通り、左のバストを揉んでいる。
「も、もう結構ですから・・・!」
 手荒な反撃もできず、男の手を引き剥がすだけの涼子。しかし男は諦めず、幾度も手を伸ばしてくる。
「客の好意を拒むのかこの店は? ん?」
 男のセクハラにウェイターたちも気づいている筈なのに、誰も制止しようとはしない。それほど影響力がある男なのだろう。涼子の気がウェイターに向いたと見た男が、更に大胆になる。
「この服も濡れてるみたいだね。脱いじゃおうか」
 言うが早いか男の手がインナーの胸元に掛かり、引き摺り下ろす。
「へぇ、白か。お肌も白いから、どこまでがブラでどこからか素肌か分かりにくいね」
(この・・・)
 思わず手が出そうになった涼子だったが、目の端に入った店長の「抑えて抑えて」のジェスチャーに怒りを飲み込む。反撃が来ずに調子に乗った男はブラの上からバストを揉み回し、その感触を味わう。涼子は胸元を隠すことで抵抗するがDカップのバストを完全に隠すことはできず、男の手は涼子の腕の隙間からバストをつつく。
「隠してちゃどこが濡れてるか確認できないよ夏子ちゃん。ほら、手をどけて」
「くっ・・・」
 男の言葉に歯噛みしながらも両手を下ろし、顔を背ける。
「素直で結構。それじゃあ調べるからね」
 男は涼子のバストを下から持ち上げるようにして触った後、鷲掴みにしてきた。そのまま捏ね回してくる。
「うーん、ここは濡れてないのかな? じゃあここはどうかな〜」
 少しずつ揉む場所を変えながら、男は手を動かし続ける。
「も、もう濡れていないとわかったでしょう?」
「そうだね、それじゃこっちも濡れてないか、確かめてあげるよ」
 男がミニスカートをたくし上げ、覗き込む。素早く両膝を閉じた涼子だったが、男がミニスカートを勢いよく捲くったため、元々見えそうな状態だった下着が露わになってしまう。
「ふふっ、こっちもやっぱり白か。いいねぇ夏子ちゃん。もしかして処女かな?」
 男の左手が下着へと伸びてくるが、さすがにこれははねのける涼子。しかし、はねのけられた男の手はまたバストを触ってくる。涼子がバストを守ろうとすると下着を触ろうとし、下着を守ろうとするとバストを責める。男の動きは手馴れており、いつもこんなことをしていると思わせた。
「夏子ちゃん、人の親切心を無下にするのは良くないなぁ。俺、この店気に入ってるのになぁ・・・もう来ないかもね」
「お客様、お待ちください! ほら夏子ちゃん、お客様は親切で言ってくれてるんだから! ね? ね?」
 客の言葉をどこで聞いていたものか、店長が素早く執り成し、涼子に哀願のこもった視線を送ってくる。
「・・・申し訳、ありませんでした」
 自分のせいで映子や店長に迷惑を掛ける訳にも行かず、涼子は抵抗をやめる。途端に男の手が秘部とバストを責めてくる。
「気にしなくていいんだよ夏子ちゃん。俺ももう大人だからさ、こんなことくらいで目くじら立てたりしないよ」
 左手を背中から回して左のバストを揉み、右手を太ももの間から差し込んで下着の上から秘裂をなぞる。男から与えられる刺激に嫌悪しか感じず、涼子は歯を食いしばって耐える。
「でも夏子ちゃん、細身なのに出るとこ出てるよね。胸の感触なんかもう最高だよ。ちょっとだけ、生で・・・」
 男の手がブラに掛かった瞬間、涼子の忍耐が限界を突破した。涼子は男の手をやんわりと捕らえ、流し目を送る。
「それなら、こういうのはどうですか?」
 涼子は向き合うような姿勢で男に跨り、妖艶な笑みを浮かべる。
「やっとその気になってくれた? それじゃあ・・・」
「まずは、抱きしめてくれませんか?」
 涼子の囁きに、にやけた男が両手を伸ばす。その瞬間、涼子の右腕が男の両肘を極め、身動きできなくする。
「な、なにを・・・うぶっ」
 言葉を発しようとした男の頭を抱え、不快感を殺してバストに押し付ける。バストの柔らかさに最初はにやけていた男の顔が、息苦しさから徐々に赤く変わっていく。窒息する寸前に開放し、男が息を吸ったと見るや又バストに押し付ける。これを何度も繰り返し、男が朦朧状態となったところで襟首を絞め、落とす。
「この方酔いつぶれてしまったようなんです。後をお願いしますね」
 乱れた衣装を直した後で気絶した男をウェイターに押し付け、涼子は控え室へと姿を消した。店長が慌てて追ってくるのがわかったが、少しだけ困らせてやろうと考え、控え室のドアを手荒く閉めた。

 その後何人かの接客を終え、涼子は漸く店を出ることができた。
(やっぱり、向いていないわ)
 映子の頼みだったとは言え、ここまで疲労感が残ると明日の仕事にも影響が出そうだ。頭を振り、歩き出す。
「待てよ夏子ちゃんよぉ」
 振り返った視線の先には、先程の男がいた。両脇を屈強な男二人が固めている。どうやら涼子が店を出るのを待っていたらしい。もしくは左右の男達の到着を待っていたのだろうか。
「ここまで俺を虚仮にしてくれた女は初めてだよ。でも俺は優しいからな、一晩慰み者にしてそれで終わりだ。まあ、ちょっと痛い思いをしてもらうけどね」
 男の合図と共に、ボディガードと思しき二人がじわり、と間合いを詰めて来る。迎え撃つ形となった涼子の口元には、冷たい微笑が浮かんでいた。それに気づいた男二人は舐められたと思い、怒りの咆哮を上げて涼子に突進する。
 その巨体が、宙を舞った。
 アスファルトに頭から叩きつけられた二人はぴくりとも動かず、涼子は笑みを含んだまま男に歩み寄る。
「確かに優しいですね。こんな能無し二人に給金を与えているのですから」
「・・・嘘、だろ」
 今までの女なら悲鳴を上げて逃げ出すか、涙交じりの謝罪をしてきた。逃げた女は追いかけて捕まえ、ホテルへと連れ込んだ。謝罪した女も拘束してホテルに引きずって行った。果敢にも立ち向かって来た女はボディガード二人が捕らえ、失神させた上でホテルへと運んだ。そうして手に入れた女たちをホテルで嬲るのは堪らないものがあった。
 それなのに、目の前の女はあっさりとボディガード二人を返り討ちにし、自分に近づいてくる。
「た、ただの冗談だよ、夏子ちゃん。俺と君の仲じゃないか、そうだ、指輪はいる? ブランド物の鞄なんかどう? 車でもいいよ、お、お金でも・・・!」
 眼前に迫った涼子には、冷たい笑みが浮かんだままだった。
「当面のお金には困っておりませんし、着飾る趣味もありませんの。お生憎様」
 肩を激痛が走ったと気づいたのは、自分が絶叫を放ってからだった。
「あがぁっ! な、なにを! 痛い、痛いよぅ・・・」
 膝をつき、脱臼の痛みに涙を流す男。
「お、俺にこんなことをして、ただで済むとでも・・・!」
「済みますよ。私が貴方に犯されかかった、と言えば皆信じるでしょうね。正当防衛という訳です。次の機会に来られても結構ですが、何人掛かりだろうと私に通じないのはさっきのでわかりましたよね?」
 涼子の言葉に、男が呻く。
「それに私、少々頭に来ておりまして・・・お仕置きに、加減ができそうにありません」
 涼子の目には冗談を言っているような遊びはなかった。最早恥も外聞もなかった。男はひたすら涼子に許しを請う。財力も、脅しも、暴力も通じない相手に初めて出会った。謝罪し続ける男の反対側の肩が異音を発し、先程を上回る苦痛を叩きつけてくる。
「うわぁぁぁっ! 痛い痛い痛いぃっ!」
「貴方、少しうるさいですよ」
 涼子が顎間接を押さえた途端、男の口が大きく開く。そのまま閉じられることなく、涎と呻き声を垂れ流す。
「もし今のお店に顔を出したり、街中で私に会ったときは・・・これくらいでは済みませんよ?」
 涼子の手が喉元に伸び、意識が遠のく。凄艶な笑みが、失神前に男が目にした最後のものだった。

 両肩と顎間接の脱臼。怪我自体はそこまで酷くなかったものの、この後数週間、男は美しい悪夢にうなされ続けた。

「涼子、あんたバイト先でなにやったの? 店長からはお得意様が来なくなったって私が怒られるし、他の子からはよくやったって感謝されるし・・・ちょっと涼子、笑ってないで説明しなさいよ!」
 映子の追及を笑顔ではぐらかし、涼子は受付で業務を開始した。


番外編 目次へ  其の二へ

TOPへ
inserted by FC2 system