【外伝 於鶴涼子 其の四】

(映子、恨みますよ・・・!)
 更衣室の中、於鶴涼子はひたすら後悔していた。

***

 それは涼子が昼休みに入ろうとしたときだった。
「ごめん涼子、またバイト代わって!」
 同僚の映子が両手を合わせて拝んでくる。映子は夜のアルバイトをしており(会社の規則でアルバイトは禁止されている)、以前もこうやって涼子に身代わりを頼んできた。
「お断りします」
 そう言ってきっぱりと断る涼子だったが、映子はしつこかった。
「お願い、今夜の合コンは絶対に外せないの! イケメンアイドルの甲羅木駁くん似の子が来るって話だから、最初で最後のチャンスなの!」
 甲羅木だかコーラ煮だかと言われても、ニュース番組しか見ない涼子には何のことだかわからなかった。
「前回、私がどんな目に遭ったか教えてあげましょうか? それなのに・・・」
「あ、前の店は辞めたから大丈夫。ね、お願い、一生のお願い! もちろん今日のバイト代は全額払うし、今度美味しいものご馳走するから!」
 前回もそう言っておきながら、結局バイト代しか貰っていない。
「他を当たってください」
 にべもなく答えたが、映子は引き下がらなかった。
「ちょっと待って、他に頼める人がいないの! 私より美人なのって涼子しかいないし、他の子にバイトしてるのがばれたら、絶対チクられるもん!」
 今の仕事をクビになるわけにはいかないのだと、半泣きで訴えてくる。
(もしそうなったとしても、夜のバイトを本業にすればいいだけなのでは・・・)
 さすがにそこまでは言えず、「私の将来が決まるかもしれないのに、涼子ってそこまで冷たいの!?」などと逆に攻め立てられた涼子は、結局映子に押し切られた。

***

 終業後、涼子が教えられた店に行くと、既に営業を始めており、店内には多くの男性客の姿があった。
「あ、君が『美子』、じゃなくて映子ちゃんの代役? ほぉぉ・・・」
 店長だという中年男性はスタッフルームに案内した後、涼子の顔、胸元、下半身などをじろじろと眺め回し、一人頷く。
「映子ちゃんもいい子紹介してくれたなぁ。映子ちゃんよりも上玉・・・あ、いや、今のは映子ちゃんには内緒ね」
 店長は慌てた様子で手を振り、その手を顎に当てる。
「それじゃあ、源氏名は『鈴香』ちゃんにしよう。いいね、鈴香ちゃん?」
「はい・・・」
 正直源氏名はどうでもよかったが、このような場所で本名を呼ばれるのも業腹だ。
「それじゃこれ、今日の衣装。映子ちゃんのだけど、なんとかなるでしょ」
 早速着替えてくれと、涼子は更衣室に追い立てられた。

「こ、これは・・・」
 涼子の手にあるのは、どう見ても水着だった。ビキニタイプで、色は白。
(こんな衣装のことなど、映子は一言も言っていなかったのに・・・)
 仕方なく一度全裸になってから身に着けると、サイズの違いからブラが思い切りバストを寄せ、胸元に淫らな谷間を作る。ボトムの背面はヒップに食い込み、すぐにTバックに近づいてしまう。後は白のハイヒールを履いただけの格好に、さすがに羞恥を感じてしまう。
(なぜあのとき断らなかったのかしら・・・映子、恨みますよ・・・!)
 水着に着替えた後では、後悔するには遅すぎた。

「おぉっ・・・」
 更衣室から出た涼子を見た店長は、そのままの姿勢で固まった。
「・・・あ、ああ、準備できたね。それじゃ、早速仕事に入って貰おうか」
 暫く涼子の水着姿に見惚れていた店長だったが、我に返ると店内に並ぶテーブルの番号を教え、涼子がすぐに覚えたと見ると厨房の場所を指差す。
「あそこから、お酒やおつまみを運んで。どこに何を運ぶのかは厨房のスタッフに聞けばいいから」
 それだけ言って涼子のヒップを軽く叩き、素早くどこかに移動する。
(全く、人のお尻を気安く触るなんて・・・)
 店長は涼子が文句を言う間もなく姿を消し、涼子は諦めて厨房へと向かった。

 厨房への通路は、丁度ボックス席に挟まれた形になっている。通路側に背もたれが向いているとはいえ、客のぎらつく視線が涼子の肢体を嘗め回す。不快な視線を黙殺し、涼子はカーテンで仕切られた厨房へと入った。

「それじゃこれ、5番テーブルに持っていって」
 高級ウィスキーのボトルとグラス、それにたっぷりの氷入り容器が載ったお盆を渡され、重量感に驚きながらも両手で持つ。
「それ、絶対に落とさないでね。いいお酒だから、今日の給金じゃ足りなくなるから」
 付け加えられた一言に緊張してしまう。
 厨房を出た途端、欲望に目を光らせた客が涼子を視姦してくる。それでも通路はここしかなく、涼子は覚悟を決めて足を踏み出す。
「あっ!」
 いきなりヒップを触られる。身を捩ると、今度は太ももを撫でられる。
(人の身体をなんだと思って・・・!?)
 気が逸れた途端、お盆の上のボトルが滑る。危うくバランスを取り、ボトルが落ちることは回避する。涼子が大きく動けないことをいいことに、男性客達は形のいいヒップと引き締まった太ももを遠慮なく撫で回してくる。
「んんっ!」
 不快感を堪え、涼子は通路を進んでいった。一人の男の手が離れると、別の男の手が伸びる。通路を抜けたときには、触られたところが男達の汗でべとついていた。

 ようやく5番テーブルに到着し、ボトル、グラス、氷を置いて立ち上がる。当然の如くテーブルには水着の若い女性が座っており、客が太ももに触ってくるのをきゃあきゃあと言いながらさりげなく外す。
(どこの店も同じようなものですね)
 そこから視線を逸らし、お盆を抱えたまま店内の隅に移動する。ほっと一息ついていると、どこからか現れた店長に注意される。
「おいおい鈴香ちゃん、ちょっと働いたくらいで休んでちゃ困るよ。ほら、まだ運ぶものがあるんだから、早く厨房に行って」
 店長に再びお尻を叩かれ、むっとしながらも厨房へと戻る。再び通路を通ることになったが、涼子の鋭い視線に恐れをなしたのか、客の手は伸びてこなかった。

「今度はこれ、2番と4番に宜しく」
 ウィスキーのロックが五個載ったお盆と、赤ワインのボトル一本とグラスが三個載ったお盆が渡される。
「両方一度に、ですか?」
「当たり前でしょ? お客さんを待たすわけにはいかないんだから。わかってるとは思うけど、それもいいお酒だからね。落とすのはNG。いい?」
「・・・はい」
 仕方なく頷き、両手に一つずつお盆を乗せて慎重に歩を進める。
 厨房を出ると、ソファに座った男達が身を乗り出し、獣欲に光る眼で涼子を見つめてくる。その数は最初のときよりかなり増えていた。
(さっさと抜けたいですが、慌てて落としてもいけませんし・・・)
 覚悟を決め、通路へと踏み出す。途端に、男達の手が左右から伸びてきた。
(くっ)
 ヒップを撫でられるが、我慢して歩を進める。
「んっ!」
 するりと伸びた手が、涼子のバストを撫でる。脇を締めることで男の手の急所を圧迫し、バストの責めを諦めさせる。しかしすぐに別の手が涼子のバストを掴み、揉み立ててくる。
(両手が塞がっていなければ、こんなことを許しはしないのに!)
 悔しさに身悶える涼子だったが、次の責めにはさすがに驚いた。
「あっ!」
 なんと、水着越しとはいえ股間にまで男の手が伸びた。
(ここまで触ってくるなんて!)
 驚きに歩みが鈍ると、ここぞとばかりに男達の手が涼子の肢体に群がってくる。反射的に弾こうとした手を慌てて元に戻し、お盆のバランスを取ってただ耐える。
「くぅっ・・・!」
 刺激を堪え、摺り足で確実に前へと進む。その間にも寄せられたバストが、滑らかな背中が、ほぼ剥き出しになったヒップが、引き締まった太ももが、水着に隠された秘部が、男達の手に蹂躙される。不快感や怒りに気を取られると、お盆の上の高価な酒がふらふらと揺れる。
(こ、ここで落としては、何のためのバイトなのかわからない・・・んんっ!)
 両手が塞がり、大きく動けない状態では抵抗などできはしない。普段ならば纏めて病院送りにできる男達にバストを揉まれ、ヒップを擦られ、秘部を弄られる。涼子にとっては屈辱以外の何物でもなかった。
(あ、あと少し・・・!)
 それでも、確実にゴールは近づいた。
(もうちょっと・・・やった!)
 ようやくボックス席の地帯を越えたと気が抜けた瞬間、背中の結び目が解かれる。
「!」
 首紐があったためにブラが落ちることはなかったが、寄せられていたバストが解放され、思い切り揺れる。その瞬間を目撃できた客から、感嘆のため息が洩れる。
(そんな・・・でも、こんな状態じゃ直せませんし)
 両手が塞がった状態では紐を結び直すことなどできない。涼子は零れそうな乳首に冷やりとしながら、2番テーブルと4番テーブルに酒を運んだ。その間にも客達から乳首周辺を無遠慮に見られ、羞恥は高まるばかりだった。

「鈴香ちゃん、ウェイターはもういいから接客に入って。8番テーブルに宜しく!」
 ブラの紐を結び直していた涼子は店長に言われ、気が乗らないながら8番テーブルに向かう。そこには、二十歳前後と見える若い男がいた。前髪を下ろして目元を隠していたもののかなりの美形で(涼子の好みではなかったが)、他のテーブルの女性から嫉妬の視線が飛んでくる。
 客は涼子に気づくと、爽やかな笑顔を向けてきた。
「うわぁ、美人さんだね。お名前は?」
「りょ・・・鈴香、と申します」
 危うく本名を言い掛け、一呼吸置いて源氏名を告げる。
「へぇ、『鈴香』ちゃん、っていうの。僕バクって言うんだ、宜しくね」
 バクと名乗った男は、キラリと白い歯を見せて笑う。

 バクは紳士的な客だった。涼子に無遠慮に触ってくることもなく、たまに肩を叩いたりする程度。話も上手く、警戒していた涼子もつい引き込まれてしまう。
(こんな方もいらっしゃるんですね)
 そのときには、涼子もこんな勘違いをしていた。

『それでは、スキンシップタイムの開始です!』
 突然の放送と共に、店内の客達が沸く。
(スキンシップタイム? なんのことかしら)
 不審に思う涼子の前で、明るい照明が当たるステージに水着に着替えた男の客とビキニ姿の女性が上がり、既に準備されていた2メートル四方程度のビニール製のプールの中に座る。プールの中には、なぜか大量の泡があった。
『ゲーム内容はいつもどおり、プールの外に出るのは反則です。そして、五分間女の子が逃げ切れば女の子の勝ち。水着を全部剥ぎ取ればお客様の勝ち。それ以外は引き分けとなります。それでは張り切ってまいりましょう、レディー・・・ゴー!』
 マイクでの合図がなされると、男性客が欲望剥き出しでビキニ姿の女性に掴みかかる。女性はきゃあきゃあと叫びながら逃げようとするが、泡で滑って思うようには動けない。そこに男性客が襲い掛かり、水着のブラを剥ぎ取ってしまう。
「いやーん!」
 女性が悲鳴を上げてみせるが、どこか媚びたような響きがある。この声に誘われたのか、男性客は後ろから女性の乳房を掴み、乱暴に揉んでいく。女性は身を捩って逃げるが、狭いビニールプールの中に逃げ場などなく、すぐに男性客から捕まってしまう。
『1分経過、残り4分です!』
 女性は乳房を隠すが、ならばと男性はヒップを撫で回し、鷲掴みにして揉み解す。男性客のしつこい責めに女性が胸元を隠していた手をヒップの防御に回すと、すかさず男性客が乳房へと手を伸ばし、乳首を弄る。女性が再び胸元を両手で隠すと、ヒップの責めに戻る。しかもヒップだけでは終わらず、股間にまで責めを拡大させ、女性が甘い悲鳴を上げる。
(こ、こんな見世物など・・・!)
 目の前で行われる饗宴に、涼子の頬が赤く染まる。
『ラスト1分、ラスト1分です! さあ、このまま時間切れとなってしまうのか? おっと、そう言っている間にもう残り50秒!』
 残り時間が1分を切ったと聞いた男性客が、女性のボトムを狙う。さすがに女性も本気になって防ぎ、乳房が丸出しとなる。この光景に店内の男性客から野次が飛ぶ。
「あと一枚! あと一枚!」
「脱がせ脱がせ!」
「お姉ちゃん、おっぱい丸出しだぜ! 下も見せちまえよ!」
 男の欲望そのままの叫びに、涼子は思わずその方向を睨みつけていた。
(なんて品がない!)
 涼子が憤慨したところで、男達の野次が止まる筈もない。
 残り30秒となった時点で男性客が脱がすことを諦め、女性の背中の下に潜り込むような体勢になり、乳房を揉みながら腰を振る。
『おっとぉ、攻撃対象が変わってしまいました! これはずるい! セクハラ攻撃はいけません! しかしいい光景だ、残り10秒!』
 男性客は水着の下で大きくなった股間を女性のヒップに擦りつけ、乳房を揉みしだく。この擬似セックスに、見ていた客達が下品な笑いを洩らす。
『5、4、3、2、1・・・はい、時間切れです! いや〜、実に惜しい勝負でした! 今回は引き分けとなります! 際どい闘いを見せてくれたお二人に盛大な拍手を!』
 男性は奪い取ったブラを頭上に振り回しながら、女性は乳房を隠し頬を上気させながら、ビニールプールを出る。周りが拍手していることに気づき、涼子もおざなりの拍手を送る。
『それではお次は・・・8番テーブルですね! 8番テーブルのお客様とお嬢様、準備をお願いします!』
「さ、鈴香ちゃん、次は僕らの番だよ」
「え?」
 バクに手を引かれ、自分が先程目の当たりにした見世物にされることに、涼子は漸く気づかされた。
「で、でも、私は・・・」
「え? だって店長もいいって言ってたよ? 鈴香ちゃん、駄目だなんて言わないよね?」
 本心では駄目だと叫びたいが、一日とはいえ雇われている身で不義理を働くわけにはいかない。
(仕方ありません、5分間逃げ切りましょう)
 まさかお客を絞め落とすわけにもいかない。涼子はバクに気づかれないようにそっとため息を吐いた。

 バクは水着に着替えるために一度更衣室に姿を消し、涼子は舞台袖で待たされた。
「ごめんね、待たせちゃって」
 呼び掛けられて振り向くと、バクはなぜかレスラーのような覆面を被っていた。
(!)
 涼子が驚いたのは覆面のせいではなかった。バクの水着姿、否、その顕わにされた肉体は、上半身は引き締まりながらもしなやかな筋肉で覆われ、太ももには筋肉が作る筋が縦横に浮き、脹脛もそれに見合った筋肉量を誇っている。かなり身体を鍛えているのが一目でわかった。
(これは・・・逃げるだけでは難しいかもしれませんね)
 厳しい表情の涼子の耳元に、バクが顔を寄せる。
「鈴香ちゃん、本気で逃げてもいいよ? 僕、抵抗する女の子の方が燃えるからさ」
 この一言に、涼子の視線が鋭くなる。
「鈴香ちゃん、スマイルスマイル。お客さんの前に出るんだから」
 そう言われても、簡単には切り替えられない。
『おっと、準備ができたようです! それでは第二戦を闘うお二人、どうぞ!』
 マイクで呼ばれ、明るいステージに上がる。バクの肉体美には女性たちから黄色い歓声が、涼子の魅惑的な肢体には男性客から野太い声援や指笛が飛ぶ。店内の注目の中、バクと涼子はビニール製のプールへと身を沈めた。
『それでは、5分間のスキンシップタイムをお楽しみください! レディー・・・ゴー!』
 開始の合図が叫ばれたが、バクは慌てることなく距離を詰めてくる。
「悪いけど、僕は勝利を狙うよ」
 膝をついたまま、右手がするりと伸びてくる。
(この程度)
 軽く払い、回り込む。
「これくらいじゃ簡単に逃げられるか。それじゃ・・・」
 バクの右手がまたも伸びてくる。先程と同じようにその手を弾いて回り込もうとした涼子だったが、弾いた筈の手に自分の左手首を握られていた。
「鰻を捕まえるには、逃げる先を掴めばいいんだよ」
 笑顔のバクから左手を振り解き、素早く距離を取る。
(この方、強い!)
 素人だと思って油断していたとはいえ、涼子の動きを先読みしてきた。バクを強敵だと認めた涼子の表情が引き締まる。
「本気になった? それじゃ行くよ」
 膝立ちになったバクがじり、と距離を詰める。と、バクの左手が伸びてきた。バストへ伸ばされたと見えた左手は急に向きを変え、涼子の太ももを抱える。
「っ!」
 反射的に涼子がその手を払った瞬間、バクの右手が涼子のバストを掴む。
「くっ!」
 女性の本能で、触られた場所に意識が行ってしまう。バクの右手を極めようとした瞬間だった。
「鈴香ちゃん、そこにばかり気を取られていいのかな?」
 静かに伸びたバクの手に、ブラの背中の紐が外される。途端に寄せられ、押さえつけられていた乳房が解放され、見事な乳揺れを披露する。
「あっ!」
 慌てて胸元を押さえた涼子に、男性客から歓声が投げられる。
「さっきも言ったけど、そこだけ守ってていいの?」
 バクが涼子の脚を持ち、太ももを撫でる。
「触らないでください!」
 反対の脚で蹴ろうとするが、バクに軽くかわされ、股間を撫でられる。
「なっ!」
「で、注意がそこに行くと」
 バクの手が素早く動き、涼子のうなじ辺りを掠める。
「?」
 一瞬のことだったが、首の紐まで外され、ブラが落ちかかる。
「えっ!?」
 慌ててブラごと胸元を押さえる。
「そこを守ると、こっちがお留守だよ」
 涼子の意識が胸元に行ったと見たバクが、水着のボトムに手を伸ばす。
「!」
 これを取られれば秘部を晒されてしまう。バクの実力に対抗するには、乳房を隠さず闘うしかなかった。覚悟を決めた涼子は胸元から手を放してバクの手を弾く。水着のブラがはらりと落ち、乳房を隠すものは何もなくなった。露わにされた涼子の乳房の美しさに、男性客からはため息が、女性からは嫉妬の視線が送られる。
「やっぱり綺麗なバストしてるね。でも、やっと本気になってくれたみたいで嬉しいよ」
 バクの口元に微笑が浮かぶが、その目は薄く細められた。
 バクが幾つかフェイントを入れた後、素早く手を伸ばす。涼子は乳房に伸ばされた手を掴み、逆関節を狙う。しかしバクも極まる寸前に逃れ、再び構える。
「動きに迷いがなくなったね。そうこなくっちゃ」
 バクは本当に嬉しそうな笑みを浮かべると、改めて構えを取った。
「フッ!」
 呼気を吐くと同時に、バクの左手が涼子の乳房に伸びた。
 乳房に触りたければ触ればいい。否、逆に好機とする。そう割り切り、バクが乳房に伸ばした手は弾かず、乳房を掴まれた瞬間バクの肘を下から掌底で叩く。
「痛っ!」
 バクが痛みと衝撃を逃すため左手を上に流す。そのとき、バクの中指が涼子の乳首を掠った。
「・・・っ」
 不意に走った甘い痺れは奥歯を噛み締めることで堪え、隙は作らない。
「あいたた・・・まさかそんな反撃に来るとはね。でも、乳首立ってるよ?」
 バクの揶揄にも、涼子は胸元を隠すような真似はしなかった。バクの目をひたと見据え、次の動きを読み取ろうとする。
「もう言葉じゃ動揺してくれないか。なら・・・こっちも本気で行くよ」
 バクの口元に残っていた微笑も消え、所詮遊びという雰囲気も消え失せる。
「フッ!」
 バクの右手と左手があるときは同時に、あるときはリズムをずらし、涼子へと襲い掛かる。しかし涼子もその速く鋭い攻撃を弾き、かわし、逆襲の逆技を狙う。二人の激しい動きは華麗ですらあり、店内の視線を釘付けにした。
『・・・おっと、激しい攻防に見入っている間に、残り時間が1分を切ってしまいました! 残り50秒です!』
「もうそんな時間か・・・ちょっと焦るね」
 残り時間を聞いたバクが、強引に圧し掛かってくる。今までとは違う攻め方に意表を衝かれ、上に乗られてしまう。
「くっ!」
「おっと」
 暴れる涼子を押さえようとしたバクの指が涼子の秘部を掠る。
(・・・これくらいの刺激で!)
 涼子はバクの膝を蹴ってバランスを崩させ、素早く体を入れ替える。
「ちぃっ」
 下になってもバクは諦めず、涼子のボトムのサイドに手を掛ける。
「ふっ!」
 その肘を外側から叩き、力を入れさせない。それでも涼子のボトムに手を伸ばしてきたため、バクの両肘を抱え、極める。
(あっ!)
 何かに気づいた涼子の頬が赤く染まる。下半身が密着しているため、バクの膨らんだ下腹部が涼子の秘部に当たっていたのだ。バクが両腕を逃そうと暴れるたび、バクの男性の膨らみが涼子の秘部やヒップを突き上げる。バクの肘を極めているため離れることもできず、布地越しとはいえ、その刺激は羞恥を生んだ。
(駄目、我慢しなければ、こんなことくらいで・・・!)
 唇を噛み、眉を寄せて羞恥を耐える涼子は、逆に強烈な色気を発していた。その表情に男だけでなく、女性でさえも目が離せない。
『残り5秒!』
「これまで、か」
 残り時間を聞いたバクが力を抜き、プールの底に後頭部をつける。
『3、2、1・・・そこまで! いや〜、素晴らしい闘いでした! 引き分けにするのがもったいない! 見応えある闘いを終えたお二人に盛大な拍手を!』
 放送と拍手に送られ、涼子とバクはステージを降りた。涼子は何か話しかけてくるバクの方を見向きもせず、スタッフから差し出されたバスタオルを体に巻いた。

「鈴香ちゃんお疲れ様、今日はありがとう。もう上がっていいよ」
 店長の労いの言葉を受け、涼子は更衣室へと入って奥にあるシャワーを浴びた。
(もう、二度と映子の頼みは聞きません!)
 心中には映子への怒りが渦巻いていた。いつもより乱暴な手つきで髪と身体から汗を洗い流し、不快な思いを少しでも薄めようと務めた。

「や」
 裏口から店を出た涼子の前に、別の怒りの対象が待っていた。軽く手を挙げ、白い歯を見せてくる。シャワーを浴びた後だからか、バクは先程とは違い前髪を上げていた。
「・・・なんでしょうか?」
 そっけなく返し、脇を抜ける。
「いや、そろそろ上がりそうだったからさ、ちょっと話でも、と思って」
 バクは涼子の態度を気にした様子もなく、隣を歩く。
「鈴香ちゃんって強いんだね。格闘技か何かやってるでしょ?」
「ええ、合気道を嗜んでおります」
「へえ、合気道なのに寝技もできるんだ、凄いね」
 その自然な笑みは、吸い込まれそうなほど綺麗だった。
「僕さ、強い女の人ってタイプなんだ。よかったら、僕と付き合ってみないかい?」
「ごめんなさい」
 即答だった。
「うわぁ、ショック。僕、本気なんだよ?」
「よく知りもしない方とはお付き合いできかねます」
 涼子の返答に、バクが肩を落とす。
「あ・・・やっぱり僕のこと知らないんだね。ちょっとショック」
 それも一瞬で、すぐに笑顔になって髪をかき上げる。
「僕、コウラギバクっていうんだ。よくテレビに出てるから、鈴香ちゃんも知ってるんだって勘違いしちゃった」
(こうらぎばく・・・?)
 どこかで聞いた名前に、涼子が首を捻る。

『お願い、今夜の合コンは絶対に外せないの! イケメンアイドルの甲羅木駁くん似の子が来るって話だから、最初で最後のチャンスなの!』

(そういえば、映子が合コンに似ている人が来るとか言ってましたね)
 今回の発端となった映子のお願いを思い出す。まさか、涼子の目の前にその本人がいるとは。
(映子が知ったらなんと言うことやら)
 もし映子がバイトを休まなければ、甲羅木(こうらぎ)駁(ばく)本人と会えたのに。そう考えても、同情はできない。
「名前も知って貰ったことだからさ、どうかな、お付き合いがナシなら連絡先だけでも・・・」
「やはり、お断りします。私には心に決めた方がおりますので」
 涼子がきっぱりと告げると、駁は大袈裟にため息を吐いてみせた。
「しょうがない。今回は退くよ。でも、次に会ったときにまたアタックさせてもらうよ、『涼子』ちゃん」
「!?」
 最後に涼子の本名を呼び、駁は背を向けた。なぜ店長にも知らせなかった涼子の本名を知っているのか問い質したかったが、交換条件に付き合えと言われそうで、涼子は躊躇した。そんな涼子の心の動きを見透かしたのか、振り向いた駁がくすりと笑い、一度手を振ってから歩き去った。
(全く、厭味な男性ですね)
 そう思っても、嫌悪感は沸かなかった。涼子にしては珍しい心の動きだった。

***

 次の日、涼子の業務は映子の愚痴から始まった。
「ちょっと聞いてよ、昨日の合コン! 甲羅木駁なんかいやしないんだから! 似てるのは髪型だけ! 全員醜男でさ、こんなことならバイト休まなきゃよかった!」
 映子の自分勝手な愚痴を聞かされながら、まさか自分がそのバイトで甲羅木駁本人の相手をさせられていたとは言えず、涼子は曖昧な笑みで相槌を返した。
「あーあ、せっかく駁くんに気持ちだけでも会えると思ったのに・・・ちょっと涼子、なに笑ってるの? なんでもないって、笑っといてそれはないでしょ! 教えなさいよ! ちょっとぉ・・・!」
 我慢できずに吹き出しながら逃げる涼子を、映子の声が追いかけた。


其の三へ  番外編 目次へ  其の五へ

TOPへ
inserted by FC2 system