【外伝 於鶴涼子 其の六】

 於鶴涼子は高校生だった。自宅から自転車で通える距離の女子高に通い、家に帰れば家事と父の合気道場で稽古に追われる毎日だった。母は涼子が幼い頃に亡くなったため、涼子は家事を必死で覚えた。家事と稽古で自由時間などなく、恋を覚える暇などなかった。
 如月先生に出会うまでは。

 先生の笑顔が大好きだった。それでも、そんなことはおくびにも出さない。学校で毎日会えるだけでよかった。

 そして迎えた卒業式。もう会えない、その思いが涼子に告白を決意させた。
 如月は、涼子の告白を笑顔で受け入れてくれた。このときの涼子は世界一幸せだった。
 幸せだと信じていた。

***

 卒業式から最初の日曜日。涼子にとっては生まれて初めてのデートだった。精一杯のおめかしをし、十五分も前に待ち合わせ場所に到着してしまった。如月の姿はまだなかったが、待つ時間すら楽しかった。

 如月は五分遅れで待ち合わせ場所に現れた。
「ごめんね、準備に手間取っちゃって」
 爽やかな笑みでの謝罪に責めるようなことはせず、黙って首を振る。
「今日はちょっと変わったところに行こうと思うんだ。いいよね涼子ちゃん?」
 如月の提案を断れるわけがなかった。

「え・・・」
 廃屋。
 涼子が連れて来られたのは、そうとしか思えない古びた倉庫跡だった。
「どうだい? 雰囲気あるだろう?」
 如月が肩に手を回し、涼子に微笑む。身近にある如月の笑顔と体温が、涼子の心をかき乱した。
「それと、今日は涼子ちゃんに紹介したい奴らがいるんだ」
 如月のまったく変わらない口調に、思わず聞き逃しそうになった。
「それは、どういう・・・」
 言い終える前に、廃屋の奥から人影が二つ現れた。人を不快にさせる笑みを浮かべ、体を揺らしながら近づいてくる。
 本能的に危険を感じたが、如月の存在が逃げることを躊躇させた。その躊躇が逃げるタイミングを遅らせてしまい、男達が近づくまで何もできなかった。
 男二人は両側から涼子の両腕を掴み、動きを止めてくる。
「先生・・・これって・・・」
「いやなに、皆涼子ちゃんが大好きなんだそうだよ。そんな人気者の涼子ちゃんを、僕が独り占めするのも悪いかと思ってね」
 男達が涼子を捕らえたのを見て、如月はバッグから出したビデオカメラをセットし始めた。
「さ、始めようか」
 如月の合図と同時に男達の手が涼子の胸に伸び、まさぐってくる。それでも、まだ如月を信じている自分がいた。

 突然、一人の級友の顔が浮かんだ。
 その中学校からの級友とは色々な話をした。如月のことは格好いいということで一致し、どこがどう格好いいのか、二人で真剣に討議したこともある。
 ある日を境に、級友は学校に来なくなった。涼子が電話しても出ることはなく、口さがないクラスメイトは、「あの子は裏ビデオに出てたことがばれたから出て来れなくなったんだ」と話していた。級友を良く知る涼子は根も葉もない噂だと信じていたが、もし今の自分と同じ目にあったのだとしたら・・・

「先生、まさか、あの子も・・・」
 信じられない、信じたくない事実を、如月に確認する。
「ああ、そうだよ。ちょっとビデオに出て貰ったんだ。お金もあげたのに、僕のことを詐欺師呼ばわりしたんだよ。酷いよねえ」
 如月が涼子の顔を覗き込んだ後、シャツの襟元を掴む。次の瞬間、ボタンが弾け飛ぶほど無理やり開けられた。
「ふぅん、色つきのブラか。涼子ちゃんも期待してたんじゃないの?」
 如月が笑みを浮かべ、涼子のブラをつつく。そんな人を嘲るような表情は学校で見せなかった。見たくもなかった。
 如月の手がスカートを捲り、下着の上から秘部を撫でる。
「!」
 それだけで、涼子は身を固くしていた。
「その反応、やっぱりヴァージンか。僕が初めての男になるんだ、嬉しいだろう? まあでも、すぐに二人目三人目を経験できるけどね」
 如月は涼子の羞恥を楽しむように、卑猥な手つきで涼子の秘部を撫で回す。
「ここに僕の○○○が入るんだよ。最初だと痛いみたいだけど、すぐによくなるよ」
 明け透けに男性器の名称を言われ、涼子の心の糸が切れた。信頼という名の糸が。
「ふぐっ!」
 豚が絞められたような声を上げ、如月が股間を押さえて蹲る。涼子の膝が容赦ない勢いでぶつけられたためだ。
「お前、何して・・・っ!」
 押さえ込もうとした男の体が宙で一回転し、コンクリートの床に叩きつけられる。もう一人も僅かに遅れて同じく床に落とされた。
「・・・」
 無言で自分を見下ろしてくる涼子に、脂汗を流す如月は必死に言葉を探した。
「りょ、涼子ちゃん、軽い冗談だったんだよ。僕は君が好きだし、君も僕が好きだろう?」
「・・ええ」
 頷いた涼子に、如月があからさまにほっとした顔になる。
「好き、でした」
 それは決別の宣言。
「今は・・・」
 如月の右手を取り、素早く捻る。手首が外れた感触が自分の身体に伝わってくる。悲鳴を上げる如月の耳元に口を寄せ、そっと囁く。
「大嫌い、です」
 そのまま、右肘、右肩と関節を外していく。左の手首を外したところで如月の悲鳴が止んだ。失神したことに気づき、左手を放り出す。
 不思議と、涙は出なかった。

***

 涼子はその足で交番に向かい、廃屋で如月達に襲われたこと、全員関節を外して逃げられないようにしたことを告げ、警察官を仰天させた。
 如月達はそのまま警察病院に収容され、涼子も警察から事情聴取を受けた。しかしビデオが決定的な証拠となって如月達の罪が明らかになり、涼子に深い追求がされることもなくなった。また女性の身で複数の男に囲まれた事実が、過剰防衛ではないと判断された。

 警察から連絡を受けた父親が、刑事に案内されてきた。
「父さん・・・」
 その厳しい表情を、涼子はただぼんやりと見上げるだけだった。
「涼子」
 父が名を呼び、力一杯抱き締めてくれる。婦人警官が用意してくれたジャンパーの上から、父の体温が伝わってくる。その温もりに、心の氷塊が溶け出した。
「う・・・あ・・・あぁぁ・・・!」
 事件から初めて、涼子は泣いた。大好きな人に裏切られた悲しさ。自分の身体を欲望のままに弄られた嫌悪感。陵辱への恐怖。それらを忘れるために。
 そして、初恋に別れを告げるために。

***

 この事件を境に、涼子は極度の男嫌いとなった。道場に通う門下生には普通どおり接したが、少しでも色目を使おうものなら乱取りのときに容赦なく投げ飛ばした。
 涼子の男嫌いは、ずっと変わることがなかった。一人の老人と出会うまでは。


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