【特別試合 其の三 八崎極:八極拳】  イラスト:氷兄様

 犠牲者の名は「八崎(やつざき)極(きわめ)」。20歳。身長176cm、B94(Hカップ)・W60・H85。女性にしては長身で、ぼさぼさの髪と吊り目が特徴的。現在は大学二年生。幼い頃から父親に八極拳を習い、大学でも中国拳法サークル連合に所属している。今回は事務員の猛プッシュにより、<地下闘艶場>へと引きずり込まれることとなった。

「八崎極さんですね?」
 街中で突然声を掛けてきた男は、黒いスーツの上下にサングラスという格好だった。こんな怪しい男はMIBかマトリックスの中くらいでしか見たことがない。
「あー・・・人違いじゃないかな? それじゃ!」
 片手をしゅたっと上げてその場から離れようとした極だったが、男の言葉で足が止まる。
「そうなんですか? 聞いていた通りの美しい容貌ですから、てっきりそうだと思い込んでしまいました。申し訳ありません、人違いならしょうがないですね」
 美しい、の一言に極の女心がくすぐられる。
「実はその強さと美しさに見合った闘いの場を提供できる、という話だったのですが・・・」
「そうなの? そっかぁ、そこまで言うなら、ちょっとだけ話し聞いても良いけど?」
 闘いの場、という言葉が決定打だった。極は近くのオープンテラスに移動し、詳しい内容を聞くことに決めた。

 男の説明は簡潔なものだった。
 一つ、ルールはプロレスルール。闘いの場もリングとなる。
 一つ、ボディチェックをきちんと受けること。
「ボディチェックぅ? それはちょっと嫌かな・・・」
「そうですか・・・ファイトマネーは五十万円を用意致しますが」
「ご、五十万!?」
「はい。試合に勝てば更に五十万、合計百万円をお渡しできます」
「ひゃ、ひゃ、百万・・・」



 極の頭の中を、札束がぐるぐると回る。たこ焼きがいったい何パック買えるだろうか、などとバカな考えが浮かぶ。
(でも待てよ、そんなオイシイ話があるか? 闘うだけで五十万、勝てば百万だぞ。よく考えれば怪しさ満点だよな。これは・・・やめとくか?)
「んー・・・折角だけど、今回は止めとこっかな?」
「それならばしょうがありませんね、テコさんに頼むとしましょうか」
 申し出を断ろうとする極に、すかさず男が言葉を繋ぐ。ライバルである零本テコのことを出されると、極の心に反発が生まれた。
(テコの奴に頼む? それはちょっと、いや、だいぶムカつくな)
「それに私は、テコさんより極さんのほうが実力は上だと思っていますし」
 テコよりも上だと言われ、優越感をくすぐられた極。
「そ、そうかな? そこまで言われちゃしょうがないかな〜」
 嬉しげな表情で参戦を承諾した極に、男の皮肉な笑みは写らなかった。

 二週間後、<地下闘艶場>に極の姿があった。極はいつも通り、袖をちぎり、胸元が大きく開いた黒い道衣姿で花道を進む。Hカップの巨乳が作る谷間に、観客達の欲望に満ちた視線が突き刺さってくる。
(なんか・・・想像してたのと雰囲気が違う)
 プロレスルールでの闘いと聞いていたため、会場の雰囲気はもっと熱いノリだと思っていた極。しかし、出迎えてくれたのは男達の欲望に満ちた眼差しだった。しかも卑猥な野次も次々と飛んでくる。不快な感覚を堪えてリングへと向かう極の目は、いつも以上に吊り上っていた。

 リングに待っていた対戦相手は、脂肪の塊のような男だった。身長は極と同じくらいだが、顔、首、胴体、脚など、あちこちが分厚い脂肪に覆われている。頭部には申し訳程度の頭髪しかなく、対戦前だというのにもう汗をかいている。
「ちょっと待った、闘う相手って男か!?」
 レフェリーと思われる男に、極が食いかかる。襟首を掴んで揺さぶると、男はその手を乱暴に振り払う。
「八崎選手、レフェリーに何をする。それに、お前の実力だと並みの女性選手だと相手にならないだろう?」
「そりゃまあ、ね」
「ならいいじゃないか。強い奴と闘いたいんだろ?」
「そうだけど・・・うーん・・・」
 レフェリーに巧く丸め込まれ、極はコーナーへと下がった。騙されたことへの憤懣と、本当にメタボな対戦相手が強いのかと疑問に思いながら。

「赤コーナー、グレッグ"ジャンク"カッパー!」
 コールに応え、ふやけた笑みを浮かべながら片手を上げるグレッグ。
「青コーナー、巨乳八極拳士、八崎極!」
 この品の無い紹介に、極の表情が険しくなる。
(ったく、どこまでも人をバカにしてやがる!)
 それでもここまで来た以上、逃げ出すことはしない。極は覚悟を決めた。

 グレッグのボディチェックを簡単に済ませたレフェリーが、にやつきながら極に近づいてくる。
「さて、ボディチェックだ。話は聞いているな?」
「・・・ああ」
 まさか男性レフェリーにボディチェックされるとは思っておらず、声にも険が混じる。
「嫌ならいいんだぞ? ここで終わるだけだ」
「嫌じゃない! あ、い、嫌だけど、我慢するから」
 ここまで来れば、ファイトマネーが惜しい。ちょっとの我慢で五十万。それに試合ともなれば手を出してくることもないだろう。
「正直な奴だな・・・ま、終わるまでじっとしてな」
 そう言うとレフェリーはしゃがみ込み、足首から触っていく。そのまま撫で回すように脚を触り、触る部分が徐々に上へと移動していく。
(こ、これもファイトマネーのためだ、我慢、我慢だ極!)
 レフェリーの厭らしさに満ちたボディチェックを必死に耐える極。レフェリーの手は両脇を通り、バストを撫で回すように触ってくる。
「ここはでかいな。何か入れてるのか?」
「そ、そんなわけあるか!」
 薄々予想はしていたが、レフェリーに道衣の上からバストを触られ、極の眉が跳ね上がる。
(ううっ、ぶっ飛ばしたい・・・!)
 極の視線に殺気を感じたのか、レフェリーは名残惜しげにバストから手を離し、ゴングを要請した。




<カーン!>

 漸く鳴ったゴングを合図に、極は一気に突進した。手の甲が肩の上に来るように曲げた肘を、突進の勢いそのままにグレッグのどてっ腹に叩き込む。
 <躍歩頂肘>。
 並の男なら一撃で倒せる技だったが、グレッグは怯みもせずに極を抱え込もうとする。
「くっ」
 これを逃れ、一旦距離を取る。
(まさか、あの脂肪で中まで衝撃が通ってないのか?)
 分厚い脂肪が生半の打撃は吸収してしてしまうのだろう。
「それなら!」
 龍槍式でグレッグの膝を蹴り、馬歩頂肘へと繋ぐ。しかし、この連続技もグレッグをよろめかせただけだった。
「ぐへへぇ、ちょっと効いたぞぉ。でも、それで終わりかぁ?」
 のそのそと距離を詰め手を伸ばすグレッグから、回り込むようにして距離を取る極。
(くっそぉ、こんのメタボ野郎!)
 その後も何発か単打を繰り出すが、決定的な一撃を与えることができない。時間が経つ程にグレッグが尋常でない汗を掻き、その汗で打撃の支点が逸らされ、尚更威力が落ちていく。遂にはグレッグの汗はリングへと滴り落ち、リング上へと広がっていく。
「くぉのっ!」
 それでも前に出ようとした極だったが、
「あれっ?」
 ずるり、と足が滑り、情けなく尻餅をつく。グレッグの汗が水溜まりのようになり、足を取られたのだ。
「くそっ、なんで・・・っと!」
 立ち上がろうとしてまたバランスを崩した極を、後ろからレフェリーが支える。
「おいおい、気をつけろよ」
 しかし、その手はしっかりと極のHカップバストを掴んでいた。
「ど、どこ掴んでんだ!」
 無理やり振りほどき、ロープ際へと逃れる。
「なんだ、人が折角支えてやったのに。言い掛かりはよせよ」
「何が言い掛かりだ! ひ、人の胸を気安く触りやがって!」
 レフェリーと口論している間にグレッグが距離を詰め、横殴りのショートラリアートを放ってくる。
「ぅおっと!」
 これは前転することでぎりぎりかわし、立ち上がる極。汗溜まりの上を転がったためにグレッグの汗で道衣のズボンが張り付き、程よく引き締まった太もものシルエットを浮かび上がらせる。下半身は普通の女性と同じくらいのサイズの極。しかし、裏を返せば下半身は鍛え方が甘いとも言える。極の得意技に手技が多いのには、そんな隠れた理由もあった。
(くっそー、なんでこいつの汗でこんなに滑るんだ・・・特異体質、ってやつか?)
「さっきからフラフラしてるじゃないか。本当に大丈夫か?」
 にやつきながらレフェリーが近寄ってくる。
「大丈夫だから、来なくてもいいよ!」
 その一言は、レフェリーの狙いを察した女の勘が言わせたのかもしれない。
「おっとっと」
 わざとらしい一言と共にレフェリーが極にもたれかかるように抱きつき、巨乳の谷間に顔を埋める。
「ななな・・・! なにやってんだエロレフェリー!」
「誰がエロレフェリーだ! ちょっと足が滑ったんだよ。おっと、今度は手が滑った」
 レフェリーの手が肩口を掴み、道衣を引きずり下ろす。
「きゃぁぁぁっ!」
 極は意外にも可愛らしい悲鳴を上げ、慌てて道衣を元に戻す。一瞬とはいえ乳首が見えた観客からもっと見せろと野次が飛ぶ。
「てめぇ、やっていいことと悪いことがあるぞ!」
 レフェリーに掴みかかる極だったが、今度は後ろからグレッグにバストを掴まれる。
「ぐぇへへぇ、でっけぇな。ちょっと硬ぇけどなぁ」
 極のバストを掴み、汗に塗れた手で揉むグレッグ。



「て、てめ・・・!」
 慌てて振り払うと、今度はレフェリーがバストを掴み、揉み込んでくる。
「だからやっていいことと悪いことがあるって・・・!」
 今度はレフェリーの手首を掴んで外すと、またもグレッグの手が後ろから伸び、道衣の中に潜り込んでHカップの巨乳を直接触られる。このしつこいセクハラに、極の我慢も限界に来た。
(ぶちっ!)
「離せコラァッ!」
 後ろに頭を振り、グレッグの鼻を打つ。
「ぶふぅっ」
 これには堪らず、グレッグは極のバストから手を放し、鼻を押さえて逃れる。
「こんのクソドデブ!」
 踏み込むと同時に体の軸を回転させ、背中ごとぶつかっていく。
 <鉄山靠>。
 しかしまたも支点となる足を滑らせ、仰向けに倒れこんで背中を強打してしまう。
「うぐっ・・・」
 動きが止まった極に、上からグレッグの巨体が降ってくる。
「そぉらぁ!」
「ぐはぁっ!」
 幾ら鍛えた極と言えども、グレッグの重量ボディプレスを喰らっては堪らなかった。余りの衝撃に半ば意識が飛んでしまう。

「極、聞いてるのか極!」
 突然父親に名を呼ばれ、慌てて姿勢を正す極。
「き、聞いてます!」
 自分がどこにいて、何をしているか、といった疑問は浮かばなかった。父親の顔が随分高い位置にあることも変だと感じない。
 父親は極を促すと砂場に移動し、細長い枝を砂に軽く刺して
「こいつを震脚で真っ直ぐ埋めて見せろ」
と命じた。
「それぐらい簡単だって!」
 自信満々でやってみる極だったが、枝は倒れたり斜めに埋まったりし、最後には折れてしまった。
「・・・なんで?」
「わからんか。見てろ」
 父は砂場から離れ、地面に軽く枝を刺して倒れないようにすると、右足を乗せた。
「ふっ」
 軽く息を吐いたようにしか見えなかったのに、父の足の下、枝は全て地中へと姿を消していた。
「震脚は、天から地へと垂直に落とす。重力に導かれるまま地を踏みしめ、生まれた勁を技に乗せる。単にして深。鍛えろ」
 これに感動した極は暫くは真面目に震脚の練習に取り組んでいたものの、余りに地味な練習に音を上げ、他の派手な技の習得に熱を上げていった。そして・・・

「ぐへへ・・・」
 不快な感触に目を開けたとき、剥き出しにされた乳房をグレッグが揉み回し、レフェリーが道衣の上から秘部を弄っていた。
「なっ!」
 慌てて二人の手を弾いて転がることで逃れ、道衣の乱れを直しながら立ち上がる。
(さっきのは、昔親父に稽古をつけてもらったときの・・・やば、意識が飛んでたのか?)
 しかし、なぜあのときの光景が蘇ったのだろうか。その疑問が浮かんだ瞬間、極の頭に閃くものがあった。
(そうか、真っ直ぐ脚を下ろせば滑ることもないってことか!)
 今までバランスを崩していたのは、震脚が甘かったせいだろう。地面に対して垂直に踏み込めば力が横に逃げることもなく、当然滑ることもなくなる筈。
(今のは天啓ってやつだな。どうせ何やっても滑るなら、やってみる価値もあるってもんだ!)
 大きく息を吸い、止める。
「ぐへへ、もう一回おっぱい触らせろぉ!」
 どすどすと迫るグレッグが間合いに入った瞬間、
「おぉぉぁぁぁっ!」
 雄叫びと共に、極の左足がリング上の汗をものともせずに垂直に突き立つ。そこで生まれた勁が足首、膝、腰、肩、肘、手首を通って増幅し、腰へと構えられた両手へと達する。
「白虎双掌打!」



 極の左右の掌底が捻りを加えてグレッグの腹部へと叩き込まれる。その衝撃はグレッグの分厚い脂肪を突き抜け、内蔵へと届いた。
「・・・ぐぇべっ」
 口から吐瀉しながら、グレッグの巨体がリングへと沈んだ。これを見たレフェリーが、慌ててゴングを要請する。

<カンカンカン!>

(すっげぇ・・・なんだ今の感触・・・)
 まだ極の手には、先程の一撃の残響が残っていた。ゴングにも観客の歓声にも気づかず、見つめていた両手を握り込む。
(こいつを喰らわせてやれば、テコの奴も一発でノせる!)
 極の脳裏には、ライバルを地に這わせた自分の姿がはっきりと浮かんでいた。

「テコ、今日は私の会得した奥義でコテンパンにしてやるよ!」
「おー、おっきくでたね。さすがデカパイ。てか、今どきコテンパンなんて言う人いないよ?」
 数日後。大学のキャンパスでテコを見つけた極は、さっそく勝負を挑んでいた。向かい合った二人の間に、ぴりぴりとした空気が渦を巻いていく。
(あの闘いのときの感覚を思い出して・・・完璧な震脚からの、猛虎硬爬山を・・・!)
 呼吸を整え、震脚へと移ろうとする極だったが、気づいたときにはテコの靴裏が目の前にあった。
「え?」
「せんてひっしょー!」
 テコのティミョ・トラヨプチャチルギ(跳び後ろ横蹴り)を顔面に喰らい、スローモーションで倒れていく極。グレッグとはまるで違うテコのスピードを計算に入れていない、極の基本的なミスだった。
「なーんだ、口ほどにもない。ぬるいわ!」
 テコは某ボスキャラのようなセリフを吐きながら、わざと極を踏みつけて去って行った。
「テコ・・・今度、殺す」
 地面に横たわり、鼻血を一筋垂らしながらの誓いは、誰の耳にも届かなかった。



 その後仲間たちにたかられ、ファイトマネーはあっさりと飲み代に消えた。
「なんであのときロマネコンティなんか頼んだんだろ・・・」
とは、極の後悔の弁である。

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