【特別試合 其の九 金禎姫:テコンドー】

 犠牲者の名は「金禎姫」。28歳。身長162cm、B83(Dカップ)・W59・H85。ボーイッシュというより男性的なショートカットに冷たい瞳。絶対に冗談が効かないことを表情が物語っている。しかし抜き身の刀を思わせる容貌は魅力的だった。死神の鎌が首に触れたときのように、背筋を這う死の蟲惑、ではあったが。
 禎姫は韓国で生まれ育ち、さる事情で帰化した。現在はOLをする傍ら町のテコンドー道場で指導員もしている。その弟子が八崎極と大学の同期で、極の線から禎姫を知った<地下闘艶場>の運営委員は禎姫に参戦要求を出した。
 そのときには、まさか禎姫が化物クラスの手練だとは思いもしなかったからだ。


 禎姫に用意された衣装は、婦警を思わせるものだった。ただし極端にスカートが短く、太ももは露わになっており、少し動いただけで下着が覗く。現に、控え室で軽いアップをする禎姫はパンチラどころではなかった。
「先生、これじゃパンツ丸見えですよ」
 禎姫が<地下闘艶場>に参戦すると知り、自分も行くと駄々をこねた禎姫の一番弟子・零本テコだった。
「大丈夫、動きにくいよりよっぽどいい。それに今日は勝負下着だ」
(先生・・・それ意味違う)
 禎姫の飾り気もなにもない下着を見て、テコが心の中で呟く。禎姫の発言は別に冗談ではない。冗談など一言も言わない人間なのはテコもよくわかっている。たまに日本語の使い方がおかしいことがあるが、それをまともに突っ込む人間はいない。
「私のときは、こんなエロ衣装用意されてなかったんだけどなぁ」
 そう言った長身でぼさぼさ髪の女性は、テコのライバル(本人談)であり、過去に<地下闘艶場>に参戦経験のある八崎極だった。なぜ彼女がここにいるのかと言えば、
「お前も<地下闘艶場>とやらに行ったことがあるらしいな。丁度いい、一緒に来い」
と禎姫に無理やり連れてこられたというのが真相だった。セコンドが二名もつくことに難色を示した<地下闘艶場>の運営側だったが、禎姫の静かなゴリ押しに屈した。
「禎姫選手、お願いします」
 黒髪の女性黒服がノックの後扉を開け、入場を促す。禎姫は軽く頷くと、テコと極を従え控え室を出た。

 花道に姿を現した禎姫に、観客から卑猥な冗談が飛ぶ。しかし、禎姫に近い観客がその身に纏うオーラに気圧されて口を閉じ、それが隣の観客に伝染する。禎姫を中心とした沈黙の円は直径を広げ、禎姫がリングに辿り着いたときには会場中が静まり返っていた。

 リングの上には三人の男性が待っていた。一人は蝶ネクタイを締めたレフェリー。後の二人は中肉中背の体格に同じマスク、タイツ、リングシューズを身に着けている。

「赤コーナー、マンハッタンブラザーズ1号!」
 マンハッタンブラザーズ1号は、両手を軽く上げてコールに応える。隣に立つ2号とは見分けがつかない。
「青コーナー、『リーサル・ウェポン』、金禎姫!」
 自分の名前がコールされると、禎姫は紺色の制服の上着を脱いだ。その下の白のカッターシャツがスポットライトに映えて目に眩しい。
「え、なんで先生上脱いでんの?」
「そりゃお前・・・動きやすいからだろ」
 腕まくりまでしている禎姫を見て疑問を口にしたテコに、極が言う。
「あと・・・あのレフェリー、殺されるかもな」
 リングを見ながら極は呟いた。

「それじゃ禎姫選手、ボディチェック、を・・・」
 禎姫に触ろうとしたレフェリーが動きを止める。禎姫の身に纏ったオーラが、物理的障壁のようにそれ以上の接近を拒む。
(まずい、ボディチェックはまずい!)
 動物的な本能がレフェリーに告げる。このままいつもどおりのセクハラボディチェックをすれば、命が危ういことを。
「・・・あの、ボディチェックをしても宜しいでしょうか」
 自分が卑屈な口調になったのにも気づかず、レフェリーは禎姫を上目で窺う。
「ああ、プロレスルールだからしょうがないな」
 禎姫の許しが出たものの、レフェリーは両肩に腰と二回タッチしただけですぐにやめる。その顔には尋常でない量の汗が浮いていた。
「ゴング!」

<カーン!>

 ゴングが鳴ったのにも関わらず、禎姫は構えを取ろうともしない。マンハッタンブラザーズ1号を睨むと、リング下に目をやる。
「これじゃ勝負にならない。二人一度に来い」
 一瞬で相手の力量を見抜き、セコンドについていた2号を手招きする。
「え、いいのか?」
「ああ、弱い者苛めは好きじゃない」
 レフェリーがリング下の黒服に目をやると、黒服も頷いている。レフェリーはマンハッタンブラザーズ2号を呼び込むと、改めて開始を告げる。
 二人掛かりならもしかしたら。レフェリーの思惑は一瞬で掻き消された。

「ふっ!」

 蹴られた人間が宙を舞う。
 漫画ではよくある表現だが、実際に目にするとより漫画的だった。マンハッタンブラザーズの二人は人形のようにロープを越え、場外に敷かれたマットに落下し鈍い音を立てる。
「・・・死んじゃった?」
「さすがに生きてるだろ。半分は」
 横たわるマンハッタンブラザーズをテコと極が遠巻きに見ている中、会場の雰囲気が突然変わる。
「強いのぉお主! 次は儂と一番願おうか!」
 いきなり、リングにスパッツの上からまわしを締めた巨漢が上がる。頭には丁髷が乗っており、手足の指や手首、足首にはバンテージが巻いてある。
 元力士の虎路ノ山だった。四股を踏んで低く構え、禎姫に突進するが、禎姫は軽くかわし、筋肉と脂肪の塊のような太ももにカウンターの下段回し蹴りを入れる。
「ぬごっ!?」
 この一撃に、打撃に強い筈の虎路ノ山が痛みに顔を歪める。
「な、なんのこれしき!」
 虎路ノ山の張り手は掠りもせず、禎姫の上段前回し蹴りが顔面を捕らえた。下着が露わになるが、禎姫自身はまるで気にしていない。
 半ばムキになって前進しようとする虎路ノ山だったが、禎姫の強烈な蹴りにダメージだけが蓄積されていった。

「うわー、やっぱ強いな、お前の師匠。パンツ丸見えだけど」
「まあねー。ゴジ○とでもため張れるんじゃない? パンツ丸見えだけど」
 リングで闘う禎姫の姿を呑気に見物していた極とテコは、後ろに立った人影に気づかなかった。
「うわっ!」「ひえっ!?」
 いきなり背後からバストを鷲掴みにされ、二人の口から短い悲鳴が上がる。息を吹き返したマンハッタンブラザーズの二人だった。
「なにしやがる!」「気安く触るなっ!」
 それぞれ鉄山靠と肩越しの蹴りで、マンハッタンブラザーズを吹っ飛ばす。暫く横たわっていたマンハッタンブラザーズの二人はゆっくりと起き上がり、静かに構える。
「人の胸触った罰を喰らえっ!」
 テコの顔面へのハイキックは1号にかわされ、2号に軸足を払われる。
「あいたっ!」
 そのまま圧し掛かってくる2号を蹴飛ばし、転がって立ち上がるテコ。丁度極とマンハッタンブラザーズの二人を挟み込んだ位置取りとなる。
「私の胸も触ったよな!」
 極が突進から得意の猛虎硬爬山を繰り出す。テコも再びハイキックを放つが、マンハッタンブラザーズの姿がふっと消える。
「あ!」「ほえ?」
 極の猛虎硬爬山はテコの腹部を抉り、テコのハイキックは極の顔面を捉えていた。お互いの技でダウンした二人に身を屈めていたマンハッタンブラザーズが圧し掛かり、バストを揉み始めた。お互いの技のダメージに立ち上がれず、極とテコはバストを揉まれ続ける。
「・・・いつまで触ってんだ!」「離せーっ!」
 ほぼ同時にマンハッタンブラザーズの二人を蹴り飛ばし、極とテコが立ち上がる。その顔はセクハラを受けたことで紅潮し、マンハッタンブラザーズを睨みつけていた。

「お前たち、その程度の連中に情けないぞ。さっさと片付けろ」
 リング下でマンハッタンブラザーズの二人とやり合う弟子とその友人に、禎姫が冷たく声を掛ける。
「ちょっと先生! そこは『私が行くまで待ってろ』でしょ!」
「なぜだ?」
 テコの文句も軽く受け流す。しかし、闘いの最中に余所見は禁物だった。
「隙ありぃ!」
 虎路ノ山が素早く間合いを詰め、禎姫のバストを掴む。
「ほう・・・貴様、死にたいらしいな」
 禎姫はバストを揉んできた虎路ノ山の足の甲を踏みつけ、怯んだところで助走もなしに高く舞い上がる。
「チェイアッ!」
 禎姫の左跳び前蹴りが虎路ノ山の顎を跳ね上げる。そのまま着地することなく右廻し蹴りで左頬を蹴り飛ばし、更に左後ろ横蹴りを空中で叩き込む。
 禎姫得意の<ラソンシク・チャギ>(螺旋蹴り)だった。この連撃に、虎路ノ山の巨体がリングに沈む。
 虎路ノ山をKOし、仕方なくテコと極を救いに行こうとした禎姫の前に、またも別の男が立つ。
「あの・・・次は自分とお願いできますかね?」
「尾代か。お前で大丈夫か?」
 レフェリーが心配するように、尾代と呼ばれた男はまるで強そうに見えなかった。背は男性の平均的なほどしかなく、肉付きもいい方ではない。
「どけ」
 禎姫の蹴りで吹っ飛ばされ、尾代がコーナーにまで転がる。リングを降りようとした禎姫だったが、すぐに身を翻す。
「あ、やっぱ不意を衝いても駄目っスか。いけると思ったのになぁ」
 タックルを避けられて頭を掻く尾代に、蹴りのダメージは見られない。
「シッ!」
 禎姫が繰り出す蹴りは尽く尾代に当たるが、尾代は倒れることもなくけろりとしている。
「自分、昔から鈍臭くて。だからクラスの奴によく苛められたんス。殴る蹴るは当たり前、終いにゃバットですよバット。そんな毎日を送ってたら、いつの間にか痛みに鈍感になりまして」
 蹴りの間合いの内側に進入した尾代に右フックを入れる禎姫だったが、尾代の手がカッターシャツに掛かり、ボタンが飛ぶ。禎姫は尾代の手を弾くが、尾代にシャツを引っ張られ、裾がはみ出し袖も落ちてくる。元に戻そうにも、尾代が纏わりついてそれをさせない。
「逃がさないっスよぉ」
 尾代の手が再びカッターシャツを掴み、禎姫の体勢を崩そうとする。
「ちっ」
 掴まれやすくなったとみた禎姫は、躊躇いもなくカッターシャツを脱ぎ捨てる。その下からは禎姫の言う「勝負下着」、スポーツブラが露わになった。
「うわ、潔いっスね。自分は目の保養になるから嬉しいっスけど」
「料金は高づくぞ」
 下着にミニスカという姿になりながら、禎姫が動揺することはなかった。

「くっそ、なんで私たちまで狙われてるんだよ!」
「知らないよそんなこと! <地下闘艶場>ってこんなとこなの!?」
「そうだよ! だからお前には招待状来ないんだろ!」
「それってどういう意味だ!」
「言わせるなよ! 色気も何もないってことだ!」
 マンハッタンブラザーズの二人とやり合いながら、口喧嘩する極とテコ。マンハッタンブラザーズに気を取られていたため、背後からのぶちかましをまともに喰らう。
「選手にやられた分は、セコンドに責任を取って貰おうかのぅ」
 背中を押さえて呻く二人を見下ろし、血まみれの顔で虎路ノ山が嘯く。マンハッタンブラザーズは極とテコをロメロスペシャルに極め、虎路ノ山は舌舐めずりをして二人に近づく。
「どぉれ、どんな感触だ?」
 虎路ノ山は極とテコのバストを同時に掴み、捏ね回す。
「む、こっちの緑のおっぱいは反則なくらい大きいじゃないか! これはお仕置きせねば!」
「緑言うな! て言うか触るな!」
 文句など聞き流し、虎路ノ山は極のHカップの巨乳を夢中になって揉み回す。
「・・・」
 触られなくなってよかったものの、テコはなぜか釈然としなかった。

 一方、リングでは禎姫の猛攻が火を噴いていた。しかし、その連打にも尾代は動じない。
「打撃は効かないっスよ。テコンドーなら投げも関節技もないっしょ? なら、自分には勝てないっスよ」
 尾代の言葉に、禎姫の口の端が微かに上がる。
「ほう、テコンドーには投げも関節技もない? 面白いことを言う」
「あ、受けました? 自分女の人に受けがよくなくて・・・」
 禎姫の右手がまだ喋っていた尾代の左手首を掴んだ。同時に左上段蹴りが尾代の顔面にクリーンヒットする。
「掴んで衝撃が逃げないようにしたつもりっスか? でも自分には効かないっスよ」
 鼻血を噴き出しながらも尾代の表情は変わらず、禎姫の左のバストを掴む。しかし、禎姫の狙いは別にあった。左足をそのまま振り抜き、尾代の後頭部に引っ掛ける。そのまま右足で尾代の両足を刈り、リングに倒したときには腕ひしぎ裏十字固めの体勢になっていた。
「ふっ」
 短い掛け声と共に、尾代の左肘が破壊される。
「あ・・・な、なるほど、これが狙い・・・っスか」
 禎姫が技を解くと、尾代は立ち上がって左肘を押さえ、禎姫を見遣る。
「いや、こっちが本命だ」
 禎姫の強烈な下段蹴りに尾代の両脚が刈られ、体が宙に浮く。肘の痛みのためか、先程までの踏ん張りはなかった。
「シィッ!」
 禎姫の強烈な蹴りが空中で顎を打ち抜いたとき、尾代の意識は既に断ち切られていた。

「畜生! お前ら、絶対に許さないからな!」
「うひゃぁ、そんなとこまで触るなぁ!」
 極とテコの二人はマンハッタンブラザーズと虎路ノ山に押さえ込まれ、バスト、ヒップ、秘部、太ももなどを弄られていた。立ち技系の格闘技を修めている二人にとって、男から圧し掛かられては返すのが難しかった。
「遠慮するな、選手の分まで触って触って触りまくってやるわい!」
 虎路ノ山は極の左脚とテコの右脚の上に腰掛け、二人の秘部をごつい指で弄り回す。マンハッタンブラザーズ1号は極の両手を踏みつけ、2号はテコの両手を踏みつけて極とテコのバストを捏ね回す。極もテコもなんとか逃れようと暴れるが、虎路ノ山のような巨漢に乗られていてはどうしようもなかった。
 そこに、静かな怒りを湛えた救世主が現れた。
「さて・・・貴様ら、人のセコンドに手を出すとはいい度胸だ」
 指を鳴らしながらリングを降りてくる禎姫を見た男達は、一様に動きを止めた。一日に二度同じ相手から叩きのめされるという屈辱は、病院のベッドでゆっくりと味わう羽目になった。

「先生・・・やっぱり頼りになるね!」
「金師匠、ありがとうございました」
 救出されたテコは喜び、極は頭を下げた。
「あの程度の男達に押さえ込まれるとは、練習が足りない証拠だな。帰る前に控え室で絞ってやる」
「ええーっ!」
「頑張れよ、テコ」
 にやつきながらテコの肩を叩いた極に、禎姫が冷たく告げる。
「お前もだ、八崎」
「え? テコはともかく、なんで私まで・・・」
「文句があるか?」
 大有りだったが、テコも極も文句が有るなどとは口が裂けても言えなかった。

 その後、三人が入った控え室のドアが一時間以上開くことはなかった。洩れ聞こえる怒号と悲鳴に、関係者も近寄れなかった。


 多額のファイトマネーを手に入れた禎姫は、まずテコと極を飲みに連れて行った。(二人の口数がなぜか少なかったのが不本意だったが)残りを全額道場に寄付し、道場の傷んだ部分の修繕に使って貰った。


 今日も道場には、禎姫の声が響き渡っている。
「テコぉ、もっと速く蹴らないか! 手を抜くんなら私とスパーだ!」
 道場生から恐れられながら、禎姫の熱の篭った指導は続いた。そのたびに、疲労と多量の汗で抜け殻のようになった道場生たちが生産されていく。それでも、辛いからと道場を辞める者はいない。
「いつかあの化物を追い抜く」
 それが道場生の高き目標だった。
 ・・・目標が達成されたという報告は、一件も上がっていない。

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