【外伝 堂倶燕 其の一】

「せいりゃぁぁぁっ!」
 突然、駅の近くの公園に気合が響く。若い女の子の声だった。その声に少し遅れて、重い物が地面に落ちる鈍い音が続く。
「人を子供扱いしただけじゃなく、お尻まで触ってくるなんてどんな変態だ!」
 自分が吹っ飛ばした男を指差し、小柄な少女・堂倶燕が咆える。目の端が吊り気味で猫を思わせ、長めの髪に軽いブリーチを入れ、襟足で一纏めにして三つ編みにしている。まるで中学生キッズモデルのような外見だったが、れっきとした短大の一年生だった。
 堂倶燕は、ゲームが大好きだった。特に格闘ゲームの「バーチャファイター」にのめり込み、結城晶という名の八極拳の使い手に惚れ込んだ。ゲームだけでなく実際に自分の手足を使って晶の動きを真似、大の男でも叩きのめせる実力を身につけた。
 今も駅を出たところで声を掛けてき、お尻まで触った男をこの公園まで引きずり、鷂子穿林で吹っ飛ばせてみせたばかりだ。
「くそぉ・・・なんて凶暴な餓鬼だ」
「誰がチビガキだこらぁっ!」
 立ち上がりかけた男に駆け寄り、横蹴りの<側腿>から踏み込んでの肘打ち・<裡門頂肘>へと繋げる。この連続技で男の体が地面を転がり、ぴくりとも動かなくなる。
「まいったかこの変態男!」
 腕組みして意外にも豊かな胸を張る燕に、横合いから声を掛ける者がいた。
「へぇ、八極拳か」
 その声に顔を向けると、ズボンのポケットに手を突っ込んだ男の子がいた。否、ショートカットの髪形にパンツスタイルと格好だけ見ると男の子だったが、声は明らかに女性のものだった。身長は燕より高いが、それでも女性の平均値を下回っている。
「あいつを思い出すな・・・だが、まだ甘い」
「なにをぅ?」
 自分が只管積んできた修練を否定された。そのことが燕の頭に血が上らせた。
「それだけ言うんなら、あんた、相当強いってこと?」
「ああ」
 燕の問いに、目の前の少女ははっきりと頷いた。
「お前の何倍も、な」
「ふっ・・・ざけるなぁぁぁっ!」
 考える前に体が動いていた。一歩で間合いを詰め、伸ばした掌底を叩き込む。鋭い<猛虎硬爬山>だったが、相手の手の平に受け止められる。
「確かに鍛えてはいる。だが・・・」
「放せっ!」
 その手を振り解き、二段蹴り<連環腿>を繰り出す。しかし半身になった相手に当たらない。
「動きが直線的過ぎて、至極読みやすい」
「くっそぉぉ!」
 着地と同時に、一番の得意技を繰り出す。左足を軸とし腰を回転、右足で地面を蹴ると同時に腰を落として左足も回転させ、回転エネルギーを背中に集めて相手へとぶつける。
 <鉄山靠>。
 最も燕が修練を積んだ技だった。結城晶の代名詞でもあり、その破壊力は他の追随を許さない。
「! そんな」
 手応えはあった。それでも相手は微動だにしなかった。腰を落とし、背中で受け止めている。
「中々きつい一撃だった。だが」
 背中越しに響いてくる低い声に戦慄を覚える。
「本物の『靠』、その身に刻め」
 相手が半歩踏み込み、地が揺れるほどの震脚で勁を生む。
 まるで、トラックに撥ねられたようだった。背中に受けた衝撃が内臓を揺さぶり、それでも足りずに燕の体を弾き飛ばす。平衡感覚が失われ、自分が天を向いているのか地に向かっているのかわからない。
 もう一度背中に衝撃が来た。
「がはっ」
 地面に落ちた衝撃で、肺の空気が絞り出された。立ち上がろうとしてもがき、体が動かないことを知る。たった一撃で戦闘不能にされていた。
「・・・くっ」
 自然と、涙が溢れた。
「ちくしょう・・・ちくしょう・・・!」
 悔しさだけが胸に残る。視界に、短髪頭が現れた。
「泣くくらいなら功夫を積め」
 つっけんどんで、突き放す物言い。
「敗北も強くなるための糧だ」
 その表情は影になって見えなかった。
「・・・たい・・・」
 一度歯を食いしばり、言葉を絞り出す。
「絶対、あんたをぶっ倒す! 絶対に!」
 涙声での宣言に、相手の纏う空気が緩んだ気がした。
「私は逃げも隠れもしない。いつでも来い」
 合沢六乃と名乗った相手は、自分が通っているという大学の名を挙げた。燕は頷くこともできなかった。
(見てろよ・・・次は、私があんたを見下ろしてやるから!)
 初めてぶつかった小さくも分厚くどでかい壁に、燕は拳を握り込んだ。
 太陽が視界の中で歪んだ。


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