【プロローグ】

 ドイツ・シュヴァルツヴァルト。陰鬱な黒き森の奥深く、時代を生き延びた名も無き古城がある。外観だけ見れば朽ちかけた建造物としか映らないが、見る者が見れば厳重に張り巡らされた最新鋭の警戒装置に気づくだろう。

 城の地下深く、更にその最奥に、玉座と見紛うほど豪奢な椅子に腰掛けた姿とその前に跪いた姿があった。部屋の中にはワーグナーの傑作、「ワルキューレの騎行」が鳴り響いている。
 椅子に腰掛けた人物は、両肩どころか豊かな乳房の半ばまで露出したドレス姿だった。その口から、鈴のような声が発せられた。
「日本で面白い催しがあったようね」
 その顔を見た者は、男は当然として女でさえも魅惑されてしまうだろう。内側から輝きを発しているかのような亜麻色の髪。長い睫毛。妖艶な瞳。赤くぬめる唇。血管までが透けて見えそうなほどの白い肌。体格はと見れば、女性である証が極端なほど見て取れるメリハリの凄まじいプロポーションだった。まるで神が、否、魔王が祝福を与えたような人間離れした美貌だった。
「仰せの通りです、フロイライン」
 問いかけに、跪いていた青年が美少女の剥き出しの股間から顔を上げた。その口は唾液とそれ以外の液体に濡れている。こちらの青年も美しかった。ただし、美少女のように人間の範疇を超えてはいないが。
 美青年が首の後ろで束ねた長い黒髪を揺らし、再びの奉仕に戻ろうとしたのを、美少女は脚を閉じることで終わりだと告げた。美青年は動揺も見せずに口元を丁寧に拭い、滑らかに立ち上がった。
 まるで、神話の中の英雄が降臨したようだった。平均身長を優に越す体格で、手足が長い。均整のとれた見事な肉体だった。よくよく見れば、ワイシャツの胸元は内側から盛り上がっている。胸元だけでなく、一流ブランドのものとおぼしき品のいいスーツの全体が内側から膨らんでいた。
「日本で『ゴゼン』と呼ばれる老人が主催の、レスリングショー・ルールのトーナメントが行われました。こちらの耳に入るほどの盛況だったようです」
 美青年の報告に、美少女は優雅に、傲然と頷いた。
「また同じようなトーナメントが行われるようならば、すぐに私に知らせなさい。我が『ノイエ・トート』の実力を知らしめる良い機会ですから」
「仰せのままに」
 美青年は胸の前に右手をかざし、静かに深く頭を下げた。
「そうだわ。折角だから、日本語を覚えるのもいいわね」
 美少女は自分の思いつきを気に入ったのか、もう一度優雅に頷いた。
「すぐに日本語の教材を用意なさい。貴方にも日本語を習得して貰うわよ」
「ヤー」
 ドイツ語で了解の意を表し、滑らかに一礼した美青年が音もなく部屋を後にする。
 美少女は暫く眼を閉じ、「ワルキューレの騎行」が起こす音の波に身を任せていた。やがて陶然と眼を開き、蟲惑的な笑みを浮かべた。
「東洋の神秘、この身で確かめてあげましょう」
 美少女が立ち上がった途端、半ばまで露出された乳房が重たげに揺れた。

***

「カミラ・アーデルハイド・バートリー、だと?」
「御前」の確認に、側近の一人である真崎は頷いた。
「どこから聞きつけたのかはわかりませんが、第二回シングルトーナメントに出場させろという要請がありました」
 しかも複数のルートを使っての要請だと言う。
「調べたところ、ヨーロッパではかなりの有名人です。しかも裏の社会で」

 カミラの家系は、祖父の代から続く「死の商人」だった。個人事業の色合いが強かった祖父の代を経て、父母の代で軍需産業にまで成長した。その父母は自動車事故で亡くなり、現在はカミラの伯父が軍需産業の会長となっているという。
 父母を筆頭に、カミラの周りでは不幸が渦巻いている。家族の死だけでなく、学校の同級生が何人も行方不明となっている。
 カミラが疑われたこともあったが、完璧なアリバイの前に警察も手が出せなかった。そしてカミラの周りで不幸が起こるたび、カミラは魔的な美を増していった。
 現在は何処かに居を構え、伯父からの仕送りで悠々と暮らしていると言う。

「傾城の美少女、という奴ですね。俺もこれほどの美人は初めて見ました」
 数多くの浮名を流した真崎ですら、カミラレベルの美少女を見るのは初めてだった。写真だというのに、その美貌に呪力のような吸引力を感じてしまう。
 自分が写真に見入ってしまっていたことに気づいた真崎は、一つ咳払いしてから写真を「御前」に差し出した。
「カミラ・アーデルハイド・バートリー・・・」
 写真の中で優雅に、妖美に微笑む美少女から、「御前」ほどの男が目を離せなかった。


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