【二回戦第三試合】
 (伊柄克彦 対 稲角瑞希)

 二回戦第二試合後に繰り広げられた妖しい事態はまだ会場内を酔わせているのか、興奮とざわめきは尚も渦を巻いていた。

「続きまして、二回戦第三試合を行います!」
 陶酔感の残る中、黒服の合図と共に、一組の男女がリングへと上がる。
「赤コーナー、"クラーケン"伊柄(いがら)克彦!」
 一回戦で、インターハイレスリングチャンプだった栗原美緒を寝技で圧倒した伊柄に、期待を寄せる観客から声援が飛ぶ。
「赤コーナー、『ミス・リー』、稲角瑞希!」
「稲角瑞希」。17歳。身長162cm、B86(Dカップ)・W62・H88。太い眉、大きな瞳のボーイッシュな魅力を持つ勝気な高校生。髪型はボブカットで襟足だけ伸ばし、三つ編みにしている。左頬にうっすらと真横に走る傷があるが、これは高校一年のとき、近所を走り回る暴走族が五月蠅いからとヌンチャクを手に殴り込みをかけ、メンバーの男六人を病院送りにしたときにナイフで切られた跡である。
 一回戦では茨木美鈴と対戦し、美鈴の体格とセクハラに苦しんだもののなんとか勝利を挙げた。今日もズボンタイプの黒い上下のカンフー着を着込み、伊柄を睨みつける。
「この試合は九峪志乃が裁きます!」
 リングに上がった志乃に、観客席からの歓声と視線が突き刺さる。
 今日の志乃はビスチェタイプのビキニ水着だった。レフェリー服の柄がプリントされているのも今までと同様。とは言え、ビキニ水着では柄もよくわからないのだが。
 志乃は両者を呼び寄せて諸注意を与え、まずは伊柄のボディチェックに移る。
「女レフェリーも大変やのぉ」
 にやにやと笑う伊柄の軽口を無視し、ボディチェックを終えた志乃は瑞希のボディチェックも終える。
「それでは、ゴング!」

<カーン!>

「ま、お手柔らかに頼むわぃ」
 笑顔の伊柄が右手を差し出してくる。
「・・・そっちがそう言うなら」
 握手に応じようとした瑞希だったが、突然首を竦める。その頭髪を掠め、伊柄の左手刀が通過した。
「あぶな! 何してるのさ!」
 首を竦めたまま飛び下がった瑞希が伊柄を睨む。
「思ぉたよりも場数を踏んどるよぉじゃのぉ」
 奇襲を仕掛けた伊柄が笑みを浮かべていた。先程のものとは違い、背筋が寒くなる。
「ちぃとばかし、本気出してもよさそうじゃのぉ」
 肩を回した伊柄がずいと前に出る。
「そらぁっ!」
 いきなり咽喉元目掛けて手刀が突き込まれてきた。
「っ!」
 反射的に仰け反ると、逆の拳が顔面を追いかけてくる。
「なんのっ!」
 伊柄の右突きを受け流し、ミドルキックをぶち込む。ジークンドーのトラッピングの技術だった。しかし見事に捉えたと思ったミドルキックを、左腕でガードした伊柄は後方に飛ぶことで最小限のダメージに抑えていた。
 距離を取った伊柄が、大きく息を吐く。
「・・・やってくれるのぉ、姉ちゃん」
 伊柄の目が細められた。途端に瑞希は筋肉が萎縮するような感覚に囚われる。
「・・・キミ、ただの不良上がりじゃないね」
「いぃや、ただの不良上がりじゃぃ」
 ただの不良では絶対に持ち得ない威圧感を身に纏い、伊柄が摺り足でじわりと距離を詰める。
「・・・っ!」
 背に当たったロープの感触に、瑞希は自分が後退していたことに気づかされた。
「ほぅぁぁぁっ!」
 弱気になった自分を鼓舞するように、怪鳥音と共に前に出る。インステップキックの体勢になる瞬間、腹部を激痛が襲った。
「あ・・・げぅ・・・」
 伊柄のボディ打ちに、瑞希の動きが完全に止まる。
「なんやぁ、一発でこれか?」
 せせら笑った伊柄が、瑞希の髪を掴んで上向かせる。
「・・・誰がっ!」
 瑞希は痛みを堪えて伊柄の手を弾き、顔を狙ってフックを放つ。しかしその瞬間、再び腹部に激痛が奔った。
「げっ・・・ぐぇ・・・」
 伊柄の膝が腹部に突き刺さっていた。腹部を押さえて前のめりになった瑞希の顔を伊柄が覗き込む。
「どぉや、負けを認めりゃぁこれ以上は・・・」
「ほぅあっ!」
 瑞希の裏拳が伊柄の頬を捉え、炸裂音を生む。
「往生際が悪ぃ奴じゃ・・・」
 一瞬閉じた伊柄の眼が、血光を纏って開かれる。
「その足掻きが、地獄の蓋を開けたでぇ!」
 伊柄の掌底が、瑞希の顎を正確に捉える。
「あ・・・」
 目の焦点がぼやけた瑞希の膝が崩れる。しかし、崩れきる前に腹部に伊柄の膝が突き刺さる。
 仰向けに倒れ込んだ瑞希を、尚も伊柄が踏みつけ、蹴りを入れる。
 やがてぐったりとなった瑞希の胸を踏みつけ、志乃を睨む。
「ほれレフェリー、カウントを取らんかぃや」
「・・・ワン、ツー、スリー!」

<カンカンカン!>

 唇を噛んだ志乃がそれでもスリーカウントを取り、試合が終了する。した筈だった。
「何をしているの!」
「やかましぃのぉ。黙って見とれやぁ」
 しゃがみ込んだ伊柄は志乃の咎めを聞き流して瑞希のカンフー着を無理やり開き、その下の白いTシャツを引き裂く。
「思ぉたよりもデカぃの」
 ブラに包まれた瑞希のバストに、伊柄が含み笑いを洩らす。しかしそれだけでは終わらなかった。ブラを掴み、乱暴にずらす。
 瑞希の乳房を露わにした伊柄は、更に瑞希のズボンを脱がした。伊柄の暴挙を止めようと、志乃は言葉を継ぐ。
「もう試合は終わったのよ、それなのに・・・」
「やかましぃ言うとるじゃろぉが、こいつはとことん辱めにゃぁ気が済まんのじゃぁ」
 こうるさげに振られた伊柄の手が、瑞希の下着に掛かった。
「いいかげんにしなさい!」
 とうとう志乃が伊柄の肩に手を掛ける。志乃の制止を振り払い、伊柄は血走った眼を向けた。
「なんやぁ、わしに指図するんかぃ」
 ゆらりと立ち上がった伊柄から、紛れもない殺気が迸る。
(こいつ、なんて空気を持ってるの・・・)
 嘗ては「鬼九」と呼ばれたヒールレスラーであった志乃が、伊柄の放つ殺気に一歩退いていた。
「元プロレスラーかなんか知らんが、偉そぉな口利くもんやなぃで。のぉ!」
 伊柄の肩が動いたと感じたときには、既にミドルキックが迫っていた。
「くぅっ!」
 ギリギリでガードした志乃だったが、伊柄のミドルキックはガードしたというのに内臓まで衝撃が響く。
(こいつ、なんて蹴りをしてる・・・っ!?)
 勘としか言いようがなかった。首を傾けたとき、額を掠るようにして伊柄の手刀が振り抜かれていた。
「あれをよけよるかぃ・・・ムカつくのぉ」
 凄まじい殺気を含んだ伊柄の視線が志乃を射抜く。
「あんた、『JJJ』のレフェリーで、元レスラーやったのぉ」
 志乃を睨む伊柄が、狂気の混じった呼気を吐く。
「そぉ言やぁ、あの短髪姉ちゃんも『JJJ』やったのぉ。ムカつく女が多い団体じゃぁ!」
 伊柄の目が血走っていく。その狂気に伝染したかのように、志乃の中に眠っていた「鬼九」が呼応しかける。
(まずい! このままじゃ私、何をするかわからない!)
 自分自身に恐怖しながらも、志乃の中の狂気は確実に膨らんでいく。
 その危険な状態を鎮めたのは、リングに現れた一人の男だった。
「克彦、そこまでだ」
 いつからそこに居たのか、サングラスを掛けた黒服が伊柄の下の名を呼んだ。
「・・・竜司さんがそがぁに言うなら、やめとこぉかぃのぉ」
 伊柄から殺気が消え、頭をガシガシと掻く。
「命拾いしたのぉ」
 整った顔に小さく笑みを浮かべてリングを降りていく伊柄に、志乃は何も返すことができなかった。


 二回戦第三試合勝者 伊柄克彦
  三回戦進出決定


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