【三回戦第二試合】
(伊柄克彦 対 ピュアフォックス)
会場には、まだ先程の試合の余韻が燻ぶっていた。八岳琉璃とカミラ・アーデルハイド・バートリーの闘いは、それだけ観客を惹きつけていた。
そのざわめきが収まらない空気の中、次の試合が始まろうとしている。
「これより、三回戦第二試合を行います!」
黒服の合図と共に、二人の男女がリングへと上がる。
「赤コーナー、"クラーケン"伊柄(いがら)克彦(かつひこ)!」
コールに応える様子もなく首をぐるりと回す伊柄に、会場からは大きな声援が飛ぶ。栗原美緒、稲角瑞希を撃破し、その秘められた実力を観客も認めたようだ。
「青コーナー、『天翔ける白狐』、ピュアフォックス!」
「ピュアフォックス」。本名来狐遥。17歳。身長165cm、B88(Eカップ)・W64・H90。長めの前髪を二房に分けて垂らし、残りの髪はおかっぱくらいの長さに切っている。目に強い光を灯し、整った可愛らしい顔に加え、面倒見が良く明るい性格で両性から人気がある。普段は自らが立ち上げたプロレス同好会で活動している。
一回戦ではグレッグを倒し、二回戦ではあのジョーカーを降して見せた。今日も純白のマスクとコスチュームに身を包んだピュアフォックスに、観客席からは盛大な声援が飛ぶ。
「この試合は九峪志乃が裁きます!」
志乃がリングに上がった途端、観客席から大歓声が起こる。
今日の志乃はビキニ水着だった。ビキニなのは先週と同じだが、露出度がまるで違った。前回はビスチェタイプだったのが、今回は三角ブラにTバックのボトムと面積が減っていたのだ。
伊柄とピュアフォックスを呼び寄せて諸注意を与えた志乃は、まず伊柄にボディチェックを行う。
「今日はまたサービスがええのぉ。おっぱいが半分以上見えとるでぇ」
伊柄の揶揄に、志乃の眉が寄る。しかし反応はそれだけで、ピュアフォックスのボディチェックへと移る。
「あの・・・ご愁傷様です」
「・・・もう何も言わないで」
ピュアフォックスからは同情の言葉が掛けられたが、志乃はそれを遮ってボディチェックを終えた。
「それでは、ゴング!」
<カーン!>
「姉ちゃん、いいおっぱいしとるのぉ。衣装の上からでもよぉくわかるでぇ」
伊柄がピュアフォックスの胸元を見つめ、唇の端を上げる。
「見るな変態!」
「見られたくなきゃぁ、もっとおっぱい小さくせぃや」
「うるさい変態!」
怒りに任せたラリアートは、伊柄の首を狩る寸前、脇固めの形にされていた。
「しまっ・・・あぐっ!」
腕を極められた瞬間、腹部を膝で抉られていた。更にもう一発。
「うっ・・・げほっ・・・」
「さぁて、覆面女子高生のおっぱいはどんなもんかぃのぉ」
伊柄がピュアフォックスのバストを鷲掴みにする。
「ちょいと硬め、男を知らんおっぱいじゃのぉ」
「うるさいよ!」
リングを蹴って前転することで関節技を外し、エルボーを放つ。
「おっとぉ」
しかし伊柄には届かない。
「ほれ」
「!」
今度はバストを弾まされる。
「人の胸ばかり触って・・・ちゃんと闘いなよ!」
「悪いが、姉ちゃんじゃ本気になれんのぉ」
「なら、本気にさせてやるから!」
伊柄の侮蔑に、ピュアフォックスが挑発的に指を突きつける。
「させてみせぇや」
「・・・」
伊柄の手招きに、ピュアフォックスの目が細まり、両足はステップを踏み始める。
「おぃおぃ、おっぱいが揺れとるでぇ。おっぱいに見とれさせる作戦かぃや?」
伊柄の指摘どおり、ピュアフォックスがステップを踏むたびEカップのバストが弾む。しかしピュアフォックスは何も返さず、じっくりと間合いを計る。
「えぇいっ!」
伊柄の顔面に向け、ピュアフォックスの掌底が迫る。
「そんな鈍い攻撃、当たりゃぁ・・・!?」
余裕でかわそうとした伊柄の左太ももで痛みが弾ける。掌底をフェイントとしたピュアフォックスのローキックだった。
「わしとしたことが、こんな単純な手に引っ掛かるとはのぉ」
伊柄が笑みを浮かべるが、その目は逆に冷たい光を帯びる。
「おらぁっ!」
鋭い踏み込みからの左ボディフックは空を切る。
「ちっ!」
ならばと放ったミドルキックも、ピュアフォックスに際どいところでかわされる。
「まったくちょこまかと・・・たいぎぃ奴よのぉ!」
一声高く咆えた伊柄の目が、僅かに細められる。そのまま何の構えもせず、無造作に距離を詰める。
「えいっ!」
ピュアフォックスのローキックを食らいながらも、伊柄はピュアフォックスの右肩を掴んでいた。
「捕まえたでぇ」
「誰をっ!」
伊柄の腕を関節技に捕らえようとしたピュアフォックスだったが、伊柄の拳が腹部に突き刺さるほうが速かった。
「おらぁっ!」
伊柄が怒号と共に、動きの止まったピュアフォックスの両足を刈る。
(まずい!)
受身を取ると同時に立ち上がろうとしたときだった。
「あ、やだぁっ!」
突然ピュアフォックスが叫ぶ。伊柄の手がピュアフォックスのマスクに掛かっていた。伊柄は必死にマスクを掴むピュアフォックスにサッカーボールキックを蹴り込み、背中を押さえて声が詰まったピュアフォックスの顎に掌底を叩き込む。
「あっ・・・」
ピュアフォックスの目が裏返り、リングに倒れた。
「・・・ふん」
ぐにゃりと崩おれたピュアフォックスを見下ろし、伊柄が鼻を鳴らす。そのままマスクの右の目元を掴むと、力任せに引き裂く。ピュアフォックスの右眉が覗いた。
「やめなさい! それは明らかな反則よ!」
志乃の制止に、伊柄の顔がゆっくりと向けられる。
「レフェリーさんよ・・・私情を挟んじゃいかんじゃろぉが」
伊柄の細められた目が志乃を射抜く。
「私情じゃないわ。反則を指摘しているだけよ」
「ムカつく言い方じゃのぉ・・・あんたから先にノしてもいいんじゃがのぉ?」
伊柄の目が殺気にぎらつく。その殺気に呼応するかのように、志乃の目も細められていく。
「やれるものならやってみなさい、坊や」
「なんじゃと?」
志乃の返しに、伊柄の殺気が膨れ上がる。対する志乃のほうも、眦が上がっていく。リング上での選手とレフェリーの対峙に、観客席が静まっていく。
「・・・試合中に対戦相手から目を離しちゃ駄目だよ」
「っ!?」
胴に何かが巻きついたと感じた瞬間、伊柄の足がリングから離れていた。
ピュアフォックスのぶっこ抜きジャーマンスープレックスで、伊柄の体が弧を描いてリングに叩きつけられる。しかしそこで動きは止まらなかった。
「よいしょーっ!」
伊柄をクラッチしたままのピュアフォックスが伊柄ごと後転し、二度目のジャーマンスープレックスでリングに落とす。
「まだまだぁ!」
伊柄を抱えたまま立ち上がったピュアフォックスは、ボディスラムの体勢に素早く抱えなおす。
「とどめ、行くよーっ!」
助走をつけたピュアフォックスが、エメラルドフロウジョンで伊柄の脳天をリングに突き刺す。会場に響いた衝撃音が終わらぬうちにフォールに入る。
「ワン! ツー!」
ツーカウントの瞬間、伊柄の肩がぴくりと動く。
「・・・スリーッ!」
<カンカンカン!>
しかしそこまでだった。志乃の手が三度リングを叩き、ピュアフォックスの勝利を告げるゴングが鳴らされた。
「勝っ・・・たぁぁぁっ!」
両拳を突き上げ、勝利の雄叫びを上げる。
「美緒さん! 仇は獲りましたよ!」
敬愛する先輩に向けて叫んだピュアフォックスに対し、観客席からの拍手は鳴り止まなかった。
三回戦第二試合勝者 ピュアフォックス
準決勝進出決定
「綺麗にやられたな」
伊柄に肩を貸して花道を下がる若い男が、真面目な口調で語りかけた。
「うるさいわぃ」
皮肉ではないとわかってはいたが、伊柄の胸の苛立ちはこんな科白しか吐かせなかった。
「頭に血が上るとすぐに冷静さを失うからな」
男の指摘に、伊柄の眉が上がる。
「それが、お前の弱点だよ」
「仕方なぃじゃろぉが、わしは『狂犬』じゃぁ」
口をへの字に結び、ぶすりと吐き出す。
「そう不貞腐れるな。弱点があるってことは、まだまだ伸びしろがあるってことだ」
「慰めはいらんわぃ。わしの頭に血が上りやすいのも、狂気に流されやすいのも事実じゃぁ」
歯を剥き出した伊柄の頭に、男が軽く手を置く。
「狂気結構じゃないか。自らの狂気すらも自在に扱えるようになればいい」
そのまま小さく撫でる。
「弱点だって、場合によれば武器になるんだからな」
「・・・そぉかのぉ」
口ではそう言いながらも、伊柄の口元には小さな笑みが浮かんでいた。
「それじゃぁ、今度こそ竜司さんに勝つでぇ。狂気を呑み込んでのぉ」
「楽しみにしてるよ」
若い男・御坂竜司は、自らに勝つと嘯く伊柄にも優しげな笑みを見せた。