【エピローグ−1】

「さて、引き上げるとするか」
 超VIPルームから階下を見下ろしていた「御前」が椅子から立ち上がる。
 シングルトーナメントの決勝戦が終わり、表彰式も終えた。観客も全て退場し、残るは「御前」とスタッフのみだ。立ち上がった「御前」に寄りそうようにして、鬼島洋子が廊下への扉を開ける。
 廊下に出た途端、黒服の壁が「御前」の周囲を固める。黒服の壁は「御前」専用のエレベーターまで動き、鋼鉄の扉へと吸い込まれていった。

***

「・・・ふむ」
 エレベーターから降りたとき、何故か「御前」が呟いた。
「お待ちしておりましたわ」
 地下駐車場の薄暗い照明の下に居たのは、カミラ・アーデルハイド・バートリーと、ジル・ジークムント・ヴァグナー主従だった。まるで自らが発光しているかのように、カミラの亜麻色の髪が輝いている。
「今更何の用だ?」
 どうやってここに侵入したのかなどは問わず、簡潔に訊ねる「御前」の顔は、稚気を湛えたものだった。
「話が早くて助かりますわ」
「御前」を見据えたままカミラが背後に手を出すと、ジルが掌に乗るくらいの装置を渡す。その装置には幾つかのスイッチが付いていた。
「このスイッチを押せば、核には及ばないものの、このビル一つは軽く吹き飛ばせる爆弾が爆発しますわ」
 その一つに指を掛け、カミラが艶然と微笑む。
「・・・何が望みだ?」
「御前」の問いに、カミラは当然のように要求した。
「<地下闘艶場>の強者、その全てを引き渡しなさい。ドイツへと連れ帰り、私の楽しみの相手とします」
「大会が終わった今になって、か?」
「シングルトーナメントの決勝戦が終わるまで待ってあげた。そのことに感謝して欲しいくらいですわね」
「御前」とカミラの視線が衝突し、幻視の火花を散らす。
「では、返事を貰えるかしら? 答えは決まっていると思うけれど」
 スイッチをわざと「御前」に見えるように示し、カミラが答えを強要する。目を閉じた「御前」は床へと顔を向けた。
「ふふっ」
 カミラが優越感に満ちた吐息を洩らす。
 下を向いた「御前」の肩が震えていた。屈辱に身を震わせていると取ったカミラだったが、すぐに違うことに気づく。笑いを堪えていた「御前」は、やがて哄笑を放った。
 ひとしきり笑い終えた後、「御前」は悠然と言い放った。
「面白い。やってみせよ」
「脅しではありませんわ」
「御前」の言葉に応じ、カミラが淀みなくスイッチの一つを押す。一番被害が少ない場所のスイッチだった。
「・・・?」
 確かにスイッチを押したというのに、爆発音も振動も感じられない。
「どうした。遠慮はいらぬぞ」
「御前」の揶揄に残りのスイッチを押していくが、全てのスイッチが反応しなかった。
「儂も舐められたものよ。小型の超高性能爆弾だとはいえ、儂が気づかぬとでも思ったか?」
 カミラが密かに設置した小型爆弾は、「御前」の配下によって全て除去されていた。しかもただ除去しただけではなく、元の位置に全く同じ外観の装置を埋めておくという徹底ぶりだ。
「ならば、実力で頂きますわ」
 起爆装置を捨てたカミラは、見る者の淫欲を掻き立てる豊かな胸の下で腕を組んだ。
「ジル!」
 主の声に応じ、ジルが進み出る。幾度か左手を開閉して見せたのは、もう痺れも取れたというアピールだろう。
「このジルと、<地下闘艶場>の全てを賭けて闘いなさい」
 カミラの望みに、否、命令に、「御前」が笑みを含んで問う。
「賭けとは、正当な対価を賭けねば成立せぬ。お前の賭けるものはなんだ?」
「私、カミラ・アーデルハイド・バートリー自身ですわ。不足がありまして?」
 伸ばした右手の親指、人差し指、中指で、カミラは自らの胸を押さえた。
<地下闘艶場>の全て、つまり、会場と出場選手全員を含めた全てと、カミラ本人が釣り合う存在なのだと宣言して見せたのだ。
「面白い」
 自らの価値を寸毫も疑わず、自らの駒に平然と運命を賭ける。その傲慢さと無造作さに興をそそられずにはいられなかった。
「では、立会いと行こうか」
「御前」に向かい、ジルがゆっくりと歩を進める。
「お前の相手は俺だよ」
 ジルの前に立ったのは、口元に微笑を浮かべた優しげな顔立ちの青年だった。ジルより10cm以上は背が低い筈なのに、その身長差をまるで感じさせない。
「お前が?」
 ふっと口元を歪めたジルから、凄まじい闘気が噴出する。しかし、ジルの放つ闘気は竜司の自然体に反らされ、後方に流れていく。
「・・・まずは名を訊いておこうか」
 ジルには珍しく、相手の名前を確認していた。
「御坂竜司」
 そう答えたのは、精鋭揃いの「御前」の裏部隊、若くしてその長を務める御坂竜司だった。表の世界で知る者は少なく、その実力もほとんど知られていない。しかし、ロシアンマフィア侵攻の際の暗闘では、銃器を持った集団を疾風の如き早業で薙ぎ倒して見せた。「御前」の姉の孫であり、血の繋がりを除いても「御前」の信任は厚い。
「リュージ・・・か」
 ジルの口元に、微かな笑みが浮かんでいた。ジルと竜司の間に緊張が張り詰めていく。
 その緊張を、第三者の叫びが破った。

  (続く)


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