【エピローグ−6】

「簡単には潰れないでくださいな?」
 小首を傾げるカミラが、緩やかに、柔らかさすら感じさせる動きで「御前」へと向かう。歩を進めるたびに、豊かな胸が更に膨らんでいく。否、肺に押し上げられた胸部が内側から膨張していく。
 それが合図であるかのように、カミラが艶笑を浮かべた。途端、凄まじい連打が「御前」に襲い掛かる。「御前」はカミラの拳を弾き、或いは逸らし、体捌きでかわしていく。しかしカミラの攻撃は衰えるどころか、益々激しさを増していく。
 カミラの連打が続くにつれ、胸部の膨らみが少しずつ元に戻っていく。カミラは大量の空気を肺に溜めることで、呼吸する際に生じる隙をなくし、暴力的な連打を可能にしているのだ。
(こやつ!)
 無呼吸で行われる際限ない連打。あの「御前」が全てを捌けない。
「ぬぅっ!」
 防御した筈の「御前」の左上腕に衝撃が突き抜ける。それだけでは終わらず、空気の揺らぎに乗ったかのように、カミラが「御前」に密着していた。
「フゥアッ!」
 鋭い呼気ごと叩きつけるかのように、捻りを加えた双掌打が「御前」へと叩き込まれる。爆風に吹き飛ばされたかのように、「御前」の体が宙を舞った。しかし無様な姿など露も見せず、「御前」は華麗に着地して見せた。
「流石ですわね」
 地下駐車場に拍手が鳴り響く。拍手を送ったのはカミラだった。
「体が温まりきらなければ全力で動けないのが、私の悪い癖ですわ」
 最初から本気で攻撃できていれば、「御前」を倒すのにも時間は要らなかったのだ。そうとでも言いたげなカミラの物言いに、「御前」配下の眼差しが鋭く尖る。
 しかし、またも拍手が起こる。今度はカミラではなく、「御前」だった。
「たいしたものだ」
 その「御前」の口から、赤い血が垂れていた。信じられない光景に、洋子を初めとした黒服の面々の顔色が変わる。しかし、一部の者は冷静に、或いは冷酷に「御前」を見つめる。
「まさかこれほどとはな」
 口元を拭った「御前」が嘆息を洩らす。しかしその眼が鋭さを増す。
「恐るべきは天賦の才。またそれを鍛え上げた修練の質。お前の遣う『ノイエ・トート』とやら、どこか古武術の臭いがするわ」
「御前」の独り言めいた問いに、カミラは何も返さない。
「訊ねたきことは山ほどあれど、今は良い。ここまで昂ぶる闘いができるのだ、野暮は無しだ」
「御前」の顔に、紛れもない笑みが浮かんでいた。
「ぬんっ!」
「なっ!?」
 右の逆突きが伸びたと見えたのに、カミラを襲ったのは上空からの左鉄槌だった。しかし並みではないカミラの反射神経は、これを横にかわす。かわしながらも肘打ちを繰り出すが、「御前」の右拳が上から押さえ、突きへと繋げる。カミラは上体を逸らしながら、かわす動作と蹴りを連動させる。
 カミラの短く手挟まれたスカートの裾が翻り、真紅の下着が視界に焼きつく。その一瞬の間で、「御前」とカミラの間合いが離れていた。
「これでも捕らえきれぬか」
「御前」が顎を撫でる。その手が下へと下ろされる。
「・・・どういうことかしら?」
 カミラの目が細められる。「御前」は両手をだらりと垂らし、何の構えも取らずに立ち尽くしている。
「諦めたということかしら? でしたら、せめてもの慈悲。苦しまぬようヴァルハラへと送って差し上げますわ!」
 高らかに宣言したカミラが、爆発的な推進力で間合いを消す。勿論ただ突っ込んだわけではなく、二重三重のフェイントを交えてからだ。
(しかし、これほどの達人が反応を見せない筈がない)
 ただ立ち尽くすように見えても、最後には必ず変化する筈。
(やはり!)
「御前」の両手が、拝み打ちの形でカミラの頭部を挟み込んでくる。もしこのまま食らえば、確実に脳を揺らされる。
 カミラの頭部が低く下がる。そのまま刹那の連撃突きへと繋げようとした瞬間だった。
「御前」の右膝が、カミラの胴を捉えていた。更に「御前」の右足が加速し、足一本でカミラを頭上まで跳ね上げる。
「ぐぅっ!」
 痛みに呻きながらも、カミラは「御前」の袴を掴んでいた。しかしその袴越しに「御前」の拳が食い込む。その一撃で、カミラの体が宙へと浮く。「御前」の拳が乱打され、全てがカミラの急所を打ち抜く。
「クアアアアッ!」
 それでもカミラは反撃を行った。「御前」の頭部を潰すため、両肘と右膝で挟み込もうとする。しかし、既にそこに「御前」の頭部はない。
「御前」の右腕がカミラの両肘に絡みつく。肘を極めて動きを制し、左肘を垂直に跳ね上げて鳩尾に叩き込む。くの字に折れ曲がったカミラの体を巻き込み、勢いをつけて背中からコンクリートの床に落とす。
「見事な反応だったな。儂が望むほどに見事な、な」
「御前」はカミラの反射神経を逆手に取り、自らの攻撃へと誘導したのだ。また袴に隠された膝の動きを、カミラは読み切れなかった。
「長きに渡り積んだ研鑽の量、甘く見過ぎたな」
 語りかける「御前」の声も、今のカミラには届いていない。幼子があどけなく眠るかのように、カミラは目を閉じたままぴくりとも動かない。
「カミラ様・・・」
 呆然自失の態でジルが呟く。
「止血をしてやれ。ここで死なすには惜しい」
 ジルへと顎をしゃくり、「御前」はカミラへと歩み寄った。そのまま失神したカミラの身体を抱え上げる。
「返せ・・・カミラ様を、私のフロイラインを返せ! 返せぇぇぇっ!」
 紳士然とした態度をかなぐり捨て、獣のようにジルが咆える。しかし黒服の群れがジルを押さえつけ、出血が続く手首を治療する。
「なに、心配することはない。後で丁重に返してやるわ」
「御前」が子供に言い聞かせるように柔らかく声を掛ける。
「儂が女にして、な」
 その口元には酷薄な笑みが浮かんでいた。ジルの叫びが獣じみたものへと高くなる。
「さて、賭けの報酬を貰おうか」
 駐車場の空気を震わすジルの咆哮ですら一顧だにせず、「御前」は洋子が開けたドアをくぐり、カミラを抱えたまま車内へと姿を消した。


 <地下闘艶場>第二回シングルトーナメント  終


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