【後 本編第四十五話】

 試合後の花道を、二人の男性が下がっていく。一人は黒いスーツにサングラス姿。もう一人は先程試合を終えたばかりの青いレスリングタイツ姿だ。
「克彦」
「・・・なんじゃぃ」
 御坂竜司の重い呼びかけに、伊柄克彦は拗ねたような答えを返した。
「試合前にも言った筈だ。<地下闘艶場>の試合は殺し合いじゃない、とな」
「そんなつもりはなかったわぃ」
 ぶすりと言葉を吐き出す。ただ相手のムカつく女を痛めつけてやる、それだけしか考えていなかったのだから。
「そのつもりが、途中で本気に変わるだろう? お前の悪い癖だ」
「・・・」
 自分のことだから、それが事実だとわかる。ただ、他人から指摘されるとまた腹が立つ。それが兄のように思っている男からの言葉でも、だ。
「『御前』が望んでいるのは女を痛めつけることじゃない。闘いの中で辱めることだ。お前にはそれができる、だからこそこのリングに上がったんだろう?」
「まぁのぉ」
 自分は腕っ節の強さだけでなく、女を性的に悦ばせることもできる。それを承知しているから、<地下闘艶場>などという見世物のリングにも上がったのだ。勿論「御前」の命令を拒むことなどできないが。
「『御前』の期待に応えるのも部下の役目だ。『御前』が期待するなんて、滅多にあることじゃないしな」
「あまり誉めるなや竜司さん。調子に乗りそぉになるわぃ」
 端正な顔に苦笑を浮かべ、頭を掻く。
「まぁええわぃ、今夜は気分がええけぇのぉ、わしが本場のお好み焼きを作ったるわぃ」
「・・・い、いや、今日は先約があるから、また今度に」
「なんでじゃぁ! わしの気持ちを踏みにじるんかぃ!」
「そういうわけじゃないけどな、お前、普段料理なんてしないって言ってたじゃないか」
「お好み焼きは別じゃぁ! 腹立つのぉ、こうなりゃぁ無理にでも食わし」
「・・・じゃあな」
 その言葉と旋風だけを残し、竜司は廊下から姿を消した。
「あ! ・・・くっそぉ、ほんまにお好み焼きだけは得意なんじゃがのぉ」
 確かに普段は料理などまったくしないが、故郷のお好み焼きだけはときどき作る。これだけは小さい頃から慣れ親しんだ味だからか失敗したことはない。
「しょうがなぃのぉ、今日は一人でお好み焼きとビールとしゃれ込むか」
「私で良ければご相伴に預かりますよ」
 突然声を掛けてきたのは、偶然通りかかったらしき三ツ原凱だった。前回の伊柄の試合でレフェリーを務めた男だ。
「立ち聞きは良くないのぉ」
「たまたま聞こえただけですよ。それより、ご馳走になっていいんですよね?」
 意外と押しの強い凱に、伊柄も苦笑で答える。
「一人で食うよりはマシかぃのぉ。まあええわぃ、そのかわりビールはお前持ちじゃぞ」
「仕方ないですね、了解しました」
 こちらも端正な容姿の凱が頷き、肩を並べて歩き出す。
(これが、仲間って奴なんかぃのぉ)
「御前」に仕えるようになってから、部下同士で過ごす時間ができるようになった。大抵はたいしたことのない会話で終わってしまうが、それが意外にも面白く感じてしまうのだ。
(やっぱり、竜司さんに感謝かのぉ)
 だがそれはそれとして、いつか伊柄が作ったお好み焼きを無理やりにでも食べさせてやる。そう心に書き留め、凱と歩みを合わせた。


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