【前 本編第四十六話】

 控室。既に衣装に着替えた嵯暁(さぎょう)紫苑(しおん)は、扇子を握ったまま静かに目を閉じていた。

 三姉妹の次女である紫苑にとって、長姉のさくらは敬愛の対象だった。そのさくらが<地下闘艶場>という裏のリングで敗北しただけでなく、嬲り者とされた。その事実は、普段は穏やかすぎるほど穏やかな紫苑の怒りを爆発させた。末妹のスミレには何も知らせず、姉を辱めた対戦相手との試合を承諾したのは、次女としての気遣いだ。

 さくらの反対を押し切り、<地下闘艶場>へと参戦を表明した紫苑は迎えの車に乗り、今は<地下闘艶場>の控室に居る。
 用意された衣装にも文句は言わず、私服を脱いで下着姿となる。腰回りは引き締まっているが、胸元と尻回りは大きな膨らみで見事な対比を描き出している。男性が見れば欲望を掻き立てるであろう肢体が晒されるが、今は見ている者など居ない。
 紫苑はあまり着たことのない種類の服に少し苦戦するが、無事に着替え、椅子に座って瞑想する。
 紫苑は日本舞踊を習っているが、格闘技の経験などはない。それでも、姉のため、闘いへと赴く覚悟はとうに固まっている。

「・・・」
 静かに瞼を開いた紫苑は、日舞で使う扇子を一度机に置いた。そのまま自分の格好を鏡で確認する。
 黒と白で構成されたメイド服は、胸元が大きく開けられている。Fカップのバストが形作る谷間はかなり深い。スカートは内側からふわりと広がり、簡単に下着が見えそうだ。
 しかし紫苑は羞恥も見せず、机の上の扇子をそっと持つと、胸の前にかざすように位置させた。そこから日舞で習った初歩の踊りをなぞり、集中力を高めていく。
 三度目の踊りが終わったのを見計らったかのように、控室の扉がノックされた。
「紫苑さん、用意はできていますか?」
 黒髪の女性黒服が顔を覗かせる。一度頷いた紫苑は扇子を胸の谷間に落とし、その上からガウンを羽織った。静かな深呼吸を行った紫苑は、女性黒服に向けて頷いた。
「では、ご入場を」
 扉を開いてくれた女性黒服に優美な一礼を返し、紫苑は花道へと進んだ。
 大好きな姉が嬲られた、淫虐のリングへと上がるために。


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