【栗原美緒 来狐遥】

「ねえ遥ちゃん」
 そう口にしたものの、次のセリフが出てこない。どう言えば傷つけずに本心が伝わるのか、そう考えて、まるで別れを切り出すカップルのようだと内心憮然となる。
「なんですか美緒さん?」
 目の前でオレンジジュースをストローで飲んでいた来狐(らいこ)遥(はるか)が、こちらの目をしっかりと見つめてくる。その明るく生命力溢れる容姿は、同性の目から見ても魅力的だった。
「んっとね、その・・・」
 だからこそ、栗原(くりはら)美緒(みお)は尚も言葉を選び、逡巡した。遥を嫌いなわけではない。それどころか、自分を慕ってくれる様子は好ましいくらいだ。
「毎週毎週一緒に遊ぶってのは、ほら、なんて言うのかな・・・」
「・・・美緒さん、私迷惑ですか?」
「め、迷惑とかじゃなくて! その、私も少しプライベートな時間が欲しいかな、なんて」
 なぜ自分は言い訳しているのだろう。内心ため息を吐きながらも、次の言葉を探す。

 美緒と遥の出会いは、<地下闘艶場>という裏のリングだった。そこでは強い女性をリングに上げ、性的に嬲ることを目的としていた。美緒と遥はタッグチームとしてリングに上がり、様々な手段で嬲られた。
 覆面レスラーとしてリングに上がった遥は、その覆面を脱がされるという最上級の屈辱も味わった。そのときから美緒は遥の顔から暗い翳を消そうと決心し、大学の授業がない週末には毎週のように遥を誘い、連れ出していた。そのおかげか遥にも笑顔が戻りつつある。
 しかし、その週末の約束が習慣化してしまった。美緒もたまには別の人間と遊びたいときがある。それでも遥から誘われると断れず、今日もこうして二人で会っている。

(ああもう、どうすればいいのよ!)
 誰にともなく心の内だけに叫び、栗色の髪をくしゃくしゃにする。
「やっぱり、そうなんだ・・・」
 ぽつりとした遥の呟きが、美緒の耳にはっきりと届く。
「え、ち、違うから。誤解しないでね、遥ちゃん」
「ううん、私、自分のことばっかり考えてました。ごめんなさい!」
 頭を思い切り下げた遥はグラスを鷲掴みにし、オレンジジュースをがぶ飲みする。氷ごと口にほおばり、一気に噛み砕く。
「それじゃ、今日はこの辺で!」
 遥の笑顔は、痛々しいほど眩しかった。

 支払いを割り勘で済ますと、二人は喫茶店を出た。
「美緒さん! 駅まで近道!」
 無理をしているとわかる声音で、遥が美緒を手招く。そうさせたのは美緒だ。小さくない罪悪感の重みを感じながら、遥の後を追う。

 遥は駅までの近道である裏通りをどんどんと進んでいく。と、その早足が止まった。薄笑いを張り付かせた一人の男が道を塞いでいたのだ。
「なにか用?」
「遥ちゃん、こんな奴は無視、引き返すわよ」
 絡まれる前にと方向転換した美緒だったが、後ろにも既に別の男が立っていた。
「ナンパ、とは違うようね」
 男たちの目が剣呑な光を放っていた。暴力を行使することに喜びを感じる性質の光だ。
「美緒さん、そっちはお願いします」
「・・・そうね、やるしかないか」
 遥の好戦的な声に引きずられるように、美緒も構えを取った。
 そのとき、美緒の目の前に居た男が背後からの一撃に倒れ込む。
「よお、危ないとこだったな。俺だよ俺」
 そこには、蜘蛛のモチーフの覆面を着け、長い腕を上げた男が居た。
「・・・ドエロマスクに用はないわよ」
 マスク・ド・タランチュラ。<地下闘艶場>で美緒と遥を嬲った内の一人だ。
「そんなキツイこと言うなよ。今日の俺は頼もしいボディガードだ、後は任せな」
 マスク・ド・タランチュラは前に出て、もう一人の男と美緒たちの間に入る。
「あらそう、じゃあよろしく」
「え?」
 大見得を切ったマスク・ド・タランチュラに手を振り、美緒は踵を返した。
「いいんですか美緒さん」
「いいのよ、本人がボディガードだって言ってるんだから。ほら、行くわよ」
 美緒は遥の背中を押し、さっさと姿を消した。あまりにそっけない態度に、マスク・ド・タランチュラの顎が落ちる。
「おい待てよ、少しは俺の活躍をだな・・・」
 マスク・ド・タランチュラの呼びかけなど気にも留めず、遥を伴った美緒は既に姿を消していた。
「折角いいとこ見せるチャンスだったのによ」
 二人がピンチになったところで颯爽と現れ、刺客を格好よく倒す。そうすれば二人とも自分を見直し、そのままデート、そしてその夜は・・・
「うわぉっ!」
 自分の妄想に浸りそうになったところで、男が瞬時に距離を詰めて突きを放ってくる。妄想の分だけ反応が遅れ、腹筋を強かに叩かれる。更に追い討ちの後ろ蹴りを食らい、2メートルも吹っ飛ばされる。
「どうした覆面男。威勢がよかったのは最初だけだな」
 男の嘲りに、マスク・ド・タランチュラがむっとなる。
「ちっくしょぉ、プロレスラーを舐めるなよ!」
 マスク・ド・タランチュラの叫びに、男の口元に嘲りの笑みが浮かぶ。
「プロレス? ああ、お前、あの見世物興行の猿回しか。いや、この場合は猿回しの猿だな」
 男の嘲弄が、マスク・ド・タランチュラの神経を逆撫でた。
「・・・お前、禁句を言っちまったな。吐いた唾は呑めねぇぞ」
「それがどうした猿!」
 男の爪先が腹部を捕らえたが、腹筋の力に跳ね返される。
「プロレスラーが一番強いのは、リングの上だ。でもな」
 覆面から覗くマスク・ド・タランチュラの眼は、怒りに据わっていた。
「一番恐いのは、リングの外なんだよ」
 マスク・ド・タランチュラの長い腕が瞬時に伸び、男の顔面へ拳がめりこむ。
「ぐぅっ!?」
 その威力に、男はたたらを踏んで後退していた。鼻血を噴き出し苦痛に呻く男へと、マスク・ド・タランチュラがゆっくりと歩み寄る。
「どしたい拳法使い。たった一発でおねんね、ってことはないよな?」
「殺!」
 殺気を漲らせ、男が突きを打つ。否、打とうとした瞬間、頬を裏拳で張り飛ばされていた。倒れようとして持ち堪え、口の中の違和感に硬いものを吐き出す。
 地面に落ちたのは、男の奥歯だった。
「あーあ、かわいそうに。差し歯に変更だな」
 にこりともせずにマスク・ド・タランチュラが指摘する。
「貴様のような見世物野郎に!」
「まだ言うかよ」
 怒りに任せて突進した、否、突進しようとした男だったが、マスク・ド・タランチュラの金的蹴りに動きが止まる。
「うごぉ・・・」
「リングの上じゃないから、これも反則じゃないんだよなっ、と!」
 男の喉元を掴み、高々と持ち上げる。そのまま固い地面の上に後頭部から叩きつけた。男が白目を剥き、横たわったまま痙攣を起こす。
「マットじゃないから、耐えられないだろ? レスラーに喧嘩売ったこと、暫く猛反省するんだな」

 マスク・ド・タランチュラが<地下闘艶場>で敗北してしまうのは、相手が女性だからだった。女性相手に本気は出せないし、なによりセクハラしなくては自分も観客も楽しめない。つい楽しみが過ぎるため隙ができ、よく逆転負けを喫してしまうのだ。

「さってと。お二人様、拷問部屋にご案内〜」
 マスク・ド・タランチュラは二人の男を肩に担ぎ上げ、何処かへと姿を消した。自分を残し、さっさと姿を消した美少女二人に文句を言いながら。


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