【暗夜闘−2】

 闇夜の中を疾風が舞っていた。「紅巾」の猛者をものともせず、その疾風は戦場を駆け抜け、敵を確実に屠っていく。
 突然、疾風が動きを止めた。動きを止めた疾風は人の形をしていた。その疾風を止めたのは、妖しい闘気を纏った人影だった。
「よお、お相手してくれよ」
 軽薄な言葉とは裏腹に一部の隙もなく、笑みを浮かべた男が歩み寄ってくる。
「『紅巾』の双璧だ。名前は朱洋銘っていう」
「『御前』の裏部隊の長、御坂竜司」
 洋銘の名乗りに応じ、御坂(みさか)竜司(りゅうじ)も名乗る。
「へぇ、お前さんが裏部隊の長か。ってことは、ロシアンマフィアとのいざこざで活躍したのはお前さんだな」
 素直に感心して見せた洋銘だったが、その表情はふてぶてしかった。
「どれほどのものか、楽しませてくれよ」
 緩く握られた拳がゆらゆらと不気味に蠢く。
 竜司の踏み出しは、一歩目から疾走を生んだ。洋銘の直前で方向を変え、左側面から肉薄する。
 洋銘の首はまるで動かなかった。左拳だけが一個の生き物のように竜司に襲い掛かった。竜司が防御しかできなかったほどの危険な速度と機敏さだった。
「ぐっ!?」
 真横からの攻撃を受け止めた筈だったのに、力の流れは上から来た。片手中段受けを十字受けへと変化させた瞬間、洋銘の右掌底が耳元まで迫っていた。
 影が交錯した。しかしそれも一瞬で、生死の仕切りから間合いが開いていた。
「速いねぇ。だが、俺には通じんよ」
 洋銘が右手を一閃すると、血の着いた皮膚の一部が地面に張りつく。
「・・・」
 竜司の左耳から一筋の血が流れていた。
 洋銘は竜司の耳へと掌打を入れ、鼓膜を破ろうとした。それに気づいた竜司はかわそうとしたが、洋銘は中指で耳の穴へ一撃を入れてきた。素早く回転することで穴の奥へ突っ込まれるのは防いだが、耳穴の皮膚をごそりと持っていかれた。
「お前さんを殺して、裏部隊とやらも全滅させる。そして、最後はあの男だ」
 突然連撃が始まった。竜司へと、紅家拳独特の剛拳の連続技が襲い掛かる。まるで竜司の意思を読んでいるかのように、動こうとした先に攻撃が待っていた。
「ぐううっ」
 ガードした箇所のスーツの生地が弾け飛ぶ。裏部隊随一の速さを誇る竜司が、その速さを封じられていた。
 するりと放たれた前蹴りを、下十字受けと腹筋を締めることで受け止める。
「おぐっ!」
 それでも衝撃全ては殺しきれず、後方へと吹っ飛ばされる。否、前蹴りを利して一旦距離を取る。
「お見事お見事。防御と逃げが上手いねぇ」
 わざわざ拍手する洋銘だったが、称賛に見せかけた挑発だった。
「・・・俺を殺して、裏部隊を全滅させ、『御前』にも攻撃を加えると言ったな」
「ん、結構結構。記憶力も良いようだ」
 洋銘の浮かべた皮肉な笑みなど見えぬげに、竜司は言葉を繋ぐ。
「俺の大事なものを壊していったお前たちを、誰一人として許しはしない」
 本拠襲撃の際、年上の同僚、気の合った後輩、有能な部下たちの多くが命を落とした。そして、女たちは汚された。
「だが、お前たちに感謝していることもある」
 成り行きとは言え、洋子と身体を重ねることができた。自分の腕の中で眠る洋子の寝顔は、どんな宝物にも替え難かった。
「この怒りと幸福感、生(き)のままぶつける」
 竜司の膝が撓められ、腰が僅かに落ちる。
「特攻戦法かい? やめときな、俺には通じないよ」
 再び、洋銘の拳が不気味な拳舞を始める。
 竜司の足元が爆ぜた。凄まじいまでの突進力を生むため、地面が爆発したかのように抉れたのだ。
「言ったろ、俺には通じないよ!」
 常人には目にも映らないであろう竜司の突進。しかし、洋銘の目は完璧に捕捉していた。
 竜司の顔面を狙って放たれた必殺の一撃。それが、下からの微風によって僅かに上方へとずらされた。竜司の額へと誘導された拳は、竜司の突進、額の硬さ、自らの突きの速度によって完全に破壊されていた。
「ちっ!」
 それでも一瞬で痛覚を遮断し、左掌底で顎への一撃を放つ。その左腕に竜司の右腕が巻きつき、即座に肘を折る。折ると同時に、洋銘の体が宙に舞っていた。
「シィィィィッ!」
 鋭い呼気と共に、鍛え抜かれた手刀が洋銘の急所を潰していく。速度が殺傷力をいや増し、洋銘の全身から血が噴き出す。地面へと自重で叩きつけられた洋銘は、もう動くことはなかった。
「『身を捨ててこそ浮かぶ瀬も在れ』。悪いが、伊達に死線を潜って来たわけじゃない」
 確かに洋銘は強敵だった。しかし、勝てないと絶望するほどの差はなかった。
 一呼吸で死合いの興奮と感慨を捨て去った竜司は、曲げた人差し指を口に入れ、甲高い音を出す。裏部隊の人間に指示を出すための指笛だった。
「竜司さん! 無事かぃや!」
 指笛を聞きつけ、駆けつけたのは伊柄(いがら)克彦(かつひこ)だった。竜司を兄のように慕う、不良上がりの裏部隊候補だ。
「心配は嬉しいが、今は一人でも倒すことを心がけろ」
 長として厳しい言葉を浴びせ、すぐに戦場へと戻らせる。
「わかったわぃ、わしの活躍、あとでたっぷりと聴かせたるけぇの!」
 一声咆えた伊柄が、闇の中で行われる血塗れの闘争へと再び飛び込んでいく。
「やれやれ」
 相変わらずの調子の伊柄に、一瞬戦場であることを忘れ、竜司は苦笑していた。しかしすぐに表情を引き締め、指笛を吹く。
 竜司は指笛を変化させ、裏部隊への指示を続けた。


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