【暗夜闘−4】

「のう、田芝」
「御前」の呼びかけに応じ、竹林の影から人が現れる。その顔は顔料か炭かで黒く塗られ、着ている物も全て闇の色だった。
「巧くおびき出されてしまったようだな」
 手懐けていた、否、手懐けたと思わされていた真崎は、最初から「御前」の指示で動いていたのだろう。真崎を通じて入手できた情報も、「御前」が吟味したものだと考えるべきだ。
 間抜けさ加減に苦笑が浮かびかける。しかしこの場面、自らの手で「御前」が討てるということではないか。
「私の息子の仇、討たせて貰う」
 途端、田芝の気配が綺麗に消え失せた。「御前」も感心するほどの見事な穏形だった。
(さて、どこに隠れたか・・・むっ!?)
 突然、田芝の気配が三つに増える。「御前」を欺くほどの技量の気術だった。
(田芝め、これほどの技を隠して持っておったか)
「御前」に仕えていた際に、ナイフを扱う姿を見たことはある。しかし、相手の感覚を騙すほどの術を修得していることをまるで悟らせなかった。
(それも当然か)
 例え相手が雇い主だとは言え、全てを見せる必要もない。否、自分の上に立つ者にこそ最後の牙は隠し持っておくものだ。気配を探る「御前」の脳裏に、微かな警鐘が鳴る。
「ぬっ!?」
 首を竦めたのはただの勘だった。だが、その勘が「御前」を救った。白い頭髪を掠め、何かが飛び去る。竹に金属が突き刺さる乾いた音が背後から届いた。
 慎重に移動した「御前」は刺さった物を抜く。
「ふむ」
 それは、鍔のない刃物だった。刃は黒く変色している。毒物が塗られているに違いない。それらの事実を素早く見て取った「御前」は、何故か刃物の匂いを嗅いだ。
「なるほどな」
 次に空気の匂いを嗅ぐ。風向きを確かめながら、懐から手拭いを取り出し、垂らす。
「しかし今更息子の仇討ちとはな。十年も前の怒りをよくも今日まで持続させてきたものよ」
 田芝は息子を「御前」に預け、教育を依頼していた。しかし十年前、息子は鬼島洋子に手を出した罪で処刑された。死骸すら渡しては貰えず、それでも田芝は煩悶を堪え、「御前」に忠誠を誓ってきた。
「権力の傍というのは、実に居心地が良くてな。だが、最近思ったわけだよ。権力の中心とはもっと居心地が良いものだろう、とな」
 竹林を突っ切る風に、田芝の声が散り散りに乱れる。声の出所がわからない。気配は元より断たれている。それでも、「御前」は風を読んだ。
「御前」の右手が何かを放ち、左手に垂らされていた手拭いが振られた。右手からは刃物が放たれ、手拭いは新たに飛来した刃物を叩き落していた。素早く刃物を拾い、それも放つ。
 たっぷりと三十を数えた「御前」は、ゆっくりと刃物を投げた地点へと向かって歩を進めた。
「投げることに意識を割き過ぎだ。だから投げ返された刃物を避けることができぬ」
 歩みを止めた「御前」の足下に、左太ももと右胸にナイフを生やした田芝が倒れていた。その口からは血が溢れている。
「な、なぜ・・・私の居場所が・・・」
「儂はな、鼻もいいんだよ」
「御前」は優しいとも取れる口調で田芝に説明してやる。それだけで田芝ならわかった筈だ。
「煙草、か・・・」
 言葉と共に血を吐き出し、田芝が自嘲する。「御前」に仕えるようになってからは止めていた煙草だったが、「御前」の元を去ってからまた吸い始めた。まさか、それが田芝の位置を教えることになろうとは。
「最期に言っておきたいことがある・・・聴いて貰えるか?」
 苦しい息の下、田芝が囁く。「御前」は頷き、田芝に顔を寄せた。
 瞬間、田芝が歯を剥いた。全身をバネと化し、「御前」の急所を狙って牙を立てる。
(死出の道連れよ!)
 死しても息子の仇を取る。田芝の執念だった。
 喉笛に噛みつく寸前だった田芝の顔が、百八十度回転する。
「すまんが、裏切り者を信じるなど愚なことはできぬわ」
 その執念も「御前」には届かなかった。頚骨を折られた田芝は、もうこと切れていた。
「裏切り者は田芝だったか」
 飄々と声を掛けてきたのは元橋だった。血の臭いをさせているが、足取りに乱れたところはない。闇の中では判別できないが、黒い道衣は返り血に塗れているのだろう。
「これで終わり、か?」
 元橋の言葉に、「御前」が首を振った。
「否、まだ『紅巾』が滅ぼせたわけではない。とは言っても、奴らの主力を潰した。暫くは大人しくしておろう」
 犠牲は大きかった。本拠を攻め落とされ、優秀な人材を数多く失い、あちこちに借りを作ってしまった。これまでの組織をズタズタにされたのも痛い。
「これからが面倒臭いの」
「なに、また組織を創りなおすだけだ。今度はより効率的なもの、小回りが利くものにする。それに」
「御前」の唇が捲くれ上がり、歯茎まで露出した。
「ここぞとばかりに手を出してきた者たちに、骨の髄までわからせてやれる。儂の恐ろしさを、な」
「御前」の笑みは、元橋ですら寒気を感じるものだった。
(所詮、お前の征く道は修羅の道か・・・)
 同族であり、弟子であり、雇い主でもある「御前」の鬼相を見て、元橋はそっと視線を落とした。
「御前」の哄笑が、修羅の喜悦が、死者を包む闇に響き渡った。

「紅巾大乱」 終



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