【稲角瑞希 アシュタルト・デフォー】

「やっ」
「またキミか。今日はなにしに来たのさ」
 呼び鈴に応じて玄関を開けた稲角(いなずみ)瑞希(みずき)は、そこに金髪を長く伸ばした優男を見つけて顔を顰めた。
「ちょっとね。外に出られない?」
 しかしそんな瑞希の表情に堪えた様子も見せず、アシュタルト・デフォーは瑞希を誘った。

 瑞希とアシュタルトの出会いは、<地下闘艶場>という裏のリングだった。アシュタルトと闘った瑞希は手も足も出ず、押さえつけられて唇を奪われた。しかもそれだけでは済まず、プロポーズまで受けたのだ。その隙を衝いて逆転勝利を飾ったものの、後日アシュタルトは瑞希の自宅にまで押しかけてきた。しかも両親がアシュタルトを気に入ってしまい、婚約者扱いするようになってしまった。

「やだ」
 きっぱり断ったのに、アシュタルトの笑顔は崩れなかった。
「それじゃ、またご両親に挨拶を・・・」
「だ、駄目! それは駄目!」
「でも、外に出てくれないんじゃ・・・」
「わかった! 出るから! ちょっと待ってて!」
 アシュタルトを両親と会わせるくらいなら、一緒に外に出たほうが幾分かマシだ。アシュタルトと両親が一緒になると、結婚にまで話が進みかねない。大急ぎで自室に飛び込んだ瑞希の耳に、母親ののんびりした声が届く。
「あらあら瑞希ちゃん、お客さんは?」
「え、い、いいの! ボク、ちょっと出てくるから!」
 ズボンの背中側にヌンチャクを押し込み、その上からGジャンを羽織って玄関まで走る。母親がアシュタルトを見つけないうちに、自宅から引き離さなくては!
「よし行くよ!」
 玄関を飛び出すと同時にアシュタルトの腕を掴み、自宅から遠ざける。
「あはは、今日は随分積極的だねぇ、マドモアゼル瑞希」
 くだらない発言に拳骨を一発くれ、更に引きずる。
「痛いよマドモアゼル瑞希」
「うるさい!」
 公園まで来て、ここなら大丈夫だろうと腕を放し、睨みつける。
「マドモアゼル瑞希、話を聴いてくれる気になった?」
「ああもう、勝手にマドマーゼルだかマーモットだかで呼ぶな!」
「でもねえマドモアゼル瑞希」
「・・・もう瑞希でいいよ。まどろっこしい」
 途端、ぱっとアシュタルトの表情が明るくなる。
「瑞希・・・いいねこの響き、うん。やっと認めてくれた?」
「なにわけわかんないこと言ってるんだよ、まどろっこしいからって言っただろ!?」
「ははは、瑞希は相変わらず照れ屋さんだなぁ」
 いつものようにまるで堪えないアシュタルトに、瑞希は口を尖らせる。
「で、用件ってなにさ」
 不満がそのまま声になる。
「実はね、瑞希を狙ってる奴が居る、ってこと・・・」
「居やがったな瑞希ぃっ!」
 アシュタルトの言葉を遮ったのは、バイクの爆音とまだ若い男の怒号だった。その後ろにも何人かの男が並び、剣呑な目つきで睨んでくる。
「あ、言った傍から来たよ。タイミングがいいねぇ」
「なに言ってんのさ。あれ、ボクが前ノした暴走族の連中だよ?」
 あの程度の連中なら何人でも返り討ちにできる。まさかこいつらの襲撃をアシュタルトが教えにくるとは思えない。
「まあいいや。手伝ってくれるんでしょ?」
 途中で考えることを放棄し、手首をほぐす。
「あー・・・それなんだけどね、瑞希」
「なに?」
「まさか昨日の今日で襲撃してくるなんて思わなくてさ、今日は杖を持ってないんだ」
 あははと笑うアシュタルトに、瑞希の顔が呆れ、引きつり、怒りの表情へと変わる。
「キミは・・・バカじゃないのかーーーっ!」
 アシュタルトの格闘スタイルは杖術だった。杖ほどの長さの棒を自在に操り、華麗に敵を倒す。その杖を持っていないということは、闘えないと言っているのと同じだ。
「男連れだろうがなんだろうが、遠慮はしねぇぞ!」
「兄ちゃん、運が悪かったな」
 暴走族の男たちは瑞希とアシュタルトを囲むように位置取りする。その数五人。
「懲りない連中だね。今度は入院じゃ済まないよ」
 腰の後ろに手挟んでいたヌンチャクを構えながら、瑞希が嬉しそうに手招きする。
「それはこっちのセリフだ!」
 木製バットを振り被った男の金的に容赦なく蹴りを入れ、ヌンチャクで顔面を張り飛ばす。鼻血を噴き出して倒れた男にはもう目もくれず、次の男に備える。
 五分刈り頭の両サイドに二本ラインを入れた男が、鉄パイプを振り回す。
「オラァッ、死ねオラッ、オラァッ!」
 オラオラと叫びながら、鉄パイプを瑞希ではなくアシュタルトの脳天に打ち下ろす。
「瑞希とキスしかしてないのに、死ぬなんてできないよ」
 そう嘯きながら、アシュタルトの右手がいつの間にか頭上に上げられていた。鉄パイプの軌道を柔らかく変えながらその端を掴み、鉄パイプの反対側を握っていた五部刈り頭を投げる。投げたときには、鉄パイプはアシュタルトの手に移っていた。
 アシュタルトは鉄パイプを一振りし、感触を確かめる。その一振りで頭部を叩かれ、先程まで鉄パイプを握っていた男が気絶する。
「んー、ちょっと太いかな? まぁ、僕のモノほどじゃないけどね」
 この下品な冗談に、男たちは怒気を浮かべ、内容を理解していない瑞希は無反応だった。
「使い勝手はどうかな、っと」
 上から三分の一ほどを逆手に握り、切っ先で∞を描くように旋回させる。その風切り音に、男たちの表情が変わる。
「折角の瑞希とのデートを邪魔してくれたんだ。ただでは済まないよ?」
「デートなんかしてない!」
 耳聡く否定した瑞希だったが、そのときには既に三人目を地に這わせている。
「照れなくてもいいんだよ」
 優しく瑞希に視線を投げながら、アシュタルトの鉄パイプは四人目の男の鳩尾を正確に抉り、戦闘能力を奪っていた。
「あと一人だね。逃げてもいいよ?」
 瑞希の忠告だったが、最後に残った男は鉄パイプを両手で持って正眼に構える。構えに落ち着きがあることから、剣道の経験者らしい。
 面打ちを狙った男のパイプが一瞬頭上に上がる。その僅かな瞬間に、アシュタルトの鉄パイプが男の両手首の間に差し込まれていた。
「フッ!」
 アシュタルトが差し込むと同時に捻ることで、男は自分の両手首を軸に投げ飛ばされていた。受身も取れずに地面に落ち、痛みに呻く。
「あ、こら! なんでボクの獲物を盗(と)るんだ!」
「ごめんね瑞希、こっちに来たから反射的に」
 鉄パイプの先端を地面に付き、アシュタルトが片手拝みで謝罪する。
「食事を奢るから、この件は水に流してほしいな」
「相変わらず難しい日本語使うね」
「そうかな?」
 首を捻ったアシュタルトが、公園の入り口へと素早く振り向く。そこに、新たな男が立っていた。
「また来た! こいつらの助っ人かな?」
 瑞希が指差し、叫ぶ。
「あ、多分こっちが本命」
「・・・そっか。こいつらとは迫力が違うもんね」
 暴走族の連中は、今だに地面で呻いている。ただ群れ、凄むだけしかできない連中とは違い、男の纏う雰囲気だけで危険なことに気づかされる。
 男が瑞希とアシュタルトに向かって歩を進めてくる。男が自分の背後に左手を回した。耳障りな金属の擦れ合う音に遅れ、何かを構える。
「・・・うそ。刀ってなに?」
 男が背後から取り出した得物には、かなり広刃の刀身がついていた。
「青龍刀だね」
 斬ることと刺すことに特化した日本刀とは違い、青龍刀は刃の重さで断ち切ることが主眼となる。その重量感に、瑞希の背を痺れるような感覚が奔る。
「瑞希、僕の後ろに」
「でも・・・!」
「頼むよ。僕は君を守るために来たんだ。傷一つ付けさせないために、ね」
 その真剣な横顔に、瑞希は続く言葉を呑み込み、アシュタルトの背中へと回った。
「ありがとう」
 言葉だけを紡ぎ、アシュタルトは男から視線を離さない。
(・・・それだけの奴なんだ)
 実際にアシュタルトと闘ったことのある瑞希は、アシュタルトの実力が並でないことは良く知っている。いつも飄々と、そのくせ惚けたところのある掴みどころのないアシュタルトが、こんな真面目な表情をしたのを初めて見た。
(・・・)
 その横顔に、瑞希は思わず見惚れていた。
「男は殺す。女は犯す」
 青龍刀の男は乾いた声で告げ、緩々と距離を詰めてくる。
「駄目だよ。僕が瑞希を不幸にさせない」
 アシュタルトが構える鉄パイプの切っ先が、僅かに上がる。対する男は右手で握った青龍刀を、アシュタルトに向けて突きつけている。まだ一合も交わされていないというのに、瑞希の掌一面に冷たい汗が浮いている。
「殺!」
 紛れもない殺気を乗せ、男の青龍刀が天より落ちてくる。
「っ!」
 鉄パイプで弾き返そうとしたアシュタルトだったが、男の体重も乗せた一撃に押し込まれる。耳に痛い金属音に遅れ、金髪が宙に舞う。
「もう少しできる男だと思ったが、買いかぶりだったか」
 跳ね返された青龍刀で再び打ち込みながら、男が薄く笑う。
「愛用の杖だったら、もう少しいい動きができるんだけどね」
 危険な打ち込みを交わしながら、男とアシュタルトは会話を交わす。アシュタルトの前髪の一部が短くなっているのは、青龍刀に切られたためだろう。
 一際大きな金属音が響き、男とアシュタルトの距離が離れる。無言で視線が交わされ、お互いに自分の得物を構え直す。
 男は瑞希の方へ回り込もうというのか、ゆっくりと円を描くように位置をずらし、アシュタルトもさり気なくそれを阻止する位置取りをする。二人は緩やかに動きながら、徐々にその間合いを詰めていた。
 動いたのはどちらが先だったか。青龍刀と鉄パイプがぶつかる金属音が幾度も鳴り、そのたびに細かな火花が散る。
 思わず息を飲んだ瑞希は、いきなり跳ね飛ばされていた。反射的に受身を取り、素早く立ち上がる。
「駄目だよ、瑞希を狙っちゃ」
 瑞希を突き飛ばし、青龍刀を弾き返したアシュタルトが鋭い視線で男を睨む。
「敵の弱点を衝くのは、兵法の基本だろう」
 男は青龍刀の背を肩に置き、唇の端を微かに上げる。
「残念ながら、それは根本の条件が間違ってるね」
 アシュタルトも鉄パイプを肩に置き、器用に肩を竦めて見せる。
「瑞希は僕の弱点なんかじゃない。僕の力を限界以上に引き出してくれる、世界一大切な存在だ」
 アシュタルトの科白に男の顎が落ち、瑞希の頬が赤く染まる。
「・・・度し難い色狂いめ。西戎はこれだから困る」
 唾を吐いた男は、改めて青龍刀を構える。青龍刀を握った右手を掲げ、左手を前に突き出している。
「瑞希、離れていてくれるかい。僕からは離れたくないと思うけど」
「・・・バカじゃないの」
 普段よりも弱い呟きを洩らし、瑞希は大きく距離を取った。男とアシュタルトの間合いの外へと。
「さて。瑞希を狙った君には思い知らせないとね」
 飄々とした口調ながら、アシュタルトの目には剣呑な光が宿っていた。
「この手はあまり使いたくなかったけど」
 小さく呟いたアシュタルトが、鉄パイプを剣の握りで構え、右肩の前で垂直に立てる。
 実戦剣の雄・薩摩示現流において、「蜻蛉の構え」と呼ばれる形だった。薩摩示現流は「二の太刀要らず」とまで言われるほど、初太刀に文字通り命を賭ける。当たれば相手を殺し、当たらねば自らが死ぬ。斬撃の速さと胆力を備えた者でなければ到底修めることができない実戦剣だ。
 アシュタルトの覚悟が伝わるのか、男の構えも青龍刀を手元に引きつけた慎重なものになる。
「瑞希、僕がやられたらすぐに逃げるんだ。いいね?」
「なに言ってるんだよ」
 そんな、アシュタルトが負けた前提での話など聴きたくない。
「負けちゃダメに決まってるだろ?」
 瑞希の問いに、アシュタルトは答えない。
「アシュタルト!」
 思わず名を叫んでいた。それを合図としたか、アシュタルトが一気に前に出た。鉄パイプを天へと突き上げ、男の頭上へと振り落とす。
「奮ッ!」
 しかし、男の青龍刀が真っ直ぐ突き出された。青龍刀は一直線にアシュタルトの胸元へと伸びていく。
「ああっ!」
 惨状を見たくなくて、瑞希は思わず目を閉じていた。その耳に、男性のくぐもった苦鳴が届く。
「アシュタルト!」
 反射的にヌンチャクを握り、駆け出していた。
「・・・あれ?」
 想像していた光景はなく、地面で体を折り曲げて呻く男と、それを見下ろすアシュタルトの姿があった。
「終わったよ、瑞希」
 アシュタルトがいつもの笑顔を瑞希に向ける。激突の瞬間、アシュタルトは鉄パイプを重力に従って滑らせ、下へ移動した柄で男の金的を痛打していたのだ。
「ひ、卑怯者め・・・」
「瑞希を狙ったくせに、そんなこと言われたくないなぁ」
 些か容赦なく、アシュタルトは鉄パイプで男の頭を叩く。脳震盪を起こした男は反論もできなくなった。
「バカバカバカバカバカァ! 死ぬかと思ったじゃないか!」
 瑞希はヌンチャクを放り出し、アシュタルトに縋りついていた。
「大丈夫だよ、君を残して死ねるわけないじゃないか」
 瑞希の頭を撫でたアシュタルトが、突然顔を寄せる。不意打ちのキスに、瑞希の顔が忽ち熱を持つ。
「ご褒美、貰ったよ」
 アシュタルトのにこやかな笑み。それが更に逆上させた。
「・・・こんの、色ボケ男ぉっ!」
 瑞希の容赦ないワンインチパンチがアシュタルトの鳩尾を抉る。
「ひ、酷いよ、瑞希・・・」
 跪いた状態で痛みを訴えるアシュタルトに拳骨を落とし、キスされた唇を乱暴に擦る。
「うるさい! 黙れ! 勝手にキスするのはセクハラなんだぞ! まったく、心配して損した!」
 瑞希はアシュタルトと男と暴走族の連中を残し、足音も荒く公園を後にした。
「あいたたた・・・相変わらず容赦ないなあ瑞希は。そこも魅力的なんだけど」
 鳩尾と頭を擦りながら立ち上がったアシュタルトは、鉄パイプで男の首の後ろを優しく叩く。男は一度ピンと足を伸ばした後、全身の力が抜けた。
 アシュタルトはその様を見ることもなく携帯電話を取り出した。
「あ、どうも僕です。ヘルプお願いします。そうそう、丁度今ですね・・・え? 自分で連れて来いって・・・無理ですよ、僕腕力ないんですから」
 軽くはない鉄パイプを軽々と玩びながら、アシュタルトはぬけぬけと言ってみせた。置き忘れられたヌンチャクを鉄パイプで跳ね上げ、肩で受け止める。
「はい、それじゃ後はお願いしますね。やだなあ、待つくらいはしますよ」
 携帯の通話を切ると、ヌンチャクを懐に入れ、鉄パイプを地面につき、のんびりと鼻歌など歌い始めた。

「ああ霧人くん、こっちこっち」
「こっちこっちじゃないぜ。お前が甘えたこと言うから、俺にお鉢が回ってきたんだ。俺だって忙しいんだからな」
 公園に現れたのは、「御前」の裏部隊の一人、瓜生(うりゅう)霧人(きりと)だった。黒いスーツ姿からはわかりにくいが、鍛え抜かれた肉体と膂力を誇る、元橋堅城の直弟子だ。
「頑張って力持ち。僕箸より重たい物持てないし」
「・・・その鉄パイプは箸より重いだろ」
 緊張感のない会話を交わしながら、霧人は男を肩に担ぎ、青龍刀を右手にぶら下げる。
「こいつらは?」
 霧人の視線がようやく起き上がってきた暴走族の男達の顔を撫でる。それだけで、暴走族の男達は格の違いを知らされた。
「瑞希の遊び相手、ってことになるのかな?」
 小首を傾げたアシュタルトは、霧人とは違い、柔らかな笑みを浮かべる。
「でも、これからは余り瑞希に構わないほうがいいかも。こういう風に、命を狙われかねないから。ね?」
 アシュタルトが見せた笑みに、暴走族の男達は慌てて頷いた。


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