【天現寺久遠 河井丈】

 天現寺(てんげんじ)久遠(くおん)は、自宅のチャイムに叩き起こされた。
「・・・誰だよ、こんな朝っぱらから」
 九時過ぎを指している時計を睨み、くせっ毛頭を掻きながら扉へと向かう。
「勧誘ならいらねぇよ!」
 不機嫌さそのままに扉を乱暴に開ける。
「あ、いや・・・すまん」
 久遠の前に立っていたのは、<地下闘艶場>で闘ったジョーカーこと河井(かわい)丈(じょう)だった。
「なんだ、丈か。なんだよこんな早くから」
 乱暴な口調はそのまま声のトーンを落とす。
「・・・<地下闘艶場>から連絡があったんだよ。お前を狙ってる奴がいる、って」
 こんな早く、という単語に何か言いたそうな丈だったが、口にしたのは伝えるべき用件だった。
「はあ? あたしにはそんな心当たりは・・・」
 否定しようとした久遠だったが、すぐに頷く。
「あり過ぎて困るな」
「それが、そういうのとは別口らしい」
 別段ツッコミも入れず、丈は補足を入れた。
「別口ねぇ」
 興味も沸かないのか、久遠は欠伸を噛み殺し、改めて丈を見た。
「そんくらいのこと、直接言わなくても、携帯にかけてくればいいじゃないか」
 久遠の指摘に、丈は上を向いて頬を掻いた。
「実は、その・・・朝飯、食わせてくれないか」
「なんだそりゃ」
 呆れたように久遠が呟く。
「しょうがない、上がりなよ」
 口ではなんだかんだと言いながらも、久遠はいそいそと二人分の朝食の用意を始めた。タッパーに保存してある出汁から味噌汁を作り、ご飯を温めなおし、塩鮭を焼く。塩鮭にはレモンを垂らし、ちゃぶ台に並べる。
「ほら、できたよ」
「ありがたい。いただきます」
「いただきます」
 二人ともきちんと手を合わせ、箸を取る。味噌汁を啜った丈が笑顔を向ける。
「やっぱり久遠の飯はうまいな」
 丈の笑顔に、久遠はくせっ毛頭を掻いた。
「いいから、早く食べなよ」
 素っ気ない口調だったが、照れは隠せていなかった。

<地下闘艶場>に参戦した久遠は、河井丈ことピエロのペイントをしたジョーカーに嬲り者にされた。しかも後日、丈は久遠に直接声を掛けてきたのだ。滾る怒りをぶつける久遠だったが、なぜか素顔の丈には強く出ることができなかった。会う回数が増えるにつれ、一緒にプールに行ったりご飯を作ってやったりする間柄になっていた。
 別に正式に付き合い始めたわけではない。ただ、今の距離が久遠にとっては最適だった。

「ごちそうさまでした」
「はいよ、お粗末さま」
 食べ終わればきちんと手を合わせ、締めの言葉を言う。この辺、丈は妙にきっちりしている。
「それじゃ、今日からボディガードに入る」
「・・・はぁ?」
「いや、『はぁ』、じゃなくて。それくらい危険な相手らしいんだ」
 丈の真面目な口調に、茶化そうとした久遠も表情を引き締め、小さく頷いた。

***

「おい・・・もう今日で五日だぞ」
 丈が久遠のボディガードを買って出てから五日間が過ぎようとしていた。
「まさか丈、でっちあげであたしにくっついていたいだけじゃないだろうね」
「・・・」
 反論できる材料もなく、丈は黙って久遠の隣を歩く。
「今日で最後だ。明日も付きまとうようなら・・・」
 まだ続けようとした久遠の顔の前に、丈が手をかざす。
「・・・久遠」
「ああ」
 丈の呼びかけに、久遠も短く答える。いつの間にか周りを囲まれていた。その数四人。
「これほどの奴ら、か」
 久遠も丈も、常人より他人の気配を感じ取ることができる。それなのに、男たちに囲まれるまで気づかなかった。
「まさかあんたの言った通りになったとはね。悪かったよ」
 背中合わせになった久遠から謝罪の言葉が出る。
「わかってくれたならいいんだ。それより・・・」
 丈がいつもの手袋を装着し、軽く開閉させて手に馴染ませる。
「こいつら、できるぞ」
「ああ、見ただけでわかる。油断できないね」
 多人数で囲んでいるのに、チンピラのように大声で威嚇するわけでもない。背中合わせになった久遠と丈を冷静に見つめ、僅かの隙も見逃すまいとしている。
「さって、どいつから来るかな?」
「多分・・・」
 丈の言葉は続けられなかった。四人がほぼ同時に殺到し、打撃を繰り出してきた。
「おらぁ!」
「フッ!」
 久遠と丈は横からの攻撃を腕で弾き、目の前の男に蹴りを叩き込んでいた。丈に腕を弾かれた男の腕から赤いものが飛沫く。
「シィッ!」
 丈の手刀が閃くたび、男たちの体から鮮血が舞う。
「丈! 殺すなよ!」
「わかってる、大丈夫だ」
 丈の手袋は特別製だった。縁周部に特殊な素材の糸が仕込まれており、男達の服や皮膚を易々と切り裂いていく。
(ほんと、こういうときは頼り甲斐があるんだよな)
 闘いの中、背中を任せることができる。それがどれだけ安心できることか。
「おらぁぁっ!」
 気合いを入れた久遠は、目の前の男の顔面を蹴り飛ばしていた。

 闇の中、彼らの動きを注視する者たちが居た。その視線に、久遠も丈もまるで気づいていない。
「あれがジョーカーと呼ばれる男、か。分不相応な名を名乗るものだ」
 嘲りを含んだ声が低く流れる。
「ジョーカーってのはあれだろ、トランプの最強の札だったよな」
 そう返したのは子供のように楽しげな声だった。
「道化師の格好をしている絵が載っているあの札だな。しかしあの男、今は道化には見えないが、リングに上がるときには道化師そのものに化けるぞ」
 その声だけは女性だった。
「今はまだ本気ではない、ということか? しかし動きに無駄が多すぎる。我らの敵ではあるまい」
 最初の声の持ち主から、やはり侮りの声が洩れる。
「ま、俺たちの出番はまだまだ先だ。のんびりしておこうぜ」
 楽しげに提案した男の声に、他の二人も頷きを返し、再び闇に消えた。


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