【反攻】

「糞ッ!」
 怒号と共に、木製のテーブルが叩き壊される。
「奴と元橋に違いない。それがわかっているのに、なぜ捕らえることができん!」
 何処かの部屋の中、男が怒声を上げていた。
 ここ数日、「紅巾」の張った根城が次々と襲撃を受けていた。何年もの年月を費やし、準備してきたものだ。それが相次いで襲撃を受け、構成員が殺され、軍資金が奪われている。
 犯人は神出鬼没で、次にどこを襲ってくるのか予想もできない。このままでは関東に築いた根城が全て潰されかねない。
 テーブルを破壊した男の顔が怒りの捌け口を睨む。
「お前の言うとおり、<地下闘艶場>とやらに参戦した女どもも襲った。本拠も落とした。しかし、肝心の奴を殺せなければ何の意味もない!」
 罵られる側の男は、平然と煙草を吹かしていた。
「あれだけの情報を流したのに、生かすことができなかったのはそちらの落ち度。しかも、損害が大きくなるという理由で本拠攻めに本隊を動かさなかったのは誰だ? 私に当たられても困るな」
 殺気の篭った視線を自然体で受け止め、口から吐いた煙で輪を作って見せる。
「本隊は貴様の策に乗って、脱出口に待機させていた。何を他人事のように言っている!」
「策を採るのも採らぬのもそちらの自由。全てを私に負わせようとするのは虫が良いと言わざるを得ないな」
 再び煙草を吹かした男が、ゆっくりと部屋を見回す。
「それに、横浜へと出向いたのだから、あの老人から根城の情報が漏れたと考えるのが自然だろう。今から横浜に行ってみたらどうだ? あの古狸が素直に教えてくれるとは思えんがね」
 男の嘲弄に、部屋を殺気が覆っていく。
「玄利、ならば今度はこちらが罠を張ればいい。残った根城を囮とし、奴らを迎え撃つ。指揮は私が執る」
 男を「玄利」と呼んだのは女性の声だった。
「『御前』を殺すのは私の役目だ」
 女性が煙草を吹かしている男に、鋭い言葉の刃を叩きつける。
「一度敗れ、犯された女が、か?」
 嘲りを含んだ返答に、女性の形の良い眉が跳ね上がった。
「状況をお膳立てしてやったというのに、したことは自分の身体で『御前』を楽しませただけ。そんな女を使うことはできない相談だ」
「田芝。貴様、私を挑発しているのか」
 煙草を吹かしていたのは、「御前」の側近の中でも最古参である田芝だった。その顔が女性に向き、紫煙と言葉の毒を吐き出す。
「『御前』に抱かれ、心まで奪われていないと誰が証明できるというのだ? 口だけではなんとでも言えるのだよ、呉美芳」
「貴様!」
 美芳の突進は、突き付けられていた刃物に未然に止められた。
「まあそういきり立つな。今は同盟相手だ。殺し合いは勘弁願う」
 左手に煙草を挟み、煙を美芳に吹きつける。
「っ!」
 言葉と行為での挑発に激した美芳が攻撃に移ろうとした瞬間だった。
「はいそこまでよ、と」
 背後から美芳の右手首と胴を抱え、動きを止めた男が居た。
「離せ洋銘!」
「駄目だって。大事な駒を潰されたら困るからな」
 美芳が洋銘と呼んだ男は田芝を「駒」と呼び、忍び笑いを洩らす。対する田芝は煙草を吹かすだけだ。
「私が離せと言っているのは、胸からだ!」
 洋銘の左手は、美芳の右胸を掴んでいた。
「おっと、こりゃ失礼」
 そう言いながらも、洋銘の左手は離れるどころか美芳の胸を揉み始めた。
「貴様!」
「ちょっとは大目に見ろよ。減るもんじゃなし」
 大きくなることはあるかもしれん、と続けようとした洋銘は、美芳から離れた。その鼻先を靴の爪先が掠る。
「おいおい、真剣になるなよ。お前の蹴り食らったら、自慢の鼻が低くなっちまう」
 洋銘に体を預けるようにして放たれた美芳の蹴りは、惜しくも寸前でかわされた。洋銘は充分に距離を取ると、田芝を見据える。
「だが、罠を張るのには俺も賛成。駄目ならまた別の手を考えようぜ」
「女の尻馬に乗るか。誇りのない男だ」
 田芝の毒言だったが、洋銘は肩を竦めただけで怒りも焦りも見せない。
「いい女の言うことは聞いてやるもんだ。全く、『紅巾』の一族じゃなけりゃ俺がさっさと抱いてたのにな」
「お断りだ。私は軽い男が油虫の次に嫌いだからな」
「そりゃ残念」
 言刃と軽口の応酬を、突然鳴り響いた甲高い電子音が遮る。
「・・・」
 玄利が無言で懐から携帯電話を取り出し、耳に当てる。
「・・・そうか、了解した」
 短い遣り取りで通話を終わり、玄利は美芳に冷めた視線を送った。
「王長老がお呼びだ。本拠に戻れ」
「っ・・・」
 美芳の顔が強張る。唇を痛いほどに噛み締め、それでも理性で憤懣を抑え込む。
「・・・帰還する」
「それが良いな。不確定要素が絡めば、失敗の確率も増えてしまう」
 田芝の毒言に、美芳がそれだけで殺せそうな視線を突き刺す。
「美芳」
「わかっている!」
 田芝を睨みつけたまま咆えた美芳が踵を返す。
「・・・掟は、守る」
 力ない呟きは、空しく部屋を漂い、扉の閉まる音よりも前に消えた。
 静寂を破り、いきなり携帯電話が鳴る。
「失礼するよ」
 田芝が背広の内ポケットから携帯電話を取り出し、耳に当てる。
「そうか・・・」
 何度か頷き、短い遣り取りを行う。
「ご苦労だったな、真崎」
 最後に相手の名前を呼び、田芝は通話を終えた。
「『御前』の居場所がわかったぞ」
 田芝の言葉で、二人の男の顔に喜悦が浮かんだ。

***

 とある国のとある一室。椅子に座った男とその前に立つ女性の姿があった。
「王長老。呉美芳、帰還致しました」
 抱拳礼を捧げた美芳に、「紅巾」最長老の王胤は冷たく命じた。
「服を脱げ」
 一瞬身を硬くした美芳だったが、上着を脱ぎ、ズボンを足から抜き、真紅の下着まで全て外して生まれたままの姿となる。豊かな胸の張り、厳しい鍛錬で引き締まった腹部、優美な曲線を描く太もも、大きくも上を向いた尻まで隠すものはない。
「・・・情けない」
 王胤の口から冷ややかな言葉が零れる。しかし、冷徹はすぐに激情に取って代わられた。
「『紅巾』の一族ともあろう者が、偉大なる呉志鳴の孫ともあろう者が、あの男に犯されるとは!」
 立ち上がった王胤の手が美芳の乳房を掴む。
「この乳も、あの男に触られたのか!」
 老人にしては強い力で握り締めてくる。そのまま美芳の身体を押し、寝台へと倒す。
「おのれ・・・あ奴め・・・」
 両手で乳房を握り締めたままの王胤から、歯軋りが零れていく。
(いつまで、このようなことを)
 以前から、王胤にこういうことをされるときは嫌悪感があった。しかし今、嫌悪感に加えて忌避感までもが生じている。
(長老は、『御前』が<神女>を汚したと言った。しかし・・・)
「御前」の言うことが正しければ、<神女>とは男の性欲処理のための奴隷でしかなかった。ならば、恥ずべきは「御前」ではなく、「紅巾」のほうでないのか。
(それに・・・)
 偽名とは言え、シングルトーナメントでは王姓を名乗らされた。祖父を誇りに思う美芳にとって、他姓を名乗るのは屈辱以外何物でもなかった。
 突然、美芳は身を竦ませた。王胤の手が秘部へと届いたためだ。
「ここにも・・・ここもあ奴に汚されたのか!」
 秘裂をなぞり、王胤が嗚咽にも似た咆哮を放つ。
「・・・清めてやる」
 王胤はズボンを下ろし、下半身を丸出しにした。
「あ奴に汚されたお前を、清めてやる!」
 美芳の太ももを割り、体を差し入れる。そのまま腰を密着させた。美芳の身体が強張る。しかし、若き日の「御前」に睾丸を二つとも潰された王胤は、もう男の用を果たすことができなかった。それでも柔らかいモノを美芳の秘裂に当て、腰を動かす。
「おのれ、おのれ! あ奴め、あ奴めぇ!」
 名も知らぬ男を罵りながら、まるで反応しないイチモツを必死に擦りつける老人が哀れだった。
『呉志鳴の孫だからな』
 突然蘇った科白と男の顔に、美芳の胸の奥が締め付けられる。あのとき感じたのは、男が払う祖父への敬意だった。
 仇である筈の白髪の男の顔に縋るように、美芳は王胤の感触を意識から逸らした。


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