【第百十一話 真道景清:手(てぃー)】
犠牲者の名は「真道(しんどう)景清(かげきよ)」。18歳。身長164cm、B86(Eカップ)・W56・H84。髪は後ろを襟首が見えるほど短くし、そこから髪のラインが流線型を描いて左前に流れている。目元は鋭く、切れ長で、人を射抜くような光を放つ。鼻梁も真っ直ぐに伸び、薄めの唇へと続く。鋭さしか感じない容貌なのだが、美しさは否めない。
古風な男性名を付けられてはいるが、共学校に通うれっきとした女子高生。常に皮肉気な笑みを唇に浮かべ、周囲には挑戦的な態度を崩さない。それが鋭角的な美貌に良く似合っており、学校で絡むような者ももう居ない。それどころか、景清の生活圏内にもそのような無謀な者は居ない。
どうやっても景清に勝てない男からの情報が<地下闘艶場>へと繋がり、景清への招待状となった。
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<地下闘艶場>の花道を、制服姿の景清が進む。ガウンを羽織ることもなく、普通の物よりも短くされたスカートに動揺した様子もない。その手元に装着されたオープンフィンガーグローブが、景清の戦闘心を覆い隠しているかのようだ。
女子高生とは思えない落ち着いた、否、挑戦的な雰囲気を纏う景清に飛ばされる野次は、<地下闘艶場>にしては珍しいほど少なかった。
「赤コーナー、『ミスターメタボ』、グレッグ"ジャンク"カッパー!」
景清の対戦相手はグレッグだった。驚くほど脂肪に覆われた体で、その脂肪のため打撃はほとんど無効に近い。
「青コーナー、『妖刀』、真道景清!」
コールされた景清は、伸ばした手刀をグレッグに向ける。その佇まいは、「妖刀」の異名に相応しい妖しさを纏っていた。
グレッグのボディチェックを嫌そうに終えたレフェリーが、ズボンで手を拭いながら今度は景清へと向かってくる。
「さて真道選手、ボディチェックを・・・」
「ふうん?」
景清の視線がレフェリーを貫いた。
「良く聞こえなかったなー。今なんて言った?」
「ぼ、ボディチェックを・・・」
景清の視線の鋭さに、レフェリーの声が小さくなる。
「やっぱり良く聞こえないなぁ」
景清の口は笑いの形を作っているが、目はまったく笑っていない。笑っていないどころか、殺気すら放出している。
「・・・な、なんでもない」
冷や汗で背中を濡らすレフェリーは、震える手で合図を出した。
<カーン!>
「うぇへへ、お前、高校生のくせに態度がでけぇなぁ」
肥満体のグレッグは既に大量の汗を掻き、落ちた汗がキャンパスに広がっていくほどだ。
「あんたは体がでか過ぎるんだから、もうちっと痩せたほうがいいと思うけどね」
不敵に笑った景清は滑るように前進する。しかし、グレッグの汗に足が掛かったときだった。
「おっとっと?」
足を滑らせた景清だったが、即座に体勢を立て直す。その一瞬にスカートが翻り、ダークブルーのパンティが露わとなる。
「なんだこれ。よく滑る汗だね」
滑る原因をグレッグの汗だと見抜いた景清は、前に出した足の踵を浮かす猫足立ちで構えを取った。
「うぇへへ、ちゃぁんと歩けねぇだろぉ。俺は歩けるけどなぁ」
グレッグは平気な顔で、自分の汗の上を歩いてくる。
「ふうん、自分の汗では滑らないって? ずるい体質だね」
口を動かしながらも、景清の前足が前方へと滑った。否、意図的に前へと進められた。景清の右拳がグレッグの鳩尾にめり込み、すぐさま景清の右腰へと引かれる。
「滑るっていうなら、滑る方向をコントロールしてやればいい。それだけのことだよ・・・っと」
鳩尾を捉えた一撃だったが、グレッグは平気な顔で腕を振ってくる。それを景清は後方に滑るような動きで躱す。
「殴っても効かない、か」
「うぇへへ、無駄だぞぉ。さぁ、諦めておっぱい揉ませろぉ」
「それは、自殺宣言かな?」
グレッグのセクハラ発言に、景清の鋭い目が更に細められる。左手がだらりと垂らされ、右手は腰へと構えられる。
「うぇへへ、無駄だって言ったぞぉ!」
グレッグが無造作に景清に抱きつく。否、抱きつくと見えた寸前、親指以外全てぴんと伸ばされた景清の四指が、グレッグの鳩尾を抉っていた。
「いででぇぇ!」
あのグレッグがはっきりと痛みを訴えた。景清の鍛え抜かれた指先が僅かとは言え、グレッグの皮膚と脂肪を切り裂いていたのだ。
「いでぇ、いでぇよぉ・・・」
グレッグの痛がりように、レフェリーは一度試合を止めようとする。しかし、景清の動きが速かった。
「らぁっ!」
膝を深く曲げた体勢から、景清が下段払いで右腕を振り抜く。
「うぇへっ?」
膝裏を打ち抜かれたグレッグの頭部が後方へと落ちていく。強制的に上を向かされたグレッグの視界に、景清の左掌底が映り込む。それも一瞬で、掌底はグレッグの顔面を捉え、勢いを増して後頭部をリングへと叩きつけた。
掌底の衝撃と自らの体重までも凶器と化され、グレッグの動きが完全に止まっていた。
<カンカンカン!>
頭部への攻撃を受けて動かないグレッグに、レフェリーは即座に試合を止めた。
「ふはっ、ざまぁないね」
景清は残心を解き、グレッグの汗に濡れた両手を衣装に擦りつける。その間にグレッグの巨体が担架に乗せられ、慎重に運ばれていく。
それを横目に見ながら、レフェリーが景清へと向き直る。
「真道選手、実は・・・」
「追加試合なら無しだよ」
レフェリーの言葉など途中でぶった切り、景清は微笑んだ。しかしその視線は鋭く、レフェリーは何も言えなくなってしまう。
「・・・そ、そこをなんとか」
「ならない。なんともならない。同じことを何回も言わされるの嫌いなんだけど、まだ言う?」
勇気を振り絞って続けようとしたレフェリーだったが、景清の拒絶に口を噤む。そんなレフェリーを憐れに思ったのか、景清がある提案をする。
「そうだなぁ・・・レフェリー本人が相手、なら考えようか?」
「えっ・・・」
冗談っぽい口調だったが、冗談だとは言い切れない。それに景清なら、レフェリー相手でも容赦なく攻撃してくるだろう。そんな女性選手相手に闘いを挑めるわけがない。
冷たい汗に身を凍らせるレフェリーに、景清が軽く肩を竦める。
「自分が痛い思いをするのは嫌みたいだね」
最後に皮肉を残し、景清はリングを後にした。その背を、レフェリーは黙って見ることしかできなかった。
ストライカーキラーとも呼ばれるグレッグが打撃に沈んだ。衝撃的なデビューを飾った景清に対し、<地下闘艶場>の観客は拍手も忘れ、悠然と花道を下がるその姿をただ茫然と見送っていた。