【第百十話 出江能生音:ダンス】


 犠牲者の名は「出江(いずえ)能生音(のおと)」。16歳。身長158cm、B94(Hカップ)・W55・H83。

 前髪のほとんどを目線でカットし、左右に触覚のような長さを残している。目元は意外と鋭いが、丸みを持つ鼻と柔らかそうな唇でその印象を和らげている。ヒップホップダンスで鍛えた身体は鋭角的ながらも、出るところは出過ぎているほどのメリハリボディ。

 元キッズダンスタレント。高校受験を機に、中学二年のときに芸能界を一時休業。無事に高校に入学し、芸能界にも復帰した。

 しかし、一つの問題が持ち上がった。能生音の希望と事務所の方針が食い違ってしまったのだ。能生音は前と同じくダンスタレントとしての活動を望み、事務所はまったく違う方向性を打ち出そうとしたのだ。

 事務所の方針。それは、グラビアタレントだった。

 芸能界を休業中、成長期故か、Bカップだった能生音のバストはHカップまで育っていた。しかも受験勉強中でもダンスの練習は続けていたため、腹部は薄っすらと腹筋が浮き出るほどに引き締まっている。ヒップもツンと上向きで、事務所はグラドルとして売れっ子間違いなしだと見込み、能生音にグラビア仕事を強制した。能生音は何度も拒んだが、事務所も折れず、交渉は難航する。

 そこで事務所が条件を出す。ある裏の世界のイベントに参加し、勝つこと。そうすれば能生音の望む通りに売り出しを掛ける、と。

 ダンスタレントとして活動するため。能生音は勝利を誓い、事務所に指示された闘いへと挑んだ。


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 花道へと踏み出した能生音に、凄まじい野次や指笛が叩きつけられる。

(これが、裏のイベント・・・)

 能生音も芸能界で生きてきて、高校生ながらに裏の世界の噂を聞いたことはある。しかし、まさか自分が関わりを持つとは思ってもみなかった。

 ガウン姿の能生音は下を向き、ただ足を動かすことに専念した。


(えっ・・・男の人?)

 リングで待っていた対戦相手は、なんと男だった。

(でも、勝たないと。グラビアなんてやりたくないし!)

 能生音はオープンフィンガーグローブを嵌めた両拳を打ちつけ、気合いを入れ直した。


「赤コーナー、『双拳』、双螺拳斗!」

 能生音の対戦相手は、こちらも初参戦の双螺(そうら)拳斗(けんと)だった。今どき珍しい詰襟の学ランを着込んだ紅顔の美少年だ。柔らかそうな茶色の地毛が、照明に輝いている。

「青コーナー、『ヒートダンサー』、出江能生音!」

 自分の名前がコールされ、教えられた通りにガウンを脱ぐ。その下から現れた衣装に、観客席が更に沸く。

 能生音に用意された衣装は、肌も露わな水着だった。能生音がグラビアを拒んでいることに対する嫌がらせのようだ。

 色は黒色で、首の後ろから左右に伸びた二本の布地が乳首の上を通り、腹部で重なる。そこから下はTバック水着に合流するような形となっている。胸の部分にはビスチェのような硬い素地のブラがあり、能生音のHカップバストを支えている。

 谷間も露わな能生音の巨乳へと、あちこちから厭らしい視線が飛んでくるのがわかる。

(エロい目で見てきて・・・)

 急激に膨らんだバストは、能生音にとってコンプレックスであり、憎しみの対象でもあった。そのため、Hカップまで育ってしまったバストを無遠慮に見られることは屈辱に等しい。

 両手で胸元を隠した能生音に、更なる視線と野次が飛ばされた。


 拳斗のボディチェックをあっさりと終えたレフェリーが、能生音に近づいてくる。

「それじゃ出江選手、ボディチェックを受けてもらおうか」

「・・・」

 レフェリーの視線が、自分の胸を厭らしく見ていることを知らせてくる。

(でも・・・)

 能生音に拒むことはできない。ボディチェックを拒めば試合は成立せず、自動的にグラビア仕事が確定してしまう。

「返事くらいしたらどうだ?」

「っ!」

 鼻を鳴らしたレフェリーが、いきなり両胸を鷲掴みにしてくる。それでも能生音は顔を背け、手を握り込んで耐える。

「・・・えっ?」

 しかし、いきなり胸から手が離れた。顔を戻した能生音は、拳斗がレフェリーの手を掴んでいたことを知る。

 拳斗はレフェリーをきっ、と睨みつけ、怒りを抑えた声を出す。

「そんな厭らしいことするなんて・・・許せません」

「あのな、これはボディチェックだぞ」

 まさか男性選手からボディチェックを阻止されるとは思わず、レフェリーは不満をぶつける。

「いや、ここまで厭らしいことは見過ごせません。ボディチェックと言い張るなら、なしで試合を始めましょう」

 拳斗はレフェリーにきっぱりと告げると、更に能生音から引き離す。

「おい待て、お前だってこんな・・・」

「僕はそんな厭らしいことしませんよ」

 拳斗はレフェリーを途中で遮り、真っ直ぐ見つめ返す。

「ぐぬぅ・・・」

 その視線の鋭さに、レフェリーは何も返せない。

「あ・・・ありがと」

 能生音がおずおずと礼を言うと、拳斗は爽やかな笑みを返す。

「どういたしまして。正々堂々、全力で闘いましょう!」

 拳斗から差し出された右手を見ていた能生音だったが、その手を握り返す。

「うん、宜しく!」

 この爽やかなやり取りに、観客からは凄まじいブーイングが起こる。

「どうなってるんだ一体・・・くそっ、ゴング!」


<カーン!>


 やけくそ気味なレフェリーの合図で、試合が始められる。

「出江さん、本気で来てくださいね」

 拳斗の呼びかけに、能生音は頷きで返す。今まで取っ組み合いの喧嘩くらいはしたことがあるが、衆人環視の中での闘いとなると初めてだ。

(闘う、って言っても・・・私、ダンスしかできないし)

 能生音に格闘技の経験はない。身につけた技術と言ったらダンスだけだ。

(・・・ダンスで、闘える?)

 その疑問に、自ら答えを出す。

(ううん、絶対に闘える! ずっと踊ってきたんだから!)

 そう、能生音が望むのは「芸能界で売れること」ではない。自らのダンスを見てもらいたいのだ。評価してもらいたいのだ。

(なら! ダンスで闘う!)

 自分の身体に馴染んだ動きをどのように繰り出すか。それは見せるための動きを、相手を倒すための動きに使うことだ。

「来ないならば、こちらから行きますよ!」

 痺れを切らした拳斗がオーソドックススタイルで踏み込んでくる。間合いに入った瞬間、右フックを放ってくる。

「っ!」

 上半身を前方に折り畳むように左から右に旋回させ、ボクシングのウィービングのように躱す。否、躱すだけでは終わらず、右足を振り上げながら顔の高さで振り抜く。

 右足が拳斗の頬を打ち抜き、ダウンさせる。

(やった!)

 右足に残る衝撃に、能生音は思わず右拳を握っていた。ダンスの動きで闘えた。それが能生音の自信となる。

「これ、勝ったよね?」

「・・・いや、まだわからん。カウントを取るからニュートラルコーナーに行くんだ」

「あっ、ちょっと!」

 レフェリーがわざとらしく能生音の胸を押し、能生音は胸を庇ってニュートラルコーナーへと下がる。

「ワーン・・・ツーゥ・・・」

 レフェリーのゆっくりとしたカウントが進む。

(これ、遅いような気がするけど、こんなもんなのかな?)

 格闘技に興味のない能生音は、レフェリーのスローカウントが進むのを待つ。

「スリーィ・・フォーォ・・・?」

 カウントがフォーまで進んだ瞬間、拳斗の体が跳ね起きる。

「ってーな、こらぁ!」

 あの美少年の髪が逆立ち、その顔は怒りに歪み、恐ろしい表情へと変じている。口調までも一変している。

 拳斗は金ボタンを乱暴に外すと、学ランを脱ぎ捨てる。その下には真っ黒なTシャツと、鍛え上げられた肉体が有った。

(な、なに・・・さっきまでと、全然違う)

 拳斗の発する「圧」が能生音を竦ませる。

「『俺』が相手なんだ、只で済むと思うなよ!」

 その咆哮に身体が縮こまる。

「っ!」

 一瞬だった。目の前に拳斗の顔が現れたと思ったと同時に、腹部で痛みが弾ける。

「うっ・・・えうっ・・・」

 気づかぬうちに膝を突き、身体を丸めて呻いていた。

「お坊ちゃんの『僕』とは言え、同じ体だからな。やられたらやり返さなきゃなぁ!」

 拳斗の言葉には、ある事実が含まれていた。


 双螺拳斗は、俗に言う二重人格者だった。普段は優等生然とした紅顔の美少年。しかし一度(ひとたび)「俺」という一人称の人格へと変じれば、炸裂弾のような存在になってしまう。現に拳斗の周囲では、彼の裏人格の暴力性により、幾つもの不良チームが潰されている。


「おら立て・・・よっ!」

「あぐぅっ!」

 髪を引っ張られ、無理やり立たされたところで、またも同じ箇所に拳がめり込む。

 能生音も腹筋は鍛えているが、その衝撃は腹筋を貫いた。

(痛い、痛い、痛いぃ・・・っ!)

 余りの痛みにリングの上を転げ回る。

「ムカつくけどよ、顔は殴んな、って言われてるからな。安心しろよ」

 ヤンキー座りになった拳斗が、能生音の顔を覗き込んでくる。

「ひっ!」

 先程与えられた経験したことのない痛みのため、能生音は思わずお腹を庇っていた。

「安心しろって。おとなしくなった女は殴ったりしねぇからな」

 能生音の背中を軽く叩いた拳斗は、能生音を仰向けにさせ、腹の上に乗ってくる。そして、そのまま両胸を鷲掴みにしてくる。

「でっけぇおっぱいだな。グラビアさせたがるのもわかるぜ」

 能生音が痛みを感じる寸前までの強さで両胸を揉みながら、拳斗が感心する。

「うぐぅう・・・」

 能生音にはそれどころではなかった。二度も強烈なパンチを食らった腹部に乗られているのだ。苦しさから逃れようと、拳斗の両腕を押す。

「なんだ、おとなしくしとけって」

「あぐっ!」

 拳斗から鳩尾を叩かれ、新たな痛みに苦鳴を洩らす。

 そこに、レフェリーが近づく。

「それじゃ、そろそろ俺も・・・」

「手ぇ出すんじゃねぇ、ぶっ殺すぞ!」

 拳斗の恫喝に、レフェリーは両肩をびくつかせる。

「・・・ちょ、ちょっとくらい」

「ああ!?」

 それでも食い下がろうとしたレフェリーだったが、再度の威嚇に引き下がる。

「くそっ、あの変わりようは何なんだ・・・」

 ぶつぶつと言いながら、少し距離を取る。そこで能生音への胸揉みを眺めるだけで我慢する。

「ったくあの野郎、何もしてねぇくせにおこぼれに預かろうとしやがって」

 レフェリーを睨みながらも、拳斗は能生音の両胸から手を放そうとはしない。

「・・・こっちが楽しむだけってのもな。こういうのはどうだ?」

 胸を揉んでいた拳斗が、水着の上から撫でるようにしてくる。

(どうだもなにも・・・んっ・・・えっ・・・?)

 先程までとは一変した厭らしさ。触れるか触れないかわからないほどの刺激に、心が混乱する。

「えっ・・・あっ・・・んぅ・・・っ」

「へっ、鳴き声が出てきたじゃねぇか」

 能生音の胸の周辺部に指を這わせながら、拳斗が薄く笑う。

(なに、これ・・・胸に触られてるだけなのに、なんか・・・どきどき、する・・・)

 初めて生じる感覚に、能生音は戸惑う。

「おっぱいがデケぇと感じにくいって言うけどよ、いい反応してるぜ」

 拳斗は能生音の胸の外延部下側から、掬い上げるようにしていく。

「ぁっ、んふぅ・・・」

 水着越しの愛撫に、能生音は知らず声を洩らしている。

「そろそろ、ここもいいか?」

 胸撫でを続けながら、拳斗は人差し指だけを伸ばす。そして、能生音の胸の頂点を微細な力でノックする。

「あぁっ、あふぅうっ!」

 正確に乳首を突かれ、能生音は思わず仰け反っていた。

「おー、こっちはまた反応がいいな」

 拳斗の言葉も、もう能生音の耳には届かない。

(おかしい、おかしいよ・・・私の身体、おかしくなっちゃってる・・・!)

 能生音の息は荒くなり、頬は熱を帯び始めている。自分の身体の変調に、能生音自身は戸惑うしかできない。

 そのときだった。

「水着の上からだともどかしいだろ? 折角だ、おっぱい丸出しにして可愛がってやるよ!」

 拳斗が水着の胸元を掴む。

(そんな!)

 乳房まで晒されるなど、グラビアどころではない。

「待って、ギブアップ、ギブアップだからぁ!」


<カンカンカン!>


 能生音のギブアップにより、敗北のゴングが鳴らされる。

「・・・ちっ」

 舌打ちした拳斗は、水着から手を放して立ち上がる。

「もうちょっと楽しみたかったけど、しゃーねーな」

 拳斗は学ランを右肩に担ぐと、もう後ろも見ずに退場していった。

(負けた・・・グラビア、しないといけなくなった・・・)

 あんなに拒んだグラビア仕事での再デビューが決まってしまった。その事実が能生音の心を曇らせる。

「大丈夫か出江選手?」

 レフェリーが能生音を助け起こそうとする。否、そう見せかけ、背後から回した右手で右胸を揉んでくる。

「ちょっと!」

 レフェリーを突き飛ばして距離を取る。

「おいおい、立たせてやろうとしたのに酷いじゃないか」

 レフェリーはにやつきながら能生音を見てくる。顔ではなく、水着に包まれたHカップのバストを。能生音は反射的に胸を庇う。

「まあいい、負けた選手がナーバスになるのは当然だからな」

 肩を竦めたレフェリーは、唇の端を吊り上げた。

「出江選手、グラビアを楽しみにしてるからな?」

 レフェリーの嫌味にも、能生音は唇を噛み締めることしかできなかった。



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