【外伝 四岐部亜衣紗 其の二】

 白尽くめの女が裏路地を歩いていた。
 白いジャケットにインナーも白、裾の広がったパンタロンも白、踵の低いパンプスも白。女はセミロングの頭髪すらも白だった。
 白で身を固めているというのに、女から感じられるのは純潔や高潔といったものではなく、毒牙を隠した獣性だった。
 しかし、その危険に疎い者も居る。刃を思わせる女の美貌に引き寄せられたかのように、女の前後を三人の男たちが塞いだ。
「お姉ちゃん、どこ行くのぉ?」
「こんな裏通り歩いてちゃ危ないぜ」
「俺たちが送ってやるよ」
 何が本心なのか、そのにやけた笑みが物語っている。
「悪いが、もう先約がある」
 女が笑った。その危険な表情が笑みだというのならば、だが。
「いいじゃねぇか、そんなのほっぽっといてさ」
「俺たちがいいところに連れてってやるよ」
「最後には天国に行けるぜ?」
 口々に言いながら、男たちが距離を詰めてくる。
「天国に、ね」
 いきなり男の一人が膝をついた。女がパンプスの爪先を股間に叩き込んだからだ。
「地獄行きが決まっているお前らに、天国の案内ができるわけないだろう」
 女がまた薄く笑う。
「このアマ、何しやがる!」
「許さねぇ、ここで引ん剥いて犯してやるぜ!」
 元々そのつもりだったろうに、男二人が欲望も露わに飛びかかる。
「ふん」
 女は自分に掴みかかってきた男の手首を掴むと、外側に捩じりながら下から肘を叩き込んだ。
「ひぎっ!」
 男の肘が折れた。女は男の体をもう一人の仲間のほうに押しやり、進路を塞ぐ。
「ちっ!」
 あわてて男が肘の折れた仲間をよけるが、その隙に女が距離を詰めていた。
「クソがっ!」
 男が手加減抜きで拳を振るう。女の頬を抉る直前、腕ごと抱え込まれていた。
「しまっ・・・」
 宙に浮いたことにも気づかず、男の意識は途絶えた。一本背負いの体勢に入った女が、地面ではなく路地裏を形成するビルの壁に頭部をぶつけたためだ。女はそのまま男の体を放し、地面に落ちるに任せる。
 女は肘を押さえて転げ回る男に近寄り、パンプスの爪先でこめかみを打ち抜く。これで二人目の男も意識を失った。
「・・・覚えてやがれ・・・絶対、見つけ出して・・・嫌ってほど、犯してやるからな・・・!」
 最初に股間を蹴られた男が、蹲ったまま呪いの言葉を吐く。それを聞いた女は、その男の傍へと歩み寄った。
「悪いが、この穴はもう先約済みだ。いつまで続くかは未定だがな」
 衣服の上から女の穴を広げる動作をしてみせ、女が薄く笑う。
「だから、諦めろ」
 女は男の背後に回り、男のシャツの襟を掴む。そのまま頸動脈を絞め上げ、男を気絶へと導いた。
「さて・・・」
 女の視線が、街が形成している闇へと向いた。
「いつまで見物しているつもりだ?」
 女の呼びかけに、闇が揺らいだ。そこに、人の形をした漆黒があった。
 黒い軍用ジャケット。黒いワイシャツ。黒いスラックス。ベルトも黒く、足元も黒い軍用ブーツに覆われている。軍用ブーツは紐までも黒だった。
 闇よりも尚濃い漆黒に身を包み、黒髪の男がそこに居た。黒い瞳で女を見つめている。
「お前は?」
「他人に名を尋ねるときは、自分から名乗る。そう習わなかったか、四岐部(しきべ)亜衣紗(あいさ)」
 男は女の名を呼んだ。しかし、女・亜衣紗は男に見覚えがなかった。それでも亜衣紗に動揺はない。裏の世界でバウンサーを生業にしているのだ。どこで恨みを買い、狙われるのかわからない。それでも今日まで生き延びている。
「さて、どこで私の名前を知った?」
「知っているんだよ、<地下闘艶場>に参戦した女の顔と名前はな」
<地下闘艶場>。この単語を聞いた亜衣紗の目が僅かに細められる。

<地下闘艶場>とは、裏の世界で「御前」と尊称される男が主催する催し物だ。リングに強く美しい女性を上げ、性的な嬲り者にする見世物であるが、多くの権力者たちが観客となっている。亜衣紗もリングへと上がり、古池(こいけ)虎丸(とらまる)に敗れて全裸へと剥かれている。

(不愉快なことを思い出させやがって)
 亜衣紗の眉が危険な角度へと変わる。漆黒の男の表情は変わらない。否、目の色が悦びへと変わっていく。しかし、男の視線を筋肉の山が塞いだ。黒いTシャツと綿パンが、内側からの肉の圧力で膨れ上がっている。それは、凄まじい肉体と傷だらけの異相を持つ男だった。
「・・・虎丸」
 亜衣紗の前に立ったのは、<地下闘艶場>で亜衣紗に勝利し、自分の子供を産んでくれと頼んできた古池虎丸だった。試合直後に最初の交わりを行い、それからも何度も褥を共にしている。
 身体を重ねたからだろうか。虎丸の背中を見るだけで、怒りで充満しているとわかる。
「・・・誰に手を出そうとしている」
 普段は無口すぎるほど無口な虎丸が、低い声で男を叩く。男は表情を変えずに虎丸を見据える。
 二匹の野獣の闘気が膨れ上がり、その間の空気を震わせる。
 戦場へと化そうとした空間が、ふっと緩む。漆黒の男が間合いを外したからだ。
「今日はやめておこう。先約もあるからな」
 男の言葉は真実か否か、虎丸と亜衣紗には判別できない。しかし、間合いを外したのは男からだ。
「ここに来たのは本当に偶然だ。信じる必要もないがな」
 その言葉を最後に、男の姿が闇へと溶け込んだ。暫く放出されていた虎丸の闘気が、ふっと消えた。否、肉体へと無理やり閉じ込められた。
「気紛れもするものだな」
 普段は約束場所でひたすら待ち続ける虎丸をそう皮肉る。しかし、虎丸に素直に頷かれては調子が狂う。
「お前が負けるとは思わないが、怪我はして欲しくない」
 その一言が、心と子宮に届く。
「ここでするか?」
 男の危険な空気が、亜衣紗を性的に昂ぶらせていた。今すぐにでも虎丸に抱かれたい。しかし、虎丸は首を振った。
「もう、お前の裸を他の奴に見せたくない」
 この一言で、更に子宮が疼く。
(可愛いことを言ってくれる)
 亜衣紗は虎丸の野太い腕に両腕を絡め、インナーの上からでもわかる膨らみを押しつける。
「なら、急げ。そんなに我慢はできないぞ」
「ああ、俺もだ」
 大きく頷いた虎丸が、亜衣紗を腕に絡ませたまま裏路地を進む。
(もう暫く、契約を続けてやるか)
 この男の子供なら生んでも良い。掛け値なしにそう思える。亜衣紗は頬を興奮に薄く染め、虎丸の歩調に合わせた。


其の一へ  番外編 目次へ

TOPへ
inserted by FC2 system