【純粋少女の決意】

「美緒さーーーん!」
 栗原美緒は、自分に向かってぶんぶんと手を振る少女に気づいた。長めの前髪を二房に分けて垂らし、残りの髪はおかっぱくらいの長さにカットしている。整った可愛らしい顔と、それ以上に生命力溢れる躍動感が周りの視線を惹きつける。軽く跳ねながら手を振っているため、Tシャツの下のバストが弾んでいる。
「遙ちゃん、そんなに叫ばなくても聞こえてるわよ」
 彼女の名は来狐遥。美緒とはひょんなことから知り合った。
「えへへ〜、今日はGパンがお揃いですね」
 遥が美緒の服装を見ながら笑いかけてくる。
「ジーンズって言ってよ。でも、メーカーまで同じなんてね」
 美緒の今日の服装はグレーのシャツにジーンズだった。おしゃべりをしながら、駅を出る。向かう先は決まっていない。見上げた空には、太陽が眩しく光っていた。

――現在大学一年生で、高校時代は女子レスリングのインターハイチャンプであった美緒と、高校でプロレス同好会を立ち上げ、覆面レスラーとして闘うピュアフォックスこと遥。
 二人が出会ったのは、<地下闘艶場>と呼ばれる闘いの場だった。プロレスルールで強くて美しい女性を嬲ることを目的としたリング。その控え室で初めてタッグパートナーとして出会い、美緒のファンだと言う遥のペースに巻き込まれ、いつの間にか十年来の友人のような関係を築いていた。

 美緒と遥の住処は二駅しか離れておらず、いつしか週末は二人で過ごすことが習慣となっていた。駅で待ち合わせ、行き場所を決めずに街をぶらつく。今日も足が向くまま街を歩いていく。

――試合に用意されたコスチュームは、乳首と股間くらいしか隠れていないような淫らなものだった。ボディチェックからセクハラを受け、試合中も対戦相手の男達から嬲られ続けた。最後は二人揃ってKOされ、フォール負けを喫した。
 しかし、それで終わったわけではなかった。二人は観客の生贄に差し出され、三十分以上も男達の欲望の玩具とされた。処女だけは奪われなかったものの、精神をレイプされたも同然だった。遥は大事なマスクを脱がされるという、覆面レスラーにとって最大級の屈辱も味わった。

「美緒さん、あれ食べましょうよ!」
 遥が指差した先に、クレープを売っている屋台があった。それぞれ好みのクレープを買って公園のベンチに座り、お互いのクレープを味見しながらの他愛ない会話を楽しむ。木漏れ日が気持ちよかった。

――試合後の遥は、脱がされたマスクをぎゅっと掴み、肩を震わせていた。試合前の生命力溢れるような笑顔は見られず、周りを照らすような明るさも消えていた。そのときの遥は、どこかに消えてしまいそうな儚さを感じさせた。美緒は自分のことは二の次に、ひたすら遥を慰めた。
 美緒が吹っ切れたのは、持ち前の負けん気の強さもあっただろうが、この少女を守ってあげなくては、という使命感が強かったからではないだろうか。
 お互いの授業がない週末には遥を呼び出し、一緒にショッピングをしたり、食事をしたりして気分転換させようと努めた。最初はぎこちなかった遥も、徐々にではあるが明るさを取り戻してきたように思う。
 今でも、あのときのことを思い出すと身体に震えが来る。しかし、美緒の場合にはそれは悔しさと怒りへと変わった。その屈辱をバネに、今は打撃を本気で習得しようと特訓に励んでいる。

「ねぇ君たち、暇してるんだったらさ、一緒に遊びにでも行かない?」
 美緒と遥に声を掛けてきたのは、笑顔が爽やかそうに見せかけた茶髪の男だった。
(またナンパ? めんどくさいわね)
 遥と二人でいると、普段よりも一層男から声を掛けられることが多い。美緒はどうあしらおうかと考えながら口を開きかけるが、それより先に遥が男に言葉を返していた。
「それって、ナンパ?」
 遥の余裕のある口調に、美緒は驚く。以前までの遥なら、男性から声を掛けられると顔を強張らせ、硬直してしまっていた。それがどうだろう、今は小さな微笑みまで浮かべ、男に対している。
「それじゃあね、私と十秒間握手できたら遊びに行ってもいいよ?」
「ちょっと、遥ちゃん・・・」
 思わず止めようとした美緒を目で制し、遥が右手を男に差し出す。
「なんだ、そんなことでいいの? それじゃ・・・」
 握手した瞬間、男の右手から異音が鳴った。一拍遅れて男の口から苦痛の絶叫が洩れる。
「あれぇ、一秒持たなかったね。残念でした!」
 男は激痛に膝をつき、何か言おうと開いた口からは呻き声しか出てこない。
「もっかいやる?」
 遥の提案に男は右手を抱え、転げるように逃げていった。
「遥ちゃん・・・あなた・・・」
 何か言葉を掛けようとするが、それ以上出てこない。男性恐怖症を乗り越えた遥に対し、驚きと嬉しさがじわりと沸いてくる。
「美緒さん」
 遥の決意に満ちた口調に、美緒の表情も自然と改まる。
「どうしたの、遥ちゃん」
「私、もう一度闘おうと思います。もう一度、<地下闘艶場>で闘おうと思います」
「遥ちゃん・・・」
 遥の目には、初めて会ったときのような煌く光があった。
「このままじゃ、もうプロレスができない。やっぱり、私はプロレスが好きだから、またリングに立ちたい。だから、<地下闘艶場>で闘って、あの・・・あの悔しさを、振り払いたい!」
 幾夜悪夢にうなされたのだろう。それでも、自分の力で乗り越え、また闘いの場へと赴くと言う遥。美緒は自分の心に暖かいものが広がっていくのを感じた。
「そっか・・・うん、応援するわ。でも、なにかきっかけがあったんじゃないの?」
「えへへ〜、実はおニューの・・・おっと、これ以上は内緒です! またリングに復帰することができたら、そのときはちゃんと教えますよ!」
 輝くような笑顔に、翳りは感じられなかった。
(頑張ってね、遥ちゃん)
 そして、いつかは自分も。
 自分の決意は飲み込み、美緒は遥に笑顔を返した。


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