【外伝 来狐遥】

「ステフ!」
 素早くコーナーポストに上ったピュアフォックスが、パートナーのステファニー・クレイトンに合図する。
「OK!」
 合図に頷くと、ステファニーが対戦相手を後方から抱えてリフトアップする。ピュアフォックスは瞬時に相手との距離を測り、トップロープの反動を使って宙に舞う。
「でやぁぁぁっ!」
 気合一閃、スワンダイブ式ミサイルキックで相手の胸板を抉る。
「Hu!」
 ステファニーがそのままバックドロップで相手を後頭部からリングに叩きつけ、即座にフォールに入る。慌ててカットに来ようとした相手のパートナーにはピュアフォックスがフライングニールキックをかまし、それをさせない。
「ワン、ツー・・・」
 プロレス同好会の一員であり、試合ではレフェリーを務める小峯忠秋のカウントが進む。
「・・・スリーッ!」

<カンカンカン!>

 小峯のスリーカウントを聴き、同好会員である長身で眼鏡姿の木ノ上大助がゴングを打ち鳴らす。
「っしゃ! よくやった遥!」
 同じく同好会の一人、セコンドについていた川崎浩太が咆える。生まれつきの身体能力を喧嘩で高め、ピュアフォックスのスパーリングパートナーも務めている。
「まったく、あの対戦相手の二人、セクハラ三昧だったじゃない」
 遥の幼馴染であり、プロレス同好会のマネージャーである鳥咲香夏子がむくれる。
「確かに高校生のしていいことではないですが、遥さんとステファニーさんもちょっとやり過ぎじゃないですか?」
 未だに起き上がれない対戦相手を見て、プロレス同好会顧問であり遥たちの担任でもある更科こよりが、眼鏡を直しながら心配そうにリングを見つめる。
「心配ないってこより先生、遥の奴はちゃんと手加減してたからな。ステフは・・・ま、まあ大丈夫だろ、ほら」
 ようやく立ち上がった相手を指差し、浩太が慌てたように付け足す。
「Year! Finishは気持ちよかったデス!」
「勝ったよ皆! どうだった!?」
 リングからピュアフォックスとステファニーが降り、少し遅れてレフェリーをしていた小峯も降りてくる。
「お疲れさん、よかったんじゃないか? 観客も沸いてたしな」
 浩太の言葉に、ピュアフォックスは太陽のような満面の笑みを浮かべた。

 来狐遥は、プロレス大好き少女だった。
 将来の夢は女子プロレスラーだと、臆面もなく言い放てるほど大好きだった。
 蝶舞市立北原高等学校(通称北高)に入学した遥は、高校で出会った同学年の小峯、木ノ上、浩太、そして幼馴染の香夏子と共にプロレス同好会を立ち上げた。顧問は当時も担任だったこよりが引き受けてくれ、二年目の今年は留学生であるステファニーも加入した。ステファニーは本場アメリカのプロレス団体でディーヴァになることを夢見る少女であり、遥の誘いに寧ろ進んで同好会に加入した。

 遥は、自分とプロレスで勝負してもいいという人間を募った。その全てが男子生徒であり、遥のナイスバディに触れるかもしれないと考える者ばかりだった。
 それでも、自分がプロレス形式の試合をできることが嬉しかった。一度試合となると、香夏子が作ってくれた(実際は頼み込んで作ってもらった)マスクを被り、覆面レスラー「ピュアフォックス」として華麗なファイトを見せた。初めは冷やかしや遥のダイナマイトバディ目当ての観客が殆どだったが、遥の試合を見た人間は次も見たくなるほど華があった。

 今日はステファニーとのタッグマッチで、男子生徒二人と闘った。ラグビー部に所属する二人は試合中、遥とステファニーのバストやヒップを触ってくるというセクハラをしてきたが、最後はきっちりとツープラトンで叩きのめしている。

「それじゃ着替えてくるね!」
「覗いたら死刑だからね!」
 笑顔のピュアフォックスと恐い顔の香夏子に続き、くすくすと笑うステファニーが続く。
「覗きゃしねぇよ! ったく、信用がねぇなぁ」
「前科があれば信じてもらえませんよ」
 こよりの冷静な突っ込みに、浩太は苦い顔で黙り込んだ。

 着替え終わった遥たちが更衣室から出ると、あれほどいた野次馬も姿を消していた。
「さ、それじゃあいつも通り掃除してから帰りましょう」
 こよりの合図で、同好会員たちが一斉に掃除を開始する。

 プロレス同好会が試合を行うときには、リングはいつもボクシング部に借り、使用後はきちんと掃除をしている。ただ、ボクシングのリングはプロレスのリングに比べて固く、試合のたびに遥が自前のレスリングマットを敷いて対戦している。昔は毎回自宅から運んでいたものの、今はボクシング部の好意で部室に置かせて貰っている。

「よっし、終わり!」
 リングの上を拭いていた遥が額の汗をぬぐい、勢いよく立ち上がる。
「こっちも終わったわよ」
「こっちもデス!」
「それでは、掃除を終わりましょうか」
 こよりの言葉で、同好会員たちが掃除道具の片付けに入る。
「それじゃ帰ろっか! ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
 部室を出る前に揃って礼をし、鍵を閉めてからボクシング部室を後にした。

 打ち上げの場所を探そうと繁華街の中を進んでいるとき、浩太がデパートの告知板に張られたポスターに目を留めた。
「へー、ヒーローショーだってよ」
「む、御目が高いですな川崎君。ここのヒーローショーは大きなお友達も楽しめると評判ですぞ」
 浩太が指差したポスターを見て、なぜかニヤニヤとしながら、木ノ上が浩太の肩を叩く。
「面白そうデスネ! 行ってみまショウ!」
 真っ先に駆け出したのは意外にもステファニーだった。デパートに飛び込み、一目散に屋上を目指す。
「遥ならわかるけど、なんでステフがヒーローショーに食いついたの?」
「多分ですが、アメリカでも日本の戦隊モノが放送されてるようですので、その所為ではないですかな?」
 香夏子の疑問に、木ノ上が答える。
「ま、ステフを一人にしておくのも危ないしな。行こうぜ遥」
「そうだね! よし、それじゃヒーローショーに出発!」
 言うや否や、遥も一目散に駆け出す。いつもどおりの光景に、同好会員とこよりは笑みを誘われた。

 一同が屋上に到着したとき、既にヒーローショーは始まっていた。特設舞台では色とりどりの戦隊ヒーローと悪役が入り乱れ、アクションを繰り広げている。一際目を引くのは、ピンクのコスチュームを身に着けた紅一点の女性だった。
 レオタードを改造して作られたと思しきコスチュームは、その胸元と腰周りが絶妙に膨らんでいた。ウエストが締まっているため、メリハリが一層引き立つ。
「なんだあのプロポーション!」
「あれが大きなお友達にも人気の理由ですぞ」
「すげぇな・・・なあ小峯、お前もそう思うだろ!?」
「え、僕は・・・あいたっ!」
 突然の痛みに視線をやると、香夏子が小峯の脇腹を抓っていた。
「ちょっと待ってよ香夏子さん、僕なにも・・・」
「知らない!」
 小峯の弁解も聴かず、香夏子がそっぽを向く。
「おいおい、夫婦喧嘩は家でしてくれよ。なぁこよりせんせ、い・・・」
 こよりに向けた浩太の顔は、冷たい視線で迎えられた。
「川崎くん・・・ちょっとはしゃぎ過ぎじゃないですか?」
 声まで冷たいこよりが眼鏡を直しながら、浩太を見据える。
「はい・・・すいませんでした」
 浩太が頭を下げても、こよりの視線は冷たいままだった。
「Wao! Wonderful! こんなShowがタダなんて、日本は凄いデス!」
 ステフは一人興奮し、隣の木ノ上をばしばしと叩く。
「あたたた! ステフ、もう少し手加減を・・・ぶほぁっ!」
 叩かれたほうの木ノ上は堪ったものではなかった。あまりの衝撃に咳き込んでしまう。
「凄い・・・」
 騒ぐ同好会員を余所に、遥はその女性の動きに魅せられていた。観客を沸かせるように派手な動きをしているが、それでいて無駄な動きが殆どない。しかも動きに遅滞がなく、淀みなく流れるようにアクションを繰り出していく。おそらく、どのように動けば一番効果的なのか、一瞬で判断しているのだろう。
 遥の視線は、一瞬たりとも女性から離れなかった。

「おっし、それじゃ恒例の打ち上げ行くか!」
 ヒーローショーも終わり、浩太が伸びをしてから提案する。
「ごめん、私パス!」
 そう言ったときにはもう駆け出していた。
「ちょっと遥!?」
 香夏子の呼びかけに両手を合わせて詫び、一気にギアを上げてダッシュする。
「・・・主役が行っちゃったね」
「仕方ありませんな。もう一人の主役は残っていますし、我々だけで行きますか」
「遥、いったいどうしたんでショウネ?」
 仲間の声も、もう届かなかった。

「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた通路の前、遥はそわそわと落ち着かないままその場に立っていた。通路の奥から何人かが現れるが、遥をちらりと見ては通り過ぎていく。
 遥が思いきって入ってみようかなどと考えていたとき、黒髪を肩で切り揃え、生命力に溢れた輝くような容貌の少女が姿を現す。その少女目掛け、遥は走り寄った。
「君、さっきのヒーローショーの人!?」
「え? あ、うん、そうだけど。誰?」
 勢いよく突っ込んできた見知らぬ相手に対し、少女は警戒感丸出しの視線を返してきた。
「私、遥! 来狐遥!」
「私嵯暁スミレ。で、何の用?」
 名前を出したことで少しは警戒が薄らいだのか、少女スミレも名乗る。
「さっきのショー見たよ! すごかった! こんなに相手の動きまで計算して動ける人がいるんだ、って思ったら感動しちゃった!」
「ありがとー! やっぱ見てる人は見てくれてるんだね」
 うんうんと頷きながら、スミレが笑顔を見せる。
「子供はまだいいんだけどさ、男の人って胸とかお尻ばっかり見てくるじゃない? そんなとこじゃなくて、私の動きを見てもらいたいの! だけど遥、君は偉い! 表彰してあげる!」
 スミレは遥の肩を叩き、大袈裟に拍手してみせる。その陽性な仕草に、遥も笑みを返していた。

 遥とスミレは一瞬で意気投合していた。聞けばどちらも高校二年生。同い年ということがまた気安さを増した。携帯の番号とメルアドを交換しながらもお喋りは止まらず、気づけば結構な時間が過ぎていた。
「やっば、もうこんな時間。早く帰んなきゃさー姉としー姉にどやされる!」
 厳しい姉が二人いるのだとスミレは笑い、素早く踵を返した。
「そっか。それじゃスミレ、今度連絡するね! 私の試合も観に来て!」
「わかった! それじゃ遥、またね!」
 手を振ったスミレは、軽やかな足取りで去っていった。
「それじゃ私は帰る前に、っと」
 スミレを見送り、遥もどこかに姿を消した。

 突然、スミレの前を小太りの男が塞いだ。
「・・・なに?」
 否、小太りと見えたが、太い骨の上に筋肉が巻きついた恵まれた体躯だった。
「ぼ、ぼくと、お付き合い、して、いいよ」
 男の目はどんよりと濁り、視線が定まらない。吐き出す息には鼻を刺すような刺激臭が含まれていた。
(なにこいつ、もしかしてシンナー中毒?)
「ごめんね、他当たって」
 言いつつすり抜けようとした腕が、意外な素早さで掴まれていた。
「隠さなくても、いい、んだよぉ。きみが、ぼくを好きなのは、知ってるんだ、から」
(なに言ってるのこいつ!)
 腕を振り払おうとして逆に引かれ、男に抱え込まれていた。こんなときに限って周囲に人影がない。
「誰か、助け・・・!」
「騒いじゃあ、だめ、だよ」
 助けを呼ぼうとした口は、男の大きな手に塞がれた。紛れもないシンナー臭が鼻を刺す。
「ここでは、あれ、だよね。人がいないとこ、に、行こうか」
 男はにたにたとだらしない笑みを浮かべ、スミレの体を引きずっていく。偶然なのかわざとなのか、男の手はスミレの膨らんだ胸元に当てられ、身動きするたび掴んでくる。
(まずい、このままじゃ何されるかわかんない!)
 必死に暴れてみるものの、男の歩みを鈍らすこともできない。助けを求めて視線を飛ばすが、遥とのお喋りに夢中になっていたためか、バイトのスタッフももう帰宅している。
(さー姉・・・しー姉・・・!)
 胸の中で姉を呼ぶ。
 そのとき、疾風が舞った。
「スミレを放せっ!」
 遥の助走をつけたフライングニールキックが男の頬を蹴り飛ばす。腰の入った一撃だったが、男は軽く揺らいだだけだった。
「なんだぁ? お前、ぼくらの、邪魔する、のか?」
 男のどろりとした視線が遥を捉え、血が滲んだ口を拭う。
「放せっ!」
 僅かに力が緩んだ隙に、スミレは男から逃れた。
「スミレ、大丈夫!?」
「うん、なんとか。でも、なんで遥がここに?」
「え? うん、まあその・・・花摘み帰り」
 その単語で納得し、思わず綻びかけた頬を引き締める。
「ありがと、助かった」
「その言葉はまだ早いと思うよ」
 男を睨んだまま、遥が呟く。その視線の先に、あからさまな怒気を浮かべた男がいる。
「お前、なんで、ぼくらの邪魔、するんだ!」
 男の大振りなパンチは、予想外のスピードだった。
「あっ!?」
 ガードは間に合ったものの、遥は体勢を崩されていた。そのため男のトーキックを避けられず、腹部に爪先がめりこむ。
「がはっ!」
「遥!」
 蹲ってしまった遥にスミレが声を掛けるが、男の手が今度はスミレに伸びる。その瞬間、スミレの眼が細められた。ぎりぎりまで男の手を引きつけ、避けると同時にミドルキックを叩き込む。その後も繰り出される男の攻撃をスミレは悉くかわし、カウンターを合わせてみせた。
「本気になれば、あんたみたいのには捕まらないっての!」
 苛立った様子で手足を振り回す男に、スミレが声高に言い放つ。しかし、スミレの攻撃も男には当たるものの、ダメージがまるで通っていない。遥を置いて逃げるわけにはいかず、男の攻撃を避け続け、カウンターを合わせ続ける。
「伏せてスミレ!」
 その声に反射的にしゃがむと、頭の上を突風が吹いた。否、遥のドロップキックだった。男の顔面を正確に捉え、ふらつかせる。
「これでも倒れないか・・・なら!」
 遥の体が再び宙に舞う。男の頭部を太ももで挟み、反動をつけて後方に回転する。その勢いに引きずられ、男は脳天を床に叩きつけられていた。
 遥得意のフランケンシュタイナーだった。
「ちょっと遥! そんなヤバい技かけたら・・・!」
「大丈夫、生きてるよ」
 遥がけろりとして指を指す。床に横たわった男は頭を抱えて呻いていた。
「そうだ。この男見てるから、スミレは誰か呼んで来て。デパートの人がいいかも」
「わかった、すぐ戻ってくるからね! 危なくなったら逃げてよ!」
「大丈夫だよ! ほら、早く早く!」
 頷いた遥に背を向け、スミレは全速力で走り出した。

 その後駆けつけたデパートの警備員に男を引き渡し、事情を説明してから遥とスミレはデパートを出た。
「モテる女は辛いねぇスミレ?」
「ぶっとばすよ」
 茶化す遥をスミレが睨む。しかしすぐに吹き出した。
「いいよ、慰めは。でもホント、モテるってのはいいことばかりじゃないね。魅力的なのは罪、ってこと?」
「大きく出たね。でも、スミレは魅力的だと思うよ、私も」
「あ、ありがと・・・まさか遥、レズってことはないよね?」
「あるかぁ!」
 バカな話をして笑い合う。短い時間を過ごしただけで、二人の関係は友達から親友になっていた。
「それじゃ、またね!」
「うん! また!」
 手を振り、別れる。もう別れなければならない寂しさと、心から笑い合える親友を得た嬉しさを胸に抱えて。


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