【外伝 嵯暁三姉妹 其の二】

「うっわーーー! 絶景!」
 車窓の向こうに映る風景は刻一刻と姿を変え、山を、川を、町を、視界の外へと運び去っていく。窓の外を見てはしゃぐ末の妹を、長姉である嵯暁さくらが窘める。
「スミレ、電車の中でそんなに大声出さないの。ほら、他の人が見てる」
「ごめんさー姉、ちょっとテンション上がっちゃった」
 両手を合わせて拝むようにした嵯暁スミレの頭を、隣の席に座っていた次女の嵯暁紫苑がぽんぽんと軽く叩く。
「わかってるってしー姉、もうはしゃがないから」
 スミレはさくらを「さー姉」、紫苑を「しー姉」と呼ぶ。三人とも血の繋がった姉妹であり、このやりとりだけで仲の良さが窺える。

「あ、ここよ。ほら、荷物持って」
「ほいほーい」
 電車のアナウンスに従って降車し、改札口を抜ける。するとスミレが鼻をひくつかせる。
「温泉の臭いがするね」
「だって、温泉で有名なところじゃない」
「それはわかってるけど。さー姉、ツッコミが間違ってるよ」
「はいはい、それは硫黄の臭いです。これでいい?」
「正解だけど、投げ遣りな態度がマイナス点。60点のツッコミだね」
 姉と妹のじゃれ合いに、紫苑がくすくすと笑う。
 嵯暁三姉妹がこの温泉街にやってきたのは、紫苑が懸賞で温泉宿泊券を当てたお陰だった。母を早くに亡くし、父である嵯暁勢梧は仕事柄ほとんど家には居ないため、自然と三姉妹だけでの小旅行となった。
「でもさ、そー兄は誘わなくて良かったの?」
 スミレが「そー兄」と呼ぶのは、さくらの恋人の葛葉壮一郎のことだ。
「いいのよ、あんな甲斐性無し。三人っていう人数制限もあったけど、そうじゃなくても呼ぶわけないじゃない」
 丁度大喧嘩した後らしく、さくらの顔が恐い。
(そー兄、さー姉はかなり本気で怒ってますよ、マル)
 姉の怒りの大きさを知り、スミレは首を竦めた。

「こんにちは、嵯暁で予約した者ですけど」
「これはこれは、嵯暁様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
 小太りの体型を着物に包んだ、優しい笑顔の女将が出迎えてくれる。宿泊の手続きを済ませると部屋に案内される。
「すぐにでもお食事の準備ができますが、いかがなさいますか?」
 姿勢良く正座した女将に、暫し考えたさくらが頷く。
「では、お願いします」
「わかりました。お食事を準備させて頂きます」
 女将が去ると、三人とも純和室の畳の上に寝転がる。
「畳のいいにおーい! うちにも畳の部屋あるけど、旅館ってまたなんか違うよね」
「ほんと、不思議よね」
 妹と姉の言葉に、紫苑もうんうんと頷く。他愛ないお喋りをしながらダラダラしていると、扉の向こうから声が掛けられる。
「失礼致します、お食事の用意ができました」
「あ、はいはい! お願いします!」
 三人とも慌ててきちんと座りなおす。一拍おいて扉が開けられ、女将と仲居が膳を運び込む。
「うっわぁ・・・!」
 スミレが絶句するのも無理はなかった。膳の上には、まだよそっていないご飯茶碗と蓋をされた汁物の椀だけではなく、真ん中に小振りだとは言えまるごと一匹使った鯛の刺身。新鮮な鶏肉と、ほどよい大きさに整えられた野菜が乗った一人用の小さな土鍋。他にも幾つもの小鉢に山菜料理や魚料理が付き、色鮮やかに膳を彩っている。
「ご飯はおかわり自由ですので、たんとめしあがってくださいね」
 お櫃からご飯をよそいながら、女将が笑顔を見せる。
「ほんとにいいんですか? こんなに豪勢なお食事を・・・」
「折角いらしてくれたお客様ですもの、楽しんで頂きたいじゃないですか」
 笑顔のまま三人のご飯をよそった女将が、「さあ召し上がれ」と勧める。
「では、いただきます」
「いただきまーす!」
 三人は手を合わせ、さっそく箸を手に取る。
「・・・うっま!」
 最初の一口で動きが止まったスミレだったが、猛然と箸が動き出す。さくらも紫苑も会話を忘れ、膳の上の料理を口に運ぶ。
「お食事の後はお風呂はいかがですか? 当旅館自慢のお風呂ですので」
 それを嬉しげに眺めていた女将が、風呂の案内もしてくれる。
「本当ですか。では、後で入浴させて貰います」
 さくらの返答に頷くと、お櫃を残して女将は退室した。

「おいしかったーーーっ!」
 膳の上を全て平らげたスミレが、万歳の姿勢のまま倒れ込む。
「スミレ、行儀が悪いわよ」
「ああそっか、ごちそうさまでした!」
 姉の指摘に慌てて座り直し、手を合わせる。こういう礼儀作法の厳しさは嵯暁家の家訓だ。さくらと紫苑も同様に手を合わせ、膳を片隅に寄せて畳に寝転がる。
「こんなに美味しい夕食食べれて、お風呂まで・・・あああ、幸せ〜」
「ホントに。紫苑に感謝ね」
 姉から向けられた笑顔に、紫苑が照れる。
 三人は暫く食休みを取ってから浴衣に着替え、風呂場へと向かった。

「うっは、露天風呂だよさー姉!」
 勢い良くガラス戸を引き開けたスミレが嬉しそうに叫ぶ。スミレが言うように、浴場は露天風呂となっていた。岩を組んで造られた湯船にお湯が並々と湛えられ、水面からは湯気がたなびいている。湯気の向こうには夜景が広がり、今日降り立った駅もぼんやりと認められる。
「無料で使えるには贅沢すぎるお風呂ね。紫苑、ありがとね」
 姉から向けられた笑顔に、紫苑も笑顔を返す。さくらとスミレはそのままだが、紫苑は長い髪を結い上げ、頭頂部で纏めている。
 三人はバスタオルを体に巻くようなこともせず、手拭い一枚だけで前を隠している。
「よーし、それじゃ早速・・・」
「待ちなさい。湯船に入るのは体を洗ってからでしょ」
「むー、最初にあったまりたいのに・・・」
「マナーは守らなきゃ。ほら、紫苑はもう洗い場に行ってるわよ」
 長姉の指摘に、スミレも渋々洗い場に向かう。三姉妹は仲良く並んで体を洗い流した。

 体を洗った後は掛け湯をし、湯船へと足を入れる。
「くっは〜・・・やっぱ温泉サイコー!」
 顎まで入ったスミレが大きく息を吐く。温泉のぬくもりが、じんわりと体の芯まで温めていく。
「おっさんみたいな感想言わないでよ。仮にも女子高生なんだから」
「仮じゃなくて本物です〜!」
 可愛く舌を出したスミレを見て、紫苑がころころと笑う。三人ともバスタオルを体に巻くような真似はしていない。「湯船にタオルは浸けない」というのが嵯暁家の家訓だ。手拭いを頭に乗せ、肩までゆったりと湯に浸かる。
 女性三人が集まれば自然と会話が始まる。しかも姉妹ともなれば会話は弾む。さくら、紫苑、スミレはのぼせないように時折湯船から出て岩に腰掛け、おしゃべりを続けた。

「・・・?」
 首を傾げた紫苑にさくらが気づく。
「どうしたの紫苑」
 暫く出入り口を見ていた紫苑だったが、ふるふると首を振る。
「勘違いならいいけど」
 それだけで紫苑が言いたいことがわかり、さくらは再び湯船に肩まで浸かる。

 突然ガラス戸が開く。他の女性客が入ってきたのかと振り返った三人の前に、信じられない人物が居た。
「ほんまに別嬪さんやないか。でかしたでヤス」
「へい、おおきに」
 パンチパーマの中年男と、二十代半ばに見える男が、下卑た笑みを浮かべていた。
「ご褒美や、入り口見張っとけ」
「そらどうも・・・って兄貴! ご褒美が酷過ぎますて!」
 ヤスと呼ばれた若い男が、兄貴と呼んだ男に平手で突っ込む。
「ちょっと! ここは女湯! 男は出てってよ!」
 湯船に肩まで浸かり、スミレが叫ぶ。
「まあそう固いこと言わんとこ。裸のお付き合いから始めようやないか」
 中年男はスミレの非難など聞こえなかったかのように、更に風呂場へと踏み込んでくる。
「しっかし、三人とも別嬪な上にぼん、きゅっ、ぼん、やで。眼福っちゅうやつや」
 中年男の視線が、湯の中にある三姉妹の肢体を舐めるように動いていく。三姉妹はテレビ番組のようにバスタオルなどは持ち込んでおらず、それぞれに手拭いが一本あるだけだ。
「さすが兄貴、学がありますな。伊達に高校出とらんわ」
「そやろそやろ、中卒のお前とはちゃうねや」
「兄貴! 別嬪さんの前でそれは禁句やで!」
「やかましわ」
 ヤスの頭をはたいて漫才を終わらせた兄貴が言葉を続ける。
「ヤス、ノボルの奴も呼んだれや」
「でも、あいつ見張りでっせ? いいんでっか?」
「ええわ、たまにはご褒美も必要やろ。それに、さっき入り口に『清掃中』の札も下げといたから心配すな」
「さっすが兄貴や! 油断も隙もないわ!」
「そやろそやろ・・・ってそれ誉めてへんやんけ!」
 兄貴がまたヤスの頭をはたく。
「あれ、誉め言葉違いました? おっかしいなぁ、テレビでも使おてましたんやけど」
「テレビを信じるお前がアホやねん」
「アホちゃいますて!」
「ほならパーか?」
「そうそう、アホちゃいまんねんパーでんねん・・・って違いますわ!」
「ええから、ノボル呼んでこいや。話が進まへん」
「すんまへん」
 頭を掻いたヤスが浴場から出て行く。
「・・・どうするさー姉、今の内にシメちゃう?」
「そう、ね・・・今なら」
 湯船から立ち上がろうとしたのを見計らったように、ヤスが再び扉を開いて浴場へと入ってくる。その背後に巨大な影が続く。
 まるで、達磨に野太い手足が生えたかのような巨漢、否、太漢だった。左右に穴の開いている変わった形の縞模様の帽子を被り、のそりと足を踏み出す。
「・・・あーっ! 私のパンツ!」
 突然スミレが叫ぶ。なんと、ノボルが頭に被っていたのは帽子ではなく、スミレの下着だった。
「あ、こいつ。ドン亀のくせに手だけは早いんやから」
 ヤスが睨むとノボルは照れくさそうに頭を掻く。
「まあそんくらいは許したれや」
 兄貴の勝手な言い草に、スミレの怒りの視線が飛ぶ。
「おいおいお嬢ちゃん、そんな熱い視線を送るなや。照れるやろ」
 兄貴は軽く手を振って笑う。
「それとも、自分から仲良おなろうとしてくれてんのか? ええで、お互いに腰振りダンスで、な」
 口元に笑みを残したまま、兄貴の眼光が鋭くなる。
「でも兄貴、もしサツにタレこまれたら・・・」
「なぁに、そんときゃトンズラこくだけや。いつものことやろがい」
 ヤスの心配もあっさりと退けた兄貴の顔が、欲望の色を浮かべる。
「それに、ヒィヒィ言わせて悦ばせればこっちのもんや。強姦やのうて和姦になる」
「え、そうなんか!? さすが兄貴や、そんなことまで知ってるなんて、尊敬しますわ!」
「言うたやろ、中卒のお前とは違うて」
「兄貴! それ禁句やとも言うたやないですか!」
 兄貴とヤスの漫才の間に、スミレがさくらの耳元へ囁く。
「私が旅館の人を呼んでくる。大丈夫、私のスピードにあいつらがついてこれるわけないから」
 さくらが止める間もなく、ウインク一つを残してスミレが湯船から走り出る。
「あっ、おい!」
「しもた!」
 兄貴とヤスをすり抜け、ノボルの脇を抜ける。否、抜けようとした瞬間だった。
「うっ・・・」
「スミレ!」
 ノボルの太い腕がスミレの首に巻きつき、気道を絞める。その外見とは裏腹に、ノボルの反応は素早かった。
「あっぶな。素速い姉ちゃんやな。良おやったで、ノボル」
 兄貴に褒められたのが嬉しいのか、ノボルの頬が緩む。
「さって、とお」
 口元に小さな笑みを浮かべ、兄貴がさくらと紫苑を見つめる。
「わしも手荒な真似はしたない。そやけど、警察にタレこまれるのも嫌やからな」
 そう言った兄貴は、これ見よがしにスミレの胸を揉んでみせる。
「つまり、や。お姉ちゃんたちが自分から仲良おしてくれたらそれでええ。言うてる意味、わかるな?」
 妹を汚されたくなければ情事の相手をしろ。兄貴の言いたいことは遠回しながら良くわかった。
「・・・私があなたたちの相手をするわ。だから、妹には手を出さないで」
「っ!」
 何か言いかけた紫苑を遮り、さくらは一糸纏わぬ姿のまま湯船から上がり、兄貴の前に立った。
「よっしゃ、さすが一番上の姉ちゃんや。妹思いやな」
 兄貴はさくらの頭の天辺から足の指先にまで視線を這わすと、右手で形の良い乳房を弾ませる。感触を確かめるように何度か弾ませると、乳房を掴み、乳首に吸い付く。
「くっ・・・」
 不快な感触が乳首から伝わる。ひとしきり左の乳首を舐めた兄貴は、今度は右の乳首に吸い付く。
「両方公平に扱ってやらな、乳首ちゃんに悪いからな」
 兄貴はさくらの乳首をしゃぶりながら一人悦に入る。
「・・・」
 そんな姉の姿を見せつけられる紫苑は湯船から上がり、一歩二歩と距離を詰める。
「おっと待った待った、お姉ちゃんには近寄ったらあかん」
 その前にヤスが立ちはだかる。思わず紫苑は胸元を隠していた。
「おっぱい隠してもあかんで。ちゃんと気をつけしてお姉ちゃんの感じてるとこ見とかんと」
 ヤスの勝手な言い分だったが、さくらとスミレを人質に取られている以上、紫苑は逆らうことができなかった。一度はFカップの胸を隠した手を、震えながら両脇に下ろす。
「こらまたデカいおっぱいやな」
 紫苑の乳房を繁々と眺めたヤスは、紫苑の肩に親しげに手を回す。
「今日だけは仲良おしよな、デカパイちゃん」
「っ!」
 回された手は肩から更に進み、乳房を掴む。
「ノボル、お前もおっぱいくらいは揉めや」
「え・・・い、いいんすか、ヤスの兄ぃ」
「ええやろ、おっぱいは。大事なとこは弄らにゃ兄貴も文句は言わんやろ」
「え、えへへ、おっぱい、触りたかったんすわぁ」
 頬を笑み崩したノボルは、スミレの首を抱え込んだまま胸を揉み始める。
「妹たちには手を出さないって言ったじゃない!」
「まあそお恐い顔しなや。ちょっとくらいのサービスは大目に見てほしいところやで。なんなら・・・妹さんたちにも本番、してもらおか?」
 兄貴の目が底光りする。その眼光にさくらは抗議を呑み込む。これ以上言い募れば、この男は妹たちを犯せと言いかねない。
「わかってくれたみたいやな。そんじゃ、そこに手ぇついてケツをこっちに向けえや」
 兄貴が指し示した岩にさくらは手をつく。言われたとおり、ヒップを兄貴に向けたままで。そのヒップを兄貴の手が撫で回す。
「よお引き締まったええケツや。姉ちゃん、なんぞスポーツでもしとるんか?」
「・・・別に」
 ボクシングのプロライセンスを持っていることは黙っておく。
「太ももも引き締まっとるな。筋肉と脂肪のコラボレーションや」
 兄貴の手がヒップだけでなく、太ももまで触りだす。
「ええ感触やけど、肝心なこっちはどうやろ」
 兄貴の指が、遂にさくらの秘部に触れる。さくらの体が強張り、息をつめる。
「心配すなや。わしは紳士やからな、ちゃぁんと濡らしてやるて」
 ひっひっと妙に甲高い笑い声を上げた兄貴は、跪いて高さを合わせると、さくらの秘部を下から上に舐め上げた。
「うっ・・・」
「なんや、声が出るやないか。感じてるんと違うか」
 兄貴の揶揄をさくらは黙殺した。気色悪くて出てしまった声だったが、否定しようがしまいがこの男はまた不愉快なことを言うに違いない。
「感じとるんやろ? ええでええで、気にせずぱーっといこか」
 再び兄貴の舌がさくらの股間を舐め回す。しかしさくらは歯を食いしばり、一言も洩らすまいと耐える。
「なんや、静かになって。ほれほれ、お豆ちゃんつついたらどないや?」
 敏感な淫核を剥き出しにされ、遠慮なしに触れられる。
「うくっ・・・」
 思わず洩れてしまった声だったが、後は全て飲み込む。
「そんな我慢せんでもええて。ほれ、腰は動いとるやないか」
 兄貴は淫核を弄りながら、ヒップを叩く。さくらは岩にしがみつき、震えそうになる体を必死で押さえ込む。
「強情なお姉ちゃんやなぁ。まあええ。そろそろ、わしのあれとお姉ちゃんのアソコで合体しよか」
 兄貴の耳元への囁きに、さくらの肩が強張る。
「そんな硬くならんでもええて。ほれ、おっぱい揉んだるから力抜けや。お、おっぱいはやわやわやな」
 下品な冗談を飛ばしながら、兄貴はさくらの乳房とヒップを揉みしだく。
「さぁて・・・それじゃ、行くで。力入れてても構わんで、そういうのも嫌いやないからな」
 兄貴は既に固くなった自分のモノを握り、先端をさくらの秘裂に擦り付けてくる。初めてではないが、体が強張る。
(壮一郎・・・ごめん・・・)
 喧嘩中だとはいえ、操を捧げた恋人に詫びる。
「デカパイちゃんも、よお見て気分を高めとけや」
 紫苑の乳房を揉みながら、ヤスが下品な笑い声を上げる。ノボルもスミレの乳房を揉み続けている。あまりに夢中になっているためか、ノボルの腕の圧迫が弱まっていた。
「!」
 紫苑とスミレが視線を交わす。二人は同時に頷くと、自分の胸を揉んでいる男達の股間を容赦なく殴った。
「ほごっ!」
「ぼふぉっ!?」
 鍛えようのない急所を打たれ、ヤスとノボルがへたり込む。
「さー姉!」
 スミレの叫びが兄貴の動きを縛り、さくらの振り向きざまの右フックが炸裂した。ボクシングのプロライセンスを持つさくらの一撃に、兄貴は浴場の床に倒れ込む。
「さて、と・・・何か言いたいことは?」
 一糸纏わぬ姿で指を鳴らすさくらに、兄貴の頬を汗が伝う。既に腫れ上がりだした口元からは血が伝っている。
「ほ、ほんのドッキリやないか、いややなぁお嬢ちゃんら」
 それでも誤魔化そうとする兄貴の態度に、さくらの目が吊り上がる。
「よくドッキリだなんて言えるわね。つまらない冗談ばっかり言って・・・笑えないわよ!」
 素早い踏み込みから地を這うようなアッパーが炸裂する。同時に、紫苑、スミレの手刀とキックがヤスとノボルの首に叩き込まれていた。
「幾ら屑でも、本気で殴れないからムカつくわね」
 もしさくらが手加減せずに殴っていれば、兄貴の顎の骨が砕けていただろう。引き換えにさくらの拳も砕けたかもしれないが。
(それも馬鹿らしいしね。こんな男の骨と私の拳、同時に壊すほど価値は釣り合ってないわ)
 一度髪をかき上げ、鬱憤と共に呼気を吐き出す。
「それじゃ、改めて宿の人を・・・」
「あーーーっ!」
 さくらの言葉をスミレの叫びが遮る。
「どうしよう・・・」
 スミレの顔は真っ青で、今にも倒れそうだ。
「どうしたのスミレ!? 気分が悪いの? それとも・・・」
「私、穿く下着がない」
 予想外の科白に、姉二人はこけた。
「あのね! そこにあるんだから洗えばいいじゃない、それで・・・」
「こいつが頭に被ったんだよ! 洗っても穿けるわけないじゃん!」
 さくらも同じ女性だから、スミレの気持ちもわかる。
「それじゃ、家に帰るまでノーパンでいるわけ?」
「部屋に戻れば替えはあるから! さー姉、わかってて言ってるでしょ?」
「冗談よ。それより、早く服を着て。従業員か誰かを呼んで、警察も呼んで貰わないと」
「せっかくの温泉なのに、風邪ひきそ」
 言った途端、スミレは可愛くくしゃみした。

***

「ええ!? 逃げた?」
「はい、大変申し訳ございません!」
 正座でずっと下を向いていた女将は、手を付いて深々と頭を下げた。
 女将の説明によると、男三人を縛って一室に閉じ込めていたのだが、警察が到着したときにはどうやってか縄を解き、部屋から姿を消していたという。
「本当に、お客様にはどうお詫びをしてよいかわかりませんが・・・良かったら、もう一泊していきませんか? 当然お代は頂きませんので」
「え? いえ、あの・・・私たち、仕事があるので、申し出はありがたいんですが、その」
「さー姉、折角だからムグッ」
 女将の申し出を受けようと言いかけたスミレの口を塞ぎ、紫苑が首を振る。
 さくらにしてみれば、男に犯されかけた場所なのだ。一刻も早く立ち去りたいに違いない。しかも逃げ出した男達は、いつ舞い戻ってくるかもしれない。例えその可能性が僅かしかないとしても。
 それに気づいたのか、それとも紫苑の視線に慄いたのか、スミレはこくこくと頷き、小さく降参のポーズを取った。
「女将さんのお言葉は嬉しいです。料理も美味しかったし、露天風呂も最高でした。できればもう一泊したいのが正直なところですが、仕事もありますので。すみません」
 会釈したさくらに、女将が小さく吐息を吐く。
「そうなんですか・・・あ、でも、本日は泊られるんですよね? その、もしこちらが嫌だと言うことでしたら、別の宿を御案内させて頂きますが・・・」
「いえ、そこまでされなくても大丈夫です。今日は泊まって、明日の朝食を頂いてから帰ります」
 そこでさくらは笑顔を見せる。
「あれだけ美味しい晩ご飯だったから、朝ご飯も期待しちゃうじゃないですか」
 その言葉に、女将がほっとした笑顔になる。
「わかりました、明日の朝食は腕によりをかけて用意させて頂きます」
 もう一度深々と頭を下げ、女将は部屋を後にした。暫く沈黙が続く。
「さて、と! 色々あったし、今日はもう寝ましょうか」
 わざと明るい調子でさくらが伸びをする。
「お休み!」
 そのまま真ん中の布団に潜り込む。
「さー姉、一緒に寝よ?」
 何故かスミレも一緒の布団に潜り込んでくる。
「甘えん坊なんだから」
「意地悪言わないでよ、ほら、しー姉も来てるよ?」
 スミレの言うとおり、紫苑も反対側からくっついてきていた。
「んもう、布団をくっつければいいでしょ! ほら、寄せて寄せて」
 さくらが二人を押しやると、紫苑とスミレは喜んで布団をくっつけ、その上でさくらの布団に潜り込んでくる。
「まったく、いい年して・・・」
 本当はさくらもわかっている。妹二人が、さくらを少しでも慰めようとしてくれていることを。
(こんなに暖かかったっけ)
 妹二人の体温が、さくらの体を温めてくれる。温もりに身を委ね、さくらはゆっくりと目を閉じた。

***

 女将と従業員から見送られ、嵯暁三姉妹は宿を後にした。思い出したくないこともあったが、美味しい料理と露天風呂は最高だった。姉妹の温もりと絆も感じることができた。
 三人は他愛ない会話をしながら、駅へと向かった。

「あれ? さー姉?」
「うん、ちょっとね」
 スミレの呼びかけに片手を立てて返し、さくらは携帯電話のメモリを呼び出した。物陰に歩きながら通話ボタンを押す。呼び出し音が続く。
『・・・はい』
 普段よりもかなり長めのコールの後で、電話の相手が出る。
「壮一郎、ごめん」
 喧嘩したことの詫びと、汚されかけたことの申し訳なさが謝罪の言葉となっていた。
『どうした! 大丈夫か?』
 たった一言で、壮一郎はさくらの精神状態を見抜いた。そのことに壮一郎との絆を再確認する。
「うん、もう大丈夫。壮一郎の声を聞いたら、元気になった」
『そうか』
 優しい口調が切なさを募らせる。
「その・・・今夜、会えない?」
『お前が会いたいって言うんだ、どんな用事もほっぽり出して行くさ』
「壮一郎・・・」
 何を伝えれば良いのかわからず、言葉を飲み込む。
「会えるの、楽しみにしてる」
『ああ、俺もだ』
 恋人の返事に頬が染まる。さくらは静かに通話を終えると、携帯電話を胸に抱いた。
「・・・よし!」
 大きく頷くと携帯電話を握り締め、妹たちのもとに戻る。
「さ、帰るわよ!」
「イエッサ!」
 敬礼で帰したスミレは、さくらに聞こえないように小声で紫苑に囁く。
「急に機嫌よくなっちゃった。あれ、そー兄と仲直りしたんだよ、きっと。大喧嘩してたのに、やっぱ仲いいよね」
 さくらと壮一郎の仲直りが嬉しいのか、紫苑は姉の背中を見て微笑むだけだった。


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