【特別試合 其の八十三 雅楽鈴音:柔術】   紹介者:小師様


 犠牲者の名は「雅楽(うた)鈴音(すずね)」。20歳。身長168cm、B91(Fカップ)・W57・H88。

 背中まで届く艶やかな黒髪、黒目勝ちの瞳、綺麗に通った鼻筋、形の良い唇という、どこかはかない印象を感じさせる美貌の持ち主。女性らしい手足は長く、関節が柔らかい。右頬の後ろのほうに刃物の傷のようなものがあるが、普段は髪や化粧で見え辛くしている。

 違法ぎりぎりのメンズエステのセラピストをしており、容貌だけでなくセラピーと会話の技術(生徒会長のような固くて真面目な言い回しだが)が高く、リピーターが絶えない。

 柔術を本格的に習い始めたのはここ半年程度と、ごく最近だ。だと言うのに、<地下闘艶場>は鈴音の参戦を決めた。鈴音自身も<地下闘艶場>への参戦をあっさりと受け入れた。

 自分が求められる役割を知りながら。


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<地下闘艶場>の花道を、少し俯き加減の鈴音が進む。

 ガウンを着た鈴音が歩を進めるたび、観客からは卑猥な野次や煽るような指笛、粘つく視線が飛ばされる。しかし鈴音はそれに反応することなく、リングへと上がった。


「赤コーナー、『ノーペイン』、尾代呑太!」

 鈴音の対戦相手は、尾代(おしろ)呑太(どんた)だった。Tシャツにジャージの服装で、たいして強そうにも見えない。

「青コーナー、『柔術セラピー』、雅楽鈴音!」

 名前をコールされ、鈴音はガウンを脱ぐ。その下にあったのは、ルビーレッドのベビードールだった。

 キャミソールにも似ており、肩紐にピンクのフリルが付けられ、胸元には黒いリボンがある。スカートの下側にもフリルが付けられている。丈は短めで、ヒップを隠すくらいまでしかない。生地が薄く、鈴音の下着が透けて見えるのが扇情的だ。

 また野次や指笛が鳴らされ、鈴音の眉が寄せられた。


「それじゃあ雅楽選手、ボディチェックを受けてもらおうか」

 尾代のボディチェックを速攻で終えたレフェリーが、鈴音の前に立つ。

「このように、布地も薄いですし、物を隠すなどできませんよ」

 鈴音はベビードール衣装の胸元を引き下げ、胸の谷間を覗かせる。

「ほら、何もないでしょう?」

「ああ、そうだな」

 鼻の下を伸ばしたレフェリーは、Fカップの谷間へと視線が釘付けにされる。

「ですから、ボディチェックも必要ありませんよね?」

 鈴音は前屈みとなり、更に谷間が覗くようにする。

「あ、ああ、そうだな」

 レフェリーは半ば反射的に頷いていた。

「では、試合を始めてくださいね」

 鈴音は前屈みの体勢で胸の下で両腕を組み、Fカップバストを持ち上げる。そのため、より胸の谷間が存在感を増した。

「ああ、そうだな・・・」

 レフェリーは思わず試合開始の合図を出していた。


<カーン!>


 ゴングと同時に、ボディチェックも行わなかったレフェリーにブーイングが起こる。我に返ったレフェリーだったが、もう遅い。

「口が巧いっスね」

「事実を述べたまでです」

 尾代の皮肉にも鈴音は動じない。

「とりあえず、おっぱいチェックさせてもらうっス!」

 胸元へと伸ばされた尾代の右手を、鈴音は手首を極めながら投げへと繋げる。

「ぶげっ!」

 尾代は受け身も取れずにリングへ落ちた。鈴音はとどめとばかりに尾代の鳩尾を蹴り、手を放す。

「これで良いでしょうか?」

「悪くはないと思うぞ」

 レフェリーに視線を投げる鈴音だったが、レフェリーはにやつくだけだ。

「おっぱいチェックっス!」

「っ!?」

 いきなり、背後から両胸を掴まれた。

「うわお、揉み応え抜群っス!」

 投げから追い打ちの蹴りで倒した筈の尾代だった。

 疑問に思いながらも、鈴音は右肘を尾代の右脇の下に入れ、尾代の右腕を押し上げながら自分の肩を抜く。それでも両胸から手を放さない尾代の手首を掴み、腰の捻りと落としで脳天からリングに叩きつける。

 さすがにやり過ぎたか、と思いながら尾代から離れようとする。しかし、尚も尾代の手が胸を揉み続けている。

「こんだけのおっぱい、簡単には放せないっスよ!」

 鈴音に合わせて立ち上がりながら、尾代がへらへらと笑う。


 尾代の打たれ強さは、激しい苛めによって殴打を繰り返され痛みに鈍くなった、と言う後天的に得た才能だ。並の打撃、衝撃では怯みもしない。


「それなら・・・」

 鈴音は尾代の左膝に関節蹴りを当てる。瞬間よろめいた尾代が、今度は大きくぐらつく。鈴音の左掌底が、尾代の顎を打ち抜いていたのだ。

「はれ・・・?」

 疑問の声と共に、尾代の膝が崩れた。そのまま前のめりに倒れ、体を痙攣させる。これにはレフェリーも慌てて試合を止める。


<カンカンカン!>


 ようやく動きを止めた尾代に、鈴音は大きく息を吐く。ロープを潜って退場しようとした鈴音の背に、レフェリーの声がぶつかる。

「ボディチェックを受けなかったんだ、もう一試合してもらう」

「お断りします」

 ロープの間から身体を外に出そうとした鈴音だったが、リング下には既に新たな男性選手が居た。

「カカッ、まあそう言うなよ。もうちっと遊んでいけや」

 男の鋭い視線に実力を見て取り、鈴音はリングへと戻る。男もリングに上がり、鈴音の対角線上に立つ。

「赤コーナー、『伸縮自在』、阿多森愚羅!」

 対戦相手は阿多森(あたもり)愚螺(ぐら)だった。大きめのバンダナを額に巻き、黒いボディタイツの上に道衣を着込んでいる。

「青コーナー、『柔術セラピー』、雅楽鈴音!」

 鈴音は阿多森から目を離さず、一挙手一投足からその実力を分析している。

「雅楽選手、今度こそボディチェックを受けてもらうぞ」

 その鈴音へ、レフェリーが近寄ってくる。

「そう言われても・・・ほら、こんなに丈が短くて、下着が見えそうでしょう?」

 鈴音はベビードールの裾を持ち上げる。下着が見えそうだが、ぎりぎりで見えない。

「ああ、そうだな」

 レフェリーの視線が、見えそうで見えない場所へと固定される。

「・・・あ、いや、さっきはそれで誤魔化されたからな、今度はそうは・・・」

 言い募ろうとしたレフェリーだったが、鈴音がくるりと身を翻すと、ベビードールの裾がはためき、下着が見えそうになる。しかし、ぎりぎりで見えない。

「ね? やっぱりボディチェックは必要ないでしょう?」

「ああ、そうだな」

「だから、試合を始めましょう?」

「ああ、そうだな」

 レフェリーはまたも無意識に試合開始の合図を出していた。


<カーン!>


「お前、ちったぁ学習しろよ」

 阿多森がレフェリーに舌打ちする。

「う、うるさい、いいから闘え!」

 自分でも失敗したことはわかっているレフェリーが、それを誤魔化すように、大きな声を出す。

「逆ギレすんなよ、みっともねぇ」

 鼻を鳴らした阿多森の右腕が振られ、鈴音に手刀が迫る。鈴音はぎりぎりで躱す。否、躱した筈だった。

 いきなり、胸元の布地が裂けた。しかもマゼンタ色のブラごと。阿多森が右手指の関節を外して無理やり伸ばし、遠心力の乗った一撃で衣装とブラだけを断ち切って見せたのだ。

「っ!?」

 鈴音は胸元を押さえ、距離を取る。しかし完全には隠せず、内側に腕を動かしたため、逆にFカップの谷間が強調されてしまう。

「逃さねぇよ!」

 阿多森が一気に距離を詰め、直線的な突きを放つ。

「っ!」

 鈴音は、それに反応して見せた。上体を左に傾けながら躱し、しかも右腕で阿多森の左腕を抱え込む。

「んぁっ」

 そのとき、何故か鈴音の口から甘い吐息が洩れた。膝の力が抜け、倒れそうになる。

「なんだ、脇腹が弱点か? なら、徹底的にそこを・・・」

 唇を歪めた阿多森の鳩尾を、鈴音の左拳が抉っていた。

 鈴音が脱力したことによる威力の増加。阿多森が一瞬気を抜いたこと。鈴音の拳が確実に鳩尾を捉えたこと。

 様々な要因が一瞬の攻防の中に重なり、鈴音の一撃は浸透勁となって阿多森の内臓を激しく揺らし、痛みの許容上限を超えさせていた。

 鈴音が抱えていた阿多森の右腕を放すと、阿多森が即座に崩れ落ちる。

 頭部からリングに倒れた阿多森を見て、レフェリーが反射的に試合を止める。


<カンカンカン!>


 即座に担架が運び込まれ、阿多森が退場させられていく。それを忌々しげに見送ったレフェリーが、鈴音へと向き直る。

「雅楽選手、ボディチェックを受けなかったんだから、もう一試合・・・」

「今から、貴方となら一戦してもよいですよ?」

 鈴音は胸元を隠し、半目となる。その冷たい視線に、レフェリーは後ずさりする。

「え、い、いや、その・・・こ、これから用事があるんだ、残念だ」

 レフェリーが鈴音の視線から逃れるように、否、実際に逃げ出した。その背に、観客からのブーイングがぶつけられる。

 レフェリーがリングを降りても、鈴音は動くことができなかった。二連戦による疲労もある。しかし、それが主要因ではない。

 猛烈で濃密な闘気が、鈴音目掛けて叩きつけられているのだ。しかも、その姿は見えない。

 やがて、一部の観客たちが気づく。花道に近い席の観客だ。静寂の輪が徐々に広がり、やがて会場すべてが静まり返る。

 まるで、猛獣が檻を出て、すぐ傍を闊歩しているかのように。

 花道を足音もなく進むのは、黒いTシャツに作業ズボンを穿いた男だった。強(こわ)い髪の毛を生やし、頬には幾本もの傷があり、適当に縫い合わされているため引き攣れ、異相となっている。

 首も、Tシャツに包まれた胸板も、腕も、ズボンに隠された脚も、そのシルエットによって鍛え上げられているのが即座にわかる。

 誰かが?み込んだ固唾の音が、会場に響いた。


「赤コーナー、『スカーフェイス・タイガー』、古池虎丸!」

 しなやかにリングに上がったのは、古池(こいけ)虎丸(とらまる)だった。その名の通り、虎を思わせる佇まいが見る者を震わせる。

 Tシャツの上からでもわかる肉体の迫力に、鈴音は思わず息を呑んでいた。

「青コーナー、『柔術セラピー』、雅楽鈴音!」

 コールも耳に入らない。鈴音は、無意識の内に身体を庇っていた。


<カーン!>


 レフェリー不在の中、第三戦のゴングが鳴らされた。

 虎丸と対峙する鈴音の頬を、冷たい汗が伝う。間近で浴びせられる虎丸の闘気に、身体が拒否反応を起こしているのだ。

 鈴音は身体を庇う腕を、徐々に下げていく。そして、阿多森によって作られた衣装の切れ目から、胸の谷間を覗かせる。視線誘導術で虎丸の隙を作るためだ。

 次の瞬間、腹部の奥で衝撃が弾けた。僅かに遅れ、喉元から何かがせり上がり、リングへとぶちまける。虎丸の掌底での一撃で内臓が揺らされ、胃の中身が逆流したのだ。

 四つん這いで吐く鈴音の長い髪を、虎丸が掴んで持ち上げ、膝蹴りを見舞う。同じ箇所への打撃に、鈴音の胃液までもが逆流する。

 その胃液を、鈴音は虎丸の顔目掛けて噴射した。髪を掴む虎丸の力が緩み、髪が自由になった鈴音は虎丸の股間へと爪先を叩き込む。

 並の男ならば、その一撃で終わっていただろう。しかし、<地下闘艶場>の支配者たる「御前」直々に鍛えられた虎丸が並の筈がなかった。

 胃液の噴射を虎丸は目を閉じることで防ぎ、即座に鈴音の髪を放して股間を防御した。柔らかく、しかし俊敏に距離を取った虎丸が目元を拭う。

 虎丸同様、一気に距離を開けていた鈴音は、口に残る吐瀉物を吐き捨て、口元を拭う。

「どうやら、切迫した危機のようね」

 先程までのようなあざと可愛い雰囲気とは一変し、鈴音は冷徹な瞳で虎丸を見据える。


 メンズエステのセラピスト、雅楽鈴音。実はただのセラピストではない。

 セラピストをしながら、市井の流行から政府や企業・官公庁の「噂話」を売買、もしくは自分のために使っているという、現代に生きるくノ一だ。

 くノ一と言うのは例えではなく、実際に伊賀流の一つである上野流を体得している。幼少の頃に親が転勤族であったことから、色々な場所で少しずつ技を会得し(もしくは盗み)、様々なことが実践できるようになった。しかも凄まじいのが、技の窃盗がほぼ露見していない点だ。

 幼少の頃から才能を伸ばした鈴音は、成長するにつれ自分の高過ぎる能力に気づいた。周囲に溶け込むため、普段は自分に暗示を掛け、「自分は普通の女性だ」と思い込んでいる。


 その暗示が、虎丸の闘気と強烈な攻撃によって解けた。本来の人格となった鈴音は腰を落とし、垂らした両腕をぶらぶらと揺らす。

 ゆらゆらと揺らされた両腕が、徐々に胸の高さへ、そして顔の高さへと上げられる。観客の視線も鈴音の手の動きに吸い寄せられる。

 と、いつの間にか鈴音が距離を詰めていた。虎丸の顔を打つかと見えた鈴音の身体が沈む。

 下からの顎を狙った蹴り。虎丸は顔を仰け反らすが、鈴音の足が更に伸びた。虎丸は頭部を傾けることで避けるが、まるで蛇のように鈴音の両足が虎丸の首に絡みついた。

 鈴音は後方への反動で、脳天から投げ落とそうとする。反動と鈴音の体重が乗った投げを、虎丸は事も無げに耐えて見せた。

(どこまでの怪物なの!)

 鈴音の背を冷や汗が垂れる。と、虎丸が宙吊りの姿勢となった鈴音の両肩の前に、自分の足を出した。鈴音の両太ももを押さえたまま、前方へと倒れる。

(まずいっ!)

 虎丸の足で肩を押さえられたことで、鈴音は受け身も取れずにリングへと叩きつけられ、同時に虎丸の体重を浴びせられた。

 この一撃に、鈴音の精神は暗黒へと沈んだ。



   (続く)


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