【第七章 クリスマス・フーガ】

「小峯くん、二十四日は空いてる?」

 突然遥に声を掛けられ、小峯は驚きに固まった。十二月二十四日と言えば、クリスマスイブ!

「い、いや、全然なにもないよ、うん、空いてる」

 動揺して声が震えているのが自分でもわかる。

「そっか、良かった。じゃあ、詳しいことが決まったらまた教えるね!」

 それだけ言うと遥はさっと踵を返し、後には頬を染めた小峯が残された。


「ねえ小峯くん、二十四日なんだけど……」

 今度は香夏子だった。連続での女の子の誘いに、小峯は動揺が止まらなかった。

「二十四日は……えっとね、その……」

 まさか遥と約束したとは言いづらい。もごもごと口ごもる小峯を見た香夏子は盛大にため息をついた。

「やっぱり……遥から二十四日のこと言われたんでしょ?」

「え、どうしてそれを!?」

 更に驚く小峯に、香夏子は諭すような口調で続ける。

「あのね、遥が二十四日の予定を聞いたとき、『プロレス同好会でクリスマス会をしたいんだけど』って言ってなかったでしょ? 今度皆でクリスマス会をやりたいねって話になって、『私、皆に聞いてくる!』って飛び出しちゃって、不安に思ったら案の定。遥に悪気はないんだけど、その辺が抜けてるのよ。ごめんね」

「あぁ、そうなんだ。やっぱりそうだよね、はは、勘違いしちゃった」

 残念そうな小峯を見て、香夏子がポツリと呟く。

「私が聞いたとしても、そう思った……?」

「え、なに、香夏子さんなにか言った?」

「ううん、別に。クリスマス会、楽しみだね」

 笑って誤魔化し、香夏子は小峯に背を向けた。心に小さな棘を感じながら。


 クリスマスイブの夕方、中央駅前もクリスマスツリーやイルミネーションで飾られている。クリスマンスソングも街のあちこちで流れ、今日がクリスマスイブなんだと過剰にアピールしている。

 今日はこよりの部屋でパーティーを行うことになっており、プロレス同好会の面々は駅前に集合していた。

「あれ、川崎くんは?」

「浩太はね、『二十四日が一番稼ぎ時なんだよ!』ってことで欠席」

「イブの日にもバイトするんだ。浩太くんって凄いんだね」

「ワタクシも感心致しましたよ。ここまでバイトに熱心だとは思いませんでしたから」

(こより先生の家でするっていったら、浩太残念そうだったな。やっぱり女の人の家でするのって男子は嬉しいものなのかな)

 そのときの様子を思い出し、遥は一人首を傾げた。

「では揃ったことですし、行きましょうか」

 こよりの先導で、メンバーたちは荷物を抱えて歩き出した。


 十分ほど歩き、こよりの住まいの集合住宅に到着した。

「さあどうぞ。あまり広くないけど、小まめに掃除してるから汚くはないわよ。それに、今お隣は空き部屋だから、多少騒いでも文句も来ないと思うし」

「お邪魔しまーす」

 こよりの家に上がった同好会員たちは、早速準備に取り掛かる。

「でも先生、イブの日によかったんですか?」

 香夏子の小声には、小さな微笑みが返ってきた。

「幸か不幸か、今年は予定がないの。皆と一緒に楽しむつもり」

 その目の複雑な色合いを読み取るには、香夏子にはまだ難しすぎた。


 テーブルの上には料理とジュースが並び、真ん中にはこよりの用意してくれたクリスマスケーキがそっと置かれた。

「それでは、メリークリスマース!」

 遥の合図で、クラッカーを鳴らすメンバーたち。ジュースを注ぎ、持ち寄った料理に手を伸ばす。

「このスペアリブ美味しいね、誰が持ってきたの?」

「私。私の手作りだから、ちゃんと味わって食べてね」

「こっちの鳥のからあげも美味しいわね」

「それはうちのお母さん作です!」

「……肉ジャガやいもの天ぷらなど、和風のものは……」

「私です。ちょっと考えなしだったかしら……」

「美味しいから問題ないよ先生!」

「こ、この微妙すぎる味付けのハンバーグは……」

「ワタクシです。美味しいですぞ?」

「舌がおかしいよ木ノ上くん……」


 料理を食べ、クリスマスソングを歌って雰囲気が落ち着いたところで、皆で持ち寄ったプレゼントの交換が行われた。

「うわっ、誰よ『闘魂伝承』のDVDなんか持って来たの!」

「ワタクシですが、お気に召しませんでしたか?」

「あ、それ欲しい! 香夏子、こっちのオルゴールと交換しよ!」

「しょうがないわね、それでいいわよ」

「ファンシーショップで恥ずかしいの我慢して買ったのに……それ扱い……」

「ご、ごめんなさい、小峯くん、私これが欲しかったの。ホントよ? ね?」

 香夏子の謝罪を、小峯は笑って受け入れてくれた。それだけで心が跳ねた。


「ねえ遥さん、レフェリングのことなんだけど」

 香夏子と話していた遥に、小峯が声を掛ける。

「ん、なになに? なにか疑問でもあるの? それとも選手デビューの決心がついたとか」

「レフェリーだけで一杯一杯だよ」

 笑いあう遥と小峯の姿に、香夏子の心がずきりと痛む。

「どうしたんですか鳥咲さん?」

 こよりの呼び掛けに、香夏子ははっとなる。

「な、なんですかこより先生? どうかしましたか?」

「いえ、少し固い表情をしていましたから、気になって」

「なんでもないですよ。気を使わせてしまってすいません」

 慌てて首を振る。少しわざとらしかっただろうか。

「そうですか? なにか心配事でもあるのなら……」

「なんでもないですから!」

 思わず大声が出ていた。こよりだけでなく、他のメンバーも、小峯も香夏子を見つめている。

「本当に、なんでも、ないですから……」

「そうですか、しつこく聞いてごめんなさいね」

 こよりの謝罪で、場はすぐに和む。しかし、香夏子の心には重しが残ったままだった。


 九時過ぎにはクリスマスパーティーも終了し、メンバーたちは家路に着いた。遥と香夏子は他のメンバーと別れ、二人で道を歩く。吐息が白く染まり、宙に溶けていく。

「はーっ、今日は楽しかったね!」

「……ええ、そうね」

 クリスマスパーティーの余韻に笑顔の遥に、香夏子はそっけなく返す。それには気づかず、遥は香夏子を真っ直ぐに見つめる。

「プロレス同好会、創って良かった! 香夏子、これからもずっと、ずぅーっと、同好会のマネージャーやってね!」

「ずっと、マネージャー……?」

 その一言が、なぜか香夏子の神経を逆撫でた。

「私は……私は、遥のお守りじゃない!」

 自分が発した言葉に、自分自身が驚く。

(違う、こんなことを言いたいんじゃない!)

 理性は止めようとするが、溢れ始めた言葉は次々と迸る。

「小さい頃からそう、遥はしたいことだけしてきた。私はその後を引っ張られていくだけ。もう、そんなの嫌なの!」

「香夏子……」

 親友だと信じて疑わなかった香夏子の告白に、遥が凍りつく。何か言おうとするものの、そのたびに口を閉じる。

「私、したいことだけしてるとか、そんなつもりじゃ……」

「そうでしょうね、自覚なしでやってるんだもん。私がどんなに迷惑してきたか、遥にはわからないわよ!」

 やっと言葉を絞り出した遥を厳しく切り捨てる。激しい言葉を遥にぶつけるたび、なにかが壊れていくのがわかる。わかっていながら、止められない。

「いつも振り回される身にもなってよ! 私の思いなんてまったく考えないまま突っ走って、私の、私……」

 脳裏に浮かんだ、小峯のはにかんだ笑顔。その笑顔がいつも向けられているのは……

「嫌い、遥なんか嫌い! もう友達でもなんでもないんだから!」

「待って、香夏子……!」

 走り去る香夏子を追いかけようとした遥だったが、香夏子の目から零れ落ちる涙に動きが止まってしまう。

「香夏子……」

 今まで何度も喧嘩してきたが、ここまで感情をぶつけられたことはない。胸の痛みに、どうすればいいのかわからなかった。


 帰宅した香夏子は自室へとこもり、電気もつけずにベッドの上で膝と枕を抱きしめていた。

「私、嫌な子だ……」

 携帯には遥からの着信とメールが山のように入っている。しかし、携帯に出ることもメールを返すこともしなかった。こんなとき、小さい頃の遥との思い出が浮かんでくるのはなぜだろう。

 物思いに沈む香夏子の耳に、ノックの音が届く。無言でいると、控えめにドアが開けられる。

「香夏子、遥ちゃんが来てるわよ。出てあげなさい」

「……今お風呂だからって言って」

 娘の口調に硬いものを感じ、母親は静かにドアを閉めた。しばらく間を置いて、再度ノックがされる。

「遥ちゃん、お風呂出るまで待ってるって。家の中で待つように言ったけど、それはできないって言って、外で待ってるわ。この寒い中で、よ。外覗いてごらんなさい」

「……いや。待ちたいって言うんなら待たせておけばいいのよ。そんなの遥の勝手じゃない」

「香夏子!」

「出てって! 母さんも遥の味方なんでしょ、出てってよ! 私は一人でいたいの! 一人がいいの!」

 母を部屋から追い出し、ドアを閉める。ドアに背中をもたれかけさせ、心臓の鼓動を深呼吸でなだめる。

 月明かりに誘われるようにカーテンを少しだけめくり、外の様子を窺う。そこには母の言う通り遥がいた。クリスマス会のときと同じ服だということは、家にも帰らず香夏子の家に直行したのだろう。玄関から母が出て、遥になにか声を掛けている様子が見える。遥は首を振り、母親になにか返したようだ。

「……勝手にすればいいじゃない」

 窓際から離れてベッドの上に座り、また枕を抱いた姿勢に戻る。そのまま、また物思いに沈んでいく。


 少しまどろんでいたらしい。時計を見ると日付が変わっていた。ふと、遥のことが気に掛かる。

「ううん、まさかね。いくら遥でももう帰ってるよね……」

 口ではそう言いながらもカーテンをめくり、外を確認する。そこには……

「……あの、バカっ!」

 毛布を抱え、階段を駆け下り、玄関の扉を突き飛ばすように開ける。

「……香夏子。えへへっ、長風呂だったね」

 震える遥がいた。

「もう、バカっ! 大バカっ! このままじゃ風邪引いちゃうじゃない!」

 頭から毛布を被せてやりながらなじる。

「バカは風邪引かないから平気だよ」

 にこりと笑う遥を、香夏子は思わず抱きしめていた。

「バカっ! なんで、なんで来たのよ! 私、遥のこと嫌いって言ったんだよ!?」

「うん、言ったね」

「私、お風呂に入ってなんかなかったんだから! 嘘ついてまで遥を追い返そうとしたんだよ!」

「そうなんだ」

「どうして……遥、どうして……」

 その後が続かない。でも。

「だって、親友だもん。たとえ嫌われたって、香夏子は私の親友だもん」

 遥が柔らかく抱き返してくる。遥の温もりを感じ、香夏子はその胸で泣いた。


 香夏子は遥を抱きしめたまま家へと戻った。てっきり遥が帰宅していたと思っていた香夏子の母は驚き、さすがに遥へと雷を落とした。そしてすぐに遥の両親へと連絡を取らせた。

「……うん、そう、今日は香夏子のうちに泊まるから。本当だってば、信用ないなぁ。香夏子、代わって!」

「すいません、連絡が遅くなって。はい、そうです、今日は久しぶりに一緒にお泊りします。心配しないでおばさん。おじさんにもよろしく伝えてください」

 香夏子は携帯電話を遥に返すと、一緒に風呂場に向かう。何時間も寒空の下にいたため、遥の体は冷え切っていた。風呂を暖めなおし、折角だからと二人で入ることにした。

「……遥。なんであんなに鍛えてるのに胸の肉は落ちないのよ」

「よく食べるからかな? あと、多分胸筋も鍛えてるからだと思う。バストアップ効果があるって話だから。香夏子だって大きくなってるじゃない」

「そ、そりゃああれだけ練習につき合わされたもの。少しはメリットがないとやってられないわよ」

 顔を見合わせ笑いあう二人。狭い湯船に一緒に浸かり、冷えた体を温める。

「くっは〜、生き返るーっ! お風呂っていいねー!」

「おっさんみたいなこと言わないでよ。まったく、あんなとこで何時間も待ってるなんて、ホントバカなんだから」

「……あのまま帰ったら、二度と香夏子と話ができなくなる気がしたから。ごめんね」

「……バカ、謝るのはこっちの方だよ。遥、本当にごめん」

 お互いに頭を下げあい、最後はなぜか可笑しくて吹き出してしまう。

「ふふっ、さ、体洗おうか」

「香夏子さん、お背中お流ししますよ」

「なにそれ……じゃあお願いしようかな」

 まるで昔に戻ったようだった。他愛ない会話をしながら交互に体を洗っていく。遥の背中を洗っていた香夏子は、ふざけて遥の胸に触る。

「……柔らかい」

「ちょっとやめてよ香夏子! 私そんな趣味ないよ!」

「筋肉娘だから胸も固いと思ったのに、柔らかい……」

「し、失礼な! 誰が胸も筋肉よ! もう怒った、香夏子のも触らせろ!」

「いやよ、ちょっとやめてってば、いやーん!」

 ふざけ過ぎ、香夏子の母親から怒られた二人は風呂場から追い出され、香夏子の部屋に逃げ込む羽目になった。


 香夏子の部屋で、二人で一緒にベッドに入る。遥は香夏子のパジャマを借りているが、下着はサイズが合わないため、素肌に直接パジャマを身に着けている。触れ合う体からお互いの体温が感じられ、絡まった心がほどけていく。

「遥……ありがとう。大好きだよ」

「あれ、それって愛の告白?」

 茶化して聞き返す遥に、軽くデコピンをしてやる。

「違うわよバカ。私の好きな人は男の子です!」

「え、それって誰? ねぇねぇ、教えてよ!」

 香夏子の言葉に目を輝かせ、遥が食いついてくる。

「遥の好きな人教えてくれたらね。川崎くんとか?」

「浩太は違うよ。うーん……好きな人はいないなぁ。あ、私プロレスラーの獅子牙さん好き! ほら、好きな人教えたよ、次は香夏子の番!」

「それはファンとして好きなんでしょ! 反則です。遥の負け!」

「ええ〜っ、そんなぁ」

 馬鹿話すら楽しかった。お喋りに花が咲き、布団の中で笑いあう。夢中で喋っていた香夏子が気づいたときには、遥は眠り込んでいた。

「今日一日迷惑かけたもんね……遥、本当にありがとう」

 世界一の親友の寝顔を見ながら、いつしか香夏子も眠りへと落ちて行った。



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