【雌伏】

「組長は居るか」
 突然事務所に入ってきた白髪の男に、事務所中の殺気が集中した。黒張りのソファに座っていた一人が立ち上がる。パンチパーマに派手なシャツを着た如何にもな男は、サングラスをずらし、自分よりも高い位置にある相手の目を睨みつけた。
「ああ? んだテメェは」
 そう凄んだパンチパーマだったが、相手の眼光に縫い止められた。
「お前の組長に伝えよ、白髪で偉そうな男が呼んでおる、とな」
 刀の鯉口を切ったようだった。暴力で生きている男が、指すら動かせない。パンチパーマだけでなく、事務所内の他の男たちも同様だった。
「どうした? 行けい」
 その叱咤に、ようやくパンチパーマが振り向き、ギクシャクとした足取りで事務所の奥へと消えた。

 それから一分と経たず、小太りの男が蹴飛ばすようにしてドアを開け、両手をついて這い蹲る。
「これは『御前』、このたびはどのようなご用件でしょうか!」
「牛河か。久しいの」
 自分たちの「親父」である組長が土下座する。目の前の白髪の男がそれだけの存在なのだと、ヤクザたちは肌身で感じた事実が真実だったと知った。
 しかし、それに気づかぬ、否、気づきながらも振り払った者も居た。
「組長! なんでこんな爺に頭下げてるんすか!」
「御前」が牛河と呼び捨てにした組長を抱き起こし、「御前」を睨む。その気迫に、「御前」が薄っすらと笑みを浮かべた。
「面白い、儂とやろうというのか」
「やめろ鳶戸! お前でも敵う相手じゃねぇ!」
 鳶戸と呼ばれた男は、組長である牛河の制止も聞かなかった。否、牛河の制止が更に闘志を煽った。自分に目を掛けてくれた組長に舐めた態度を取ったこの爺を見逃せるほど、鳶戸はヤワではなかった。
「組長。俺の本気、お見せしますよ」
「馬鹿野郎、誰に対して・・・!」
 激昂しかけた牛河を、「御前」は手をかざすことで止めた。視線は鳶戸から離していない。
「儂に本気で挑もうと言うのだ。どれほどの玉か、昂ぶるわ」
「御前」のこの言葉で、もう牛河は制止することができなくなった。「御前」の楽しみを止めてしまえば、今度は自分がどうなるかわからない。
「組長をコケにしたこと、後悔させてやるよ」
 鳶戸は軽く握った両拳を胸の高さに構え、軽いフットワークを始める。
「ボクサー崩れか」
 薄く笑ったのは「御前」だった。
「いつまでも余裕こいてんじゃねぇぞ!」
 無造作に放たれた左ジャブは、空気を切り裂くほどのスピードだった。ただボクシングを齧った程度ではなく、プロとして日本ランカーに位置していたのではないか。それほどのジャブだった。
「ほお」
 左ジャブをかわした「御前」の頬が緩む。目の前の男の実力が予想以上だった、そのことへの喜びだった。
「そのにやつき、止めてやらぁっ!」
 左ジャブのダブルから右ストレート、更に左フックのコンビネーション。数々の相手を沈めてきたコンビネーションだったが、目の前の白髪には掠りもしなかった。
「ちぃぃっ!」
 踏み込んだ軸足と腰を急激に回転させてのレバーブロー。その拳が初めて獲物を捕らえた。
「あぐぁぁっ!」
 苦鳴を放ったのは鳶戸のほうだった。拳の軌道に置かれた「御前」の肘に、素手で思い切り体重を乗せたパンチを叩き込んだのだから当然だろう。自らのパンチの威力と「御前」の肘の硬さに、鳶戸の左拳は指がひしゃげ、基節骨の第二・第三指が陥没していた。その衝撃から立ち直る間も与えられず、後頭部を押さえられ、顔面を床へと叩きつけられていた。
 血が流れ落ちる顔面を押さえ、痛みに呻く鳶戸を、「御前」が静かに見下ろす。
「儂に喧嘩を売ったんだ。どうなるかわかるな?」
 なにか言い訳めいたことを呟く鳶戸の顔を、「御前」が両脇から掴んで立ち上がらせる。次の瞬間、鳶戸の顔は後ろを向いていた。胴体は前を向いたままで。
「御前」が手を放すと、鳶戸の体は暫く棒立ちになっていたが、やがてゆっくりと前のめりに倒れていった。後頭部が床にぶつかる音は、妙に神経に障った。
「鳶戸・・・」
 同僚が呆然と呟く。鳶戸がステゴロの喧嘩で負けたなどと信じられない。
「失礼するよ」
 そこへ、新たな人影が現れた。
「ふむ、暫くはここが寝床か?」
 ゆったりと事務所に入ってきたのは、微笑みを浮かべた小柄な老人だった。
「も、元橋・・・さん」
 元橋の名を呼び捨てにしそうになり、牛河は慌てて「さん」付けした。

「元橋(もとはし)堅城(けんじょう)」。「御前」の師匠であり、現在は雇われて部下という関係になっている。しかし自分の気が向いた仕事しかせず、「御前」もそれに文句をつけるようなことはない。好々爺と呼びたくなる柔和な表情だが、その実力は外見に反し、恐ろしいほどの冴えと無情さを併せ持つ。

「相変わらず鼻が良いな」
 苦笑したのは「御前」だった。牛河を向いたときには既に笑みは消えている。
「女を用意しろ。儂と元橋の相方をな」
 その要求に一瞬呆けた牛河だったが、すぐに気を取り直す。
「女はどのようなタイプが・・・」
「とびきりの美人で、出るところが出ている女だ。当然美容整形などしていない天然ものでな」
 それまでに部屋と食事を用意しろとの命令に、もう反論しようとする者は皆無だった。

***

 一時間半後、事務所の上階にある客室に女が訪れた。食事が終わり、食休みまで見計らってのタイミングだった。
「御前」の相方は、長髪に軽いソバージュを入れ、口には真紅のルージュが引かれている。細い目は少し吊り気味だが、流し目にぞくりとする色気がある。身に着けた紫のボディコン服は胸の谷間をはっきりと誇示し、胸の膨らみ、張った尻までも衣服の上からわかる。
「こんばんは」
 その笑顔はどこか硬い。
「あの、とっても偉い人だって、聞いてて・・・」
 硬い笑顔をほぐすように、「御前」が手を差し出す。女の顔に安堵と緊張が同時に浮かぶ。二人の手が重なりかけたが、「御前」が女の手首を捕らえる。
「あぃっ!」
 突然手首を襲った痛みに女が歯を食いしばる。女の手から落ちた物を、女の手首を極めたまま「御前」が拾う。
「これで、儂を刺し殺すつもりだったか?」
 変色した先端は、毒が塗られている証拠だった。かなり強いものでなければこんな色にはならない。女の顔に近づけると小さく悲鳴が上がる。
(儂も嘗められたものよ。否・・・それだけ儂を下に見たい、ということか?)
 このような単純な手に引っ掛かるような「御前」ではない。それは女を刺客に送り込んだ相手とてわかっている筈だ。それでもその手段を採ったということは、女にならば簡単に殺されると思っている、もしくはその程度の男だと見下したい、ということだろう。
 もしくは精神的な揺さぶりか。「御前」がどこに隠れようとも、容易に居場所を見つけ出し、追い詰めるという挑発。
 しかし、「御前」としては別にどちらでも、他の理由でも構わない。例え牛河の配下共が全員で襲ってきたとしても、退けるだけの技量と度胸を持っている。加えて「御前」らしいのが、きちんと逃走の手段も整えている点だった。屋外に面した窓の傍には、重りを付けたロープが準備されている。いざ逃走に移るとなれば、ロープを投げることで隣のビル、屋上、階下のいずれにも逃走可能だ。
 ビル内に気の結界を静かに張り巡らせたまま、「御前」は女を改めて見た。
「下手に動けば、刺すぞ」
 右手に針を持ったまま、女の手首を放した「御前」の左手が閃く。それだけで女の衣服が千切れ飛んだ。
「あ・・・あぁ・・・」
 衣服の残滓が辛うじて身体を隠している女の口から、絶望の呻きが洩れる。
「では、尋問といくかの」
「御前」の持つ針から逃れるために後退し、女はベッドへと倒れ込んでいた。
「お、お願い、殺さないで」
「このような針で殺すつもりはないわ。お前を殺すのは・・・これよ」
 片手で巧みに褌を外した途端、半立ちした逸物が着流しの裾を割って姿を現した。
「嘘・・・こんなに大きいだなんて、訊いてない」
 女の目には、本物の恐怖があった。
「ならば、自分で濡らすことだ」
 半ば呆然と頷いた女は、自らの秘部に手をやり、慰め始めた。
「・・・駄目、全然濡れない」
 恐怖が快感を殺していた。別のものでベッドを濡らしそうな女の風情に、「御前」が苦笑する。
「しようがないおなごだ」
 毒針を壁に深々と突き刺し、両手で女への愛撫を開始する。
「あっ・・・はあうっ!」
 途端、女の口から嬌声が零れた。
「なんっ、うま・・・いひぃっ! あはあっ!」
 つい先程まで恐怖に震えていた女が、あられもない喘ぎを放つ。手足を震わせ、官能に身を震わせる。「御前」の手が踊るたび、女の口からは嬌声が溢れ、淫らに身をくねらせる。
「感じやすい性質らしいの。職業柄か?」
「御前」の諧謔にも反応できず、女は「御前」から与えられる快楽に溺れていく。
「さて・・・」
 女の秘部に手をやった「御前」は、しとどに濡れたそこを確認すると更に女との距離を詰めた。
「では、入れるとするか」
「御前」が逸物を女の入り口に当てると、恐怖がぶり返したのか、女は必死に首を振る。
「やめて・・・こんなの、壊れちゃう」
「安心せい。理性が壊れるくらいに感じさせてやろう」
 女の入り口を逸物の先端でほぐし、ゆっくりと押し開いていく。
「あ、ああ・・・入って、きちゃう・・・!」
 秘裂が無理やり広げられ、愛液を潤滑油として雄大なモノが潜り込んでくる。
「いっ・・・きひぃっ・・・!」
 恐怖に強張っていた筈の身が、襞を雁首に刺激されることで徐々に柔らかくなっていく。
「あっ、ああっ・・・あああっ!」
 最初はきつく結ばれていた女の口から嬌声が上がる。
「ひあっ!」
 最奥まで突き込まれた。一度引かれた逸物が、倍する勢いで叩きつけられる。
「あひああああっ!」
 自分がここまで高められるなどとは夢にも思わなかった。いつも感じる演技を見せてやるだけで、精を吐き出す男を心の中で嘲笑っていた自分が。女はあっさりと達したが、「御前」の打ち込みはやまず、何度も絶頂へと送り込まれる。
「もう一人も刺客か?」
「御前」の詰問に、女ががくがくと首を振る。同意なのか感じ過ぎての行為なのかは判別がしにくい。
「御前」としてはどちらでも構わなかった。元橋ほどの男が、この程度の刺客に殺されるとは思っていない。
「では・・・依頼主は誰だ」
「わ、わから、ない・・・!」
 初めて昇らされた性の高みに、女は首を振るしかできない。
「少しは考えよ」
 突然、「御前」が腰の動きを止める。
「あ、いや、動いて、動いてよぉ」
 女は自ら腰を動かして快感を貪ろうとするが、「御前」は女の腰を押さえつけてそれを許さない。
「聞こえなんだか? 何でも良い、思いついたことを述べよ」
 眼前の快感をお預けにされ、女が必死に考える。
「多分、だけど・・・日本人じゃなかった」
「ほお。ではどこの国の者だった?」
「御前」は褒美として、僅かに腰を動かしてやる。
「ああ、もっと・・・!」
「思い出せ。考えよ。気持ち良くなりたければ、な」
 女を焦らすため、「御前」はごく僅かしか腰を動かさない。
「そんな・・・ううっ・・・そうだ!」
 突然女が叫ぶ。
「ちゅ、中国人だった! 本当よ! 嘘じゃないの! 信じて・・・んぁぁぁっ!」
 突然の強烈な打ち込みに、女は高く叫んでいた。
「根拠は」
「流暢な日本語だったけど、あはぁっ、中国人独特の発音の癖、が・・・あぁぁぁんっ!」
「良く思い出した。褒美をくれてやろう」
「御前」の老練な腰使いに、女は容易く気をやった。しかも連続で絶頂を迎え、最後には潮を吹く。
(杜撰なやり方だが、あ奴らと考えても良かろうな)
 即ち、「御前」の本拠を攻め落とした連中。ならば次はどう動くべきか。
「あまり借りは作りたくない、が・・・」
 先端に激しくぶつかる潮を感じながら尚も女の腰を突き上げ、「御前」は低く呟いていた。その問いが誰に向いたものなのか、知っているのは「御前」だけだった。


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