【第三十七話 櫛浦灰祢:我流パワー殺法】

 犠牲者の名は「櫛浦(くしうら)灰祢(はいね)」。23歳。身長181cm、B121(Lカップ)・W77・H104。眉も目も跳ね上がるように鋭く、短めに切った髪を茶色く染めている。まるで化粧っ気がないが、生命力溢れるような容貌が人の目を引き付ける。また女性にしては筋肉量が多く体格が良過ぎるほど良いが、実は腰の位置が高く、手足も長い均整が取れたプロポーションをしている。
 灰祢は年の離れた弟を養うため、普段は土木作業員として働いている。殴り合い寸前となっていた同僚の男二人の首根っこを掴み、吊り上げることで喧嘩を止めたという武勇伝を持つ。
 <地下闘艶場>から高額のファイトマネーを提示された灰祢は、躊躇することなく試合を承諾した。弟のためとは言え、まさか自分の肢体が目当ての試合だとは思いもせずに。


 灰祢に準備された衣装は、黒のボディスーツだった。伸縮性のある素材で、頭部以外の灰祢の身体にぴたりと張りつき、豊かなバストや腰周り、ヒップを包んでいる。背中側には大きな穴が開き、背中が丸出しになっている。
「こいつは・・・何と言うか、凄いね」
 鏡に映る自分の姿に、灰祢が頭をがしがしと掻く。最初は素肌に直接着てみたものの、乳首まで浮かび上がったため慌てて下着をつけて着なおした。しかし今度は下着の線が浮かび上がり、恥ずかしいのには変わりない。用意されたガウンを纏い、身体を隠す。
(でも・・・蒼志のためにも我慢しなくちゃね)
 来年は高校生となる弟の学費のためにも、稼げるときは稼いでおきたい。両親が死んでからは、自分が母代わりに育ててきた。蒼志の顔を思い浮かべ、灰祢は優しい笑みを浮かべた。

 灰祢が入場してきたものの、普段はすぐに野次を飛ばす観客も彼女の体格の良さに野次を躊躇する。並の男よりも高い身長に加え、ガウンのシルエットが肩幅の逞しさを想像させるためだ。中にはその逞しい体躯を野次る者もいたが、灰祢の視線に口を封じられる。
 花道を悠々と進む灰祢と、沈黙した観客席。<地下闘艶場>では異常な光景だった。

 リングへと上がった灰祢を待っていたのは、レフェリーの格好をした男と、対戦相手と思われる男だった。
(なるほど、高いファイトマネーはそういうことかい)
 対戦相手は、筋肉と脂肪に覆われた格闘技者の体格を持つ男だった。背は灰祢より少し低いが、首、胸、腹、腕、脚、すべてが太い。男のセコンドだろうか、老け顔の小男が周囲でせわしなく動いている。
「赤コーナー、『マッスルバレル』、チャベス・マッコイ!」
 コールに答えたチャベスが、両手を天に突き上げ咆哮する。
「青コーナー、『マッスルビューティー』、櫛浦灰祢!」
 コールと同時に、灰祢はガウンを脱ぎ捨てた。ガウンの下に隠されていた灰祢の肉体美に、会場中の人間が息を飲む。
 ボディスーツが体に張りついているため、灰祢の体の線がくっきりと浮き出ている。肩周り、腕、太ももなどに筋肉が盛り上がっているが、ボディビルダーのような造り物めいた無駄な筋肉とは違い、純粋に使うことのみを目的とした機能美が野性の美しさを感じさせる。背中に大きく開いた穴からブラの紐が覗いているのもポイントが高い。また腰高の下半身、引き締まりながらも迫力あるヒップ、何よりも、西瓜が二つ実っているかのような圧倒的な質量を誇るバストが男達の目を奪う。
(ちっと恥ずいけど、我慢できないほどじゃない。相手が男だろうが、ぶっ倒してお終いにするよ)
 蒼志のためにも勝つ。灰祢の眼が光を放った。

 チャベスのボディチェックを終えたレフェリーが灰祢に近づき、ボディチェックを受けるように促す。
「へぇ・・・あんた、あたしの体に触ろうってのかい?」
「い、いや、ボディチェックをだな・・・」
 間近に見る灰祢の迫力に、レフェリーが圧倒されている。それでも引き下がろうとしないのは職業への誇りかどうか。
「そうかい。じゃあ、これでどうだい?」
 そう言うと、灰祢はレフェリーを胸の中に抱きしめる。
「むぐぐ、は、はなへ・・・はのむ、はなひへふへぇ!」
 口と鼻をバストで塞がれ、タップしながら哀願する様子のレフェリーを、灰祢は笑いながら解放する。
「お、お前・・・ごほっ!」
「ん、まだ足りなかったかい? ほら、おいで」
 両手を広げる灰祢から、レフェリーが慌てて離れる。
「くっ・・・ゴング!」

<カーン!>

 ゴングは鳴ったものの、チャベスは灰祢を警戒しているのか、灰祢の周囲をぐるぐると回る。やがて動きを止めると、灰祢を手四つに誘う。
「ふぅん。力比べがお望みかい」
 灰祢はそれに応じ、チャベスの手に自分の手を絡ませる。
「ぐぉぉぉっ!」
 咆哮したチャベスが全身の筋肉を膨張させ、灰祢をねじ倒そうと満身の力で挑みかかる。
「くっ」
 片膝をつく灰祢。しかし、それ以上は崩れない。
「やるねアンタ・・・でも、それで本気かいっ!?」
 灰祢の肉体が爆発するように弾け、チャベスを押し返す。チャベスも踏ん張るが、敵わないと見るや両手を振り解き、手四つから逃れる。
「ちょっと不利になったら逃げ出すのかい? 情けないね」
 灰祢の挑発にチャベスが吠え、ぶちかましのようなタックルで突っ込む。タックルに来たチャベスを灰祢ががっちりと受け止め、がっぷり四つの体勢になる。
「ぬぅぅ・・・りゃぁぁぁっ!」
 灰祢の気合と共に、チャベスの体がコーナーポストへと投げ飛ばされる。その光景に、観客席から驚きの声が上がる。追撃に行こうとした灰祢だったが、突然お尻を押さえて振り返る。
「なにすんだい!」
 小男だった。灰祢のヒップを後ろから鷲掴みにし、灰祢が振り返ると素早くリング下へと逃げ出している。
「セコンドへの攻撃は反則だからな」
「セコンドの攻撃も反則だろ!?」
 レフェリーの言葉に灰祢が切れ、襟首を掴んで持ち上げる。
「ま、待て、レフェリーに手を上げると失格にするぞ!」
「だけどねぇ・・・!?」
 レフェリーに注意が行っている灰祢の後ろからチャベスが近寄り、背後からバストを掴んだ。手の中に収まりきらないバストを鼻息荒く揉み回す。
「こんの野郎!」
 灰祢はレフェリーを放してチャベスの手首を握ると、その怪力で締め上げる。
「グガァァァッ!」
 灰祢は苦悶するチャベスの両手首を掴んだまま、バストから引き剥がす。しかし、そこに小男が走り寄って来た。小男はそのまま灰祢の股間にむしゃぶりつく。
「!!」
 灰祢は小男の襟首を掴むと、片手で場外へと投げ捨てた。悲鳴を上げる小男の体が、宙を飛んで観客席へと落下する。そこで生まれた大きな隙に、チャベスは灰祢のバストと股間を掴み、後方へと投げ捨てる。
「ぐぁっ!」
 後頭部を打ってもがく灰祢に、チャベスが馬乗りになる。
「グヘヘ・・・」
 そのまま灰祢の爆乳を揉みしだく。ボディスーツ越しの感触がダイレクトに伝わり、チャベスの表情が緩む。手に余るどころか掴めない部分のほうが多い大きさ、その大きさにもかかわらず横になっても殆ど形が崩れない弾力。チャベスは取り憑かれたようにバストを揉みまくる。チャベスののめり込みようにレフェリーも手を出そうとしたが、その前に灰祢の手がチャベスの顔を掴んだ。
「あんた、よくもあたしの胸を好き勝手してくれたね!」
 灰祢のアイアンクローの威力に、チャベスが悲鳴交じりの叫び声を上げる。灰祢はそのままチャベスの頭をリングに叩きつけ、顔を掴んだまま引き起こす。今度はチャベスの片手を持ち、力技でぶん回す。
「そぉぉ・・・りゃっ!」
 遠心力をつけたチャベスを、更に加速させてコーナーポストにぶつける。動きの止まったチャベスに、止めとばかりに灰祢がショルダータックルを突き刺した。声もなく倒れたチャベスを、灰祢が悠々と押さえ込む。
「ワン、ツー、スリー!」

<カンカンカン!>

 終了のゴングが鳴らされると、灰祢はゆっくりと立ち上がった。
(蒼志、勝ったよ。姉ちゃん頑張ったよ)
 大きく一つ息を吐くと、レフェリーへと顔を向ける。
「さて、それじゃファイトマネーを貰おうか」
「慌てるな、後でちゃんと払うさ。それより、もう一試合してみないか?」
 レフェリーの提案にも、灰祢は頷かない。
「どうせ男だろ? 幾ら金が良くてもねぇ」
「わかった、勝てば二百万、負けても五十万は払う。これでどうだ?」
「・・・当然、さっき勝った分に加えて、だよな?」
 灰祢が食いついてきたと見たレフェリーが、ここぞとばかりに大きく頷く。
「勿論だ! どうだ、これでやる気になって貰えたか?」
「そうだね・・・いいだろ、その条件でやるよ」
 灰祢の承諾に、観客も沸いた。

 新たな対戦相手はきっちりとした七三分け、着古したワイシャツにくたびれた濃紺のスーツ、よれたネクタイという、これで黒縁眼鏡をかければ完璧な疲れたサラリーマンの姿だった。その表情もまるで冴えない。
(背だけは高いね)
 背丈は灰祢と同じくらいだろうか。しかし、体格は灰祢のほうが勝っているように見える。
(こいつは楽勝かねぇ)
 勝てば二百万。先程のファイトマネーと合わせれば、蒼志の学費に充分過ぎる程だ。これだけあれば、良い学校に行かせてやれるかもしれない。
(待ってな蒼志。三百万円持って帰って、ちっとばかり美味しいものも食わせてやるから!)

「赤コーナー、瓜生(うりゅう)霧人(きりと)!」
 自らの名前がコールされ、霧人がぺこりと頭を下げる。その自信無げな所作に、観客からブーイングが起こる。
「青コーナー、櫛原灰祢!」
 前の試合の鮮やかな勝利に、観客からも声援が飛ぶ。

<カーン!>

 今度はボディチェックが行われることもなくゴングが鳴らされる。自然と両者の距離が詰まり、手を絡ませていた。先程と同じような手四つ。しかし、灰祢が幾ら力を込めても霧人を崩すことができない。
(嘘だろ、こんな細っこい奴に・・・)
 それどころか、じりじりと押し込まれてしまう。
「うぉぉぉっ!」
 気合と共に満身の力で押し返そうとするが、それでも均衡を保つのがやっとだった。
「くっ・・・」
 ほんの一瞬。僅かに息を吐いた瞬間、灰祢の体は宙を舞っていた。投げられたとわかったのは、リングに叩きつけられてからだった。
(ぐぁっ・・・なんだ、いつ投げられた? どうやって投げられた?)
 考えながらも、体は素早く立ち上がっていた。霧人も追撃には来ず、じっと灰祢を見据えている。灰祢はその視線に威圧されるのを感じ、舌打ちした。
(くそっ、一回投げられただけじゃないか、弱気になってどうする!)
 自分の一番の武器であるパワーで負けたことで、灰祢は精神的な怯みを覚えていた。それでも蒼志のためだと自分を鼓舞し、霧人の目を睨みつける。
「うぉぉぉっ!」
 雄叫びと共に霧人へ突進するが、軽くかわされると同時に投げられ、またもリングに這わされる。呻く灰祢に対し、とどめとばかりに霧人が拳を落とす。
「くっ!」
 霧人の拳が鳩尾に突き込まれる寸前、身を捻ることでかわす。しかし、霧人の拳圧が胸元から右脇腹部分にかけてボディスーツを切り裂いていた。
「なっ!」
(なんてこった・・・素手で切れるもんなのか?)
 灰祢の巨躯を包んで破れもしないボディスーツが、霧人の突きで切られた。この男はどれだけの力を秘めているのか。驚く間もブラを隠す間もなく、立ち上がった灰祢に霧人の拳が襲いかかって来る。
 跳ね除け、受け止め、なんとか直撃は避ける灰祢だったが、腕がみるみる腫れ上がっていく。
「つぅっ!」
 腫れた部分に直撃を受け、痛みに一瞬気を取られたそのとき、灰祢のブラの繋ぎ目が弾け飛んだ。
「あっ」
 切れた胸元を押さえ、灰祢がうろたえる。おそらく霧人の拳が掠ったのだろうが、それでもブラが壊れるものだろうか。
「まだ続けるのか?」
 霧人の言葉を、灰祢は嘲りと取った。
「ふっ・・・ざけるなぁ!」
 怒りの灰祢は霧人の想像を超えたスピードで突進し、霧人を抱え上げる。真上に差し上げた霧人の体をリングに叩きつけようとした灰祢の左腕と首に、霧人の両脚が絡みつく。灰祢の投げの勢いを使い、自らの体を丸めながらリングへと引き込み、肩を極め、頚動脈を締める。
「ぐ・・・あ・・・」
 自分の意識が遠のいていくのがわかる。もがこうとしても、体が言うことを聞いてくれない。
(勝つんだ、蒼志のためにも、勝ってファイトマネーを・・・)
 灰祢自身も気づかぬまま、意識は暗黒へと沈んでいた。

 霧人のアピールで灰祢が落ちたのに気づき、レフェリーが終了のゴングを要請する。

<カンカンカン!>

 霧人は技を解くと灰祢に活を入れ、さっさとリングを降りた。灰祢に圧し掛かろうとしたレフェリーだったが、灰祢が目覚めたのに気づき、寸前で飛び退く。霧人はそんな茶番を見ることもなく、深い溜息をつきながらリングを降りた。

 花道を渡りきり、廊下へと差し掛かる。そこに声を掛ける者が居た。
「無様な闘い方じゃったな」
「師匠・・・」
 ジャージ姿の小柄な老人に、霧人が驚いて立ち止まる。
「お久しぶりです」
「まったく、暫く見ぬ間に技が錆びたの」
 普段は柔和な笑みを絶やさないその顔が、今は冷たい色を湛えている。
「武術の道を捨て、サラリーマンになると儂の元から去って行ったくせに、生活に困ったからと闘いで日銭を稼ぐか」
「そうは言いますがね、師匠」
 霧人は乱れた髪を七三分けに戻そうと手ぐしをかける。
「俺は、普通の生活ってやつがしてみたかったんですよ」
「その結果が今の境遇か。それを世間では落ちぶれた、と言うぞ」
 老人がふん、と鼻を鳴らす。
「だが、これでわかったじゃろ。お前には闘いで身を立てるほうが合っとるわ。<地下闘艶場>の専任、否、あやつの直属の部下となれ。そしてまたこの舞台で闘え」
「しかしね、元橋師匠」
 霧人は撫で付けては落ちかかる髪に苦戦する。
「女と本気では闘えないですよ」
 仕舞いには七三を諦め、ぐしゃぐしゃとかき回す。
「儂に勝った者が居る、と言ってもかの?」
 元橋がさり気なく放った一言に、霧人の目がすっ、と細められる。
「冗談・・・ではなさそうですね」
 師匠に睨むような視線をぶつける。
「その女の名前は?」
 火が点いた弟子に、元橋が小さく笑みを漏らす。
「その名は・・・」

 ここに、新たな因縁が生まれた。


第三十六話へ   目次へ   第三十八話へ

TOPへ
inserted by FC2 system