【第八十二話 八岳琉璃:総合格闘技 其の四】

 犠牲者の名は「八岳(やたけ)琉璃(るり)」。17歳。身長162cm、B89(Fカップ)・W59・H84。世に名高い八岳グループ総帥を祖父に持つ生粋のお嬢様。生まれつき色素が薄い髪を長く伸ばし、女神が嫉妬しそうな美貌を誇る。白く滑らかな肌は名工の手になる陶磁器を思わせる。美しい大輪の薔薇を思わせる外見と高い気位を持ち、それに見合うだけの才能を持つ。勉学、運動、芸事など各分野に置いて一流の実力を身に付け、「この子が男だったなら」と祖父を嘆かせた。
 四度目の<地下闘艶場>からの誘いを、琉璃は断らなかった。断るどころか、嬉々としてトレーニングの量を増した。


 花道を進む琉璃はガウンを羽織っていなかった。白と水色のテニスルック姿で、お嬢様らしく着こなしており、清楚な色気が放散されている。アンダースコートなどは用意されていないため、琉璃が歩を進めるたび、スカートの下からチラリと下着が覗く。観客からの欲望の視線を跳ね返すかのように、両手に嵌められたオープンフィンガーグローブが闘気に輝いていた。

「赤コーナー、『鉄釵』、湖童陣!」
 今日の琉璃の対戦相手は湖童(こどう)陣(じん)だった。<地下闘艶場>で一度宇賀原夏花と対戦し、テンカウント勝利を挙げている。道衣姿で、帯の両脇に釵を手挟んでいる。
「青コーナー、『クイーン・ラピスラズリ』、八岳琉璃!」
 自らのコールに応えて両手を広げる琉璃に、観客席から凄まじい歓声が飛ぶ。琉璃に魅せられた者、高嶺の花が手折られる場面を渇望する者、ただただ恥辱の場面を望む者など、混然となった叫びが場内に渦巻く。しかし会場中の欲望をぶつけられながら、琉璃はそれを平然と受け止めていた。
 まるで、本物の女王のように。

 今回は武器戦のためにボディチェックを行われず、即座にゴングが鳴らされる。

<カーン!>

「・・・行くぞ」
 釵を逆手に構えた陣が、じわりと距離を詰める。
(この方、本物ですわね)
 陣の構えだけで、琉璃はその実力を見抜いていた。その口元が自然と笑みを作っている。しかし、その笑みが消えた。
「待ちなさい、その釵はなんですの?」
 琉璃の指摘に、陣が苦い表情となる。
「何故、釵の先端が丸くされているのですか! しかもその釵、鉄製ではないでしょう!」
 釵は本来ならば刺突を目的とし、先端は尖っていなければならない筈。しかも陣の扱い方からするに、鉄よりも軽く脆い素材のものだ。琉璃の糾弾に、陣の表情が苦味を増す。
「『御前』から、傷をつけるなと命じられているんでな」
 陣の言葉に、琉璃が激しく反応した。
「私が望むのは心焦がすような闘い! 手加減されて喜ぶとでも思っているのですか!」
 琉璃の火を噴くような視線を受け止めていた陣だったが、ついと目を逸らした。
「・・・なら、他の奴とやりな。俺だって・・・俺じゃあ、お前を満足させられない」
 釵を腰に差し、そのままリングを降りる。レフェリーの制止も聞かず、花道を引き上げていく。
「湖童選手の試合放棄と見なし、八岳選手の勝利と致します」
 この発表に、会場全てからブーイングが起きる。立ち上がって口汚く罵る者まで現れ、黒服が抑えるものの、会場中を不満の色が支配していく。
「琉璃お嬢さん、このままじゃお嬢さんも不満じゃないか?」
 琉璃に近づいたレフェリーが淡々と告げる。
「さっきよりも楽しめる相手を用意したんだ。闘ってみないか?」
「ええ、今度は逃げ出すような相手でなければ構いませんわ」
 頬を微かに上気させた琉璃の美貌に一瞬目を奪われたレフェリーは、咳払いの後でリング下の黒服を呼んだ。

 琉璃が新たな試合をするという発表がされると、観客席から歓喜の雄叫びが上がる。琉璃の闘いの姿を、否、闘いの中で辱められる姿を見に来ているのだ、そうでなくては来た意味がない!

 やがて、花道に二つのガウン姿が現れた。フード付きのガウンを頭から被り、その正体は不明だ。
 会場のざわめきの中には、「あれはマンハッタンブラザーズじゃないのか」という失望混じりの小声があった。かつて琉璃に秒殺された双子の覆面プロレスラーを思い浮かべた者は、皆一様に不満を膨らませた。

 リングに選手が揃い、リング下の黒服がマイクを握る。
「赤コーナー、"雷神"、鞍輝雷香! & 鞍輝神奈!」
 観客の予想を裏切り、ガウンを跳ね上げたのはマンハッタンブラザーズではなく、自前の衣装を身に着けた「ライジングドラゴン」の双子ヒール、"雷神"の鞍輝(くらき)雷香(らいか)と鞍輝(くらき)神奈(かんな)だった。
「ライジングドラゴン」は日本女子プロレス界の最大団体であり、"雷神"はタッグマッチの王座に最も近いと言われるチームだった。
 二人とも年齢は21歳、身長167cm。雷香はB83(Cカップ)・W61・H84。神奈はB86(Dカップ)・W62・H86。雷香は茶色に染めた髪を左側面だけ編み込み、コーンロウにしている。神奈は頭頂部で髪を纏め、パイナップルのように結っている。二人の共通点はと言えば、その鋭い目と皮肉気に歪められた頬、そして頬に入れられた稲妻のペイントだった。
「青コーナー、『クイーン・ラピスラズリ』、八岳琉璃!」
 今だ怒りが治まらないのか、琉璃の表情は険しかった。しかし、それでも琉璃の美貌は輝いていた。
「琉璃お嬢さん、相手はプロレスラー。しかも二人を相手にしてもらう。構わないよな?」
「ええ」
 短い琉璃の答えを聞いた雷香と神奈が顔を見合わせる。
「あたしら相手に一人で闘(や)ろうだなんて」
「自信があるのか、大馬鹿なのか」
 鞍輝姉妹の口元に、冷笑が浮かんでいた。

<カーン!>

「この不満、ぶつけさせて貰いますわ!」
 ゴングが待ちきれなかったように、琉璃が一気に距離を詰める。構えようとした鞍輝姉妹の機先を制し、ジャブの二連打を叩き込む。その筈だった。
 しかし、琉璃の拳は目標を捉えられなかった。素早く振り向いた視線の先に、鞍輝姉妹が佇んでいる。
(速い!)
 そのスピードに、琉璃が一瞬目測を誤った。パワーでは男性のマンハッタンブラザーズが勝るかもしれないが、スピードは比較対象にもならない。
「速いけど、見え見えだな」
「プロ相手に正直過ぎるぜ!」
 今度は鞍輝姉妹が距離を詰める。琉璃の間合いに入った瞬間、雷香の体が沈み、神奈の体が飛んだ。
(っ!)
 上下同時に分かれたことで、琉璃の判断が一瞬止まった。常に効率を重視する琉璃故、その動きに惑わされた。
「あっ!?」
 雷香にカニばさみでダウンを奪われた瞬間には、神奈の回転を加えたセントーンで背中に衝撃を受けていた。堪える間もなく畳み掛けられたことで、想像以上のダメージを負っていた。
「どしたいお嬢さん」
「もうお寝んねか? ああ?」
 そこで終わるほど鞍輝姉妹は優しくなかった。琉璃の手首を極めながら足首と膝を極め、二人掛かりでのロメロスペシャルへと繋ぐ。
(こ、こんな魅せ技に!)
 右半身を雷香に、左半身を神奈に極められ、胸を突き出し、股を開いて男を誘うような格好をさせられてしまっている。魅せることが一番の目的であるプロレス技を極められたことで、二重の屈辱を味わう。琉璃の下着を直に見ることができた観客から、派手な歓声が上がる。
「さてさて、これからボディチェックを始めるとしようか」
 うきうきとした口調で琉璃に近寄ったレフェリーが、いきなりバストを掴む。
「相変わらず、琉璃お嬢さんのおっぱいは服の上からでも極上の感触だな」
「さ、触らないで!」
 レフェリーは毎回のように、琉璃が動けないと見るとセクハラを仕掛けてくる。今も琉璃のバストを揉み、一人悦に入っている。プライド高い琉璃にとって、屈辱以外の何ものでもなかった。
「琉璃お嬢さん、ギブアップしたらどうだい?」
 レフェリーがバストを揉みながら、わざとらしくギブアップを勧めてくる。
「だ、誰がギブアップなど・・・あああっ!」
 更に体が引き絞られ、体中の関節が軋む。
「おいおい、まだギブアップしねぇのかよ」
「もしかしてこのお嬢さん、マゾなんじゃねぇの?」
 雷香と神奈が不快な笑い声を上げる。
「おっぱいも堪らんが・・・」
 レフェリーは名残惜しげに琉璃のバストから手を離し、琉璃の下半身側に移動する。
「琉璃お嬢さんは、太ももも堪らんなぁ」
 今度は琉璃の剥き出しの太ももを撫でたレフェリーは、抱きかかえて頬ずりまで始める。
「なっ! 放しなさい!」
 太ももに直接レフェリーの体温を感じさせられ、琉璃の肌が粟立つ。
「そう言われても、琉璃お嬢さんの太ももが悪い。見て良し、触って良しの一級品だからな」
 にやけるレフェリーだったが、鞍輝姉妹には関係なかった。
「このままじゃ面白くないし」
「こんなのはどうだいっ!?」
 ロメロスペシャルの脚のフックを外すと同時に、後方への投げを打つ。琉璃は受身も取れぬまま後頭部を叩きつけられていた。
「おいおい、もうちょっと楽しませてくれよ」
 レフェリーの不平などあっさりと聞き流し、鞍輝姉妹は関節を極めたまま琉璃を立たせる。
「次は」
「こいつだっ!」
 腕と足首を掴まれ、ダブルのニークラッシュ。
「あぐぁぅっ!」
 否、膝ではなく、弁慶の泣き所を膝で蹴り上げられていた。筋肉でほとんど覆われていない弁慶の泣き所は、少しの衝撃でも痛みが奔る。そこを同時に蹴り上げられれば、苦鳴を放つのも仕方がなかった。
「マゾなお嬢さんだからな」
「これくらいじゃ満足できないだろ!」
 雷香、神奈は攻撃の手を緩めず、それぞれの肩に琉璃を乗せ、二人で同時に変形のカナディアンバックブリーカーを掛けていく。
「ここからだとよーく見えるな。いい光景だ」
 琉璃の足側に回ったレフェリーは、琉璃の股間を覗き込んでにやける。
「ま、見てるだけなのもあれだな」
 厭らしいにやけ面のまま伸ばされたレフェリーの指が、琉璃の秘裂に沿って上下する。
「や、やめなさい・・・うぐぅっ!」
 レフェリーを蹴り飛ばそうとしても、両手、両脚を縛められていればできはしない。痛みに呻き、大事な場所を好き勝手に弄られる屈辱を拒むことができない。
「やめなさいと言われても、これはボディチェックですからねぇ」
 馬鹿丁寧な口調でレフェリーが返す。
「きょ、今日は武器相手だから、なしだと・・・うぅっ」
「"雷神"の二人は武器を使わないでしょう? 私もうっかりして忘れてたんで、今ボディチェックをしてるんですよ」
 レフェリーは右手の人差し指で琉璃の秘部を弄り、左手で琉璃の滑らかな膝を撫でる。
「まあ、琉璃お嬢さんがギブアップするのなら、ボディチェックの必要はなくなりますがね」
 ここまで<地下闘艶場>無敗を誇る琉璃がギブアップする。それは琉璃のプライドが折れたことを意味し、歪んだ欲望を持つ観客も喜ぶだろう。ギブアップしなければ、心ゆくまで琉璃の肢体を堪能できる。どちらにしてもレフェリーに損はなかった。
 変形のカナディアンバックブリーカーで琉璃をいたぶっていた雷香と神奈が、目線を交わして頷く。
「それじゃそろそろ・・・」
「決めてやろうかっ!?」
 鞍輝姉妹が琉璃を脳天から落とそうとした瞬間、琉璃の体から一瞬だけ力が抜け、直後に両腕が凄まじい回転を見せた。まるでうねる水流のように、琉璃は拘束を弾き飛ばし、リングに凛と立っていた。
「プロレスラーのコンビネーション、しっかり勉強させて頂きましたわ」
 冷静な琉璃の口調だったが、その目は怒りを孕んで輝いている。
「今のは上手く逃げられたが」
「二度目はないぜっ!」
 しかし焦る様子もなく、雷香、神奈は見事なコンビネーションで琉璃に襲い掛かる。琉璃は流れるように後退し、コーナーを背負う。
「もう逃げ場はないぜ」
「覚悟しなっ!」
 雷香が高い、神奈が低い打点の同時ドロップキックを放つ。あまりにも無造作に。
「シィッ!」
 斜め移動のダッキングから、琉璃の拳が低空の軌道を描く。
「ぱぐっ!」
「神奈!」
 カウンターのアッパーを貰った神奈は、たった一撃でリングに崩れ落ちていた。
「テメェ、よくも神奈を!」
 琉璃へと向いた雷香の眼が血走る。
「神奈の仇だ、ぐっちゃぐちゃにしてやるよ!」
 双子の相方を目の前で倒されたことで、雷香の理性は吹っ飛んでいた。
「シッ!」
 琉璃のジャブが雷香の右頬を打つ。しかし雷香はジャブを食らいながらも琉璃の左手首を捕らえる。
「フシッ!」
 今度は琉璃の右ボディが雷香の左腹部へとめり込む。それでも雷香は奥歯を噛み締め、琉璃の右手首も捕らえた。その瞬間、雷香が口を開けた。犬歯が剥き出しになるほど大きく。
 琉璃の喉笛目掛け、雷香の牙が襲い掛かる。
 その牙が琉璃の咽喉へと食い込んだ。観客が一瞬見た幻想は、すぐに誤りだと気づかされる。琉璃は後方へと背を反らせ、雷香の勢いを投げへと転じてコーナーポストへと叩きつけていた。まともに頭部を強打した雷香の体が、リングへと崩れ落ちる。
 雷香も危険だと見て、レフェリーは反射的にゴングを要請していた。

<カンカンカン!>

 ゴングの音を聞いたレフェリーは、すぐに自分が危地にあることに気づく。
(まずい、まずいぞ! 琉璃お嬢さんが勝っちまった! ここは三十六計逃げるに・・・)
「どこに行くつもりですの?」
 氷点下の冷たい声が、レフェリーの足を止めさせた。
「ど、どこと言われましても、試合が終わったので、帰ろうかな、と」
 錆びついた機械のように不自然な動きで振り返ったレフェリーの視界に、冷たくも美しい笑みを浮かべた琉璃が居た。
「あら、私の大事なところまで触っておいて、そのまま帰れるとでも?」
 琉璃が腕組みすると、テニスウェアの胸元が盛り上がる。思わずそこに視線を奪われた瞬間、レフェリーの鼻から灼熱の痛みが奔った。
「あべっ!・・・ごぼっ」
 痛みに遅れ、鼻血が噴き出す。反射的に鼻を押さえたレフェリーだったが、後頭部への衝撃で意識を失う。
「次にこのような真似をすれば、二度と自分の足で立たせませんわよ」
 下着が全開になるほど高角度からの踵落としでレフェリーをKOした琉璃は、リングに鞍輝姉妹とレフェリーを残し、悠然とリングを去った。


第八十一話へ   目次へ   第八十三話へ

TOPへ
inserted by FC2 system