【第二章 ピュアフォックス始動!】


 その日も練習を終えたプロレス同好会の面々は、それぞれ更衣室へと向かった。こよりだけはサッカー部監督の男性教師となにか話があったようで、グラウンドに残った。
「それじゃ、お疲れ!」
「お疲れ様でした・・・」
「お、おつ、ですぞ・・・」
 遥の溌剌とした挨拶に、小峯と木ノ上は息も絶え絶えに返す。そのまま着替えるため校舎内へと姿を消す。
「まったく、今日も飛ばし過ぎよ」
「えー、これでもかなり抑えてるんだよ?」
「どれだけ体力馬鹿なのよ、だいたい・・・っ!」
 体育館内の女子更衣室へと向かう香夏子と遥の前を、男たちが遮った。
「よお遥ちゃん、俺たちを覚えてるか?」
 二人の前に現れたのは、屋上で叩きのめした上級生たちだった。他にも知らない顔があり、合わせて五人もいる。
「うーん、記憶にないなぁ。ごめんね先輩」
「は、遥……」
 あっけらかんと言い放つ遥に、隣に居る香夏子のほうがヒヤリとさせられた。遥が強いことは知っているが、上級生の男子、しかも五人が相手となればどうなるかわからない。盗み見た上級生の顔は怒気を孕んでいる。
(まずいよ遥、どうするのよ……)
 香夏子の背中に冷たい汗が滲む。
「何しているの貴方たち!」
 そこへ凛とした声が投げつけられる。
「こより先生……!」
 声の主はこよりだった。普段の優しげな表情はなく、眼鏡越しの眼光が鋭い。
「なんだ先公か、引っ込んでろよ。お前の出る幕じゃねぇよ」
「それともあんたが俺らの相手してくれるのか? ええ?」
 腰を振ってみせる男に上級生がどっと沸く。
「その二人は私のクラスの教え子です。手を出したらただでは済みませんよ」
 こよりは眼鏡を外し、冷ややかな視線で上級生たちを見る。
「だから引っ込んでろっつってんだろが!」
 冷静な態度を崩さないこよりに苛立ったのか、一人がわめきながら近寄り、こよりの肩を押そうとした。その手はこよりに届くことなく、体が一回転して背中から地面に落ちた。
「教師に手を上げるのは良くないですよ」
「てめぇ、やりたがったな!」
 お決まりのセリフを吐いてこよりに殴りかかった上級生が、同じように地面に這いつくばる。
「まだわかってもらえないの? じゃあ次は誰?」
 こよりが残りの上級生の方へ一歩進むと、その分上級生たちは下がる。
「くっ……覚えてやがれ!」
 芸のない捨て台詞を吐き、虚勢を張りながらも足早に去っていく。地面に寝ていた二人も形勢不利だと悟ると、立ち上がって逃げていく。
「こより先生、強いんですね!」
 こよりに駆け寄った香夏子の前で、こよりはぺたりと尻餅をついた。
「……今頃恐くなってきちゃった、あはは」
「こより先生、大丈夫ですか?」
 遥がこよりの手を掴み、軽く引き起こす。
「ありがとう来狐さん。でも、昔習ってた合気道の動きを忘れてなくてよかったわ」
「すごーい、先生合気道なんて習ってたんですか!」
 こよりの意外な言葉に、香夏子が驚く。
「ええ、高校生のときにね。於鶴先生って言って、人間的にも立派な先生だったの。娘さんが私と年が近くて、仲が良くなってね。大学進学で教われなくなったのが残念だったなぁ」
 少し遠くを見るようなこよりの表情は、思い出を懐かしんでいるようにも、どこか寂しそうにも見えた。
「それはそれとして、今の生徒がなぜ貴方たちに絡んできたのか、事情を訊きましょうか」
 こよりは教師の顔に戻り、二人を見つめた。

「そう、川崎くんと……」
 遥と香夏子(主に香夏子)はこよりに、浩太と今の先輩たちが揉めていたこと、遥が一人を叩きのめしたことなど、屋上での出来事を包み隠さず話した。
「原因はどうあれ、喧嘩はよくないわ。これからは暴力を振るう前に逃げなさい。今の上級生たちがまた来るようなら、私が厳しく対応します」
 こよりは遥に釘を刺し、職員室へと戻っていった。

「異種交流戦?」
 次の日の昼休み。耳慣れない言葉に思わず香夏子が訊き返すと、遥は大きく頷いた。
「異種格闘技戦ってあるでしょ? それをもじったの」
「ふむふむ、アントニオ猪木対モハメド・アリ戦のようなものですな。ということは……他の部との交流戦、と言うより挑戦状ということですか?」
 木ノ上の説明に、遥がにこりと笑う。
「さっすが木ノ上くん、話が早い! 実はプロレスルールで、他の部活の強い人と勝負しようと思って。スポーツ競技系は難しいだろうけど、格闘技系の部活なら手が上がるかもしれない。それを見た人が、『私もプロレス同好会に入りたい!』って思うかもしれないし」
「遥が夢見るのは勝手だけどさ、リングはどうするの? それがなきゃプロレスできないじゃない」
 香夏子の指摘に、遥は腕組みして天井を見上げた。
「それなんだけどね、ボクシング部のリングを借りられないかな?」
「遥さんが頼むより、こより先生に言ってもらう方がいいんじゃないかな。先生から頼まれれば簡単に断ることもないだろうし」
 小峯の提案に、遥は大きく頷く。
「善は急げ、こより先生に頼んで来るよ!」

 それからの展開は速かった。こよりがボクシング部の監督に話を通すと、監督である男性教諭は意外なほどあっさりとリングの使用許可を出してくれた。許可が出たことで、小峯が異種交流戦への参加を募集するポスターを作製し、それを手分けして校内の掲示板に張って回った。
 反応はすぐにあった。対戦を求めたのは、遥との因縁がある柔道部。こよりの元に柔道部の主将が赴き、直接申し込んできたのだと言う。

「出てくるとしたら、あの主将かな?」
 練習が終わった後皆に残ってもらい、遥は報告と対策を兼ねた時間を作った。
「いや、三年の笹原先輩じゃないか。実力だけなら主将を上回るって噂だからな」
 答えたのは、久しぶりに練習に顔を見せた浩太だった。Tシャツから覗く腕には幾つも青痣がある。
「部で一番強いなら、なぜその人が主将じゃないの?」
「人望がないのさ。練習中に後輩をいびるなんてしょっちゅうらしいからな」
「詳しいね浩太。どうして?」
「こう見えても、一年にはダチが多いんだよ」
 浩太は上級生と問題を起こしているが、発端は同級生を守ったことだった。加えて他人の面倒見がよく、話も上手い。一年生の間でも有名人だった。
「遥。お前柔道部の二年生に圧勝したそうだけど、笹原先輩は別格だぞ。気を引き締めて行けよ」
「うん、わかった」
 頷く遥の瞳は、プロレス同好会の初陣に燃えていた。

 初の異種交流戦は一週間後の土曜日午後、ボクシング部の部室を借りて行われることとなった。授業自体はなく学校は休みだったものの、ボクシング部の部室の周りには部室に入りきらない野次馬が群がっている。
 香夏子手作りのマスクとレスリング用のタイツを身に着けて入場する遥、いやピュアフォックスに、冷やかし交じりの声援が送られる。多くの男子生徒は、その盛り上がった胸元に目を奪われていた。ピュアフォックスはトップロープを飛び越え、先に入場していた笹原と対峙する。
「赤コーナー、柔道部……笹原、政ぁ司ぃー!」
 マイクで選手紹介をするのは木ノ上だった。普段は猫背の長身をピンと伸ばし、意外にも堂に入ったコールを行う。
 名前を呼ばれた笹原は細身の長身を柔道着に包み、鋭い視線でピュアフォックスを見遣る。横幅はそれほどないものの、使い込まれた柔道着と黒帯が身に纏う空気を一層猛々しくしている。
「青コーナー、プロレス同好会……ピュアァ、フォックスゥーッ!」
 コールを受けたピュアフォックスは笹原を睨みつつ、右手を高々と掲げる。
 制服のワイシャツとスラックスに蝶ネクタイをつけた小峯が、笹原にはビクビクと、ピュアフォックスには怖々とボディチェックを行う。
「今回の試合は、プロレスルールにの、の、則って行います。が、顔面へのパンチ、金的への攻撃、目潰しなどは反則です。ロープブレイクもありです、あと……」
 必死の思いでルール説明をする小峯を押し退け、笹原はピュアフォックスの顔を上から覗き込む。
「カカッ、柔道がプロレスより強いってのは歴史が証明してるぜ? 柔道王が破壊王に何度も勝ってるのはお前も知ってるだろうが」
「へぇー、詳しいね先輩。でも、先輩は柔道王じゃないでしょ? なら、私にも勝機があるよ」
 言葉での牽制と視線での応酬。小峯は必死の思いで間に入り、二人をコーナーに下がらせる。
「で、では、ゴング!」

『カーン!』

「カッ!」
 ゴングと同時に笹原がタックル、いや、柔道技の双手刈りに行く。そこにピュアフォックスの膝がカウンターを合わせる。
「ちっ!」
 笹原は左手で顎を守りつつ、右手一本でピュアフォックスの軸足を払う。ピュアフォックスは倒れるが、笹原も膝蹴りで顔が撥ね上がる。
「やるじゃねぇか、思ったより強い蹴りだ」
 一度距離を取った笹原が、にやりと笑う。
「先輩こそ、速いタックルですね。柔道部一強いって言うのは嘘じゃなさそうです」
 跳ね起きたピュアフォックスが、嬉しそうに笑う。笹原もピュアフォックスも、ファーストコンタクトで相手の実力を肌で感じた。もう簡単に技を出すことはなく、相手の動きを観察し、次の一手を組み立てていく。
 膠着状態を嫌ったピュアフォックスが牽制のローキックを放っていくが、笹原は器用にかわしていく。
「柔道の足払いに比べりゃ、その程度の蹴りなんざ止まって見えるぜ」
 この挑発に、ピュアフォックスが大振りのローキックを放つ。
(かかった! 所詮は小娘か!)
 これをギリギリでかわし、掴みに行く。しかし、その腹部にピュアフォックスのローリングソバットが突き刺さる。
「ぐふっ!」
 カウンターでもらった一撃に笹原が吹き飛ぶ。
「どぉだーっ!」
 右手を突き上げてピュアフォックスが吠えると、つられたように観客からも拍手が起きる。その間に息を整えた笹原がゆらりと立ち上がる。
「やってくれたなぁ。まさか俺の誘いを更に切り返してくるとは思わなかったぜ」
「先輩が手加減してくれるからでしょ? レディーファーストな紳士だとは思いませんでしたけど」
「……絶対ぶん投げる」
(とは言え、柔道着を着てない奴を投げるのも難しいからな……アレでいくか)
 軽くステップを踏んだ笹原が、鋭いローキックを放つ。
「!」
 これには意表を衝かれ、左太ももを打たれたピュアフォックスは意識がそこに行ってしまう。気づいたときには、笹原の姿が眼前にあった。
「こいつは、どうだっ!」
 笹原の右腕がピュアフォックスの首に巻きつき、左手がピュアフォックスの右腕を捕らえ、そのまま大外刈りを決める。
「STO」。
 柔道王と呼ばれた小川直也が、柔道着を着ていないプロレスラー相手に開発した投げ技だった。
「あぐっ!」
「っ!」
 リングに後頭部を叩きつけられたピュアフォックスを見て、小峯は思わず掛けそうになった言葉を飲み込む。
「遥……」
 ピュアフォックスが頭からリングに投げられた光景に、香夏子は口元を両手で覆っていた。
「カカッ、こいつは柔らかい座布団だ」
 笹原は大の字でダウンしたピュアフォックスの上に馬乗りになり、胸の上に両手を置いてフォールする。
「なにボサッとしてやがる審判、カウントしろ!」
「……ワン、ツー……」
 カウントが進むが、ピュアフォックスはぴくりとも動かない。泣きそうな表情で小峯がスリーカウントを叩こうとした瞬間、ピュアフォックスの左肩が上がる。
「遥!」
 香夏子は思わず叫んでいた。その親友の声が届いたのか、ピュアフォックスは自分の上に乗っていた笹原をブリッジの体勢から体をねじって落とす。
「……先輩、乙女の胸を触るなんて、高くつきますよ……」
「カカッ、ふらふらの奴に凄まれても恐かねぇんだよ!」
 笹原はSTOで決めようと両手を伸ばす。ピュアフォックスはその手を掻い潜り、バックを取ると、
「そぉ……れぃっ!」
 そのままバックドロップで投げ捨てる。
「くっ!」
 さすがに受身を取る笹原だったが、完全には取れずに後頭部を打つ。
「ぐっ、がぁぁぁっ!」
 咆哮とともに立ち上がり、再度STOを狙う笹原だったが、逆に頭と右脚を抱え込まれ、高々と持ち上げられる。
「……嘘、だろ」
 自分の視界に飛び込む光景と平衡感覚は自分が持ち上げられていることを告げるが、感情が納得しない。自分より小さい下級生に、しかも女に軽々と担ぎ上げられるなどありえない!
「でいやぁぁぁっ!」
 気合一閃、ピュアフォックスは笹原の体を垂直に落とす。
「フィッシャーマンズバスター」。
 頭頂部への一撃は笹原の脳を揺らした。ピュアフォックスがフックを外すと、笹原の体がリングに仰向けに倒れる。ピュアフォックスはそのまま笹原の右脚を抱え、しっかりとフォールに入った。
「ワン! ツー! ……スリーッ!」

『カンカンカン!』

 小峯のスリーカウントを聞いた木ノ上がゴングを乱打し、ピュアフォックスは笹原のフォールを解いた。STOのダメージが大きく、すぐには立ち上がれないため膝をついたまま小峯の勝ち名乗りを受ける。
「勝者、ピュアフォックス!」
 小峯は誇らしげにピュアフォックスの右手を掲げた。観客からも大きな拍手が送られる。その音が呼び水となったのか、笹原が意識を取り戻した。
「……審判、俺は負けたのか」
 横たわり、視線を合わせないまま笹原は小峯に尋ねた。
「はい、遥、じゃない、ピュアフォックス選手のフォール勝ちです」
「いい勝負でした、笹原先輩!」
 ピュアフォックスはニコリと笑うと笹原に右手を差し出す。
「……負けた相手にそのセリフは嫌味に聞こえるぜ」
 遥の右手を軽く払い、笹原は上体を起こす。
「私、今日の勝負はギリギリの差だったと思います。STOの後、笹原先輩に寝技で攻められてたら危なかったです」
 立ち上がった笹原は、明後日の方向を向いて頭を掻いた。
「……俺は寝技が苦手なんだよ」
「今日はありがとうございました! また今度闘ってください!」
 頭を下げるピュアフォックスに、笹原は驚きの表情を浮かべる。
「カカッ、面白い奴だ! 今度は柔道ルールってことならいいぜ」
「むー……それだと勝てる要素がなくなるので遠慮したいです」
「カッ、正直な奴だ。これからもこういうことを続けるんだろ、負けるんじゃねぇぞ」
「はいっ!」
 もう一度深々と礼をするピュアフォックスに背を向け、笹原は無言でリングを降りた。

「どうだった笹原、感想は」
 ボクシング部の部室を出ようとした笹原に声を掛けたのは、柔道部の主将だった。
「……あんな真っ直ぐな奴もいるんだな。俺も、少し真面目に柔道をやりたくなった」
 笹原の一言に、主将は人の悪い笑みを洩らした。
「あの下級生ならお前に少しでも変化を与えてくれるかもしれんと思ったが、予想以上だったな」
「てめぇ、まさか最初からそのつもりで……俺が対戦相手に手を上げるのも予想済みだったな!」
「まさか、そんなことはないぞ」
「……カカッ! 面白かったからな、どっちでもいいやな!」
 ニヤッと笑う主将に笹原も笑いを返すと、肩を組み、一緒に退場して行った。

「遥! 心配させないでよもう、バカっ!」
 更衣室でマスクを外してくつろぐ遥へ、香夏子の涙声が投げつけられる。
「どっか痛いとこない? 頭コブになってない? 気分悪くない?」
「大丈夫だよ、ありがとう……香夏子お母さんみたい」
「人が本気で心配してるのに! もう知らない!」
「来狐さん、鳥咲さんの気持ちもわかってあげなさい。友達の身を心配するのは当然のことなんだから、茶化すようなことを言わないの」
 こよりが嗜めると、遥は素直に頷く。
「ホントに大丈夫だよ、香夏子。リングって倒れたときに衝撃を吸収するようにできているから、見た目よりもダメージは少ないんだ。まあ、少しだけあちこちが痛むけど」
「だから言わんこっちゃない! 本物のプロレス馬鹿!」
 香夏子は舌を出す遥を叱り、氷を詰めたビニール袋を渡して後頭部を冷やさせ、体中を調べる。傷を見つけると手際よく消毒していく。
「いたた、染みるよ香夏子!」
「我慢しなさい、生きてる証拠よ」
「……こうやって香夏子に消毒してもらうのも久しぶりだね」
「そうだね、小さい頃は私が遥の消毒係だったもんね」
 よくプロレスごっこで遊んでいた遥は、生傷が絶えなかった。世話焼きの香夏子はそれを放っておけず、いつも遥の傷を消毒してやっていた。中学の頃は少しおとなしくしていたから、高校生になってまで消毒係をすることになるとは思わなかったが。
「もうこんな心配させないでよ」
「うん、任せといて!」
 軽く請け負う遥だったが、すぐに約束を破ることになるとは、このときは思ってもいなかった。

 初の異種交流戦から二日後の月曜日、登校した遥は、教室でクラスメイトから囲まれた。
「すごいね来狐さん! かっこよかったよ!」
「遥ちゃんって強いんだな。見直したぜ」
 どうやら、クラスの何人かが異種交流戦を見に来ていたらしい。そこから口づてでクラス全員が知ることとなったのだろう。
「な、なんのこと? あれは私じゃなくて、ピュアフォックスっていう覆面レスラーだよ?」
 惚ける遥だったが、悪い気はしない。クラスメイトも野暮なツッコミは入れず、柔らかく微笑んでいる。
「じゃあさ、プロレス同好会に入りたいって人もいたりしない!?」
 途端に人の輪はなくなった。
「ううっ、人生って世知辛い……」
 肩を落として自分の席に座る遥を、香夏子が慰める。
「あきらめなよ遥。応援してくれるだけありがたいと思わなきゃ」
「そうだね……応援も嬉しいよね……」
 机に寝そべる遥だったが、こよりが教室に入り、すぐにホームルームが始まる。手早く連絡事項を伝えたこよりは、最後に遥を呼んだ。
「はい? なんですかこより先生」
「来狐さん、また異種交流戦を行いたいとの申し込みがありました。今度の相手は空手部です」

「空手部か……」
 昼休み、遥の教室にはプロレス同好会メンバーたちが集まっていた。浩太は一人難しい顔をして腕を組んでいる。湿布をしているのか、微かに刺激臭がする。
「浩太、なにか知ってるの?」
「ああ、俺と揉めてた先輩たちが居たろ。あれ、空手部の連中だ」
 北校空手部の評判はすこぶる悪い。部員はヤンキーで占められ素行も悪く、停学処分を受ける者も少なくない。学校側も何度か注意はしているが、問題になることを恐れてか重い処分は下していない。
「多分この前の異種交流戦で、俺らがプロレス同好会だって気づいたんだろ。俺と遥はあいつらと因縁がある、勝つために何してくるかわからんな」
「そういうことなら断りなさいよ、遥」
 遥を心配しての言葉だったが、浩太が遮った。
「いや、断るのはやめとけ」
「なんで? 何してくるかわからないっていうのに、そんな相手と闘わなくてもいいじゃない!」
 香夏子が噛みつくが、浩太は冷静だった。
「もし異種交流戦を断ったとなれば、あいつらはあることないこと言いふらすぜ。俺たちが怖くて逃げたんだ、プロレス同好会なんてたいしたことない、あんな同好会なんて潰してしまえ……」
「もしそうなれば今後の活動に支障が出るでしょうな」
「そういうことだ」
 木ノ上のフォローに浩太が頷く。
「逃げずに勝つ。それしかなさそうだね」
 遥は右拳を手の平に打ち付け、握り込んだ。

 空手部との異種交流戦はボクシング部との兼ね合いもあり、二週間後の土曜日に行われることとなった。
 そして当日。ボクシング部の部室の周りは前回以上の人だかりとなっていた。前回の試合を見た者から口コミで評判が広がったからだろう。
 会場である部室の中はピリピリとした雰囲気に包まれていた。遥や浩太、顧問のこよりなどプロレス同好会のメンバーに恥をかかされた空手部員が、同好会メンバーに剣呑な視線をぶつけてくる。大勢の観客と教師であるこよりがいるため手を出してくることはないだろうが、香夏子は気が気ではない。
 そんな険悪なムードの中、まずは空手部の幹田、続けてピュアフォックスが入場してくる。幹田には空手部から野太い声が、ピュアフォックスには同好会と見物の生徒たち(主に男子生徒)から声援が送られる。ピュアフォックスに声援が飛ぶたび、空手部員がその方向を睨みつける。
 マイクで選手紹介をするのは今回も木ノ上だった。
「赤コーナー、空手部……幹田、修人ぉーっ!」
 空手部からの出場者は幹田修人。百八十cm近い身長と腕っ節で北校のヤンキーナンバーツーと目される喧嘩上手だ。空手着に黒帯を締め、コーナーポストにもたれかかっている。リング下には空手部員が揃い、他の生徒たちを威圧する。
「青コーナー、プロレス同好会……ピュアァ、フォックスゥーッ!」
 コールを受けたピュアフォックスは幹田を睨みつつ、両手首をほぐす。
 小峯がまず幹田にボディチェックを行おうとすると、幹田は怒声を上げて威嚇する。
「触んなコラァッ!」
「っ……でも、ボディチェックを受けてもらわないと、試合が」
「男なんぞに触られたくねぇんだよ、マネージャーにさせろ、ほれ」
 幹田は香夏子を指し示し、指を曲げて呼び込む。
「幹田先輩、プロレスではレフェリーの言うこと聞かないと反則負けですよ。私はそれでもいいですけど?」
 ピュアフォックスの挑発に、幹田は舌打ちしつつもボディチェックを受け入れた。最後は小峯を蹴放すようにして終わらせる。
 ピュアフォックスは、自分のボディチェックに移った小峯に小声で話しかける。
「頑張って、小峯くん。怖いかもしれないけど、堂々と裁いて」
「うん、わかってる。遥さんこそ、気をつけて」
 ボディチェックを終えた小峯は、強張った表情のままゴングを要請した。

『カーン!』

 立ち上がりは幹田が優勢だった。顔面へ掌底を振ることで意識を上に持って行き、鋭いローキックで太ももを打つ。これを繰り返されると足が前に出て行かなくなるため、ピュアフォックスは一旦距離を取る。
「おい、最初から逃げてどうするんだ。ほれ来いよ、おっぱいちゃん」
 手招きする幹田に、ピュアフォックスは顔を赤くして前に出る。幹田はフェイントを打つと見せかけ、そのまま体重を乗せた掌底での一撃を放つ。
「くっ!」
 これはギリギリでガードし、再び距離を取る。
「いい反射神経してるな」
 ピュアフォックスに掌底をガードされたことで幹田が構え直す。摺り足で距離を詰めると、ローキックからハイキックへと繋げる。鋭いコンビネーションだったが、ピュアフォックスはこれもギリギリでガードする。
「どうした、受けてばっかじゃ勝てないぜ!」
「誰がっ!」
 再びローキックを放つ幹田に対し、ピュアフォックスは至近距離から打点の高いドロップキックで幹田の胸元を打つ。
「ちぃっ!」
「チャンス!」
 バランスを崩した幹田をタックルで倒し、ピュアフォックスはそのまま馬乗りから腕ひしぎ逆十字を狙う。
「させるかよ!」
 が、幹田はなんとピュアフォックスのバストを掴むことでそれを阻止する。
「きゃっ!」
「へぇ、ちゃんと柔らかいじゃねぇの」
 幹田の手を振り払ったピュアフォックスだったが、その隙にマウントポジションから逃げられる。
「胸まで筋肉かと思ったら、しっかり女の子してるじゃねぇか。もう一回揉んでやろうか?」
「……絶対に、許さない!」
 そう叫んで走り寄るピュアフォックスに、幹田がカウンターのローキックを放つ。ピュアフォックスはこれをジャンプでかわすと同時に体を捻り、フライングニールキックで幹田の顔面を捉える。
「ぐはっ!」
 膝をついてダウンは堪えたものの、幹田の顔が屈辱に歪む。
「ざけんじゃねぇぞコラァッ!」
 咆哮と共にピュアフォックスに走り寄り、左頬に拳を叩き込む。手加減抜きの拳での一撃に、ピュアフォックスが倒れ込む。
「が、顔面パンチは反則です!」
 小峯が慌てて幹田の前に割り込み、反則を指摘する。
「女の子の顔を殴るなんてサイテー! いいかげんにしなさいよ!」
 香夏子の非難など耳に届かぬ様子で、幹田は逆に小峯に詰め寄る。
「これはプロレスなんだろ? ファイブカウントまではなにしても反則にならねぇんじゃねぇのか、ああ!?」
「レフェリー……大丈夫だよ、続行して」
 よろよろと立ち上がったピュアフォックスだが、足元が覚束ない。
「でも……」
「ほぉ、あれで立つかよ。しかし立ったはいいが、足元がふらついてるぜぇ!」
 幹田は小峯を押し退け、再びピュアフォックスの顔面に突きを放つ。
「ふっ!」
 それをピュアフォックスは頭突きで迎え撃った。ぐしゃっ、という嫌な音がして、幹田の拳が潰れる。打点をずらされたことで、突きの威力のほとんどが幹田の拳に返ったためだ。
「あがぁぁぁっ! 手が、俺の手がぁぁぁっ!」
 右手の痛みに幹田が呻く。そこへゆらりとピュアフォックスが近づく。
「よくもやりやがったなぁ!」
 叫ぶと同時に幹田は右回し蹴りを放つが、ピュアフォックスはそれをキャッチすると同時にドラゴンスクリューで捻る。
「がぁぁぁっ!」
 膝を襲った痛みに幹田は倒れたまま絶叫する。
「クソが……ぶっ殺してやる!」
 痛みに耐えて立ち上がった幹田だったが、ロープの反動をつけたピュアフォックスが幹田の喉元へラリアートを叩き込んだ。幹田の身体は宙で一回転し、リングへと腹這いに落ちた。ピュアフォックスは幹田を無理やり立たせ、背後から腰をクラッチする。
「そぉぉぉ……れぃっ!」
 急角度のジャーマンスープレックスで、幹田をリングへと突き刺す。美しいブリッジでそのままフォールし、小峯のカウントを待つ。
「ワン、ツー……スリーッ!」

『カンカンカン!』

 完全なスリーカウントが入り、試合が終了する。
「み、幹田さん!」
 完全に失神している幹田を見た空手部の部員がリングへと雪崩れ込み、ピュアフォックスを守ろうとプロレス同好会のメンバーもリングへと上がる。リングの上には両陣営のセコンドが上がり、一触即発の雰囲気となってしまう。
「試合は終わりました。リングを降りなさい」
 静かに告げるこよりを空手部員たちが睨みつける。しかし大勢の前で教師に手を上げることはせず、刺すような視線だけで威圧する。
「……そんなに私たちと決着つけたいなら、日を改めてもう一回しようか? 一対一ならいつでも受けて立つよ」
 ピュアフォックスの科白に、空手部員たちはお互いに顔を見合わせる。頼みの幹田が失神していては、勝手に勝負を受けることもできない。
「一人じゃ喧嘩も売れねぇような奴らがプロレス同好会に噛みついてんじゃねぇぞ! 柔道部が相手してやろうか!」
 膠着状態に割って入ったのは、柔道部の笹原だった。リング下から空手部員たちを睨みつけ、その後ろには柔道部員たちも控えている。数でも勝ち目がないと覚った空手部員たちは幹田を担いでリングを降り、ボクシング部の部室を出て行った。
「笹原先輩……ありがとうございました!」
「カカッ、礼なんぞいらねぇよ。俺もあいつらにはムカついてたからな、清々したぜ」
 笹原がひらひらと右手を振る。
「それにな、柔道部にはヤス相手に暴れたときからのお前のファンだって奴が多いんだよ。それがつまんねぇことで潰されちゃかわいそうだ、ってのがこいつらの一致した意見なんだと」
 笹原が親指で後ろを指す。ピュアフォックスが視線を送ると、何人かが手を上げて応えたり、手を振ったりとアイドルと視線があったときのような反応が返ってくる。
「なんだか恥ずかしいですね」
「カッ、そんな柄には見えないが、やっぱ女か。ま、投げ技、寝技の練習したけりゃ柔道場に来な。みっちり鍛えてやるよ」
「……考えときます」
 ピュアフォックスの答えに、笹原と柔道部員は笑いながら出て行った。ピュアフォックスは、彼らの後ろ姿に大きくお辞儀をしてお礼に代えた。

「いったー……」
 覆面を脱いだ遥の左頬は、熱を持って腫れていた。しかも額にはくっきりと拳の痕が残っている。
「まったくあの男、乙女の顔をなんだと思ってるのよ」
 まるで我がことのようにぷりぷりと起こる香夏子が、テキパキと治療を進めていく。遥に氷の入った袋で左頬を冷やさせ、額には冷えピタを張り、自分は幹田の攻撃で腫れた部分をコールドスプレーで冷やしていく。
「うひー、いた気持ちいい」
「生きてる証拠よ、プロレス馬鹿」
 軽く身悶えする遥の台詞をばさりと切り捨て、治療を進めていく。
「ほんとにあの男、ふざけたことばっかりして! ううん、ふざけたなんて言葉じゃ言い表せない! 女の敵よ女の敵!」
「ふざけたことされたけど、強かったよ、あの人」
「強くてもなんでも、女の子の顔は殴る、胸は触る、男として最低よ!」
 遥の言葉を遮り、香夏子が怒りをぶちまける。自分の代わりに怒ってくれる親友が嬉しく、遥はつい笑顔になっていた。
「なに笑ってるの?」
「ううん、別に?」
 誤魔化す遥だったが、香夏子は逆に心配そうな表情を見せる。そのままそっと額に触れる。
「遥、やっぱり頭にダメージが来たんじゃ……」
「違うよ! 失礼だなぁ」
 そんな二人のやり取りを、こよりは微笑みながら見守っていた。


【第一章 ピュアフォックス誕生!】 へ   目次へ   【第三章 ピュアフォックス、海へ!】 へ

TOPへ
inserted by FC2 system