【エピローグ−4】

 とどめに放たれたジョーカーの手刀は、ジルには届かなかった。横合いから伸ばされたカミラの左手に掴まれ、逆関節から投げを打たれていた。危うく振った手刀でカミラを退け、受身を取って立ち上がる。
「まさかこんな卑怯者を出してくるとは。日本有数の実力者とは、この程度の器なのかしら?」
 怒りを面に出したカミラは、まるで戦女神のような雄々しさと猛々しさを纏っていた。ジルは多量の出血による青い顔で、毅然と立つ主を見上げる。
「軍事産業の実質的経営者が、まさか卑怯云々を抜かすとはな」
 含み笑いを浮かべた「御前」を、カミラの美しい怒りの視線が貫いた。
「戦争と闘争、私はこの違いを知っていますの。すなわち、誇り!」
 その叫びには崇高なものが宿っていた。カミラの魂が込められていた。
「例え軍需を操ろうとも、骨の髄まで貴族だということか」
 カミラの宣言に、「御前」は深く頷いていた。
「カミラ。改めて賭けをせぬか?」
「賭けても宜しいですわ。しかし、このような卑怯者ではなく、貴方との闘いでなければ受けませんわ!」
 ジョーカーを一瞥したカミラは、真っ直ぐに伸ばした人差し指を「御前」に突きつける。
「良かろう。儂は<地下闘艶場>の全てを賭け、お前は自らの肉体を賭ける。条件に変更はないな?」
「御前」の確認にカミラが頷く。
「ならば、エリザベート・バートリーの名に誓え」
「御前」の言葉に、カミラの眉がぴくりと動く。
「良いでしょう。我が祖、エリザベート・バートリーの名において誓いましょう」

「エリザベート・バートリー」。マジャール語ではバートリ・エルジェーベトとも表記する。
 中世ハンガリー王国の伯爵夫人であり、王族に連なる由緒ある名門貴族であった。しかしその名を知られるのは貴族であるからではなく、その陰惨かつ残虐な行為のためだった。
 彼女は自らの性癖を慰めるため、かつ美貌を保つため、年頃の少女を惨殺し、その生血を浴びた。犠牲者の数は80人とも300人とも650人とも言われ、正確な数字はわかっていない。
 エリザベート・バートリーは、「血の伯爵夫人」、「血まみれ夫人」と畏怖されるに相応しい魔女だった。

 このエリザベート・バートリーを祖と讃えるカミラは、シングルトーナメントのリングで血を吸う行為を見せている。まさしく「ドラキュリーナ」と呼ばれるのに相応しい魔少女だった。カミラがエリザベート・バートリーの末裔を自称しているのは伏せられている筈だったが、「御前」はその事実を掴んでいた。
 しかし、カミラは動揺などまるで見せなかった。闘いに備えてゆっくりと関節を解しながら、視線は「御前」を捉えて離さない。
「さすがに、貴方ほどの相手にこの服装で、というわけにはいきませんわね」
 カミラはロングドレスの裾を裂いて太ももまで露わにし、機動性を確保する。それだけでは終わらず、裾の布地を膝の位置で折り、腰に巻いた帯に手挟む。その姿から発せられる強烈な色気に、黒服の中には生唾を飲む者もあった。
「ご老人だから、と手加減する私ではありませんよ」
 亜麻色の髪をかき上げた美しい指が、豊かな胸の前で軽く握られる。
「『ノイエ・トート』の真髄、その身に刻んであげますわ」
 カミラの口元に、艶やかな微笑が浮かんでいた。

  (続く)


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