【暗夜闘−1】

 そこは、民家からも遠く離れた山の中腹だった。ここまで舗装もされておらず、山道と言って良い。時刻は深夜を二時間近く回っている。街灯等も無い闇の中、右手の竹林がさやさやと揺れている。
「この先に、奴の隠れ家がある」
 田芝はもう「御前」などとは呼ばず、奴と呼び捨てにした。
「さて、包囲殲滅と行きますか」
 前に出ようとした洋銘を玄利が押さえる。
「いや、俺とお前、それに『三剣』だけで行く。田芝、お前は残れ」
「私は対等な同盟相手だ。若造如きに指図される筋合いはないな」
「対等? この場において、随分と的外れなことを言う」
 田芝の周りに居るのは、全てが「紅巾」の一族だ。
「情報屋としての役目は終えた。ここで帰れば見逃してやろう」
「仁義もなにもないな。所詮は盗賊どもの子孫か」
 辺りに聞こえるように落とされた呟きに、たちまち怒気が立ち上る。しかし田芝の顔に恐怖はない。昂ぶりもない。ただ真っ直ぐ玄利を見据えている。玄利も口を閉じ、暗い瞳で田芝を見据える。
 対峙は緊張を孕み、闇を震わせる。
 突然、暗夜に血華が咲いた。殺到した殺気に、たちまち乱戦が始まってしまう。
「気配などまるでなかったぞ!?」
「応戦だ! 応戦しろ!」
 中国語の叫びが飛び交うが、すぐさま断末魔に取って代わられる。
「裏部隊の連中か」
 田芝の呟きは、他の者には届かなかった。集められた「紅巾」の精鋭たちが、奇襲によって次々と命を落としていく。銃器の発砲音は聞こえず、打撃音と呻き声が闇夜を乱打する。
 一方的な攻撃を受けた「紅巾」だったが、さすがに精鋭揃いだった。混乱から素早く立ち直り、円陣を組んで敵に対する防御壁と成す。
 争乱の輪を突破し、一人の男が飛び込んでくる。真っ直ぐ玄利へと向かうその足運びは、並々ならぬ技量を備えていた。
「シィッ!」
 玄利の顔面へと男の拳が一直線に襲う。しかしその目標が寸前で消えた。腰の落としと膝の曲げを使って体を落とした玄利が、左掌底を男の右横胸に当てた。
 たいして力を込めたとも見えないのに、男は大量の血を吐き、その場に崩れ落ちた。
「やるねぇ。そいつ、かなりの使い手だったんだぜ?」
 その男の後ろに、陽気な殺気を纏った男が立っていた。右目を眼帯で覆い、左目で玄利をひたと見つめている。
「そうか。裏部隊とやらもたいしたことがないな」
 玄利は相手の正体を看破していた。その佇まいと右目の眼帯は、裏部隊の副リーダー格に間違いあるまい。
「一般レベルからすれば、ってことだよ。俺はこいつの十倍は強いぜ」
「試してやろう、大言のほどを」
 怜悧な殺気と陽気な殺気が激突し、夜気を引き裂く。
「『紅巾』の双璧。李玄利だ」
「『御前』の裏部隊、無業煉人」
 玄利の直感どおり、眼帯の男は裏部隊の無業(むごう)煉人(れんと)だった。
「最近雑魚ばかりと闘わされてな、腕が鈍っちまった。お前で錆落としをさせて貰うぜ」
「雑魚が雑魚仲間を雑魚などと呼ぶな、滑稽だ」
 言葉と殺気の応酬は、同時の激突を生んだ。無業の左拳が玄利の左掌底を迎撃し、右拳を走らせる。しかしその鋭い一撃も玄利の右掌底が柔らかく逸らし、体への到達を許さない。
 剛拳が空気を切り裂き、柔掌が空気ごと逸らす。互いに微細な足捌きで刻々と位置を変えながら、必殺の一撃を交し合う。
 何十合も続く打ち合いも、遂に均衡が崩れるときがきた。
 防御の割合が高かった玄利が、鋭く攻勢に転じる。顔面へと伸びてくる腕を払おうとした無業だったが、その手は空を切った。殺気を囮とし、本命の左手が迫っていた。右脇腹に、玄利の掌がひたり、と貼りついた。
「ちぃっ!」
「遅い!」
 無業が振り払うよりも一瞬速く、玄利が起こした波動が掌を通じて無業の腹腔内を叩きのめす。
「浸透勁。通ったな」
 玄利の呟きを合図にしたかのように、無業の体が崩れ落ちる。その口からは鮮血が溢れた。
「やはり、裏部隊とやらもたいしたことがない。どれ、目標を始末に行こうか」
「おいおい、勝手に終わらせるなよ」
 倒れていた筈の無業が立ち上がり、口の中の血を吐き捨てる。
「馬鹿な・・・俺の浸透勁を食らって立つだと?」
 玄利の顔が驚愕に歪む。今まで自分の浸透勁を受けた者は、血を吐き、のた打ち回って死んだ。
「これくらい、『御前』の一撃に比べれば屁だぜ」
 口元を赤く染めながら、無業が笑みを見せる。
「負け惜しみを! ならば、我が渾身の一撃、その身に刻め!」
「ああそうかい。それよりお前、この眼を抉ったの、誰だと思う?」
 突然どうでもいいことを訊かれ、玄利は沈黙を守った。
「『御前』だよ。あの方が容赦なく抉ったのさ」
 嘗て、無業は「御前」に真剣勝負を挑んだことがあった。何度か攻撃を当てることができたものの、その代償は右目だった。「御前」に抉られた右目は、もう二度と光を映すことはない。
「それなら、お前もあ奴に恨みを持っているのだろう? 今からでも遅くない、我らと復讐を・・・」
「わかってねぇな、お前」
 玄利の言葉を薄笑いで遮り、無業は眼帯の上から右目を指で叩いた。
「『御前』は、なんの躊躇もなく俺の眼を抉ってみせた。そんとき俺が感じたのは恨みじゃねぇ。『御前』の持つ凄みだ。あのとき、俺は『御前』に惚れちまったのさ。心底、な」
 無業の告白に、玄利は何故か一歩退いた。
「・・・俺は男色家じゃないからな、その気持ちはわからん」
「そういう意味じゃねぇよ! 忠誠を誓ったってことだ!」
 玄利の誤解に、憮然となった無業が叫ぶ。
「まったく、お前と漫才しにきたんじゃねぇっての」
「それはこちらの科白だ」
 緊張感のない会話の最中も、男たちは殺気を交し合う。静かに高まっていく殺気が沸点を越えた瞬間、再び激突が起こる。
 無業の剛拳を玄利が軟らかく逸らし、玄利の反撃を無業が打ち落とす。先程の激突とほぼ同じ流れだったものの、やはり先程の浸透勁の一撃が効いているのか、無業の技の速度が僅かに落ちていた。
(ふん、死にかけめ)
 顔面へと伸びてくる拳を受け流そうとした玄利の掌は、何故か空を切った。
「なっ!?」
 自分が使った殺気での囮。それをそのまま返された。そのことに気づく前に、心臓の位置を剛拳が抉っていた。
「ぐばはっ!」
 胸骨をへし折った一撃は、胸骨の折れ目ごと心臓を貫いていた。
「・・・おのれぇ」
 しかし、それでも玄利は倒れなかった。両脚を震わせながらも、左掌を胸の前まで掲げる。その掌が上がりきる前に、顔面を剛拳が砕いた。吹き飛んだ玄利の体は地面に叩きつけられ、一度ぴくりと反応を見せたのを最後に、動きを止めた。
「・・・ふう」
 一度呼吸を整えた無業だったが、周囲への警戒は怠っていない。その視線が、李玄利という名だった死体に向けられる。
「惚れることができるほどの漢に出会えなかった。それがお前の不幸だろうな」
 内臓を揺さぶった一撃は本物だった。しかし、その一撃への絶対的な信頼が隙を作ることへと繋がった。
「錆落とし、ありがとよ」
 死者への手向けの言葉を投げ、隻眼の男はまた別の闘いを求めて一歩を踏み出した。


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